【Third Season】第七章 イノチ売りの少女 BGM#07”Girl in Trash Can.”《004》


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 朦朧とする意識がはっきりしてくると、まず最初に感じたのは鉄錆臭い匂いだった。

 比喩表現ではない。

 血のたとえではなく、本当に金属の錆で満たされている。


「う……」


 呻いてみれば、体中の関節がギシギシと軋むのが分かる。

 埃っぽい部屋だった。おそらく鉄筋コンクリートではなく、プレハブか何か。壁際にはくたびれた木箱がいくつか詰まれているが、『ウィンチェル食品』や『グリモノア運輸』など買収されたり倒産したりと社名が消えた企業ばかりなのが物悲しい。カナメは部屋の中央にある椅子に座らされているが、両手は後ろに回され、椅子の背と共に粘着テープでぐるぐる巻きにされていた。

 拘束専用の手錠ではない。抜け出そうと思えば抜け出せそうだが、向こうもそんな隙は与えないだろう。

 一つは、


「……目が覚めましたか?」


 目の前に椅子を引っ張ってきて腰掛ける猫背の少年、Mスコープ。

 そして二つ目は、部屋の隅、対角線上に設置された三脚だ。……より正確には首振り式の軽機関銃が取り付けられていた。

 Mスコープは自分のスマホを軽く振って、


「赤外線とマイクロ波の複合型です。こう見えて専門は『待ち』とトラップでして。空港警備に使われるドローンキラーの基板を流用していますから、下手に動くと七・六二ミリ弾の連射でバラバラに吹き飛ばされますよ」


 そう言えば、全盛期の『銀貨の狼Agウルブズ』は半島金融街のあちこちに公共の防犯カメラに偽装した監視装置を勝手に取り付けていたか。もちろん個人でできる仕事量とは思えないが、基本的な仕様を決めたのは彼だったのかもしれない。


「ここは……?」

「第三工業フロート、中でも一等危険なレッドテリトリーです」


 元々は国際空港だったが、諸々の事情で管理会社や航空会社ごと潰れて無法地帯となったのが第三工業フロート。見た目に反してカジノなどがある方は比較的安全だが、もう半分……錆びと汚れで覆われたスラム街の方は、見た目通り立入禁止の危険エリアとなる。

 赤錆びた領土、レッドテリトリー。

 思い浮かべて、蘇芳カナメは小さく笑った。


「何だ、目的地か。いきなり騙し討ちなんてやらかした割に、フレイ(ア)のお使いはきちんと守ってくれるとは。まさかあいつに抱かれたのかMスコープ?」

「……彼の話は関係ありませんよ。ぼく達にとって一番使えそうな場所がレッドテリトリーだったというだけです」


 彼。Mスコープは性別不明な質屋の王をそう認識しているらしい。

 カナメは自分の慎重さを気取られないよう注意しながら、


「目的は?」


 本当は、こんな事をしている場合ではない。

 だがここを切り抜けない限りは、タカマサの『#閃光.err』を押さえるチャンスを失う。


「ただの復讐なら、車の中で頭に一発撃ち込んでいれば終わっていたはずだった。そっちの方が楽だった。だけどあんたはわざわざグリップで殴った。それとも、余計な苦しみでも与えたいクチか?」


 変に即死狙いじゃなかった事で、逆にカナメの『獅子の嗅覚』が鈍ったのか。しかし部外者が狙ってできるとも思えない。


「単純に、実務的な話です」


 こんな力関係でも、Mスコープの目は時々泳ぐ。

 椅子に縛って固定した相手であっても目を合わせられないようだ。


「ぼく達は、あなたにフォールさせられて借金漬けとなった『銀貨の狼Agウルブズ』のメンバーを助けたい。そのためには莫大なお金が必要になる。……あなたがやった事なのですから、あなたに背負っていただきたい。だとすると、正確な財産のデータが必要になる」

「スマホを奪った程度で預金を移せるほど甘くはないぞ」

「けど、今のあなたは身動きが取れない。つまり強制ログアウトのフォール状態と同じだ」

「……、」

「あなたが今売り買いしている注目の銘柄を全て調べ上げた上で、あなたの手から取り引きする権利を取り上げてしまえば、こちらはいくらでも食い物にできます。市場取引を利用してあなたの財産を毟り取り、借金漬けとなった仲間達へ配り直す。賠償を求めるのは、被害者として当然の権利でしょう?」

「けど、それだと前提が間違っていないか?」

「ええ」


 率直に、猫背にリュックの少年は認めた。


「ディーラーがログアウトしたってマギステルスが設定された通りに自動取引を繰り返しますからね。マネー(ゲーム)マスターが投資や経営学に詳しくないビギナーにもウケているのはこういうところにあります、過信すると痛い目を見ますけど……。そういう意味では、今のあなたはまだフォールと同じ、とは言えないのかもしれない」


