【Third Season】第九章 君を撃ち抜く勇気 BGM#09“Fight a Duel.”《005》


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 紆余曲折あったが、どうにかミドリのドレスは手に入った。

 カナメもカナメで、試着室を借りて預けてあった燕尾服に着替えておく。衣服やアクセサリは『スキル』を組み合わせる上でも重要なのだが、射撃やカーチェイスにそうした補助を使わないカナメは、何にでも着替えられるという意味で強い。

(タカマサは逆にスキル頼みだったはずだ。ここでも少しは有利に働いてくれると良いんだが……読み切れないな。そもそもあいつは山のように『遺産』を抱えている訳だし)

 と、

「ぽやー……」

「何だ? 一体どうしたミドリ」

「いやっ!! 特に気になる事は何も……! (ううっ、あれだけの事をしでかしたのに、こういう立ち姿がサマになる男の人ってずるい。なんかこう、問答無用で直前までの印象を帳消しにかかってきてる……!!)」

「?」

 いまいち挙動の怪しいミドリだが、彼女のドレスの方も問題なさそうだ。黒のドレスだけだと重たいが、仕立て屋の老婆が要所にミントグリーンのラインや薔薇をあしらってくれたので大分印象がきらびやかになっている。

 フィット感など言わずもがな。まるで少女本人と一緒にお母さんの中から出てきたかのように、スリーサイズから手足の指先まであそびは一切なくなっている。この辺りは第一線のディーラー・異次元プリンタの面目躍如といったところか。

 職人への敬意として、カナメはスマホをかざして多めにチップを払いながら、

「無茶な仕事ばかり押し付けて済まない、あんたには甘えてばかりだ」

「いえ。カナメ様のご依頼は、いつでも我々職人達の心を躍らせてくれますから」

 柔和に笑う老婆の顔に、別の誰かが重なった気がした。

 ……かつてのタカマサもそうだったのだろうか。ヤツが整備した銃や車を当たり前のように使い倒していた頃は、そこに特別な感情が乗っているだなんて考えた事もなかったが。

 そんなタカマサを止めなくてはならない。

 ヤツと戦うための準備は、これで全部終わったのだ。

「行ってらっしゃいませ、カナメ様。そして必ずや、またのご来店を」

「ああ」

 老婆に見送られ、カナメとミドリは表に出る。

 半島金融街は、昼と夜では全く顔が違う。ギラつく太陽や弾ける日焼け痕といった分かりやすい欲望よりも、一面に宝石をばら撒いたような夜景の中の方がより一層多くの欲が混ざり合っているように見える。

 ミドリは慣れないドレスの裾を気にしながら、

「マシンはどうするの?」

「どっちみち、オークション会場の航空艇はすぐそこだ。ここに置いて、バイクには冥鬼を待たせておけ。スマホの連絡一つでいつでも呼びつけられるようにな。今回はとにかく人数が少ない、パビリオンの腹の中に脱出のアシを置いておくのは心配だ」

『駐車場は無敵ルール』は条件次第で破られる事など、マザールーズの『大浴場』の一件ですでに証明済みだ。駐車場とはいえ、敵の私有地やその至近に生命線となるマシンを置いておきたくはない。

 数万以上の見えないワイヤーで空中に縫い止められた巨大な船まで歩いて近づくと、そこかしこから派手な格好をした男女が吸い寄せられていくのを見かけた。どうやら船の方で更衣室は貸してくれないらしい。……おそらく喫茶店や駅ビルのトイレでも借りて着替えや化粧を済ませてきたのだろう。そっちでは長蛇の列でもできてそうだ。

 ミドリは手品のように浮かんでいる木造の船を歩道の方から見上げていた。二〇〇メートルで一〇層構造だと、もはや学校の校舎の何倍もあるはずだ。

「スカイインパクト、やっぱりとんでもないスケールね……。けどあれ、どうやって入るの?」

 高さもそうだが、片側三車線の大通りの上下線を断ち切るように、ちょっとした公園のように開けた中央分離帯の真上に浮かんで(?)いるのだ。近くに信号や横断歩道がないので、今のままでは単純に近づき難い。感覚的にはまるでトンネルでも潜るようだ。

