【Third Season】第九章 君を撃ち抜く勇気 BGM#09“Fight a Duel.”《007》


   7


 単純に照明だけのトラブルではないようだ。

 エアコンが止まる。外の世界の熱帯夜が早くもじわりと滲み出てくる。

 鼻の先も分からないほどの暗闇の中、カナメは躊躇なく四五口径短距離狙撃銃『ショートスピア』を取り出した。

「クリミナルAOだ。向こうも考えている事は同じか。オークション会場そのものじゃなくて、全ての大ホールで使う共用施設を狙ってきた」

「つまり?」

「向こうは電源管理室を潰したんだろ」

 ミドリの疑問が尽きるより先に、パパン! パパパン!! という軽い銃声が壁越しにいくつも炸裂した。

 パビリオンが震え上がった調子で、

「はっ、始まったわよ! さっさと戦いなさいよ!! 私とご主人様のために!!」

「クリミナルAOが単独で暴れているにしては、音源にばらつきがあり過ぎる。パビリオン、オークションの仕切りを担当していたんだろ。今日の目玉は何だったんだ」

「……、」

「すぐには話せないくらいには高額商品な訳だ。商品そのものもそうだし、そいつを競り落とすために集まったディーラー達も各々が大金、小切手、ブラックカード、とにかく色々持ってきたはず。カメラやセンサーが効かないこのチャンスに、どさくさに紛れて奪ってしまいたいと考える輩は決して少なくない」

 人間もマギステルスも信じていないタカマサは、仲間の輪を作る事は苦手なはずだ。しかし一方で、それは人間を知らない、という話にはならない。ちょっと刺激すれば人間がどう暴れ出すか、彼はそいつを熟知している。一人では踏み込めないような厳重警戒エリアでも、混乱の中なら違う。

 人助けは、見せびらかすようなものじゃない。

 ……そんな風に笑って言っていた古い友人のやるような事とは思えない。だけど同時に、タカマサの持つ特性のようなものをとことんまで悪用すれば技術としては可能だ。カナメにはそういう判断もできてしまう。

(タカマサ!!)

 暗闇の中で歯噛みして、しかしカナメは感情を出さずにこう告げた。

「こっちは予定通りだ。クリミナルAOはパビリオン、あんたを直接狙ってくる。逆に言えば、あんたが航空艇から離れれば無関係な人達が犠牲になる確率はそれだけ下がるはずだ」

 停電の中でも、迂闊にスマホのライトに頼るほどカナメは命知らずではない。一般電源から切り離された非常口や火災報知器を示すランプの光を頼りに控え室を歩き、ゆっくりとドアを開ける。

 暗闇は暗闇。

 だけど銃声を遮るものがなくなり、死が身近に押し寄せてくる。

 こちらの背中に張り付くような格好でミドリが質問してきた。

「どっ、どうするの? ひゃっ!?」

「……、」

 語尾が飛び上がったのは、別の誰かとぶつかったからのようだ。先客、例のエキドナが無言で少年の背後からひっついている事に今になって気づいたらしい。パビリオンがこの暗闇の中でも正確にカナメのすねを蹴飛ばしてきた。

 カナメは鼻の感覚に従って片足をそっと引いて回避しつつ、

「一般のエリアを通ると四方八方から鉛弾が飛んでくるな。しかも、誰が敵で誰が味方か分からない乱戦状態だから、いきなり背中を撃たれるリスクもある。……やっぱり人の数が少ない場所を選んで通った方が安全だろう」

 つまり、共用スペースを伝って航空艇の外を目指す。

 銃を構えたまま長い廊下を歩き、まず大きなクロークルームの扉を開ける。部屋中ぎっしりスチールラックを敷き詰め、パーティには邪魔な荷物となる品々が番号別に押し込まれていた。鍵のかかった引き出しもない、意外と雑な手荷物管理にうんざりしながら中を抜けると、別の廊下に出る。

