【Third Season】第七章 イノチ売りの少女 BGM#07”Girl in Trash Can.”《013》


   13


 貝塚クレアが空港から持ち出してしまった書類の束。

 軽く目を通すと、道端に転がっている冷蔵庫に腰掛ける蘇芳カナメも大体のカラクリが読めてきた。

「……なるほど」

(治安最悪のレッドテリトリーでは、で人死にが発生するんだったか)

 つまり、考え方が違ったのだ。

 タカマサはこれを見て素通りしていたのだろうか。人助けは見せびらかすものじゃないと笑っていた、あの男が。

(……タカマサ)

 おずおずとカントリー少女が声を掛けてくる。

「あ、あのう……。やっぱり、元の場所にお返しした方が良いんでしょうか。けど、まだあの場所に襲撃者がいたら怖いなあ……」

「それはないよ。向こうもマンパワーはマギステルス込みで四人分しかないから、待ち伏せに失敗したら迅速に次の手を打つはず。とはいえ、持ち主がいないんじゃ返しても意味ないと思うけど」

「はあ。でも」

「Mスコープがトラップを全部取り去ったとは限らないし、しばらくあそこは近づかない方が良い。不発弾に引っかかって無意味なフォールをしたくなければな」

「ええと、あの、それでもやっぱり良くない事なので、私これ返してきますっ」

 たとえ死人が相手でも、持ち逃げはしない。

 一見すればスラムの住人にしては清らかな心の持ち主に聞こえたかもしれない。

 だが蘇芳カナメの視点は違った。

「……ここはレッドテリトリーだ。なのにあんたが武器を持たない理由が気になっていたけど、

「えっ、はい?」

「生き方を選ぶのはあんただけど、まだ諦めるには早いんじゃないか?」

 少年がゆっくりと言うと、赤毛の二本三つ編みはわずかに息を止めたようだった。

 それから。

 じんわりと、誰にも文句を言わせない完璧な笑みを浮かべていく。

「大丈夫ですよ、慣れてしまえば不安に感じる事もありません」

「そうかい」

 カナメがそっと呟くと、貝塚クレアは彼の手から書類の束を取り上げて、ガラクタ同然のスティックボードを使ってどこかへ向かってしまった。宣言通り、おそらくは元の空港ターミナルだろう。

 少年はしばらく青空を見上げていた。

 そして彼の鼻の頭を、わずかな痛みが刺激してきた。

(ようやっとか)

 心の中で一言。

 直後にカナメは自分が腰掛けていた冷蔵庫から腰を浮かし、役に立たない扉を開け放つ。ドカッ!! という鈍い音と共に、突き刺さって食い止められたのは銃弾ではなく金属矢だった。

 あのスラムで、唯一まともな飛び道具がクロスボウだった。

 しかし次の矢を番えるのに時間がかかるから大丈夫、などとは考えない。『獅子の嗅覚』は継続中だ。

 ばさりと空気を叩いたのは汚れたレインコート。

 狙撃に失敗したと見るや勢い良くこちらの懐に潜り込み、クロスボウ全体を使ってツルハシでも振り下ろすようにカナメの頭を狙ってきたのだ。

 が、カナメの表情は変わらない。

 妥当で無難だがそれだけだ。ザウルスの時のような、予測不能のフットワークはない。

 まず体重の乗った軸足を蹴ってバランスを崩し、カナメは体をひねって、ブレブレのまま勢いだけで縦に振り下ろされたクロスボウを回避すると、すれ違いざまに右の肘を顔面に叩き込む。