 この時点で。

 何が言いたいのか、カナメにも分かってきた。

 じとっとした目で猫背の少年がこちらを見る。


「ですが、それもマギステルスの身柄を押さえてしまえば同じ事です。あるいは、殺して『ダウン』を取ってしまえば」

「お前……」

「ちなみに、あなたをここへ連れてくるまでにSUVであちこち回っておきましたから、ウワサになっているかもしれませんね。適切に調査と追跡を続けていれば、やがてはここへ辿り着くでしょう。常夏市の中でも最も危険なスラム街、レッドテリトリーへ」


 くすりと。

 小さく、それでいて暗い笑みを浮かべてMスコープは続ける。


「そうなったら、果たしてディーラーの指示なしのままマギステルス単体で切り抜けられるでしょうかね。あるいは、あなたが拾ったルーキーの霹靂ミドリを戦力に組み込んだとしても。ぼくの予想では、おそらくレッドテリトリーに入ったは良いものの、ここへ辿り着く前にトラブルに巻き込まれて殺害されると思いますけど」


 ざわり、と。

 蘇芳カナメの背中から、得体の知れない殺気が立ち上る。


「つまり、そういう事です」


 実際のところ、注目銘柄さえ聞き出せれば今すぐカナメの頭を撃ち抜いても『市場経由で財産毟り取り』はできる。ディーラーがフォールしてしまえば、契約しているマギステルスの手による取引も二四時間シャットダウンされてしまうのだから、わざわざ個別にツェリカを殺す理由は特にない。

 それでは許せない。

 というのは、やはり個人的な動機が絡むのだろう。


「……正確なリミットは不明ですが、行動するなら早くした方がよろしいのでは? 自分から財産を譲るなら、早急にあなたを解放します。しかし拒むなら、最強最悪のスラム街があなたの大切な人達を殺す。何しろ、ような治安レベルらしいですからね? そして、マギステルスが死んで『固まって』から市場経由で財産を毟り取っても、ぼく達は困らない。何もね。どちらを選ぶかは、あなたにお任せします」


 ゆっくりと、だ。

 蘇芳カナメは椅子に縛られたまま、息を吸って吐く。

 そして言った。


「そうだな……」


 しかし。

 獰猛に笑って、だ。


「動くなら、早い方が良い」


 自由になった両手を振ってカナメは断言する。

 手を縛っていたのは粘着テープだった。

 ロープのように結び目を作っている訳ではないので、手首を回すような動きを繰り返すだけでも粘着面を疲弊させる事はできる。そこさえ何とかなれば、布の筒から腕を抜く要領で拘束は解けてしまう。

 そして当然、だ。


「死にたいんですかっ、あなた!! それでも構いませんけどっ!!」


 叫び、真正面の椅子に座るMスコープがスマホを操作する。

 即座に部屋の対角線上に三脚で固定してあった軽機関銃が首を振る。マイクロ波と画像認識が正確に獲物を捕らえる空港警備のドローンキラーの基板を流用しているから怪しい動きをすればバラバラ、と警告は受けていた。

 だけど何事にも例外はある。

 例えば、


「っ」

「どうしたMスコープ、とやっぱり怖いか!?」


 強く踏み込み、半ば肩からタックルでもぶつける格好で、Mスコープを腰掛けていた椅子ごと吹っ飛ばす。二人で揉みくちゃになってしまえば、威力の高過ぎる首振り機銃は使い物にならない。

『獅子の嗅覚』はまだ反応しない。

 このレールから外れなければ、生き残れる。

 そもそも無人制御の機銃に囲まれるなんて、仕掛けた本人だって怖いはずだ。機械の精度なんて案外いい加減で、万引き防止ブザーの誤作動くらい誰だって経験があるだろう。だから顔認識とでも連動したセーフティを必ず用意している。


(銃はっ、くそ、スマホもないか!?)


 床の上を転がりながら、今さらのようにカナメは舌打ちする。なので首回りのネクタイを外した。必要とあらば、これでも人は殺せる。

 その時だった。

 埃っぽい部屋に踏み込んできた人影が、もう一つ。


(ザウルス!!)


