第5話 幽霊との取引 1/2

 翌日。

 電線に止まった小鳥がチュンチュンと鳴く中で、良吾は例の幽霊少女が住み着く部屋にいた。


「ねぇ、朝からなんの冗談?」


 相対しながら不機嫌そうに少女が呟く。


 時刻は朝の十時。


 良吾は仕事に行くサラリーマンのようにきっちりとスーツを着こなしている。

 その手には昨日持っていたビジネスバッグの代わりに旅行に使うようなスポーティなボストンバッグを持っていた。


「冗談でもなんでもありませんよ。あなたの話を聞くためにこの部屋にやってきた南雲良吾と言います。どうぞお見知りおきを」

「ふざけないで。早く荷物をまとめて出て行って」


 芝居がかった調子で頭を下げる良吾を少女はバッサリと叩き切り、疲れたように目頭を揉んだ。

 その反応に良吾は僅かに眉を動かす。


 てっきり昨日と同じように躾のなっていない犬の如く吠えるものだと思っていたが、一日置いたことで少しは落ち着いたらしい。

 良吾は彼女の反応を伺うようにあえて軽薄そうな感じで応える。


「そうつれないことを言わないでくださいよ。こっちだって――」

「いいから、早く出ていって!」


 短いがあまりに大きい声に良吾は反射的に耳を塞ぐ。


 びっくりしながら少女の方を見るともはや怒りを通り越してニコニコとしている。

 だがそれは見かけの話で、腹の中では煮えたぎる怒りを溜めているのがありありと分かった。


 前言撤回。

 彼女は昨日とまったく変わりない。


 しかし良吾はそれを理解した上で挑発するような言葉を吐く。


「だったら力づくで追い出してみてください。僕は丸腰ですから」


 言葉に加えてかかってこいとばかりにクイクイと拳法映画のさながらに少女を煽る。

 良吾の挑発に少女は笑顔を凍りつかせ、額に青筋を浮かべると乾いた笑い声を漏らす。


 さすがに今のはカチンと来たらしく、キッチンにあった空の花瓶を少し透けた手で取ると問答無用で襲いかかってきた。


 しかし威勢良く襲いかかってきたはいいものの、所詮非力な少女が振り回す凶器を避けるのは良吾でもそんなに難しくはない。


 ついでに言えば、肉体を持たない幽霊が実態のある物を動かすのはかなり疲れるので、彼女の動きは良吾が思っていたよりも遅かった。

 それをいいことに良吾はさらなる挑発をかける。


「ほらほら。まったく当たってませんよ」

「うるさい!」


 余裕のある距離を取りながら言ったが、玄関から出たところで僅かにバランスを崩してしまう。


 それを好機とばかりに少女が飛びかかる。

 その表情はまさに激情に駆られて衝動殺人に走った犯人のようだ。


「ふぎゅッ!」


 だが、少女が良吾に花瓶を振り下ろそうとした瞬間、突然見えない壁にでもぶつかったかのように少女は呻き声を漏らしてするずると地面に崩れ落ちる。


 通路に立ちながら少女が衝撃で取り落とした花瓶をキャッチし、なんというかよく出来たパントマイムを見ているようだと心の内で呟く。


 少女のほうは顔が痛むのかうつ伏せで顔を押さえて悶えており、良吾はその体をちょんちょんと突いた。


「できもしないことをいうもんじゃありませんよ。あなた地縛霊でしょう?」


 地縛霊。

 その名の通り、魂を土地に縛られた幽霊のことだ。


 彼らは土地に縛られる理由はそこに何らかの未練があるからであり、それを解決してやれば成仏させてやることが出来るし、成仏できなくても少なくとも地縛霊から浮遊霊として昇格できる。


 良吾は昨日の初対面時に、部屋が自らのものであると頑として主張する少女がこの土地――正確に言えば、この部屋に縛られる地縛霊ではないかとアタリをつけていたのだ。


「わ、わざと挑発したのね……」

「えぇ、予想通りでした。というか、まず自由に動ける幽霊たちは外で好き勝手にやるんですよ。なにをして誰にもバレないんですから」


 出来の悪い生徒に物事を教えるように呟きながら、どこか遠いところを見つめる良吾。


「けど、あなたはこの部屋に留まっているし、加えてこの部屋にいることに固執しています。そこから考えれば、あなたがこの部屋の中でしか自由に動けない地縛霊であることは明白です」


 そう良吾は結論を告げると何事もなかったかのように少女を跨いで再び部屋に戻る。

 しばらくしてから地面に突っ伏していた少女も立ち上がるが、そのまま玄関口から動かない。


「邪魔しないんですか?」

「……もういい。勝手にすれば」


 彼が訊ねると彼女は投げやりに答えた。


 その立ち姿からさっきまでの威勢は消え失せ、まるで居場所を奪われたサラリーマンように寂しい。


 あれだけ吠えてたのに変に打たれ弱いなぁ、と再び心の内で呟きながら良吾はさっきまでよりも小さく見える背中に声をかける。


「あの、何か思いついたらやってみてください。受けて立ちますよ」


 そう告げると、少女は肩を震わせて振り返ると、唐突に良吾に突進してきた。


「覚えてなさいよッ……!」


 涙目でそんな捨てセリフを残し、少女は良吾の体を通り抜けるとそのまま居間の押入れに駆け込んで出てこなくなる。


「……さて、昼飯の買い出しでもするかな」


 良吾は呆れたようにため息をついたあと、現実から逃避するように視線を宙にやってそう言った。

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