心霊カウンセラー 南雲良吾

森川 蓮二

第1話 教授からの依頼

 十月。

 夏に青々と茂っていた葉たちが、燃えるような赤みを帯びて地面にひらりと落ちる。


 外にはポカポカとした陽気を放つ太陽と冷たい風が吹きすさんで秋独特の雰囲気を作り出し、半袖のシャツや長袖のパーカーなど、昼下がりの通りを往来する人々はそれぞれに過ごしやすい格好だ。

 それを喫茶店のショーウィンドウのように大きい窓越しに眺めながら、南雲良吾なぐもりょうごはコーヒーをすすっていた。


 きっちりと着こなしたスーツ姿でテーブル席に一人座る姿は店の雰囲気も相まってとても様になっているが、彼はまだ大学を卒業して半年の新社会人である。


 その妙にくたびれた雰囲気のせいで実年齢より老けて見られるのが長年の彼の悩みだったりするのだが、現在はその些末な問題は頭の隅にしかない。

 彼はたまにコーヒーに口をつけながら窓越しに通りの人たちをぼんやり眺めていた。


 かれこれ一時間もその状態なので、店の女性従業員たちが妙な勘ぐりをしてひそひそ声で話し合う。

 しかし、良吾にはここを待ち人がくるのを待っているというれっきとした理由があり、その証拠にちまちまと時計を確認したり、テーブルに置いた端末に連絡がないかと時々確認していた。


 そうして良吾がさらに十分ほど待っていると、目的の人物が通りを小走りで歩いてくるのが見え、そのまま喫茶店のドアをくぐってくる。


「いやいや、まったく参ったよ。緊急の会議に呼び出されてしまってね」


 そう言って良吾の元にやってきて向かいに座ったのは、明るい色のジャケットに同系色のズボン、中折れ帽という出で立ちの初老の男性だった。

 良吾は老人に軽く頭を下げて会釈する。


「お久しぶりです。教授」

「やぁ、君は相変わらずだね。あ、いつものを頼むよ」


 帽子を持った手を上げて注文をしながら、良吾の大学時代の恩師――橋上哲也はしがみてつやはそう訊ねてきた。

 どうやら彼はここの常連らしく、彼の姿を見た従業員はオーダーも取らずに厨房の方に引っ込んでいく。


「仕事のほうはどうだい?」

「まずまず、ってところですかね。大変なこともありますけど、非常勤なので今のところは特に何も」

「それは結構。職場うまくやれているのはいいことだ」


 教授は良吾の近況をまるで我が子のことのように微笑ましそうに喜んだ。

 確か娘さんがいるというのを風の噂で聞いたことがあるので、実際そういう感覚なのかもしれない。


 なんとなくデレデレと自分の孫自慢をする橋上教授の姿が良吾の脳裏に浮かぶ。

 しばらくして若い従業員がコーヒーを運んできて、手慣れた動作で静かに彼の前に置いた。


「すまないね。いつもありがとう」


 教授がそう言うと、若い従業員はにっこりと笑いかけてからテーブルから離れていく。良吾の時は全く愛想がなかったので、ここら辺に常連客の特権が現れている。

 教授はコーヒーのカップを持って口をつけ、ゆっくりと味わうとホッと一息つく。


「やはり、ここのコーヒーは美味しい。君も飲んだようだから分かるだろう?」

「えぇ、学生時代は教授のコーヒー歩きに付き合わされましたから」


 学生時代。良吾はあるのおかげで教授と仲が良くなり、プライベートで一緒に行動し、卒業後もこうしてちょくちょく顔を合わせたりと生徒と先生の間柄では親密すぎるほどの親交があった。