 闇の中、ずりずりと引きずるような音が聞こえるのは、どうやらパビリオンが靴底で絨毯を擦りながら歩いているかららしい。

「レディ、お気をつけて。割れたガラスなどで御身を傷つけませんよう……」

「床の障害物除け、癖になっているの? 蛇型だと色々お世話が大変そうね」

「何を言っているのおチビちゃん、これがあるからお世話を焼くのがたまらなく楽しいんでしょう。うふふ」

 この先は厨房だ。当然、全ての大ホールが必要としているため、全ての階層と食事ワゴン用のエレベーターやスロープで繋がっているはずだ。

 鉄の扉を開けると、いきなり厨房の中から銃撃があった。

 間近で飛び散る火花に身をすくめながら、カナメは真上に向けて一発威嚇射撃を行う。しかし消音器と一体型になっているのが災いした。音が消えているので脅しとしては機能せず、ただ向こうから立て続けに銃声が炸裂する。

「チッ」

 マズルフラッシュの連続によって、暗闇の中でも大体の屋内構造は網膜に焼きついている。カナメは舌打ちすると業務用のガス台の辺りに四五口径弾を撃ち込み、大爆発を起こす。

 特大の威嚇を終えて、カナメはようやく大声で怒鳴りつけた。

「パビリオンの使いの者だ! 抵抗するなら大ボス様の命を脅かす敵対ディーラーとして容赦なくフォールさせるぞ!!」

 元々、厨房にいたコックや給仕に本格的な戦闘技術はなかったのだろう。脅えて引き金を引くだけだった連中が、それで両手を上げて黙り込んだ。

「この停電じゃスプリンクラーが作動するか分からないわ! 早く元栓を閉めて消火器持ってきて!!」

「いいや」

 ミドリの常識的な叫びを、カナメは静かな声で遮った。

 ジリジリと鼻を炙るような薄い痛みがあった。

「その前に、全員伏せた方が良い」


 ががんっ!! という何かを切り替える重たい音と共に電源が復旧する。

 そして厨房の真ん中に、これまでいなかった誰かが立っていた。


 天井から、スプリンクラーの大雨が降り注ぐ。

 カナメとは似て非なる、白のワイシャツに黒いスラックスやネクタイ。喪服にも似たその格好だが、腰に巻いた無数の工具ポーチや頭のバンダナが印象を台無しにしている。一つだけポーチの色が違うのは、『遺産』関連のパーツをまとめた殺しの道具入れか。

 その手にあるのは、おそらく単発の威力の高い狙撃用のバトルライフル。見た目はグリップとストックが一体化した猟銃の下に長いマガジンを突っ込んだようなシルエットだ。

 一応はフルオートもできるはずだが、セミオートでの狙撃前提に調整された大口径銃を連射する以上その反動はかなり大きくなる。だからなのか、メインの曲銃床ライフルとは別に銃身の下にはフォアグリップのように別の銃が取り付けられていた。近距離用の九ミリフルオートにしたのは、エンジニアであるタカマサにはライフル弾の大きな反動と戦いながらの本格的な接近戦に対する不安があるのかもしれない。

 他の特徴としては、ダットサイトの代わりに横に倒したスマホが取り付けられていた。単純な照準補正のためか、目線の動きでも利用して何か他の操作をするためなのかは分からない。

 クリミナルAO。

 霹靂タカマサ。

 光源が回復すると同時、二人の少年はお互い跳ね上げるように銃口を突き付け合った。

「やあカナメ」

「タカマサっ」

「混乱を起こせば君はここを通ると思っていた。考える事は一緒、だなんて言わないよ。君がこう動くと予測を立てて確信を得るまで、結構苦労させられたんだ」

 業務用の冷蔵庫、ステンレスの調理台やシンク、オーブン、電子レンジ、他にもゴチャゴチャした銀色の厨房は、その広さに反して身を隠す場所はかなり多い。しかもカナメが示した通り、一発撃ち込んだだけで爆発や感電をもたらす物品にも事欠かない。ゲームとしては魅力的で、だが人を守るにはとことんまで不向きなロケーションだ。

 だからとっさに、カナメは傍らにいたミドリを突き飛ばした。

 タカマサが喉から手が出るほど欲しがっている、パビリオンの胸に顔を埋める格好で。

「……妹を盾にすれば撃てないとでも思っているのかな?」

「逆だ。あんたは何があってもゾディアックチャイルドを撃ってフォールさせられない」

 自分の計画の部品としては、大切に扱ってくれるだろう。

 タカマサにはタカマサで、自分の考えがある。ゾディアックチャイルドという素質だけで赤の他人を仲間として認め、誰にでも主導権を譲り渡すなんて展開はありえない。

「リアル世界に逃げ込まれたら手出しできなくなるんだからな。だからミドリを守るには、パビリオンに盾になってもらうのが一番だろ。こっち側の人間じゃあ、ミドリだけがゾディアックチャイルドじゃないもんな?」