 これに対して、カナメは全く別の方向を親指で指し示した。

「クジラの胸ビレみたいなのが航空艇から左右に伸びてるだろ。通りをまたいで、百貨店二階から飛び出した喫茶店のテラスと接触している面がある。あそこから伝って入れば、旅客機みたいなタラップ車はいらないって訳」

「……スカートで?」

「普段歩道橋を歩く時はどうしてる? お上品さを忘れないようにな」

 あしらうように言われたのが腹に立ったのか、膨れっ面のミドリは小さなグーでカナメの脇腹を軽く叩いていた。

 下からすくい上げるような夜風が吹いたのはその時だった。

 ドレスのスカートが大きく膨らむ。

「ひゃっ!?」

「ミドリ、観察を怠るな。ここは一応下に開けた空間のある空中で、ビル風は複雑だぞ。目の前に広がる地形から目に見えない風の流れを推測するのは、ゴルフでグリーンの芝を読むのと一緒だ。これができないと弾は当たらない」

「ごっ誤魔化さないで、いま、見たっ、今の!?」

 イエスでもノーでも疑念は払えそうになかったのでカナメは黙っておいた。異次元プリンタ、見えない所までやけにこだわる職人らしい。

 カナメのエスコートで実際に上り坂のような巨大な翼を渡っていくと、サイドデッキの辺りで礼服の老紳士が左右にPMCを一人ずつ従えて待っていた。

「ようこそお客様。招待状を拝見させていただきます」

 今さらのようにミドリが面食らっていたが、隣にいたカナメが手品のように二人分取り出した。……実は出処は異次元プリンタである。本業は洋裁、刺繡、金細工などだが、その繊細な指先を使えばどのような印字や透かしも完璧に偽造できてしまえる。

 3Dプリンタをはるかに超える魅力とリスク。

 それがあの老婆について回るディーラー名の正体であった。

「銃は?」

 少年の質問に、老紳士は傍らを指し示した。ソファくらいの大きさの分厚い金属製のボックスが見えるが、そこに預けろという意味ではないらしい。

 カナメは四五口径短距離狙撃銃を取り出すと、適当に一発撃ち込んだ。

「ほら、ミドリも」

「えっえっ?」

「弾丸の線条痕は一丁一丁で違うんだ。そいつを記録して『保険』にするパターンだよ。いざ船内で死人が出た時に誰が撃った弾かあらかじめ分かる形にしておけば、お互いの牽制になるだろ。誰だって、報復は恐れるものだからな」

 言われてもいまいち意味が分かっていないのか、ミドリは不思議そうな顔をしたままとりあえず指示にだけ従っているようだ。小さな護身用拳銃を金属ボックスの中に撃ち込んでいる。こんなゲームなのに銃を撃つ事自体にあまり慣れていないのか、ちょっと顔を背けながらだ。

 金属探知機の出番はその後だった。

 申告外の武器を隠し持っていれば、その時点で不義とみなして叩き出すやり口だ。

 やり手の老紳士はにこやかな笑顔を浮かべ、

「結構です。お二方とも、どうぞ航空艇スカイインパクトへ。線条痕についてはワンタイム扱いですのでご心配なく。イベント終了後、照合用データは全て抹消させていただきます」

「ビッグデータと仮想通貨が幅を利かせるマネー(ゲーム)マスターで? そんな言葉を信じるほど子供じゃないよ」

 線条痕は銃ごとで個体差が生じるが、例えばスペアパーツと交換してしまえば特徴を隠せる。頻繁に銃撃戦を行いあちこちから恨みを買っているカナメがこの辺りに気を配らないなんて展開はありえない。わずかでも余計な情報が拡散するリスクが残るなら、この夜が終わり次第さっさと銃をバラバラに分解するべきだ。

 ミドリはミドリで硝煙臭い掌を軽く振って、

「(鉄砲なんて危ないモノ、入り口で全部没収しちゃえば良いのに)」

「(警備のPMCはフル装備だけど、それでも相手を信用できるなら。主催者側が殺して金だけ奪うつもりだった場合、オークション会場は血の海になるぞ)」

 ようは夜の港で二つの組織が取引をするようなものだ。銃そのものを没収する訳にはいかない。自分の身を守るのは自分の銃だけだ。

 表のゲートではこんなやり取りを挟んでいても、タカマサだって馬鹿正直に『遺産』を取り出して見せびらかすとは思えない。そしてあの男ならAI制御のPMCくらい鼻歌混じりで操れる。いくらでも裏をかいて極悪な『遺産』を持ち込むだろう。絶対に。