 蘇芳カナメは都市型狙撃と閉所戦闘を同時にこなすディーラーだ。

 銃がなくてもこれくらいの制圧はできる。むしろこれまでのザウルスが近接特化で手に負えなかったと言うべきだ。

「がっ!!」

 もんどりうって転がったレインコートの手元にあったクロスボウを足で蹴って遠ざけ、蘇芳カナメはそっと息を吐いた。

「クレアの知り合いか?」

「……このレッドテリトリーで、あいつの知り合いじゃないヤツなんかいない」

「だろうな」

 素っ気なく、倒れたレインコートを見下ろしながらカナメが呟いた。

「ここはフォールしてもゲームを諦められなかったディーラー達が集まる『復活の地』、レッドテリトリーって話だもんな」

……」

 ぎり、と。

 自分の奥歯を砕きかねないような、そんな音があった。

!!」

「そういうお前はどうだったんだ?」

「!?」

「ラムジェットとかいうヤツの話だと、広場まであんたを運んできたのはクレアだったんだろ。それなら当然、彼女の『』になったはずだ」

 あの時、蘇芳カナメを広場のみんなに認めさせるため、貝塚クレアはこんな事を言っていたはずだ。言っている本人がいまいちその意味が分かっていなくても、確かに。


『あっ、それなら私が! いつも通り、ええと……れんたい、保証人? でよろしいですよね???』


「フォールしてくたばったディーラーは、借金漬けになる」

 何故、貝塚クレアは銃を持たないのか。

 シンプルだが巨大な謎の答えは、こんな所にあった。

「復活なんて言えば簡単そうに聞こえるけど、コンティニューしたって借金が消える訳じゃない。でもって、マネー(ゲーム)マスターでは銃も車も防弾装備も全部金で売買する。心機一転、再出発するにはまずこの借金をどうにかしなくちゃならない。だろ?」

「……ああ」

 悔しそうに、だった。

 薄汚れたレインコートの奥で唇を噛み締め、そして男は叫んだ。

「だから、レッドテリトリーに流れ着いたヤツはまず最初に貝塚クレアから『紹介』してもらう!! あいつが、あの馬鹿な女がっ、勝手に俺達の借金を肩代わりしちまうんだよ!! 連帯保証人とか何とか言い出して……!!」

 当然、貝塚クレアは莫大な借金を背負う。

 人間一人がフォールして、手当たり次第に貪られての借金だ。下手すれば億単位の負債だってありえるはずだ。

 それでも構わずに、誰かの人生を後押しできれば問題ないと笑って。

「けど、そんなので済むはずがなかったんだ……」

「ああ」

「クレアは、借金を帳消しにする方法を知ってる。だから彼女は笑ってみんなの借金を背負っちまう。一人きりで、誰にも相談なんかしないで」

 そこで、レインコートの男の口が止まった。

 待つ必要はないだろう。蘇芳カナメはこう引き継いだ。


「つまり、自分からミスしてわざとフォールするのか」


 一般的に。

 フォールはゲームオーバー、つまり罰則として認識されている。一〇〇億スノウ稼いでいる大富豪でも、たった一度のミスで借金生活に転落する。そういう怖さがあるから、誰もフォールなんかしたがらないのだ。

 ところが。

 もしも、最初の最初から借金漬けの人がいるとしたら?

「フォールはペナルティだ。だけど借金生活になれば、AI企業が最低限の生活は保障してくれる……」

 呻くように、レインコートの男は言う。

「だからクレアは抱えるだけ他人の借金の抱えると、いい塩梅まで溜まったと判断したところで。どうすれば一回の死で最大金額を掴み取れるかを理解しているんだ」

 もちろん死んだら保険で復活、が誰でもできるならフォールの借金漬けなんて怖くない。貝塚クレアに肩代わりができる特別な理由があるはずだ。

「名義だよ」

 レインコートの男は短く切り返した。

「実際には単なる廃墟だが、この第三工業フロートの所有権は貝塚クレアって事になっているんだ。まだ潰れる前の、国際空港の持ち主としてな。つまりあの女が死ぬと空港全体が止まる、その莫大な損失を複数の保険会社が補填するって形になっている」

「運送保険、航空保険、責任保険、貿易保険、D&O保険……。ようは普通の人には縁のない法人用の保険が勢揃いって訳か」

 例えば空港側のミスで大型旅客機が一機着陸に失敗しただけで、三〇〇から五〇〇人もの乗員乗客やその遺族に莫大な賠償金を支払わなくてはならない。大量の燃料が海にばら撒かれたり、貨物コンテナで運んでいた美術品や工業製品を失うなど、他にも多方面にわたって様々な損失を埋める必要がある。だからこそ、普通の生命保険とは額が違うのだ。

 カナメの指摘にレインコートの男も頷いて、

「言ってもAI企業だからな。やり方さえ分かっていれば、巨大空港が最盛期で動いていると見せかけて支払い額を算出させる方法があるんだろう」

 巨大空港との一体化。

 法人、というより公共インフラ用の特殊を極めた保険パック。

 しかし結局、そんないびつな仕組みを使ってもクレア本人がお金持ちになる事はない。彼女はずっとスラムをさまよっているだけだ。何百億という損害を補填する事はできても、〇スノウ以上の稼ぎが生まれるようには契約していないのだろうか。平たく言えば、借金の帳消しはできても宝くじのように使う事はできないと。