 多くの障害物が敷き詰められた厨房の中、カナメとタカマサは長方形の調理台を囲む形で、ゆっくりと回る。もちろんお互いに銃口を突き付けたままだ。

「行け、ミドリ」

「でもっ」

「パビリオンを連れていけ。密林公園であれだけ派手にディーラー達を使い捨てたんだ。今のこいつは、信頼を失ってる。金を撒いても人間はかき集められない。マギステルスもいないんだ。PMCだって大雑把な皆殺しや拠点の巡回警備くらいなら任せられるかもしれないが、万に一つも死なせられないパビリオンの確保には使えない。そしてこいつが単独行動なら、俺がクリミナルAOを抑えておけばあんた達は安全に逃げ切れる」

 タカマサはうっすらと笑っていた。

「させるとでも?」

「それを決めるのはあんたじゃない。俺の腕次第だ」

 その時だった。

 スマホ付きバトルライフルを構えるタカマサのすぐ横で、何かが動いた。今までうずくまっていたコックの一人だ。主のパビリオンを守るというより、緊張に耐えきれなかったのだろう。近くにあった包丁を掴むと、雄叫びを上げて突っ込んだのだ。

 タカマサの単純な格闘技術はさほど高くはないはずだ。

 彼はそちらに目を向けてもいなかった。バトルライフルに取り付けたスマホをわずかに睨んだだけだった。

 直後だった。


 ドゴァッッッ!!!!!! と。

 いきなり、真下から大爆発で突き上げられるように、コックが天井近くまで舞い上がった。


 現象としてありえなかった。

 しかし現実に床から飛び出した『何か』をお腹に叩き込まれたコックは、手足をばたつかせて宙に浮いている。カナメは舌打ちすると一発撃ち込んだ。もし彼が手元の包丁を弾いていなければ、床に叩きつけられたタイミングでコックは切腹していただろう。

「なっ……」

「固まるなっ、パビリオンを連れて逃げろミドリ!!」

 カナメが叫ぶ中でも、変化はあった。

 まるでタカマサを取り囲むように、であった。ステンレスの調理台が、タイル状の床が、よじれる。粘液の塊のように形を失い、渦を巻き、そして全く別の巨体を作り出す。

 有翼の爬虫類。

 まるで伝説に出てくるドラゴンに、背景のテクスチャを無理矢理張りつけたような。

 天井に頭を擦りながら、それは明確に、口元から火の粉をこぼしてこちらを睨む。

「なに、これ……?」

 ずんっ!!

 という重たい震動だけが、いやにリアルであった。

 両目を限界まで見開いたパビリオンはわなわなと口元を震わせながら、

「バグ、エラー??? クリミナルAOはここまでゲーム世界を掌握しているって言うの!?」

「何を驚いている。マネー(ゲーム)マスターには本物の悪魔達がこれだけのさばっているというのに。こちらの都合でイレギュラーを一つ埋め込むくらいやっても良いじゃないか」

 次に来るのは、その巨体を活かした体当たりか、爪や牙を使って脆弱な人間を噛み砕くのか、あるいは火炎放射器のようなブレスで銀色の密閉空間を埋め尽くすのか。

「密林公園のラボを見てきたんだろう。僕が、マネー(ゲーム)マスターの中でマネー(ゲーム)マスターを作っていた事も掴んでいるはずだ。おかげで大体の理屈は頭に入っているよ。操れないのは、あのマギステルス連中くらいのものだ」

 ゲームジャンル自体が違う。

 それでも現実の脅威はカナメの眼前で咆哮を撒き散らしている。

 タカマサはバトルライフルに取り付けたスマホ越しにカナメを覗き込みながら、

「この出来損ないと同じレベルで、本物のマギステルス達を僕の勝ちとなる。方程式はすでにできているんだよカナメ。後は、ゾディアックチャイルドが一人手に入れば全部終わる。人間は、この世界を取り戻せるんだ」

