第2話 アパートの不法滞在者
「あなた……、私が視えてるの?」
忽然と部屋に姿を現した少女は驚きつつも口からそう絞り出すが、対する良吾はなんでもないとばかりに答える。
「あぁ、視えてるよ。白いワンピースに、長い黒髪ロングの君がね。初めてかい? 幽霊が見える人間は」
そう問いかけるが少女は驚いた顔をするばかりで何も答えない。どうやら自分の姿が見える人間は初めてのようで戸惑っているようだ。
だが良吾にとっては予想通りの反応である。
なぜなら彼に出会った八割がたの幽霊は、自分の姿が見える彼に戸惑った反応を見せるのだから。
実は、良吾には他人には見えない幽霊の姿を視ることができる。
正確な時期はわからないが、物心ついた頃にはすでに幽霊の姿をその目で捉えることが出来た。
だが、当時の良吾はそれが他人とは違う異質な能力だということいち早く気づき、視えることを家族にも隠して高校を卒業するまでに良吾が視える体質であることを知っていたのは、気心の知れた学友数人だけだったが、大学時代にふとした拍子に視える能力を露見してしまうのだが、その露見した相手というのが同じように視える体質だった教授だったのである。
以後、その能力を買われた良吾は教授が以前から関わっていた幽霊絡みの案件に関わるようになったのだ。
そんな経歴を持つ良吾に少女はふわふわと浮遊しながら様子を伺っていたが、やがて猜疑心のこもった目で睨みつける。
「アンタも除霊師かなにか? それにしては格好が普通だけど……私を消しに来たの?」
少女は脅すような口調で牽制してきたが、良吾はなんのことか分からずに首を傾げた。
「除霊師?」
「知らないの? ここの大家は除霊師とかを何人か雇って私を消そうとしたのよ」
良吾は驚く。それは初耳である。
ここにくるまでに教授から渡されたファイルにも目を通したが、除霊師を雇ったという記述はどこにもなかった。恐らくあの大家は橋上教授にもそのことを言っていないのであろう。
後でその件は大家本人に訊ねようと心にメモしながら、良吾はビジネスバックを足元に置いて敵意はないとばかりに軽く両手を上げて応じる。
「回答その一。僕は除霊師じゃない。強いて言うならカウンセラーといったところかな。まぁ、実際に高校で非常勤カウンセラーとして勤めているんだけどね。回答その二。僕が君を消しに来たという表現には語弊がある。僕はある人から依頼されて君と交渉しに来たんだ」
真面目な顔をして良吾はそう言うが、少女の方はそれを聞いてバカにするようにクツクツと笑い出した。
「交渉なんて言葉を使ったところで、要はここから出て行けって言うんでしょ? 結局除霊師たちと同じじゃない。そういうことなら帰って。私が力づくで追い出す前に」
剣呑な響きで再びこちらを睨みつける少女。
その目は確かに本気だったが、良吾は動じず、まるで少し気の荒い友人をあしらうようにマイペースに会話を続ける。
「随分と手荒い真似をしているんだね」
「その程度の人たちだってことよ。悪霊退散とか言って威勢よく部屋に踏み入っておきながら、私がちょっと力を使っただけで怖気づいて帰っていく。アンタもお仲間ならわかるでしょ」
吐き捨てるようにばっさりと少女に切られ、良吾は苦笑いで返す。
「さっきも言ったように僕は除霊師じゃないし、彼らのようなオカルト的な儀式の知識もない。たとえあったとしても君に使うつもりはないよ。僕がやるのは、ただこの部屋に人を寄せ付けない君と話をすることだけだ」
「そんなことで私は追い出されるつもりはないわ。まさか学校のカウンセラーみたいに話をすれば素直にここから立ち去るとでも?」
ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く少女に、良吾は指を鳴らしてから出来のいい生徒を褒めるように笑顔で答えた。
「君、頭いいね」
「バカにして……」
不愉快半分呆れ半分といった彼女を一瞥してから、良吾は屈んで畳を手で触れてみたり押入れを開けて中を覗いたりと、まるで業者のように部屋をテキパキと点検し始める。
