第2話 回想する聖剣、赤髪乙女と生活する
夕暮れ。
赤い夕日の光が木々の間から差し込むなか、魔物が四頭。風のような速度でこちらに向かって駆けてきていた。
俺はそれを感知しながら、使い手であるルナに念話でそのことを伝える。
「ルナ。左から来るぞ、回避しろ」
「ん、分かってる」
くるりと夕日を受けて輝く赤髪を振って、ルナは迫りくる魔物達を迎え撃つ。
直後、茂みの中から爛々と光る赤目と顎から飛び出た牙。そして黒色の体毛が特徴の狼型の魔物――黒狼が四頭同時に飛び出してきた。
ルナはその飛びかかってきた黒狼たちを青みを帯びたエメラルド色の目でしっかりと捉えながら、焦ることなく俺を横薙ぎに振り抜く。
遠心力のかかった俺の刀身はズブリと一匹目の黒狼の首に食い込んで、そのまま骨と共に肉を絶って首と胴を切り離すと、そのまま襲いかかった他の三頭の首もやすやすと落としてしまう。
魔物の四頭を一瞬で屠ったルナは刀身に残った黒狼の血を左右に切り払うことで落とし、俺を腰の鞘に戻すと軽く息を吐く。
「お疲れ」
「ん。アルブも」
「ありがとよ。殺した死体はアンデット化する前にちゃんと燃やしておけよ」
俺がそう言うとルナは頷いて、ぼそぼそと口を動かす。
するとルナの周りに転がっていた黒狼の死体が燃え上がり、その肉体を完全に灰にして土に返していく。
死体が完全に消し炭に変わるまでを見届けてからルナはパン、と手を合わせる。
「はい、お終い」
「よし。なら早く商隊の奴らをオルディナの町まで運んで仕事を終わらせよう」
「ん。家が一番落ち着く」
鞘に収まった俺を腰に帯剣するルナは再び頷くと足取り軽やかに去っていった。
―――――
その日の夜。
俺とルナは本拠地にしているオルディナへと向かう商人の一団を護衛するという
あの洞窟で出会ってから既に二年が経過し、今の俺たちはこの町で一端の冒険者として活動している。
冒険者と言っても迷宮などに潜る本格的なものではなく、拠点にしているオルディナの町のギルドに所属し、そこから出される依頼をちまちまと受けて生計を立てている状態なので傭兵と言ったほうが妥当かもしれない。
そんな冒険者ルナは、大通りの店に売れ残りを出すまいと安売りされている商品に目をやりながら呟いた。
「今日の晩御飯、何にしよう……」
「この前、鳥関係の料理を最近食べてないって言ってたんだから、鳥の照り焼きとかいいんじゃねぇの? 他にも唐揚げ、竜田揚げ、キノコのバター炒め……またはそこの通りを折れたところにある子猫亭で食べるのもいいかもな。あそこは鳥料理がうまいって話してたのを聞いたことがある」
「ん。でも今日は家で作る。お金が勿体無い」
「たまには贅沢しろよ。人間楽しいうちに楽しいことやっとかないと損だぜ」
他愛もない話をしながら、ルナは鞘に収められた俺とまだ人通りの多い道を歩いていく。
この二年の間に様々なことがあった。
まず俺とルナは、出会って最初の半年ぐらいは出会った森に現れる魔物を狩りながらのサバイバル生活を送ることになる。
何故すぐにオルディナのような近くの町に向かわなかったかというと、森は広大でどこから出れば町や街道に辿りつくか分からなかったからだ。
子供であるルナの足で数日なのだから街道に出るまでそんなに時間はかからないだろうと俺は踏んでいたのだが、ルナの話だと途中で川に落ちたらしく、もといた街道あたりからはかなり流れてしまったらしい。
俺たちは仕方なく街道を探して森を探索しながら、遭遇した魔物たちを狩っていった。
後で聞いた話だが、なんでもルナが俺を見つけた森はかなり強い魔物が生息する場所として知られており、森を生きて抜けられるなら冒険者としては一人前だと認められるような危険な場所だったのだという。
よくそんなところを武器も無しに一人で数日も彷徨ったものだと俺はルナの強運に驚かざるを得なかった。
そんな場所のおかげでルナは戦いの中で様々な技術を習得していく。
剣の使い方、肉の捌き方、調理の仕方、エトセトラ、エトセトラ……。
普通なら何年もかかるであろう技術をルナは短期間で次々と身につけた。それも彼女の飲み込みの速さ故だろう。
彼女は異様に飲み込みが早く、魔物と相対した時も恐れることはなかった。
なぜそんなに落ち着いているのかと聞くと、
「ドレイの時に学んだ。心を遠くにやれば苦しまないし、あまり痛くもない」
という返答が帰ってきた。
