第9話 対話の結末 1/3

 階段を駆け上ってアパートの扉が荒々しく開く。


 中に入ると、一昨日と変わらぬ部屋の中で美希がびっくりしたように目を向けていた。


「なんだ。びっくりさせないでよ」


 美希は良吾の姿を確認してからホッと息をつく。


 良吾は何も言わずにそのまま暗い部屋に上がりこむ。

 その手にはいつもより膨らんだビジネスバックがある。


「もう来ないんだと思ってた」

「すいません。急用でちょっと遠出してこんな時間になりました」


 簡潔に良吾は答え、美希はやや怪訝そうに眉を顰めたが、良吾はある事を問いかけた。


「確認なのですが、昨日あなたが話してくれたことは全て真実ですか?」

「もちろんよ」

「あなたにとって父親との生活は楽しかったですか?」


 美希はどうしてそんなことを問うのかと聞きたいようだったが、それを言っても望んだ答えが返ってこないことを察したのか頷く。


「えぇ、とても楽しかった。もちろん人並みに嫌なこともあったけど、人並みには幸せだったと思う」


 美希は恥ずかしげもなく自らの本心を述べたが、良吾はその返答を聞いても晴々とした顔をせず、むしろ表情は険しいものとなった。


 彼がそんな顔をする理由が分からず、美希は苛立つ。


「ねぇ、本当にどうしたの? ここに来たってことは私絡みの話なんでしょ。もったいぶらずに早く言って」


 そう言った彼女を良吾は見た。

 自分のなかの葛藤のせいで表情は気難しくなっていたが、やがて意を決したように告げる。


「じゃあ、単刀直入に言わせてもらいます。残念ながらあなたの記憶は全部偽物です」


 その言葉に美希はキョトンとした顔をしたが、すぐに苦笑してやれやれとばかりに首を振った。


「何を言ってるのよ。私と父さんとの記憶が偽物って……。まさか父さんは最初からこの世にいなかったとでも言うつもり?」

「いえ、あなたの父親は実在してます。肉体上でも書類上でもね」


 良吾はビジネスバックから一冊のファイリングされた資料の束を引っ張りだして床に広げる。


「一九九八年生まれ。母はあなたを生んですぐに死別。五歳まで東京の片田舎に住んでいたが、父親の転勤によってこの町に越してきた。ここまでは合ってますね?」


 良吾がそう訊ねたが美希は何も答えない。

 だが彼にとってはその沈黙がなりよりの肯定であり、その先を続けるための同意でもある。


「こちらに越してきたあなたは小学校に入学し、あなた父親は転勤先でサラリーマンとして働きます。その中であなたも特に問題もなく育って私立の高校に進学しました。

 ここまでは一般家庭と変わらないごく普通の日常でしょう。

 ですが、あなたのお父さんが会社をリストラされたことで状況は一変します」


 良吾はそこで一旦言葉を切った。

 そんなはずはないとばかりに美希はこちらを睨みながら話を聞いていたが、その目に僅かに動揺のようなものがあることを気づく。


「父親は新しい就職先が見つからずに酒浸りになり、あなたは学費の払えなくなった高校を辞めてバイトをしながら父親を支えようとします。

 しかし彼はそんなあなたに腹が立ち、次第に暴力を振るうようになったことであなたの心は疲弊していった。

 ですがこれはまだ悲劇への下準備にすぎません」

「やめて。そんな嘘は信じない」

「いいや。これは紛れもない真実だ。

 あなたはいままで自分の過去を嘘で塗り固めてきた。

 今こそ真実と向き合うべきです」


 いつの間にか睨むことをやめ、聞くに堪えないとばかりに顔を俯ける彼女の言葉を良吾は拒否して続ける。


 例え憎まれようとも、これ以上真実から逃げてもいいことはないと思ったからだ。


「ある日、あなたはこの部屋に一人でいた。

 そこに父親が帰ってくる。

 彼はすでに酒やタバコ以外にもギャンブルや違法な薬物などにも手を出して、その時はどこかから手に入れた大麻を服用していた。

 そしてあなたはハイになった父親に押し倒され、そのまま――」

「もうやめてッ!」


 結末の直前で甲高い叫び声が良吾の言葉を掻き消す。


 美希が両手で耳を塞ぎ、何かに怯えるように肩を震わていたが、良吾は構うことなくこの悲劇の結末を口にした。


「あなたは薬物でおかしくなった父親に犯され、そして殺されたんです。

 結論から言わせてもらえば、一昨日のあなたの語ってくれた幸せなんてこれっぽっちもないんですよ」

「あ、あぁ……ぁぁぁぁぁああああああッ!」


 告げられた真実に口から漏れ出た声を獣のような叫びへと変え、美希はその場に崩れ落ちた。

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