「疑問に思わないんだ。撃たれて死んで、みんなを助けて。そんな事を笑って繰り返せるほど馬鹿なんだよ、あの女は。底抜けのな」

 一見すれば合理的に見えなくもない。

 一生富豪になる事を考えない。底辺なら底辺なりに幸せを見つけて借金と戦っていく。金稼ぎのゲーム、という固定観念を覆した、ある意味で賢い生き方なのかもしれない。

 だけど、この作戦にはある前提が抜けている。

 つまり、

「けど、その方法じゃ彼女は撃ち殺されないといけないだろ」

「ああ」

「限りなくリアルで、いくつかの例外を除けば痛みもカットできないマネー(ゲーム)マスターの中で、何度も何度も。こんなスラムじゃ特別なスキルのついた衣服なんて望むべくもない。そもそも痛みの感覚を切れば殺されても怖くないって話でもないだろうし」

「ああッ!! だからアンタが許せなかった! 身奇麗な格好して何も分かっていませんって顔で、クレアに自分の痛みを押し付ける!! アンタみたいな人間がッ! 前にもいたよ、アンタに似たがな!!」

 激昂し。

 起き上がりざまにナイフを抜いたレインコートの男だが、カナメは難なく手首を蹴って刃物を遠ざけ、その足を下ろさず即座に切り返して男の頬を強く蹴り飛ばす。

(……よりにもよって、俺とタカマサが似ている、ね)

 見当違いも甚だしい。

 確かにカナメは右も左も分からずレッドテリトリーにやってきたが、彼はフォールしていない。よって貝塚クレアが何を連帯保証しようが、一スノウの迷惑もかけてはいない。

(タカマサがレッドテリトリーをこのままにしていたのは、クレアの意志を尊重しているとでも言うのか……?)

 せめてそうであってほしい。

 タカマサだって家族を借金漬けにして辛い時期だったと思う。だけどAIとの闘争で目の前の悲劇が見えなくなっていた、とは考えたくない。

「何より、そのクレアにちゃっかり救ってもらったお前が、人のやる事に怒るだけの資格はあるのか?」

「……知らなかった。レッドテリトリーに流れ着いて、何が何だか分からない内にクレアに手を引かれて、気がついたらあんな事になってた!! 俺はっ、救われちまったんだよ!!」

 救われる事が、呪いとなる事もある。

 蘇芳カナメだって、クリミナルAOが凶弾に倒れたあの瞬間は今でも夢に見る。

 今はどれだけ敵対していても。

 妹を庇って、笑いながらフォールしていった友の顔を。

「ならあんたはここで何してる?」

 しかし、カナメは冷たく切り込んだ。

「クレアが全部背負ったんだろ。あんたの借金は帳消しになったんだろ。せっかく自由を手に入れたのに、いつまでこんな所でくすぶっているつもりだ?」

「……へっ」

 自嘲気味だった。

 蹴られて頬の内側を切ったのか。口の端から血が垂れているが、レインコートの男は拭いもしなかった。

 何故、レッドテリトリーにはマギステルスがいないのか。もっと言えば、彼女達が神殿と呼んでいるマシンが存在しないのか。そして、それらがディーラーにとってどんな意味を持つのか。一つ一つを考えてみれば、自ずと答えは見えてくる。

 つまり、

「あんた達は、誰かにマシンを没収されていたんだな」

「……、」

 沈黙があった。

 やがてレインコートの男はぽつりと呟いたのだ。

「電気のためさ」

「生活レベルに落差があると思っていた。犯罪組織の連中はスマホを持っているのに、あんた達は竈でパンを焼いて食糧を確保している。電気を使える人間と使えない人間で階層が分かれている訳だ」

「言っておくが、レッドテリトリーにまともな発電施設なんかないぞ。ここは見捨てられた土地なんだからな」

「だから、あんた達は……というか、親玉連中は自前で拵えた」

 そっと息を吐いて、カナメは答えを提示した。

「マギステルスを見かけないのは鍵のかかったトランクの中に詰め込まれているからか? とにかくヤツらはあんた達の車を奪って、そのエンジンを使って大量の発電機をずらりと並べている訳だ。冷蔵庫にエアコン、スマホにネット。自分達だけが文明人の暮らしを謳歌するために。あんた達はそのせいで、自分で自分の車を動かす事もできなくなった。つまり、ここでしかログイン・ログアウトできなくなったって事か。……何が『復活の地』だ、それじゃ誰もレッドテリトリーから卒業できないじゃないか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る