心を遠くにやる。それが幼い頃から奴隷として育ってきた彼女の処世術だったのだろうな、とその時の俺は思った。
―――――
明るく光に満たされた室内で肉の焼ける音がキッチンから聞こえてくるのを椅子に立てかけられながら俺は静かに聴く。
今の俺は人間の持つ五感のうち、視覚と聴覚。そして触覚以外の感覚を失っているので、匂いは感じないが今の室内には香ばしい鶏肉の香りがキッチンから漏れ出してきているのだろう。
そうやって感じることの出来ない肉の香りを思い描いていると、サラダなどが盛られた皿を持ってルナが現れる。
「アルブ、少し寝ててもいいよ。食事なんて見てても楽しくないでしょ?」
「いやそんなことはないさ。それよりもそろそろ完成じゃないのか?」
「ん。分かってる」
油のパチパチという音が少し弱くなったのにめざとく気づいた俺が訊ねると、彼女はそう答えてそそくさとキッチンの方に戻っていく。
ちなみにアルブというのはルナが俺に付けた愛称だ。
別に剣に愛称なんて必要ない気がするが、会話する上であなたやお前では限界があるというので、ルナに強制的に付けられた。
しかし基本的に俺が会話するのはルナとだけなので、他の人間はただ剣や高そうな剣としか言わない。実質彼女だけが俺をそう呼ぶ。
そうしている間にメインと思われる食材の乗った皿をテーブルに置いてルナは席につく。
テーブルの上には通りで安売りされていた生野菜を刻んだサラダに保存に向いた硬めのパン。そして湯気を上げる表面をカリカリに焼いた鳥モモ肉の照り焼きだ。
この姿になって空腹というものを感じなくなっていた俺でも、よだれが出そうになるほど美味しそうだった。もちろん、比喩表現だが。
ルナは「いただきます」としっかり手を合わせてから言って、まず出来たての照り焼きに手をつけ、ナイフとフォークで器用に切り分けて口に運ぶ。
「……美味しい」
セリフの上では単調に聞こえるが、今の彼女の表情は頰が緩んで完全に蕩けきっていた。普段の物静かなルナの表情からはあまり想像出来ない顔で、彼女のプラベートを知る俺しか知らない顔でもある。
そんな表情を見せる彼女を見て、俺は毎度の如く幸せな気持ちとささやかな独占欲に満たされるのだが、彼女がこういう表情をするようになったのは森を出てからだ。
それまでは狩った魔物の肉を単純に焼いて食べていたが、ルナ曰く、あんまり美味しくないらしい。
魔物の肉は食べてもあまり問題はないらしいが、もしかしたら猪肉のように味、調理ともにクセがあるのかもしれない。
さて、森での話の続きをしよう。
半年間のサバイバルの末に俺たちは街道にたどり着き、そこでたまたま通りかかった商人の馬車に乗せてもらった。
普通、いかにも奴隷である薄汚れた少女を見れば、厄介ごとに関わりたくないとばかりに訝しむか素通りするだろうが、ルナの強運のせいか、その商人は無口な割になかなか優しく、最初に着いた町でルナの服とは言えないボロ布を買い替えさせて宿で汚れを落としてくれたのである。
それから俺とルナは、その商人に付き添う護衛として様々な町を渡り歩く。
商人は最初、幼い少女が護衛すると聞いた時は半信半疑な表情をしていたが、ルナがパフォーマンスとして一太刀で太い木々を真っ二つにすると目を皿にして拍手を送ってきた。
実際、ルナが森でのサバイバル生活で独自に鍛え上げた剣技は、この世界の並の剣士を遥かに凌ぐ実力を持っていたのだ。
そして商人にくっついて旅をする判断は正解であると俺は後から悟る。
俺は旅をすることでこの世界がどんなところかを知ることが出来たし、ルナは俺や商人、はたまたたどり着いた町の風土や住民に触れ、そこから持ち前の覚えの良さで様々な情報を吸収していき、どんどん賢くなっていった。
旅を終える頃には俺や商人よりも頭が良くなっていたのであるから、あの時は驚きは凄まじい。
そして商人と各地を半年ほど回った後、俺たちは彼と別れてオルディナの町に部屋を借りて住み始めた。以来、俺とルナはオルディナの町で一年ちょっと暮らしている。
この町にしたのは、ルナがこの町を随分と気に入ったからという単純な理由だ。
俺のスタンスは基本的に彼女のしたいことはさせてやりたいと思っているので特に反対もせず、それからギルドに登録し、この町で冒険者としてお金を稼ぎながら生活するようになったわけである。
―――――
「……なぁ、ルナ? 前から思ってたんだが、それは勘弁してくれないか?」
