【Third Season】第九章 君を撃ち抜く勇気 BGM#09“Fight a Duel.”《006》


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「レディ、間もなくお時間です」

 壁一面が大きな鏡となった特徴的な控え室で、少女の声が良く通った。

 ディーラー名・パビリオン。長い黒髪を頭の後ろで束ね、年齢に合わない妖艶なドレスで無理矢理瑞々しい体を覆った少女だ。得意とするのはオークション、もっと厳密に言えばイベントを通しての人脈構築にある。結局、人が人に富を与え、人が人の幸せを奪うのだ。であればシステマチックな金融理論や統計データの蓄積よりも、人間同士の繋がりを重視して有利な環境を整えた方が万倍確実に儲かる。これがパビリオンの持論である。

 人は、欲を刺激して恐怖で脅えさせるだけで、簡単に従えられる。

 気高いマギステルスの皆様とは違って。

「レディ?」

 人間如きが言葉を放てば必ずマギステルスから答えが返ってくるなどというのも不躾な考えではあるが、思わずパビリオンはもう一度繰り返していた。

 ラベンダー色のドレスに身を包む少女がレディと呼んでいるのは、契約しているマギステルスの事だ。エキドナ型……という事なので、上半身は人間の女性、下半身は大蛇に近い。テニスのユニフォームに似た格好も、ズボンと違って蛇の体を収める上で都合が良いからという側面もあった。

 やはり言葉はなかったが、パビリオンは気にしない。

 主従が逆転している、という勝手気ままなウワサには承服しかねた。そもそもこの関係が絶対的に正しくて、他の全ディーラーが気づいていないだけなのだから。

 にこやかに笑いかけて、主人たる悪魔の前に立つ。

「さあ、そのお美しいお姿を皆様へ披露する前に、私と一緒に最後の調整をいたしましょう?」

 こういう時、パビリオンはプロの衣装係やヘアスタイリストの手は借りない。主人に触れても良いのは自分だけだ、という自負があるからだ。普段は孤高の雰囲気を纏うエキドナだが、表情もなく大きな胸元やスカートの裾まで為すがままにされているところは小さな子供のようで、見ているだけで微笑ましいとパビリオンは思う。

「……、」

 マギステルスは言葉を発せず、あらぬ方へ目をやっていた。

 天井だ。


「ぎゃん!!」

 直後、叫び声が聞こえて四角いダクトの蓋と一緒にツインテールの少女が落ちてきた。


 目を白黒させるパビリオンを、時間は待ってくれない。今度はノックもなしにドアノブが回り、呆れ顔の少年がずかずかと踏み込んできた。

「……ミドリ、だからダクト移動なんて映画だけって言ったろ。というか元々は映画の中でも最後の手段扱いだったはずなのに、何でそんな嬉々として潜りたがるんだ」

「うっうるさいな! そっちこそもうちょい恥ずかしがりなさいよ妖怪試着室侵入オバケ!!」

「変なあだ名をつけるのはやめてもらおうか」

 背中を強打したからか、満足に起き上がる事もできず床でのびたまま叫ぶツインテールだが、部屋の主としてはそれどころではない。

 ある。

 この不躾な侵入者達には見覚えがある!!

 パビリオンは慌てて(無頓着で危なっかしい)エキドナの胸元やスカートの裾を引っ張って直しながら、

「あっ、あなた達!! 一体どうやってこの控え室までやってきたの!?」

「おや、どうやら手順を詳しく説明してほしがっているみたいだぞミドリ」

「はいはい、あなたの言う事聞かず勝手にダクトへ潜ってごめんなさい! これで良い? インケンなのよまったく!!」

 すぐ近くの壁に内線電話は取り付けられているが、パビリオンは判断に迷う。そもそもドアの前にはAI制御のPMCを二人立たせていたはずだ。蘇芳カナメの方が真正面から堂々と来たという事は、とっくの昔に排除されてしまったのだろう。音もなく。

 連絡するのは良い、だが増援がバタバタ足音を立ててやってくるまで自分達が保つとは思えない。

 パビリオンは内線電話から距離を離してでも、エキドナ型のマギステルスの盾になれる位置へじりじりと移動する。

「……何しに来たの、『遺産』泥棒」

「あんたに鏡を見ろと返してやりたい台詞だが、まあ、『遺産』は俺の所有物でもないからな」

「私のオークションで大量のドローンを買い叩いたのだってあるわ! 軍用モデルを四ケタも!!」

「『必ず儲かる仕組み』なんて妄想しているから痛い目を見るんだ」

 悪びれもせずカナメはそう言うと、辺りをぐるりと見回した。

「そしてこの分だと、まだ『遺産』の本当の持ち主は顔を出している訳じゃないらしい」

「?」

 ゾディアックチャイルド・乙女の生存。

 その正体は未知数だが、カナメ達が『あの』タカマサより早く目標に辿り着いたのも不思議な話だった。というより、そもそも最初のきっかけだった『#豪雨.err』の件でも蘇芳カナメと対立し、有力チーム『銀貨の狼Agウルブズ』に狙われて……ただ、『遺産』こそ奪われたもののパビリオン本人はきっちり難を逃れている。