 きらびやかなドレスを纏っているのは、人間ばかりではない。

「それにしても、引き連れているのってほんとに悪魔ばっかりなのね」

「そういうゲームだからな」

「一人くらい天使が紛れていても良いのに」

 いよいよ全長二〇〇メートルの、空飛ぶ船に乗船する。

 ミドリはあちこち見回して、

「えと」

「右舷五層大ホールB」

「ええーっとお……」

 変に間延びした声で繰り返され、カナメはそっと息を吐いた。

「甲板よりは上だよ。この船はイベントスペースって言ったろ。蜂の巣みたいな小さな船室をぎっしり詰めた豪華客船とは違って、大きなハコモノの大ホールをいくつか抱えて、それらを船内の通路や階段で結んでいるって考えれば良い」

 それから共用施設として、料理を提供する厨房、映像音響管理室、従業員控え室、電源管理室などがある。一方で船と言ってもスカイインパクトには実際の航行能力などないので、操舵室、通信室、機関室、バラストタンクなどはない。

 デッキから扉を潜って中に入ると、毛足の長い絨毯の通路が待っていた。途端に熱帯夜の熱気がかき消えた。これで豪華にしているつもりなのかもしれないが、自己主張の激しいエアコンのせいでやや肌寒い。通路の左右に扉は並んでいるが、間隔はとても広い。二〇〇メートルの船で、一層当たり大ホールが六つしかないのだ。単純な面積だけなら一つ一つのホールは体育館に匹敵するのではないか。

「オークション……だけじゃないのね」

 緩やかな室内音楽が鳴り響く通路で、大事な入学式なのに派手に遅刻しちゃった子みたいにミドリは小さくなっていた。お店や映画館と違って『何をする場所』と明確に決まっておらず、大きなハコモノだけ並んでいるイベントスペースはある種独特だ。自分で目的を決めて出かねない限り、居場所を見つけられない。そういう意味ではオープンワールドの定義と似ているかもしれないが。

 ディナーショーやクラウドファンディングの懇親会、中学生のミドリにはあまり縁のないイベントばかり開いているのも場違い感に拍車をかけているのか。

「結婚披露宴だって、一日一組だけじゃ儲けがなくて破綻してしまうだろ。裏通りのラーメン屋もセレブなイベント会場も一緒、とにかく短いサイクルで客を回すのが商売の基本だよ」

 ツインテールの少女は花瓶に挿した生け花の横をおっかなびっくり通り抜けながら、

「客室みたいなものはないのかしら……」

「基本的にイベントホールだからな。オーケストラ楽団のための楽屋、みたいな感じで似たような部屋がずらりと並んでいるのかもしれないけど」

 わずかに開いた両開きの扉の向こうから、ドライアイスのような白い煙が洩れていた。クラシック音楽に混ざって、さざ波のような男女の声が廊下まで伝わってきている。ここに集まっている自分達は、SNSでは繋がれない特別な集団なんだぞと教えたくてたまらないといった感じで。

 ツンと気取ったような空気に、猥雑な欲望の香りが混ざってきた。貴族の遊びなんて言葉が似合う、上流階級特有のいやらしさだ。

 階段を下りて、甲板よりも下に広がる通路を歩きながらミドリは指差す。

「あった。右舷五層大ホールB……。あれよね、パビリオンのオークション会場。いよいよ潜り込んで……」

「ミドリ」

 馬鹿正直に突撃しようとするミドリの小さな頭を思わず片手でわし掴みにしてしまった。ワゴンでバッグの山を運んでいるクローク係が不思議そうな顔でこちらを見ている。

「普通に真正面からオークション会場へ入ってどうする。有象無象がひしめく客席からじゃ、常に壇上に立ち続ける司会進行のパビリオンにこっそり危険を知らせる事なんかできないだろ」

「えっ、でもだったら何でこの船に入ったの?」

「そりゃもちろん、自分は特別だと思っているだけの一般招待客とは違ったルートを通って、もっと手っ取り早くパビリオンとお近づきになるために」

 カナメは壁の案内図の一点を指差した。

 それは当然、普通の人に開いているホールの出入り口ではない。

「航行艇スカイインパクトはいくつかの大ホールと、それら全部で使う共用施設があるって言ったろ?」

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