突然奇妙な行動をとり始めた良吾に、少女は訝しげに背後から見ていた。
「ちょっと何してるのよ」
「なにって、家の点検ですよ。しばらく人がいなかったんでしょう? ならひと通り見ておかないと」
最初、少女は言葉の意味することが分からず、なに言ってんだとばかりな顔をしていたが、しばらくして彼の行動の意図を理解したらしく驚いた声を上げる。
「まさか、ここに住むつもり!?」
「そんな長期間ではありませんよ。ただあなたと話し合うんだったら、短い間だけここを間借りした方が都合がいいというだけです。ここって意外に僕の職場にもそれなりに近いので」
「それって結局ここに住むってことじゃない!」
少女の突っ込みを受けても良吾は彼女の言葉など柳に風とばかりに受け流し、居間から風呂場へ移動。
青っぽいタイルの並べられた風呂場には小さな浴槽があり、近くには赤と青の二つの取っ手で水温を調節する古くさい蛇口がある。
良吾はそれをいじって人肌くらいの温度に調節してみるが、蛇口から吐き出されるのはいつまでも水のままでお湯に変わる気配はない。
どうやら給湯器が故障しているようだ。
次にトイレを覗いてみたが、こちらは問題ない。
「ちょっと! そんなことはしなくていいから早く出ていってよ!」
背後で少女が抗議の声を上げているが、良吾はいないものだと思って無視しキッチンへ向かう。
コンロの元栓を開いて火をつけるが、水と違ってこちらは完全に止められているようでなにも起こらない。
後で大家に交渉しに行かなければならないなと心の内で呟き、背後に控える少女に向き合う。
少女は無視されている間も喚き散らしたせいで疲れたのか、僅かに肩を上下させて息をしている。
「ちょっと黙っててください。あなたは人の邪魔をするのが趣味なんですか?」
「ここは私の家なの! だから他人を住まわせるなんてナンセンスよ」
「少し落ち着いてください。今のあなたは幽霊で、視ることができる人間は僕のような特殊な人だけなんです。そんな人がここの所有権を主張できると思うんですか?」
自分の住んでいる場所が侵されることが我慢ならないという彼女の主張には良吾にも理解できる。
だがそれは一般人の話であって、幽霊の視えない人に「この部屋には幽霊が住み着いているので使うことができません」と言って、一体何人が信じるだろう。
良吾のような体質の人間にしか視えない幽霊など、見えない他人にとってはもはや存在していないことと同義に等しい。
「ッ……それでもここは私の家よ、私以外の誰もない!」
彼の言葉に一瞬詰まりながらも、若干ヒステリック気味に少女は部屋の所有権を主張し続ける。
こういうタイプは大抵
「いいから……出てってッ!」
少女がそう言うと同時に、浮いていた鞄がひとりでに良吾に向かって飛んでくる。
その突然のことに良吾は咄嗟に頭を低くしてビジネスバッグの顔面直撃を免れたが、少しだけ頭上を掠めたビジネスバッグは玄関のドアに盛大にぶつかって地面に落ちた。
「危ないじゃないですか! 今の、当たったら流血ものですよ」
「だから言ったじゃない。私が全力で追い出す前に出ていけって」
割と命の危険を感じながら良吾が抗議すると、少女は嘲笑うように彼を見下ろし落ちたビジネスバッグを再び浮遊させる。ヤル気満々のようだ。
良吾は面倒くさそうにため息をつく。
「分かりました、分かりましたよ。大人しく出て行きます。また明日来ます」
そう言い残して浮遊するビジネスバッグを掴むとそのまま、すごすごと部屋を出る。
「二度と来んな!」
ドアを閉めると同時に少女のそんな罵声が部屋から聞こえたが構わずドアを閉めた。
良吾は閉めたドアの前で何かを考えるように立っていたが、やがてドアから離れて階段を下っていく。
そのまま一階の大家の部屋を訪ねると、しばらく間借りしたいので鍵を預かってもいいこととガスと電気を再開して欲しい旨を伝える。
もちろん除霊師の件についても訊ねたが、本人は面倒臭そうになにも変わらなかったから言わなかっただけだと言った。
