【Third Season】第七章 イノチ売りの少女 BGM#07”Girl in Trash Can.”《006》


   6


「ザウルス、一人で突出しないで! 車を回します!!」

「うるせえバカ! 歩きで逃げてる獲物なら狭いトコへ潜り込むに決まってんだろ!!」


 ザウルスは色々言ってはいるが、結局はMスコープのエンジン音が優先されたようだ。

 SUVの排気音が遠ざかっていくのが分かる。


(……装甲がある車の方を優先したって事は、同士討ち覚悟よりも安全優先か。あるいは、主要な通りにカメラでも置きに行ったのか……?)


 そして錆びた廃車の裏で息を潜めていた蘇芳カナメは、久しぶりに大きく深呼吸した。鼻の頭から痛みに似た感覚が消えていく。


「ふう……」


 そんな吐息の音だった。

 だがそれは、カナメの口から放たれたものではない。

 彼の腕の中にもう一人、見知らぬ少女が寄り添っていたのだ。より正確には、出会い頭にぶつかったところで何故かカナメが廃車の裏へ引っ張り込まれた、といった方が近い。

 カントリー系、とでも言えば良いのだろうか?

 ロングスカートと大きなエプロンを組み合わせた、赤毛を二本三つ編みにした少女だった。頭に巻いているのはバンダナ、というよりは料理用の三角巾だろう。左手の肘の辺りには、大きなバスケットの持ち手を通して提げている。

 歳はカナメと同じくらいか。

 ツェリカほどこれ見よがしなグラマラスではないが、素朴な顔立ちの整った美人だと思う。

 ロングスカートにエプロン。水着だらけの街にしては一見おっとり重装備だが、それにしては上着が存在しない。ビキニなどもつけていないようだ。なのでほんのり裸にオーバーオールの香りが漂っていた。


「ひっ、ひとまずこれでもう大丈夫みたいですね。誰に追われていたかは分かりませんけど、レッドテリトリーを歩く場合はもうちょっと気をつけないと!」

「あ、ああ」

「私は貝塚クレアって言います! あなたは?」


 そもそもゲーム内で登録したハンドルネームだ。さらに偽名を名乗る意味はないだろう。


「蘇芳カナメ」

「へっ? ふへえ!?」


 びっくりして後ろへ尻餅をつき、汚れた壁に二本三つ編みの頭を軽く打っていた。

 ぺたりとハの字で座り込んで両手を頭の後ろにやりながら、貝塚クレアは目をまん丸にして叫ぶ。


「あっ、ああああああの伝説のっ、あちこちでご活躍をお聞きする伝説のディーラー……蘇芳カナメえ!?」

「伝説……ね」


 それはタカマサや妹達と一緒に大暴れしていた頃のものか。あるいはブラッディダンサーに噛み砕かれた時のものか。

 淡い表情をしていたカナメだったが、時間は止まらない。


「必要とあらば一時間で一七億スノウ稼ぐ有力ディーラーさんですよねっ、おウワサは兼ね兼ね! ファンだったんです!!」

「は、はあ」


 一七億。どこから具体的な数字まで洩れたのやら。

 両目をキラキラさせていた赤毛の少女、貝塚クレアは何かに気づいたようだ。


「あれ? その腕……怪我しているじゃないですか! 大変!!」


 その場にしゃがみ込み、ガサゴソとバスケットの中を漁る赤毛の二本三つ編み少女。てっきりディーラーらしく銃でも入っているものかと思っていたが、そういう訳ではないらしい。普通に消毒薬や包帯が出てきてしまう。

 ロングスカートにはスリットがないので武器を隠しても取り出しようがないし、唯一異質とも言える裸にエプロンの辺りも苦しいだろう。横から見ると胸の下からおへそにかけてトンネル状に抜けてしまっているため、ここに銃を収めても丸見えになってしまう。


(どういうつもりだ……。この最悪のスラムを行き来しているのに、銃も車も持っていないっていうのか……?)