 ここにきて、だ。

 鼻の頭で静電気にも似た痛みがジリジリと膨らんでいく。もちろん極大の警報だ。


 たすタスっ、ぱしプシぱし!! と。


 拳銃でも、消音器を使って隠した訳でもない……圧縮空気みたいに奇妙な音が響いた。

 そしてMスコープの首を締め上げようとしていたカナメの右腕、二の腕の辺りに灼熱の痛みが走り抜ける。


「がああっ!!」

(釘打ち機……!? そういうディーラーなのかっ)


 立て続けに二、三本突き刺されたが、致命傷にはならない。当たり前だ、よほどの急所でもない限り釘を打たれた程度で人は即死したりはしない。ひたすら悪趣味な画になるだけだ。

 そしてザウルスとしても、そんな半端な武器に自分の命を預けるつもりはないらしい。

 がらんという音があった。

 逆の手で引きずっていたのは……木製のバット。

 そこへ立て続けに釘打ち機で鉄釘を打ち込んでいくと、ようやっとカナメにも意図が掴めてきた。


「釘バット……」

「見た目と違って結構頻繁に抜けちまうもんでな、リロードの代わりにこういう小道具があった方が便利なんだ」


 一瞬、タカマサのようなクラフト系かとも思ったが、カナメは即座に考えを改める。工具と言っても用途は一つか二つ、それも目の前の殺傷力が最優先。ザウルスはそこまで複雑な使い方をしようとは思っていないはずだ。

 にたりと笑って。

 一本三つ編みの少女は突起だらけとなったバットを手首の返しでくるりと回す。


「でもって私はナイフなりショットガンなり、とにかく近接専門。この距離なら即死だよ、アンタ」

「チッ!!」


 至近距離なら銃よりナイフの方が強い、というのはほぼ幻想だが、その銃がない状況では仕方がない。カナメは舌打ちするとMスコープをザウルスの方へ蹴り出し、反動を利用して首振り機銃にカバーされた人質部屋の外へと転がり出る。

 似たような錆びた倉庫を直線通路で繋いだ施設らしい。間取りだけ見れば複数の教室と一本の廊下で構成された学校の校舎に近いかもしれない。


(とにかく武器っ)


 にゅっ、と廊下の奥、角から誰かが現れた。

 水色の着物を着た少女は、雪女辺りのマギステルスか。ただしおかしい。肩に担いでこちらに向けているのは和風の妖怪らしからぬ、


「ロケット砲!?」


 鼻の頭の痛みに判断基準を預ける。汚れて透明度のほとんどなくなった窓ガラスを突き破る格好でカナメが建物の外へ転がり出た直後に爆音が炸裂した。爆風に細かい破片、重たい死の嵐を何とかしてかわしながらも、彼は冷静に優先順位を考える。今のカナメは正真正銘の無手、銃弾一発すら持っていない状況だ。


(契約ディーラーのいる建物の中でも容赦なしか! どういう育て方しているんだ!?)


 銃、車、金、それにマギステルスや仲間のディーラー。

 本当に何もない。


(それ以上に通信手段!!)


 黙っていると、異変に気づいたツェリカやミドリがここへやってきてしまう。

 Mスコープの言葉を鵜呑みにするつもりはないが、リスクが高いのは事実だ。レッドテリトリーに踏み込んでいらない銃撃戦に巻き込まれた場合、二人が凶弾で倒れる恐れがある。それにMスコープとザウルスがカナメを見失った場合、手近な誰かに獲物を変える可能性だって。

 心配した少女達が到着する前に。

 ここへは来るなと伝えなくてはならない。

 ……だとすると、スマホがないのがいよいよ痛い。突き刺さったままの釘を二の腕から引き抜いて傷口にネクタイを縛り付け、やたらと狭い裏通りを走る。路面にプリンの容器よりも大きくて不自然なプラスチックの出っ張りがあるのは、空港時代の滑走路誘導灯の名残か。ボロボロになった公衆電話を見つけると受話器を掴み取る。が、耳に当てても何の音もしない。ちょっと調べてみると、プラスチックカバーが砕けて小銭が丸ごと引っこ抜かれていた。


「くそっ!!」


 追っ手も馬鹿ではない。

 分かりやすい足音など立てないが、的確にこちらを追ってくるだろう。


『風向きが……マギステルスを下げてくださいザウルス! オートで任せるのは危険です!!』

『だから釘打ち機にすりゃリスクを下げられるっつったろうがよ!!』

(……?)


 カナメは使い物にならない受話器をフックに叩きつけつつも、頭の中で疑問を持っていた。そして気づく。鼻につく違和感はいつもの『獅子の嗅覚』とは違う。

 普通に生活しているだけでは感じる機会もないであろう、奇妙な薬品臭の正体は、


(アセチレンガスか何かが漏れてる?)


 本来なら溶接や溶断に使う代物だ。盗んだ車の解体でもお馴染み。単独でそこまで派手にはならないが、可燃性なのは間違いない。元々錆びて老朽化したボンベでも転がっていたのか、さっきのロケット砲の振動で容器が傷ついたのか。細かい風向きを読んで濃度を理解していないと、引き金と共に飛び出たマズルフラッシュ一つで炎に巻き込まれかねない。

 見えない罠に助けられたが、喜んでもいられない。

 ルールを知らない人間は銃に頼る事すらできない、となるとやはりこんな所にミドリやツェリカを踏み込ませる訳にはいかない。そのためには連絡手段が必要だ。カナメはとにかく距離を取る事にした。裏路地から別の通りへと飛び出して……。

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