第7話 彼女の真実 1/2
次の日の夜。
電気の消えたアパートの居間は薄暗くなっており、街灯や家から漏れ出た光、そして満月の月明りだけでかろうじて部屋の全体が見渡せた。
「ここは空が綺麗に見えますね」
「そう? 周りに住んでいる人が少ないからじゃない」
そんな薄暗い部屋で窓ガラス越しに夜空を見上げていた良吾に美希は素っ気なく答える。
「僕の住んでいるマンションからじゃ星がここまで見えないので新鮮です」
最初に顔を合わせた頃に比べて良吾に対する美希の態度は目を見張るほどに改善していた。
午前中は良吾が何を言っても耳を貸すことはなかったが、今では向こうから質問が飛んでくるようになっている。
彼女の態度が軟化した原因は良吾が根気強く話かけていたこともあるが、やはり食事を共に囲んだことが大きな力となっているらしい。
「星、好きなの?」
「子供のころは暇があれば空を見上げてましたよ。最近もたまにベランダに出て夜空を見上げてます」
美希から訊ねられ、良吾は懐かしむように目を細める。
子供の頃は習い事の帰りに真上に広がる夜空の星々と月を見上げて、あえてゆっくりと帰っていた。
日常の中のそんな一コマがとても貴重で輝かしいものだと当時の大切にしていたのである。
「いやー、これだけ星が綺麗に見えるならここに移り住んでも――」
「それはお断りよ」
会話の自然な流れでそう言うとあまりにきっぱりと断られ、良吾はややオーバーにガックリと肩を落とす。
「もうちょっと取り付く島くらいあってもいいでしょう?」
「私がここにいる理由を教える気なんかないわよ」
辛辣な返しに苦笑いを浮かべてポリポリと頰をかく。
少しは付け入る隙が出来たかと思ったが、やはりまだ手応えが浅いようだ。
未だにガードの固い美希にため息をつきつつ、ワイシャツの胸ポケットから長方形の箱のようなものを取り出す。
すると美希はそれが何であるかにめざとく気付いた。
「タバコ、吸うのね」
「え? あぁ吸いますよ。でも税率が上がって正直困ってます」
箱を開けて中のタバコを取り出しながら苦笑する。
ライターで咥えたタバコに火をつけようしたが、そこで何かを思い出したように美希の方に顔を向けた。
「タバコ、構いません?」
美希は頷く。
それを確認してからタバコの先にライターの火を近づけて、紫煙を吐き出した。
「高いのなら止めればいいのに……」
それを見た美希のボソリと聞こえた正論に呻いたが、すぐに表情を取り繕う。
「……僕がタバコをやめられないのはタバコに対する執着をやめられないからですよ」
「執着?」
美希が不思議そうに訊ねる。
「そう執着。人間は生きている間に何かに執着し、縋っている。僕がタバコをやめられないのはその執着――言い換えれば欲望の一種です」
「それって自分がタバコをやめられないことに対する責任転嫁じゃないの?」
鋭い美希の指摘を否定も肯定もせずに、タバコを再び咥えて煙を吸い込む。
同時に薄暗い部屋の中でタバコの先端部分が赤く光った。
「そうかもしれませんね。でももし、このままタバコを吸っていたら死ぬ、と言われたら僕はタバコを止めるでしょうね。基本的に長生きしたいですし、早死はゴメンです」
「生きるとか死ぬとかそういうこと、死んだ人の前では口にすることじゃないと思うけど?」
美希は少しばかり据わった目で睨むが、良吾は特に気にしない。
「死人で幽霊だからこそですよ。幽霊たちは肉体が死んだからって自分も死んで人間としての制約から外れたと思っている。確かに幽霊は肉体としては死を迎えましたけど、精神として考えればあなたたちは死んではいない。現に僕の目にあなたは見えて、こうして会話をしている。だから精神的に考えれば幽霊は死んではいるとは言えないってことです」
「…………何が言いたいの?」
怪訝な顔をする美希に良吾は僅か微笑んで答える。
「あなたにも僕たちのように生きている人間の執着という概念はあてはめることができるっていうことですよ。あなたがこの部屋に囚われ、執着するように」
そう言ってから良吾は真面目な顔つきで美希と向き合った。
「だからそろそろ教えてくれませんか? あなたをここに縛り付け、留めているものを」
真摯的にお願いをする良吾に対し、美希は何かに耐えかねたかのように視線を逸らす。
しかしその瞳に僅かに迷いの感情が現れたことを良吾は見逃さず、あと一押しとばかりに口を開く。
「僕が最初に成仏させたのは昔からの知り合いの女の子でした。
昔はよく一緒に遊んで僕は姉のように慕っていた。けど彼女は死んだ。
葬式で幽霊となった彼女は僕にもっと生きたかったと涙を流して言ったが、僕にはその願いをどうすることもできなかった。
だからせめて彼らが安らかに逝けるようにと僕はこの仕事をしてるんです」
良吾の誰にも語ったことがない過去の話に美希は僅かに目を見開き、動揺したように顔を背ける。
しばらく沈黙を守っていた彼女だったが、やがてポツリと口を開いた。
「……家族よ。私を縛っているのは」
そう切り出すと美希は自らのことについてをとつとつと語り始める。
「私が生まれてすぐにお母さんは死んで、お父さんが私を育ててくれた。お父さんは厳しかったけど、褒める時はちゃんと褒めてくれたし、優しい時は優しかった」
過去の光景を思い出しているのか、視線を遠くにやる美希を見ながら良吾は言葉を待つ。
「けどある日、私がお父さんを待っていたら、いきなり男の人が入ってきたの。それで…………」
「…………それで?」
美希はさっきまでの懐かしむ表情に影を落とす。
気になって良吾はその先を促したが、美希はただ首を横に振る。
「分からない。その後の記憶がなくて、気づいたらこの体になってた」
「…………」
「私は守りたいだけ。父さんとの幸せがつまったこの場所を。そのためにだったらなんでもする」
実にはっきりとした口調で美希は自分の意思をはっきりとそう告げた。
良吾は右手の腕時計の針が午後十時を回ったことを確認して立ち上がる。
「明日も来るの?」
美希の方を向くと、彼女は自分の口をついた言葉に驚いたような顔をして視線を逸らす。
「いいえ。明日はカウンセラーとしての仕事はあるのでここには来ません。夜なら立ち寄れるかもしれませんが」
「そうなんだ……」
少しばかりしょんぼりとした表情をする彼女に良吾は悪戯っ子のようにニヤッと笑う。
「今ちょっと残念だと思いました?」
「まさか。そんな訳ないじゃない」
「そうですか? まぁとにかく、明日は来れないので次に会うのは明後日です。楽しみにしててください。それじゃあ」
手短にそう伝えて、良吾は後ろ手を振りながら美希の元を後にした。
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