【Third Season】第八章 PMC本社に挑め BGM#08“Laser Art.”《002》


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 サーバー名、ガンマオレンジ。終点ロケーション、常夏市・半島金融街。

 ログアウト認証完了しました。

 お疲れ様です、蘇芳カナメ様。


「お兄ちゃん、いつまでゲームやってんの!? お肉全部焦げちゃうよー???」

 意識のピントが合ってくると、ざわざわという森の木々が風で擦れ合う音に囲まれた。

 視界や意識がぼんやりするのは、表象マーカーを使ったバーチャルから現実に復帰する特有の現象だろう。スマホ画面に秒間数十フレームの超高速で様々な記号や模様を連続表示させ、『人間がイメージとイメージを連結させる力』を利用して脳の中で正確な像を結ぶVR没入法。安価で高性能ではあるのだが、この眼精疲労だけがネックだった。娯楽懐疑論者が未だにゲームをすると視力が低下するなどと叫んでいるのはこいつのせいだ。

 両目をぱちぱち瞬きさせて慣れるのを待つと、上を向いてコンタクトレンズをつける。

 現実の世界がようやくはっきりと広がった。

 妹の言う通り、目の前のバーベキューセットからお肉やトウモロコシの焼ける匂いが漂ってくる。辺りはすっかり暗くなっているので、炭火の火の粉が激しい自己主張を行っていた。

 どこぞのキャンプ場だった。

 今日は五月二日。ゴールデンウィークの真っ最中である。

 明かりに虫が集まってくるのと格闘しながら、今は家族みんなで夕食を摂っている。金属製のトングを使って紙皿に焼けたウィンナーや輪切りのジャガイモなどを取り分けていた妹は柔らかい頬を内側から膨らませて、

「一日中ずーっとスマホ漬け。せっかく家族みんなでキャンプにやってきたっていうのに、ぜんっぜんアウトドアな感じがしないよね、お兄ちゃん」

 なるほど。確かに少年にも多少の非はありそうだが、両親の前でもある。まさかゲームの中で拉致されてログアウト不可に陥っていたとは言えないので、

「仕方ないだろ、こうしている今も為替や株価は動いているんだから」

「まーたーそーれー!!」

 一見すると大自然の中だが、目に見えない無線LANや衛星回線の電波はビュンビュン飛び交っている。ダムや川の水位を測るカメラに、地震や噴火の予兆を調べる地震計、花粉の飛散状況を調べるセンサーボックスなんて日本全国どこにでもある。今時、プロの登山家だってGPS発信機やリアルタイムの気象情報検索は欠かせない。星空を見上げれば、何か不審な影がジグザグに横切っていった。未確認飛行物体などではなく、おそらく誰かが飛ばしている空撮用のドローンだろう。

 今はもう、スマホが圏外となるエリアを探す方が難しいくらいだ。

 ちょっと街から離れたキャンプ場程度の自然環境ではネット社会から逃げられない。むしろ、初めから電波を弾く目的で作った分厚い地下室などトコトン人工物で固めない限り、情報の網は延々と付きまとう。

 何も少年に限った話ではない。

 少し離れた所では、別のご家庭がみんなで協力してテントを張っていた。手元が光っているのはスマホを用意して、正しい完成予想図をARで風景に重ねているのだろう。

 アウトドア料理のレシピだってサイト頼みだし、食べられる野草と良く似た毒草を見分けるのも大型サーバーと照会する画像認識アプリ任せ。今ではスマホから熊除けの高周波音響を放つ安全機能もあるのだとか。

 ここでは蚊やハエも見かけなかった。

 単に今が五月だから、というだけでもない。遺伝子解析なんてそれこそAIの独壇場だ、人の血や生ゴミには反応しない種を作り、意図的にばら撒いて人の望む通りに交配させた結果だろう。殺虫剤をただ強化しても耐性持ちが進化していくだけなので、逆に『害虫そのものが弱くなるように』調整を施すようになったのだ。

