第6話 幽霊との取引 2/2

 押入れに閉じこもっていた少女はジューッと何かが焼ける音で目を覚ました。


 上体を起こして耳を済ませてみると音は押入れの外のキッチンのほうから響いており、他にも鉄同士がぶつかり合うような音や香ばしい匂いが漂ってくる。


 少女はそっと押入れから居間を覗く。

 すると何もなかったはずの居間にはいつの間にか折りたたみ式のローテーブルが置かれていた。


 その上にはプラスチックの食器やコップが並び、お椀にはみそ汁とご飯がコップにはこげ茶色の麦茶が注がれている。


 様変わりした居間に少女が唖然としていると、ちょうど大皿を持ってきた良吾が入ってきた。


「お、やっと出てきましたか」

「……なにしてるの?」

「見ての通り、昼食の準備です。一人暮らしだとなかなか自炊しないので久しぶりにいい訓練になりました」


 野菜炒めの盛られた大皿をテーブルに置いて頰をかく良吾。

 出来たての料理の香りに引き寄せられるように押入れから出てきた少女は訊ねた。


「テーブルとかはどこから?」

「僕の私物です。キャンプとかで使う物ですよ。昨日の下見で必要かなと思ったので。

 さすがにフライパンとかは持ってこれなかったので大家さんから拝借しましたけど」


 少女はそう言う良吾から目に前の料理に視線を移す。

 最後に料理といえるものを拝んだのはいつ以来だろうかと。


 これまでにも人がここに住んだことはあったが、孤独な時間が多かった少女からすればその事実はとても遠くて短いものでしかなかった。


「良かったら味見して見てもらえません? 実際に食べることはできなくても味なんかは感じることができるでしょう?」


 しかし、そこで良吾が声をかけたことで少女は料理から目を離す。


 幽霊は基本的に食事も睡眠も必要としないが、しようと思えば出来なくはない。

 食べ物も直接手のすることはできないが、味などは手にできることを少女は知っていた。


 少女はおそるおそる大皿に盛られた野菜炒めを手にとる。

 見えないが感触だけのある塊が手に触れ、それを口に運んで咀嚼した。


「……どうですか?」

「おいしい」


 少女の言葉を聞くと良吾はほころんだ笑みを見せ、自らも畳の上で胡座をかくといただきますと言ってから用意した食事に手をつけ始める。


 それを見ながら昔はこうして父親が作った料理を口に運ぶ姿を見ていたっけと少女は思い返す。

 だが少女はその思い出を脳裏からかき消して訊ねた。


「ねぇ、いつになったら帰ってくれるの?」


 良吾はそう問われて一瞬箸を止めたが、すぐに何事もなかったかのように食事を再開する。


「あなたがここを立ち退いてくれるまでです。

 残念ながら、僕も手ぶらで帰るわけにはいかないんですよ。

 こっちも生活がかかってるんで」

「幽霊退治でお金を稼いでるの?」


 良吾は首を振った。


「そういうわけじゃありません。昨日も言ったように僕の本職は高校のカウンセラーです。

 けど、この仕事の報酬が生活費の一部になっているのは確かですね。

 非常勤なので給料は安いですし、今の世の中先行きが見えませんからお金はもらえるときにもらっておかないと」

「ふーん。そうなんだ」


 至極真っ当な解答に少女は興味をなくしたように投げやりに答える。

 反応が芳しくなかったのを感じ取ったのか今度は良吾のほうから訪ねてきた。


「そうだ。今更ですが、名前だけも教えてもらえません? いつまでもあなたとかで呼ぶにも限界がありますし」


 その提案を聞いて初めて少女は自らの名前を名乗っていないことを思い出す。


 こちら姿が見える良吾のインパクトが強すぎて頭からすっ飛んでいたのだ。


 少女はすぐに名を呟こうとした。

 だが、喉まで出かかった言葉は突如霧散する。


 本当に名前を教えてもいいのだろうか。

 そんな迷いが少女を思いとどまらせる。


 渋った様子を見て、良吾は何か思いついたような顔をして続けた。


「じゃあこうしましょう。

 あなたが名前を教えてくれたら、僕がこの部屋にいる期間をあと三日にしましょう。

 もしその間にあなたを説得できなければ今回のことから手を引きます」


 少女は顔を上げ、良吾の顔を覗き込む。

 しかし良吾はただ無害そうな笑みを浮かべるだけで心のうちは読めないので試しに少女は訊ねてみる。


「教えなかったら?」

「無期限に僕があなたの説得に来るだけです。どうですか?

 名前を教えるだけで無期限を三日にできるんですよ」


 そう肩をすくめて良吾は答えた。


 本音を言えば今すぐ立ち去れと言いたかったが、それができれば苦労はない。

 ここで三日我慢すれば彼がこの場所を確実に立ち去るというのはありがたい話だったが、あまりに話がトントン拍子に進みすぎていいように躍らされているような気にもなってくる。


 それでも決断した。


美希みき前原美希まえはら みきよ、それが私の名前」


 そう無愛想に自らの名を口にした。

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