 カナメはゆっくりと息を吸って吐く。

 そして行動に出た。


 両目を潰し、口の中へ弾丸を突っ込み、さらに喉を下から突き上げるように。

 都合四発の四五口径拳銃弾が、ものの一瞬で神話のドラゴンを殺戮する。


 放たれかけた雄叫びが、そのまま空虚な悲鳴に変わっていった。

 大きく広げようとした翼が力を失い、口内の火の粉が弱々しく散らばって、無数の調理器具を押し潰しながら横倒しに巨体が倒れ込んでいく。不自然なドラゴンはその不自然さに耐えきれなくなったように、再び床や壁の中へと染み込むように消えていった。

「タカマサ」

 蘇芳カナメは、眉一つ動かさなかった。

 いかに現実には存在しない生物だろうが、目や喉がある以上そこがそのまま弱点となる。マギステルスだって無敵の超生物ではないのだ。カナメは、悪魔と知っていてもツェリカを守りたい。だからこそ、オカルトな生命体が脆い存在である事も理解している。

「真面目にやれ」

「……良いとも、君が自ら地獄を望むのなら」

 笑いながら、タカマサは頭に巻いていたバンダナを外し、手と口を使って己の二の腕に縛り直した。

 本気のサインだ。逆に言えば、ドラゴン如きではその領域に達していなかったという事。

 これ以上は待たない。

「きゃっ!?」

 カナメはミドリ側に一発威嚇射撃を撃ち込んで厨房から外、ドアの奥まで退避させると、そのまま銃口をタカマサの方に向け直す。

 ガチチン!! という金具の噛み合う音だけが短く響いた。

 ここに存在してはならないドラゴンすら瞬殺した四五口径。しかしタカマサがバトルライフルをバトンのように振るうと、その分厚い肩当ての部分が全ての弾丸を受け止めていた。

 本当の達人は、しれっとやるから技術のすごさが伝わらない。

 亜音速の弾丸三発に対応するだなんて、人間にできる技ではない。

「この期に及んで急所狙いは一発もなしか。真面目にやれ、この言葉は君に返すよ。迷っていると死ぬぞ、カナメ」

「っ」

(『切り札』は……ダメか。目の前で切り替えるんじゃすぐバレる!!)

 後ろに下がり、食器洗い機や食事用ワゴンなどで遮蔽物を確保しながらさらに複数の弾丸を撃ち出すカナメ。狙いはタカマサ本人ではなくバトルライフルの銃身や機関部を叩き潰す事だったが、一発、二発と鉛弾が振り回されるライフルの肩当てで迎撃され、三発目で消えた。

 鉛弾が、ではない。

 タカマサ一人分の質量そのものが、いきなりカナメの視界から消えたのだ。

『獅子の嗅覚』がなければ、彼はここで死んでいた。

「上かっ!!」

 床を転がる格好で、カナメはとっさに回避行動を取る。

 天井までの高さは三メートルほどあったはずだ。だがタカマサは助走もなく一息で飛び上がると、上下反転して天井に両足をつけ、危なげなくバトルライフルをこちらに向けていた。まず銃声の大きなライフル弾で一発、さらに回避先を追い回すように九ミリ拳銃弾の連射を解き放つ。

 転がるだけでは間に合わない。

 カナメはとっさにステンレスでできた調理台の引き出しを掴んで盾にする。威力の弱い九ミリでなければ、中の鍋やフライパンごとまとめて貫通されていたはずだ。

(……物理法則の限界を超えた現象を自在に操るとしたら)

「『遺産』か!?」

「『魔法』だよ。とはいえ、このバトルライフルが、ではないけどね」

 ステンレスの調理台の上に足を着け、爪先でくるりと回ってタカマサはゆるりと両手を広げる。

 ぞわりと。

 そのワイシャツの内側で、何かが蠢いた。

 いやに生物的な動きを見せるのは、百足……いいや、無数の蛇が一番近いか。

「『#鎖蛇.err』という。ま、平たく言えば外殻服の身体強化部分だけを独立させたものだと考えてくれれば構わない」

「……、」

「当然、僕の『魔法』がそれだけで終わるものじゃないって事も、カナメなら理解してくれると思うけど?」

 タカマサの袖や襟元から、灰色や褐色に近い、一メートルくらいの塊が一斉に飛び出した。それらは床を這い、壁を登り、天井からぶら下がる。災害救助用ロボットの一形態として、蛇型があるのはカナメも知っていた。わずかな瓦礫の隙間に潜り込んで生存者を探し、垂直のガス管を通って亀裂の有無を探る優れものだ。挙げ句、こいつらには顔に当たる部分に銃口まで取り付けてあった。