 ひょっとしたら、人間だってそうじゃないかという話も出ているほどに。

 出生前検査とかで受精卵を体外に取り出すのも珍しくないのだし、知らない間に小細工をされている可能性だってゼロではないのだとか。

 例えば記号のように言われるイマドキの若者。

 生まれた時から精密機器の扱いに慣れている子供達には、周囲の環境だけでなく骨格や遺伝子のレベルでおかしな仕掛けがある、などという陰謀論も事欠かない。

「とにかくほら、一緒にアウトドアっぽい事して。これあげるから、極太ウィンナー☆」

「うっぷ」

「何その失礼なリアクションこの私が作った料理なんか食べられないと申すか!?」

「……いやお前は悪くない。これは単純に、直前に見たモノとの組み合わせの問題だ」

「?」

 妹はキョトンとしていたが、説明なんかしたくもなかった。

 彼女は行き場を失ったでっかい腸詰めを無邪気に頬張りながら、

「むぐむぐ。ゲームも良いけど、ほどほどにしないと」

「そうだ。マネー(ゲーム)マスターについてなんだけど」

「なに、まだするのこの話?」

「一つだけ。あのな……」



 胃袋が重かった。

 アウトドアは自然に還るのだから、基本的に何でもかんでも健康に繋がる……のではと思う。しかしあのバーベキュー、肉と野菜の比率が大雑把で、とにかく脂っこい。普通にコンビニで有り合わせの唐揚げ弁当と野菜サラダでも買った方がよっぽど体のためになりそうだった。

「ふう」

 少年はそっと息を吐いて、テントが密集している辺りから少し離れた小屋まで足を運んでいた。四方の壁のない、屋根と柱だけの東屋のような施設は元々キャンプ場にあったものだ。

 携帯スマホの充電ステーションであった。

 立ち食いソバにあるような簡素な対面式の長テーブルにずらりとコンセントが並んでいるだけの場所。なのに結構繁盛しているのか、三分の二くらいはモバイル機器と繋がっている。しかしその割には、ここには誰もいなかった。コインランドリーのように、この場で待つという考え方はないらしい。一応はショップなどにある盗難防止のための特殊なワイヤーを繋げてあるようだが、それにしても自分のスマホを放り出すなんて不用心だ。紙の説明書がないので、何をどこまで情報収集されているか気づいていない人も多いのだろうが。

(……同じ目的で同じ場所に集まると、理由もなく連帯感が生まれるんだっけか)

 根拠のない信用なんて、金融取引の世界では遅効性の猛毒でしかない。少年は端の方で余っていたコンセントにスマホをかざして電子マネーで支払いすると充電ケーブルで繋いでいく。

 山の中までやってきてスマホを手放せないのは彼だけではないらしい。中には画板みたいなサイズの巨大なタブレット端末まである。せめて風景画でも描きに来たのだと信じたい。これでテントに籠って映画三昧とか、3Dアートで動画サイト用のデータアイドルをモデリングしていますとかだったら哀し過ぎる。

(テントに籠るどころか、バーチャルに飛び込んでいる俺に言えた義理じゃないか)

 そんな風に考え、そっと息を吐いた直後だった。

 少年は何かを見つけて、そして立ち食いソバのような簡素なテーブルの裏で慌ててしゃがみ込む。ありえない現象が広がっていた。


 いるじゃん、ツインテールの女の子が。

 霹靂ミドリがゲームの世界から飛び出してきているじゃん!?


 しばし頭の中がパニックになる少年だったが、その内に気づく。

 むしろ逆なのだ。

 ゲームの世界から飛び出してきたのではない。霹靂ミドリはリアルの顔のままゲーム世界で暴れ回っている、稀有も稀有なディーラーだったのだ。ルーキーならではの凡ミスとも言える。

 しかしどちらにしても同じ事。

 向こうも向こうで家族連れでキャンプ場までやってきたのだろうか。何にしてもここで顔を出す訳にはいかない。だってこのリアルな世界にいるのは全てが整った蘇芳カナメではない。髪はぼさぼさだし、視力が悪いから目つきもきつくなりがちだし、着ているのだって雑なスウェットだ。そもそも両親込み、家族連れでこんな所にいるだなんてシチュエーションもバレたくない。ゲームの世界とは全然違う、こんなところは絶対に見せられない。このまま息を潜め、親友の妹が立ち去るまでひたすら待つしかないのだッ!!