 そんな過去を思い出して苦笑しながら良吾は肩をすくめ、教授もそれにつられるように微笑んだが、やがてカップを置いて真剣な表情をする。


「君に頼みたいことがあるんだ。と言っても、君も何の案件かは察していると思うだろうが」

「いつものやつでしょう? 分かってますよ」


 そう答えると、にこやかな笑みを崩さずに続けた。


「話が早くて助かるよ。報酬はここのコーヒーでどうだい?」

「それは却下です。いくらなんでもそれは安すぎますよ」

「そんなことはないよ。ここのコーヒーはそれに見合う価値があるはずだ」


 どこかうっとりとした表情で教授が言い出すので、良吾は面倒なのが始まったなと少しばかりげんなりする。


 良吾は現在、高校の非常勤カウンセラーとして勤務しており、大学の就活時にその仕事を斡旋してくれたのも良吾の学んでいた心理学の橋上教授であった。

 だがそれとは別に、良吾は橋上教授から依頼されてに関わる事案を解決して報酬を得ている。簡単に言うならアルバイトに近い。


 しかし、その報酬は毎度教授のポケットマネーから支払われているので、毎度応相談ということにしているが、コーヒー一杯が報酬というにはこの仕事に見合った対価ではないだろう。


「僕は教授のようにコーヒー一杯で働けるほど安くありませんよ。いつも通り、銀行振り込みでお願いします」

「もし、私がそうしなかったどうするかね?」

「そうですね……。夜中に教授の家にバットでも持って乗り込みましょうか」


 悪戯っぽい教授の言葉に、良吾は真顔で答えた。

 教授はしばらくじっと良吾から目を離さなかったが、やがて顔にいつもの笑顔を貼り付ける。


「冗談だよ。まったく君は学生の頃から変わらず真面目だな」

「まぁ、それだけを取り柄に生きているようなもんですからね」


 喉が渇いたので、コーヒーのカップ片手に良吾は再び肩をすくめた。

 そんな前座とも言える掛け合いが終わってから、橋上教授は持ってきていた鞄から一冊のファイルを取り出し、それに名刺サイズの紙を添える。


 ファイルには無数の資料がファイリングされており、名刺のような紙には住所がボールペンで手書きで書かれていた。


「今回の案件についての資料なんかの基本情報はここに全部収めてある。大家さんにも話はつけてあるから、彼女から詳しい事情を聞くといい。住所はここだ」

「分かりました。今から訪ねてみます」


 そう言って良吾は住所の書かれた紙を懐に、ファイルを自らのビジネスバッグに入れるとカップに残っていたコーヒーを飲み干して立ち上がる。

 そんな良吾をみて、教授は何かを憂うように呟いた


「やれやれ、君もこの仕事を一人でこなす日は来るとはね。くれぐれも深く感情移入しないことだな」

「またこの仕事は罪深いとかなんとかですか?」

「君も一人でこなしてみればわかるさ。私の言いたいことが何なのかがね」


 どこか意味深で悲しげな表情をする教授に良吾は眉をひそめるが、すぐにその表情は消えてしまう。


「それにしてもすまないな。こっちが行ければいいんだが、ここのところ仕事が立て込んでてね。代わりと言ってはなんだが、こっちも仕事の合間を縫って手伝ってもらっている身として出来る限りでの協力はさせてもらうよ」