表情を見る限りではちんけなプライドが邪魔したようだ。
帰り際、良吾が夕日の朱色に照らされた建物をチラリとみると、あの部屋の窓から彼女がこちらを窓越しに見ていた。
―――――
その日の夜。
良吾は自らの住処であるマンションに帰ってきていた。
その土地の賃貸価格としては安く、部屋などには友人に運び入れを手伝ってもらったテレビや本棚などの家具が一通り揃っており、少女のいた部屋とは相対的に生活感と素朴な家主の性格が溢れている。
そんな部屋で既に夕飯を
「どうだった、彼女は?」
第一声から教授が楽しそうな声で聞いてくるので、良吾は自然と苦笑を浮かべてしまう。
「よく女性だとわかりましたね。まだどういう人かも言っていなかったのに」
「なに、ただの長年の勘と経験さ。それに喜劇や悲劇を問わず、何事も女性が物事の中心であったほうが面白いだろう?」
教授はそう自らの持論を述べた。その声だけで良吾の脳裏にはニコニコとした顔で端末を耳に当てた教授の姿が浮かんでいる。
「それで、どうだったか?」
「とんだじゃじゃ馬……というのが正解ですかね。早速追い出されてしまいました」
「ははっ。そうか、早速追い出されてしまったか。残念だったね」
教授はからかうように笑ったが、個人的にはあれで満足しているので、教授に大家から聞いた話と怪現象の正体である少女と交わした言葉の内容などを語った。
良吾が語っている間、教授は興味深そうに彼の話に聞き入り、ただ相槌を打っただけである。
「ふむ。やはりその少女があの場所に留まっているのは部屋そのものが原因なのかもしれないね」
「教授もそう思いますか」
「それだけ部屋から出ることを頑なに拒否するのだから、原因はそこしかないだろう。まぁ、私は言葉を交わしていないし、まだ初期段階だから違う可能性もあるかもしれんが」
そう呟いて、電話口で教授は黙り込んでしまう。
良吾や橋上教授に視える幽霊たちは生前になにかしらの心残りを残している。
例えば、思い人に会いたいとか生前にできなかったことがやりたいとかそういう類のものだ。
そういう人たちを解放――一般的に言う成仏をさせるには、そういう心残りを取り除いてやらなければならない。
そのためにまずは本人からその心残りの手掛かりを過去からほじくり返すこととなる。
まるでフィクションの中で華麗に事件を暴く探偵のようなだと思うかもしれないが、ひどい死に方をしてこの世界に留まっている者たちからすれば、それは苦痛以外の何者でもないだろうと良吾は思う。
「しかし追い出されてしまったのだろう。大丈夫なのかい?」
そう教授から訊ねられて、良吾は我に返る。
教授から心配そうな言葉をかけられるのも当然で、良吾が一人で幽霊絡みの案件を一人で仕事をするのは初めてなのだ。
いままでの学生時代はどういう形であれ教授が関係していたが、今回は仕事の斡旋以外に彼は関わっていない。
教授の心配を良吾はなんでもないとばかりに肩をすくめて受け流した。
「問題ありませんよ。言葉を交わすことは出来ましたし、本人も即刻叩き出すということはしなかったので最初の踏み込みとしてはまずまずです。あとは距離とタイミングを見ながらゆっくりと進めていきますよ」
「解決できそうか?」
「えぇ、まぁ……彼女の核心に近づく小さな糸口は掴めたかもしれません。とりあえずはいろいろと情報が引き出しながら、並行して色々調べてみます」
「期待してるよ。それじゃあ、おやすみ」
そこで教授はそう言って電話を切り、良吾も端末を耳から離す。
ひとつ深呼吸をして背中を椅子の背もたれに預け、良吾は天井を見つめた。だがその目は天井を見ているわけではなく、ただどこでもない虚空を見ている。
どこでもない場所を見ながら良吾の頭の中では突き詰めれば意味のない、しかし明瞭に自分の存在を主張し続けたあの少女の言葉が響き渡っていた。
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