 そこに何かしら才能でも働いているというのだろうか。

 カナメの『獅子の嗅覚』とは大分違う。本人に自覚があるかどうかも見えない。だけどこの不自然なまでの選択での強さは、確かに全てを冷酷な計算で調べて数字を割り振ろうとするAI社会からは嫌われそうだ。

「これがラストチャンスだ、パビリオン。今すぐ俺達と一緒にここを出ろ。さもないとあんたは自分のせいで、自分の命よりも大切なものを失う羽目になるぞ。それも永遠に」

「航空艇を出る? もうすぐ始まるオークションを放り出して??? 冗談じゃないわ!! 何が待っているかなんて知らないけど、あなた達のトラブルでしょ。こっちを巻き込まないで! 私達は私達の方法で身を守る。そっちの都合なんてどうでも良い!!」

 これについては、一言で良い。

 カナメは自分が入ってきたドアを顎で指して、

「……現にここまで侵入されているのに?」

「うっ」

「これが本気の襲撃者なら、あんたとマギステルス、それぞれの額に一発ずつ撃ち込んでおしまいだ。もっとも、クリミナルAOのヤツに身柄が渡ればそんな次元じゃ済まなくなるだろうがな」

 そっと息を吐いて、カナメは改めて少女の目を覗き込む。

 コールドゲームの死神。

 誰よりも躊躇なくディーラーの人生を奪う、底なしの瞳であった。

「自分のせいで、自分の命よりも大切なものを失う。俺はそう言ったぞパビリオン」

「なっ、何よ……。フォールで借金漬けのペナルティくらい、あなたに言われなくても」

「それどころじゃない」

 決して大きな声ではなかった。

 だがカナメの言葉には、人の意思を封殺する不思議な力が宿っていた。

「マギステルスを守りたいか、パビリオン」

「……、」

「このままいけば、彼女が被るダメージは最大一時間で復活する『ダウン』どころじゃ済まない。全損、致命的なエラー。一度のミスで永遠に失うぞ。わずかでもその可能性があるのなら、あんたは今すぐ行動を起こすべきだ。こればっかりは、金の力じゃ取り戻せない」

「……マギステルス専用の『遺産』でもあるって事?」

「状況はそれ以上だ。先月、世界で初めてマネー(ゲーム)マスターで深刻な通信障害が発生したのは覚えているか? クリミナルAOがやろうとしているのは、あれよりも酷い。ゲーム世界全体がぶっ壊れたら、おそらくマギステルス達は助からない。絶滅だ」

 タカマサの目的はそもそも全マギステルスを殺害する事での『総意』の消滅に近いのだが、そこまで説明する必要はないだろう。

 多くの『遺産』を世にばら撒いた伝説的なディーラーに、過去あった具体的な実例。

 何より、パビリオンのマギステルスへの執着は並大抵のものではない。

 慣れないドレスを纏う少女は、細い顎を手でさする事すらしなかった。

 即答であった。

「どうすれば?」

 銃撃戦が得意な訳でも、極端に高い知能がある訳でもない。だけど何故だか彼女は、自分が生き残るための道からは外れない。不自然なほどに。まるで常に目の前に未来を決める三択があって、しかも正解が色分けしてあるような切り替えぶり。あまりにも舵取りが正確過ぎて、本人の思考や主義さえその時々でブレているようにすら見えてくる。

(……戦闘狂のブラッディダンサーとは違った意味でやりづらい)

「あんたのマシンはどこにある。そこがゴール地点だ。クリミナルAOの『力』は絶大だけど、あいつはゲーム内でしか猛威を振るえない。あんたがログアウトしてリアル世界に逃げ込み、ほとぼりが冷めるまで待ち続ければ、それだけで手出しはできなくなるはずだ」

「ほとぼりが冷めるって、どうやってそれを知れば良いのよっ」

「お嬢さん、もしよろしければアドレスの交換をさせていただいても? もちろんリアル世界でも使える方だ」

 唇を尖らせたパビリオンは、人差し指で隣に立つミドリの方を指し示した。情報セキュリティ的にはどっちでも同じだろうが、意地でも素性の怪しい男と交換したくはないらしい。

 ……てっきりゾディアックチャイルドの一角だからエキドナ型のマギステルスが骨抜きにして手元に置いているのかとも思ったが、単純にそういう訳ではないようだ。何かしら、筋金入りの優先順位を感じる。マギステルスより人間が下で、人間の女より男が下。分かりやすい。

 スマホ同士を重ねて近距離通信を終えると、ミドリは首を傾げてこう言った。

「で、あなたのマシンはどこにあるの? 車、それともバイク?」

「距離は五〇メートルないわ、航空艇スカイインパクトの近くにある観光ホテルの地下駐車場。ラベンダー色のコンバーチブルよ」

「ならひとまずこの船を出たらそこまで出向いて、後はログアウト作業が終わるまでお兄ち……兄と防衛戦か。地下駐車場なら頑丈そうだから勝ち目はあるわよね。ねっ?」

 ミドリが最後の語尾を繰り返したのは、カナメが反応しなかったからだろう。

 彼は天井を見上げていた。

 少年にしか分からない特別な感覚に身を委ねるようにして。

 そして蘇芳カナメはこう告げた。

「ちょっと遅かったみたいだ。来るぞ!」


 直後だった。

 ばつん!! という太い音と共に、辺り一面が真っ暗闇に包まれた。

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