「ありがたいです。僕はもう行きますけど、教授はどうします?」

「私はもう少しここにいるよ。コーヒーを楽しみたいのでね。会計も私が持とう」


 良吾は教授の甘い言葉に頭を下げてそのまま喫茶店を出て行った。



―――――



 ボールペンで書かれた住所を端末のアプリに入力して向かってみると、良吾は電車で三十分ほどの揺られたところにある昔ながらの閑静な住宅地に行き着いた。


 平地に作られた住宅地の道は、車がすれ違えるほどの大通りのほかに地元の人しか知らなさそうな細い裏道が無数に伸びており、ちょっとした迷路のようになっている。

 それらを手元の端末と照らし合わせながら進むと、ある一件の古びた木造アパートが見えてきた。

 今回の依頼の物件だ。


 良吾が一階の南側にある管理人の住む部屋のインターホンを押すと、中で物音が聞こえ、開かれたドアから五十代くらいの白髪の女性が訝しそうに顔を覗かせる。


「なんでしょう? 勧誘ならお断りですが」

「え……、あぁ、違うんです。僕はこういう者です」


 勧誘と間違えられたことに良吾は一瞬言葉に詰まらせたが、すぐに自分の名刺を取り出して相手に渡す。

 ちなみにスーツ姿でビジネスバッグを紐で肩にかけている今の良吾の見た目は、百人に聞いたら百人が営業のサラリーマンと答える風貌である。


 女性は名刺に書かれた良吾の職業を見て一層眉をひそめるが、「橋上教授の依頼で参りました」と良吾が付け足すと合点がいったように表情を和らげた。


「あぁ、先生の代理の人ね。待ってたわ。今、部屋の鍵を持ってくるから」


 そう言った大家さんはバタンとドアを閉めて奥に引っ込んでしまう。

 一人ポツンと取り残されながら、本当に教授の交友関係は大海原のように広いという学生時代から感じていたことを今更ながらに実感して待つ。


 もちろん大家が先生と呼ぶのは教授のことである。

 やがて大家は再び鍵を手に出てきて、そのまま階段の方へと向かっていく。

 足が悪いのか、左足を引きずりながらゆっくりと歩くので、良吾はその後を同じように遅めについていった。


「みんな出て行くんですよ。あの部屋から」


 所々ペンキの禿げた鉄製の階段の手すりを使って登りながら大家はそう切り出す。


「あの部屋に入居した途端に急に体調を崩したり、幻覚や幻聴を見始めたり、物が勝手に動いたりしたりしてみんな部屋から出て行っちゃうんです」

「なるほど。それは……大変ですね」

「ホントによ。そのせいでなかなか入居者が決まらなくて、それで先生に相談してみたの」


 良吾は大家の話に適当に相槌を打ちつつ同じように階段を登り、問題の部屋の前に立つ。

 そこはちょうど大家の部屋の真上――一番南側の部屋だった。


「それじゃあ、後はお願いね」

「え? 一緒に確認してくれるんじゃないんですか?」


 ごく自然な動作で大家から鍵を手渡たされた良吾は意外そうに言うが、大家は苦虫を噛み潰したようにぎこちない顔をする。


「ごめんなさい。私もその部屋は気味が悪くて近づきたくないの」


 そう言って大家は逃げるようにそそくさとその場から逃げ出す。


 大家としての賃貸管理を放棄した行動に良吾は唖然としたが、ずっとそうしているわけにもいかず、渋々、受け渡された鍵をドアノブに差し込む。

 鍵はすんなりと穴に入り、回して解錠すると良吾は室内に静かに踏み入る。


 部屋は薄暗く、人がいなかったせいか少し埃っぽく感じた。

 構成としてはキッチンとトイレと風呂、そして畳の居間があるだけの簡素なもので、キッチンは玄関のすぐ隣にある。


 靴を脱いでフローリングの床に足をつけると床が少し冷たかったが、そのまま畳敷きの和室へと通じる短い廊下を歩く。

 トイレと風呂は廊下の途中にあるがどちらもこじんまりとしたものだ。


 廊下を抜け居間に入る。

 家具などの類はなく、六畳半の部屋はとても広く感じられた。良吾は視線をあちこちに這わせ異常がないかを点検していくが、見たところ何の変哲もない部屋で、特に変わったことなどはない。


 しかし、良吾はこの部屋に踏み入った時点で窓などは全て締め切られているのに、室内は真冬のように冷え込んでいるという違和感をしっかりと味わっていた。

 同時に思う。


 その瞬間、ふと背筋の強い悪寒が走る。


 普通の人なら、この時点で悪寒にバッと振り返り、そこにいるものの存在に悲鳴をあげるだろうが良吾は焦らなかった。

 むしろ慣れきっているとばかりに表情を変えずに、左手で指鉄砲を作るとそれを背後に突きつける。


「バーン!」


 口で発砲音をつけてやって、相手を脅かしてその姿を確認してやってから良吾はにこやかに笑う。


「やぁ、こんにちは。幽霊さん」


 そう言った良吾の視線の先には、忽然と現れた白のワンピースの少女がこちらを目が飛び出さんばかりに見開いている姿があった。

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