 そして命を持たない機械の群れは、敵弾など気に留めない。ただ命令された通り、自分が破壊されるまで徹底的に鉛弾を吐き出し続ける。

(分が悪いか……!?)

 こうなると、一方向だけ気にして盾となるものを探すだけでは生き残れない。

 カナメが天井の蛇をいくつか銃弾で叩き落としつつ、手近な扉を体当たりで破って廊下に飛び出すのと、全方位からくまなく厨房を鉛弾が埋め尽くしていくのはほぼ同時だった。

 ケタ外れだ。

 人と共にあればナイフ一本でフルオートの連射さえ真正面から弾く運動性能補助に、独立させればちょっとした窓の隙間や排水口からでも忍び寄る無人の銃口達。余計な策など弄せずとも、タカマサが本気を出せば航空艇の警備くらい力業でねじ伏せられただろう。

 獣の破壊力に、人の狡猾さまで備えている。

 やはりタカマサは最高の友であり、最悪の敵であった。

 真っ直ぐな廊下に突っ立っているだけではどうぞ殺してくださいと言わんばかりだ。カナメは別の扉を開け放ち、従業員用のシャワールームに飛び込んでいく。

 こちらを追うように、ゆっくりとした友の声があった。

「カナメ、どうした。逃げ回るためにここまでやってきた訳じゃあないんだろう?」

「……AI社会を信用してない割に、頼みの綱はプログラム制御か。矛盾しているんじゃないのか、タカマサ」

「マギステルス級以外であれば、大抵のコトやモノは支配できるようになったと言っているだろう? PMC連中だって今じゃスマホ一つで乗っ取れるよ。ここの警備の手でカナメを囲んで嬲り殺しにしても構わない」

「服の下に隠した自作の蛇だの触腕だのを全身に巻き付けて悦に入る趣味があるだなんて思ってもみなかった」

「あっはっは。変幻自在のぐねぐねくらいでいちいち驚くなよ、カナメ。ゲーム世界で手に入るものなら何でも一通り手に入れてみたいって考えは不思議じゃないだろ」

「……、」

「何だ、変な動きをするぐねぐねくらいポピュラーな方だと思うけどね。ここは何でもできるゲーム世界で、口うるさいペアレンタル機能なんかもないんだ。その気になれば不思議な催眠術や都合の良い媚薬だって……」

「いや、違う。これは純粋に済まないタカマサ。こいつはまずい事になったぞ」

「?」

 まだ、シャワー室には踏み込んでいないタカマサにはこちらの様子が見えていないのだろう。カナメ自身、退路確保のため出入り口が複数ある事は把握していたが、まさかこんな展開になるとは思っていなかった。

 つまり、

「み、ミドリがこっちに合流してる。今のっ、全部お前の妹に聞かれたぞ!!」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 返事がなかった。

 今、割と本気で古き友との人間関係に深刻な亀裂が入ったかもしれなかった。

 そしてパビリオンやエキドナを連れて(おそらく迷子になってその辺ぐるぐる回っていた)霹靂ミドリが、ゴミ虫でも見るような目を男どもに突き付けていた。

 低い声で彼女は言った。その口で。


「……ほんっとにサイテー……」


 ドパン!! たたたたん!! というライフル弾と拳銃弾のカクテルに追い立てられ、カナメ達は慌てて別のドアから廊下へ退避した。

 こうしている今も鬱々とした怨嗟がこぼれていた。

 全力の思春期反抗期の口から。

「最低のクズ。そう言えば前に見たコンピュータの中身もエロサイトの履歴で満載だったわよね、方々でやべーヤツ扱いされていると思ったら……」

 ちょっと自棄になったのか、乱射音に負けないくらいの大声でシャワールームの方からタカマサの叫びが飛んでくる。

「違うよ、僕だけじゃないはずだ!! 恥ずかしがるんじゃないカナメ、これくらい人間誰しも頭に浮かべるちょっとした欲望のはずだろう!?」

 かもしれないが、何しろこっちには鼻先五センチの位置にツインテールの女子中学生と慣れないドレスを纏うぶかぶか女子高生が控えているのだ。目の前の男がゴミか否かを見定める、絶対零度の瞳で。よってカナメは極めて真面目な顔でこう宣告するしかなかった。