「ん? どうしました?」

「いや……」

「それより早く腕を見せてください。ひどい事になっていないと良いけど……うわ」


 勝手に人様の腕を取って袖をめくっておいて、自分で呻いていた。

 カナメは眉一つ動かさずに、


「見た目は派手かもしれないが、骨は折れていないし太い血管や神経もやってないよ。適当に止血しておけば塞がる程度だ」

「ここが錆で埋まったレッドテリトリーって事忘れていませんか? いけません、このゲームの中では破傷風なんかの感染症もばっちり再現されちゃうんですからね!」


 赤毛の二本三つ編みはわたわたと消毒薬のボトルを掴んで、


「沁みますよ」

「いやだったら別に無理してやらなくても」

「えいっ!!」


 軽く奥歯を噛み締める羽目になった。

 焼け付くような痛みが神経を蝕むが、ここで振り払うのも無粋だ。どさくさに紛れて毒や麻酔の類を流し込まれる可能性は低いと、根拠もなく判断したのはカナメ自身でもある。

 ただし、


「クレア……」

「あっ、はい!?」

「とりあえず、目を瞑ったままぶっかけるな」

「えへへ。ええと、傷口とか見るのは苦手なので」


 そう言えば包帯をぐるぐる巻いている今も、貝塚クレアは挙動不審で微妙に目を逸らしている気がする。

 だったら無理に手を出してほしくないものだったが、この手のお節介に理屈は通じない。騙し合い殴り合い上等のマネー(ゲーム)マスターには向かない人格のようにも見えるが、カナメが我慢してこの場に留まったのには訳がある。

 つまり、


「それより、スマホやタブレットは持っていないか?」


 彼としては、一刻も早くツェリカやミドリと連絡を取らないといけない。見知った少女達を野放しにしていると、パンくずを拾ってMスコープの罠の中に踏み込んでしまう。

 脱出ゲームでも推理ゲームでも思い浮かべるのは構わないが、自分で見つけたヒントほど疑うのが難しいという事は想像がつくだろう。そしてこういう話は、振り込め詐欺と同じで当人は気づきにくい。だからカナメの口からしっかりと止める必要がある。

 のだが。


「はい? んー、スマートフォンですか。レッドテリトリーでは珍しい品ですねえ」

「……ならここの人間は揃いも揃って時代遅れの固定電話でも使っているっていうのか?」

「あはは。公衆電話は見ての通り、片っ端から壊されちゃう定めですけど」


 ……通信手段が一切ないのに、ここの住人はどうやって仕手戦に絡んでいるのだ?

 家電なんて考えは最初からないらしい。が、スラム街レッドテリトリーは『そういう場所』なのかもしれない。これまでカナメはあまり関わってこなかったが、この地についてはあるウワサで知られている。

 もしも撃ち殺されてフォールされても、まだこのゲームでやり直したいのなら。その時は、恨みを持つ有力ディーラー達から身を隠すためレッドテリトリーに飛び込め、と。


(なるほど。一度は確実に殺されたタカマサのヤツがここを利用しているのは、単にコンテナの積み替えに便利だからって話だけでもないのか。探せばあいつの爪跡でも見つかるかもな)


 最下層。

 ハングリー精神の塊で構成された特殊フィールド。

 あの甘ちゃんのタカマサがシビアな計画を立てている事に違和感を覚えないと言えば嘘になる。ひょっとしたら、ここでそのシビアな部分を学んできたのかもしれない。

 ここの住人は、普通の金儲けを基準に考えていない。まず生き残り、戦うための準備を固める場所。そのための銃や車を調達し、最低限の体裁を整える『復活の地』。それだけでビジネスの輪が完結しているのかもしれない。

 ……実際そう簡単に『復活』ができるかどうかはさておいて、ゲーム内で撃たれて借金地獄へ転落する人間が常に一定数現れる以上、少なくとも需要は永遠になくならない。


(まったく、ミドリのヤツがここへ落ちてこなくて良かった……)


 カナメと知り合う前のミドリは借金漬けのまま単独でゲームの世界に飛び込んでいた。場合によってはいきなり難易度最大のスラムに足を運んでいた危険もあった訳だ。そうならなかったのは、ミドリ自身がルーキーもルーキーだったので、ゲーム攻略掲示板やSNSグループなどを覗くという発想がなかったからだろう。

 貝塚クレアは胸の前で両手をパンと叩いて、


「あっ、でも広場の方に行けば持っている人がいるかもしれませんよ! 外と取り引きしている人達がそんなの手にしていたような気がしますし!!」

「……、」


 最悪のスラム街で、多くの人が集まる場所。ここが連続フォールから抜け出せないデッド状態を免れて態勢を立て直す『復活の地』として活躍しているという事は、そうした陰険な金持ちディーラーどもを追い返す仕組みもあるはずだ。わざわざ高い金を払って買い取るほどの価値もない薄汚れたエリアをわざわざ武力で占領して、皆に煙たがられる事で『安全地帯』を構築している。


(金に依存しない、非営利のテリトリーか。一〇〇%の慈善活動って事はないだろうが、まだ仕組みが見えてこないな……)


 そんな中で、特権階級的にモバイルを持った人間と話をつけなくてはならない。

 電子で預金がいくらあっても、スマホやマギステルスがなければ支払いができない。銃も車も存在しない。今の蘇芳カナメは、とことん無力だ。二本の手しか使えるものがない。


(……一筋縄ではいきそうにないな)

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