「さ・て・と。じゅうでん終わったかなーっと」

(くるっ。よりにもよってこっちに!!)

 冷静になればミドリもミドリでログインしてゲームをしているのだから、スマホは必須のはず。キャンプ場で見かけた時点で、ここで充電する可能性については考えて然るべきであった。

 直線距離にしておよそ一二センチ。

 何だか良い匂いのする絶体絶命エリアである。

「ああ、やだやだ。すっかり染まっているなあ、電池が五〇%以下になるとそれだけで不安になるだなんて……」

 とんとんと靴底でコンクリートの地面を適当に叩き、短いスカートの端を軽やかに揺らしながら、ツインテールの少女は何か呟いていた。音声認識で検索をしているのではなく、おそらくスマホの黒い画面を鏡代わりにして、自分自身に声を掛けているのに近い状態なのだろう。何だか無防備に化粧しているところを覗いてしまったような気分にさせられる。

 ぽん、という小さな電子音が鳴ったのはその時だった。

 おそらくは企業の広告メッセージか何かを受信したのだろう。しかしそこでミドリの動きが止まる。靴底のリズムが途絶える。

「お兄ちゃん……」

 待ち受け画面に家族写真でも設定していたのだろうか。黒画面から不意打ちでバックライトを光らせたスマホを見て、ミドリがぽつりと呟いていた。

 少年がこうした。

 庇うべき妹を庇う事もできず、古き友が迷わず銃弾の盾となってくれたから。

 そっと、彼は奥歯を噛む。

 だから今度は少年の番だ。タカマサがどれだけ道を踏み外そうが、その恩がなくなる訳ではない。ミドリを守り、タカマサを引きずって、必ず空いた席に座らせる。もう一度、向こうの家族を一つにする。そう決めていた。

 と。

 すぴすぴという謎の音があった。

 見れば、ミドリの足元にすり寄っている四本脚の謎生物と目が合った。黒地に緑色の金具をあしらった首輪がキラリと光る。

 猪の赤ちゃん、ウリ坊に似ているが、どうやらこれで大人らしい。ミニブタのように品種改良された愛玩用のイノウリボウだ。ミニチュアジーンと呼ばれる『流行』で、確かライオンや虎、サメやクジラなどでも行われていたはずだ。

 何にせよ、ちょっと屈んで足元を覗かれたら一発で終わりだ。この状況だと理想と現実の落差に失望どころか、変態待ち伏せフトモモハンターと誤解されかねない。そういう意味ではイノウリボウが怖い。トリガー的にすごく怖い。じゃれつくでない、不思議がったミドリが覗き込んできたらどうするのだ!?

 ゲームとリアルではそもそも顔つきが違う。でもだからこそ、万が一バレたら失望されるのは避けられない。

「お父さんとお母さんには悪いけど、でも、仕方がないよね。あいつがゲーム世界にいるのは分かったんだ。うおー、早くお兄ちゃんを捕まえないと!!」

「……、」

 少女(とイノウリボウ)が立ち去るまで、最強のディーラーはずっとそうしていた。

 そして、だ。

 テーブルの下で丸まっている少年は、ふと思った。

 確かに鉢合わせになったらこちらの素性を知られる恐れはある。しかしその上で、何故、霹靂ミドリから隠れなくてはならないのかと。

(ああ……)

 親友の妹に、失望される訳にはいかない。

 リアル世界だけの話ではない。ゲームの中でもそう。タカマサとは敵対した。彼のやり方と少年のやり方は相容れない、絶対に。ツェリカを失わずに世界を守るという自分の方が正しいと結論づけたのに、ならどうしてミドリに胸を張って打ち明ける事ができないのか。

 つまり裏を返せば、

(……単にイイ格好を見せたかっただけなのか、俺は)

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