「駄目。拒否は許さない」
しかし、そんな仲睦まじく見える俺たちにも問題がある。
現に食事のあと、ラフな部屋着を脱ぎ捨てて下着姿で俺を手に取ったルナとその問題に直面していた。
「別にプライベートでも俺を帯剣するのはいいさ。護身の面から見ても正当性があるしな。寝るときに俺を抱き枕代わりにするのも……まぁ、許すとしよう。だが風呂に俺を持ち込むのだけはいい加減勘弁してくれッ!」
俺とルナとの間に発生した問題――それは彼女が風呂場に俺を持っていこうとすることだ。
実を言うと最初の頃の俺は風呂場に持ち込まれることを許可していた。なにしろ彼女のやることなすことがいちいち危なっかしかったのだ。
それにいくら人の良い商人も成熟し始めた少女と共に風呂には入るのは拒んだというのもある。
さらに言えば保護者のいない少女が見るからに高価そうな剣を持っているなど人攫いや野盗などのその筋の人たちの格好のカモで、宿にいても完全に安心できるとは言えない。
しかし商人と旅をしていればそれなりの知恵と技能も身につき、俺が彼女を完全にカバーすることは少なくなる。事実その通りで、文字の書き方も金の勘定も剣の扱い方も既に習得している彼女は既に嫁に出しても恥ずかしくないほど一人前だった。
だがなぜか、風呂に俺を持ち込む習慣は消えなかったらしく、現に今もこうして俺は湿気の多い風呂場に持ち込まれようとしている。
ここでちゃんとした体を持っていたらジタバタと駄々っ子のように暴れただろうが、今の俺にルナの選択に対する拒否権はない。
「だいいち俺は男だぞ! 恥ずかしくないのか!?」
「ない。アルブは人じゃないし、他の男みたいに酷いこともしない。だから恥ずかしくもない」
「俺が恥ずいんだよ。察しろ!」
そうやって俺が彼女から距離を置くのにはもう一つ理由がある。それは彼女が徐々に女性としての色気を備え始めているからだ。
この二年でルナは出会った頃のあのみすぼらしい少女から見違えるような変化をした。
成長期で身長も出会った頃より伸び、出会った時の貧相だった肢体も今では強弱のついた緩やかな曲線を描き始め、昔の俺を帯びた時のフラフラとした歩き方も、今ではしっかりとしながら女性らしくしなやかで様になっている。
生活が安定するようになってからは持ち前の赤髪や服装にも気を使うようになったおかげでこのオルディナでは美人冒険者としてルナの名は知れているのだ。
それらの成長を見たり感じたりするたびに俺は彼女が異性であること意識せざるをえない。
昔はすやすやと眠るルナの寝顔を隣で見ながら親のような鷹揚な気持ちで見守っていたが、今では彼女の綺麗な寝顔よりも眠る時に発育のいいらしい胸の二つの膨らみが俺に押し付けられることのほうが気になる。
俺だって男だ。もちろん女の子とイチャイチャしたいなんて願望はある。だけどこんな形でなんてまったく望んでいない。
別に抱き枕のように抱かれるのは耐えられる。俺が意識しなければ済むことだ。しかし風呂場ではそうはいかない。
いくら目を閉じようとも聴こえてくる水音でルナの裸体を想像してしまうし、想像を振り払おうと目を開ければ、その想像が現実になっている。
人の身なら風の如く逃げ出すことが出来るが、さっき言ったように剣である俺にはその選択肢はないので、物理的でもイメージ的にも強制的な視姦をさせられるたびにコレジャナイ感が俺の心を覆い尽くすのだ。
「ルナ、まず落ち着け。まず風呂場に剣を持っていくのはおかしい。どんな剣客でもそこまではしないぞ」
「それはそれ。これはこれ」
「剣を湿気の多い場所に置くのもいただけない。主人の水浴びに付き合って錆びましたとか洒落にもならない」
「アルブは魔力で湿気から身を守れる、だから大丈夫」
「仮にも聖剣の魔力をそんなところに使わせるお前はどうかしてるぜ……。とにかく! もう風呂に持ち込まれるのだけは勘弁だ。それでもってんなら、俺が反論ができなくなるまで言い負かしてからだ」
「上等、受けて立つ」
その後、俺は半裸のルナとけんけんがくがくの口喧嘩の末に勝利を勝ち取り、ルナが風呂に入っている間、俺が風呂場の手前で待機することで手打ちとなった。
おかげでしばらくルナが拗ねて俺と口をきかなくなったが、勝利といえば勝利だろう。誰でもない俺が言うのだから。
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