「エー? ナンノコトダカトウホウニハオッシャッテイルイミガワカリカネマスゥ」

「カナメぇ!!」

 友を裏切った気がした。

 苦いものを噛み締めながらも、カナメは身振りでミドリ達を誘導して別の廊下に走る。すでに電源は復旧しているので、船内の混乱は収まりつつあるようだ。より具体的には、AI制御のPMCが便乗犯のディーラー達に銃口を突き付ける形で。

「また船。何かあるのかしら……」

 パビリオンが何か呪いみたいな声を発していた。

 すっかり走馬灯モードだが、その割にはしっかりと生き残っている。やはりゾディアックチャイルド『乙女の生存』の力は本物だ。

 どうにかして甲板まで出ると、後はクジラの胸ビレのように左右へ伸びた翼を伝っていけば大通りを挟んで向かいのビルの二階喫茶テラスまで辿り着くはずだ。そのまま別のホテルの地下駐車場まで向かえば、ひとまずログアウトでパビリオンをリアル世界へ逃がしてしまえる。

 だが、

「きゃああっ!!」

 パビリオンの叫びがあった。

 ごごんっ!! という爆発音と共に、航空艇スカイインパクトそのものが真横に傾いた。数万以上のワイヤーで重量分散する形で二〇〇メートルもの巨体を吊り上げていたのだが、何かしらの爆発でそのワイヤーを切られたのだろう。おそらくタカマサが放った『蛇』だ。

 航空艇そのものが傾いた事で、左右に伸びていた翼も傾き、地面と激しくぶつかり合って、半ばからへし折られてしまった。

 歩道橋代わりにその上を進んでいたカナメ達は、丸ごとアスファルトの上へ落とされる。

「がっ!!」

 背中を強打して呼吸困難に陥るカナメは、斜めに傾いた甲板を危なげなく滑り落ちてくる別の影を見据えていた。霹靂タカマサ。だが倒れたままのカナメは痛みと酸欠のせいで、満足に銃口を定められない。いいや、仮に万全の状態だったとしても、今のタカマサに当てる事はできただろうか。一発、二発と引き金を引くも、バンダナの少年は歩調を変えなかった。右に左に軽く身を振って難なく四五口径拳銃弾を避けながら、

「迷いがある内は、無理だ」

 片足でカナメの手から『ショートスピア』を蹴飛ばすと、空いた手でパビリオンの髪を掴んで無理矢理引きずっていく。近くに車があるのだろう。

「れ、でぃ。そのまま、かはっ、私の事は構いません……」

「―――、」

 エキドナは少し離れた場所にいた。

 しかし何もしない。この状況でも感情なく首を傾げているだけだった。

 状況が分かっていないのではなく、そもそもこういう一方通行の関係だったのだろう。徹底されると流石に背筋が凍るが。

 期待はできそうにない。

 今のままでは取り逃がす。追跡できなくなれば、タカマサは秘密のラボで『遺産』とゾディアックチャイルド『乙女の生存』を組み合わせ、悠々とゲーム世界を破壊する準備を終わらせてしまう。

 人類は、勝利するかもしれない。

 だけどその未来に、ツェリカ達の姿はない。

「タカマサぁ!!」

 叫ぶが、返事はなかった。

 そのまま近くの角を曲がって……消えてしまう。

 呼吸困難から回復するのも待たず、カナメはアスファルトの上を這いずるようにして、傍らで倒れていたミドリにすがりつく。

「……ミドリ、スマホで冥鬼を呼べ」

「……、」

「早く大型バイクを呼んでタカマサを追跡させろ!! じゃないと見失う!!」

「巻き込んだ」

 どこか、焦点の合わない瞳が待っていた。

 細い肩を通して、少女の震えがカナメにも伝わってきた。

「お兄ちゃんが、私を……爆発に、巻き込んできた……?」

 タカマサにとって、このゲームがばら撒く仮想通貨スノウは空虚な幻に過ぎない。元から消えてなくなるものと考えているから、人に借金を負わせる行為―――つまりフォールさせる事―――に罪悪感を持っていない。

 だけど、ミドリの側からは違う。銃口を向けられた事も、爆破に巻き込まれた事も、それをそのまま受け止めるしかないのだ。

 カナメは少女の肩を掴んだまま奥歯を噛んで、首を横に振り、しかしかけられる言葉がなかった。黙って彼女の懐からスマホを抜き取り、登録されたアドレスを呼び出す。

「冥鬼、GPS位置まで来てミドリを回収したら、そのままタカマサを追いかけろ。俺が合流するまで絶対に見失うなよ!!」

 起き上がり、蹴飛ばされた自分の銃を拾って、よろよろとカナメは一人走り出した。彼が向かう先は冥鬼の待つ駐車場だ。そちらでクーペに乗らなくてはカーチェイスができない。はっきり言って二度手間だが、冥鬼一人では二台のマシンを同時に操る事はできないのだから仕方がない。

 このわずかなロスで、タカマサはどこまで先へ行ってしまうだろう。

 あるいはもう、このゲームは崩壊の時を迎えてしまっているのか。

「くそっ……」

 痛む体を引きずって駐車場に辿り着くと、ドアロックを外してミントグリーンのクーペに乗り込む。クラッチペダルを踏んでエンジンを掛ける行為すら億劫だった。タイヤのゴムをたっぷり擦りつける形でロケットスタートして、駐車場のゲートから勢い良く通りへ飛び出していく。

 助手席にツェリカがいないので、今日は悪趣味な洋楽もナシだ。

 フロントガラスに表示した地図には、冥鬼とミドリの大型バイクの位置がGPSで表示されていた。無事に追跡できていれば、タカマサのマシンはその先にいる。最短距離で合流できるよう車を走らせながら、カナメは目線でチャットを打ち込んでいく。

『カナメ>冥鬼、ミドリ。タカマサのマシンは見えているか?』

『ミドリ>黒のスポーツクーペ。ただし加速と減速で音が変わるから、おそらくハイブリッドね。色々ゴテゴテ機能をつけたがるのは兄っぽいかも。写真も添付する』

『カナメ>ミドリ』

『ミドリ>何が正しいのかなんて分かんないけど……今はとにかく終わらせましょう。兄のやる事をそのままにはしておけない』

 次の交差点で接触するはずだが、ちょっとした手違いがあった。交差点といっても立体交差だったのだ。カナメは上、タカマサとミドリは下。今のままでは合流できない。

 構わなかった。

 カナメはハンドブレーキを引きながらハンドルを派手に回す。一本道の立体交差でほぼ直角に曲がり、ガードレールや歩道の手すりをぶち破って遊覧飛行を楽しむ。

 直後、タカマサの車の屋根を押し潰すように、であった。

 真上からミントグリーンのクーペが勢い良く墜落する。

「がぁっ!!」

 カナメの車は一度上に小さく跳ねて、それから派手に流れる路面へタイヤを接触させる。派手なスリップ音と共に、次の交差点を右側へ勢い良く曲がった。だが屋根を半分ほど潰され、サスペンションも折れたタカマサの方はそれどころではないだろう。車の腹を擦って大量の火花を流星の尾のように撒き散らし、S字に蛇行しながら通りを真っ直ぐ突っ込んでいく。

(まだ動く……)

『カナメ>ミドリ、そのまま追跡続行。次の交差で仕留める!!』

 ハンドブレーキを戻すと、コの字に通りを迂回する形で次の交差点での接触を狙う。多少遠回りになっても構わない、挙動の不安定なタカマサは大して速度を稼げないはずだ。

 真横から二発目を突っ込んだ。

 黒いハイブリッドはエンジンルームを潰されたせいでクラクションが停止まらなくなったらしい。派手な音を撒き散らしながら、カナメのクーペと一緒に通りの角にあったチャペルへ勢い良く突っ込んでいった。

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