【Second Season】第六章 伝説と呼ばれた少年達 BGM#06”Dead Shot”.《006》
突っ込んだ。
カーボン素材の車体は両開きの大扉をぶち破って建物の中に飛び込み、二体一組、素っ裸の女神像の台座に激突してようやく動きを止めた。
「くそ……。生きてるか、ツェリカ」
「とっととダウンできない自分を呪っておるところじゃ……」
そしてエアバッグに顔を突っ込んでくつろいでいる場合ではない。
バォン!! と派手なエンジン音を鳴らし、赤い紅葉柄の大型バイクが大理石のロビーへ飛び込んできたのだ。
「無事!?」
「……そのまま逃げていれば良かったものを」
カナメは呟きながら、座席の下にあった非常武器のバールを引っこ抜いた。車の外に出ると、大型バスや護送車を改造したような災害時基幹放送中継車に横からぶつけられて歪んだトランクの扉を強引にこじ開ける。
怪物ショットガンの『#豪雨.err』。
身の丈を超える対物ライフルの『#火線.err』。
羽毛のように軽いガトリング銃『#龍王.err』。
それから地形限定で障害物を透過する迫撃砲『#落雷.err』。
現状、こちらの手にある『遺産』は都合四つ。潰れたトランクと一緒に壊れなかったのは幸いだった。単純な戦力としても有効だし、置き去りにしてむざむざブラッディダンサーに拾われてしまうのは最悪だ。
「ミドリ、マギステルスの冥鬼は呼び出せるか?」
「今日は調子が良いから、ノイズはないみたいだけど……」
ミドリは柔らかい掌でバイクのタンクを軽く叩くと、ミニチャイナのマギステルスが後部シートの辺りで浮かび上がる。
「なら『#火線err』を頼む。ツェリカは『#豪雨.err』。ミドリは『#龍王.err』だ」
「えっ、『#落雷.err』は!?」
「遮蔽物をすり抜ける性質を持つとはいえ、そもそも屋内戦闘の距離感じゃ曲射弾道は使い物にならない。手の空いているヤツに背負わせておけ!」
あのブラッディダンサーが『遺産』に頼るとは思えないが、ヤツはヤツで拾った重要アイテムをAIどもに売り飛ばしてしまう。せっかく集めた『遺産』をどぶに捨てる事はあるまい。
『遺産』は便利だが、一人でいくつも抱え込んだところで効果の重ね掛けはできない。『#竜神.err』と『#火線.err』を同時に装備してもガトリング銃の射程が伸びる訳ではないのだ。となると小分けにした方がコスパは良い。
(さて……)
武器の向き不向きと言うより、発泡素材のように軽いガトリング銃をミドリに持たせるのはまず必須だった。そしてカナメは自分の短距離狙撃銃『ショートスピア』を掴むのが素直に一番戦いやすい。そもそも二つ折りの『#火線.err』はかなり重たいので、流れ弾が一発当たればそこでおしまいな人間に抱えさせたくない、という事情もある。
そうなると、残りはマギステルスの二人へ預けるのが妥当になる。ツェリカにリボルビング式グレネードに似た大口径ショットガンを渡したのは、カナメとツェリカで二人とも狙撃銃を持ってしまうと『近距離が死角』になってしまうからだ。
二丁拳銃にグレネードまで装着したブラッディダンサーは、そういう距離感を最も得意とする。もちろん、あの狂気の達人相手に『それだけ』だと考えていると足をすくわれるが。
ヤツは単身で二つの銃と二つの砲を正確に操る化け物だ。ウェアラブルスピーカーとハードロックさえあれば要塞や軍艦を落とせるケタ外れの怪物に、まともな戦術など通用しない。
カナメは自分の銃を取り出すと、ゆっくりと深呼吸する。
それから自分の首に空いた手の指を掛け、痛みを半減させるスキル『レデュースペイン』のついているネクタイを一息に取り去った。
「おいっ、旦那様!?」
「……最初からスキル頼みじゃダメだ。ヤツと同じ領域には立てない」
爆発したような背中の痛みに奥歯を噛み締めながら、しかし、カナメはこう考える。
『レデュースペイン』は便利過ぎて投機の対象になるくらいのスキルだが、先ほどのカーチェイスでは一瞬だけ判断が遅れた。カラミティスタジオ、ヤツが振り回す超重量の災害時基幹放送中継車にぶつけられなければ、こんな展開にはならなかったはずだ。
つまり、
(ゼロからディーラーとしての自分を構築する。その上で積み重ねるんだ。タカマサから借りている『遺産』も、自分で繋いでいった仲間も。……俺は、ブラッディダンサーが持っていないものを持っている。当たり前に流すな、俺は恵まれているんだ。そのありがたみを正しく自覚しないと、ヤツには勝てない)
「ツェリカ、新しいネクタイを。スキルがついていないヤツだ」
「ええいっ、相変わらず血まみれの道一直線だのう。今結んでやるから待っとれ、そこ動くなよ」
為すがままにされながら、カナメはこう考える。
便利なだけのぬるま湯ではヤツと同じ世界には立てないし、一人で孤独に戦えばヤツと同じ世界に囚われる。どちらにしても、両極端では待っているのは破滅だけ。正しいバランスを保つためにも、ここはいったんスキルを切るべきだ。
『レデュースペイン』に奪われた一瞬の速度差には、永遠に等しい価値がある。
痛みなら耐えられる。
それが大切な人を守るための力に転化すると分かっていれば。
「とにかく奥へ」
「何ここ? 博物館???」
「つか、そもそも扉ぶち破って私有地に飛び込んでおるのじゃぞ。建物に留まれば敷地を守るPMCから蜂の巣にされるっ!!」
「何も考えずにブラッディダンサーとかち合うのとどっちが良い? 来るんだ、少しでも準備を固めるぞ!!」
獅子の嗅覚が確実な危機を訴えていた。
見た目の内装はクラシックな洋館に近い。未知の建物なので見取り図の検索もできなかった。モバイルウォッチに表示したミニマップも、自分で踏破した部屋しか表示してくれない。
カナメのクーペがぶつかった二体一組の女神像はホールの中央部分にあり、そこからさらに奥に受付カウンターがあった。表示を見る限り夕方時点で閉館しているようで、周りに人間の客やAI制御の受付嬢などは見られない。……とはいえ、夜間警備までゼロという事はないだろうが。
階段は無視。
こちらはこの建物に籠城して運命を共にする必要はない。何だったら通路を通り抜けて裏口から抜け出してしまっても構わない。そうなると自分から『高さ』を確保しても、逃げ道を潰してしまうだけだ。一階部分なら全ての窓から外へ出られる。そうなると上はもちろん、下に向かう地下への階段なども論外だ。
よって、妥当に無難に建物の奥へ向かおうとした時だった。
バッッッゴッッッ!!!!!! と。
扉どころか表通りに面した壁を丸ごと薙ぎ倒す勢いで、直方体の災害時基幹放送中継車がそのまんま突っ込んできたのだ。
ただでさえクラッシュしたミントグリーンのクーペがカナメの背丈よりも巨大な石材の塊に押し潰されていくのを眺め、ツェリカが歯噛みした。
「……野郎ぶっ殺してやる!!」
「ダメだツェリカ、冷静さを見失うなッ!!」
無理矢理にでもほっそりした手を引っ張って、カナメは奥へ向かった。
車は使えない。
金の力も支払う先がなければ効果を発揮しない。
残るは銃と生身の体だけ。
いよいよ二つの銃と二つの砲を同時に操るブラッディダンサー好みの展開になってきた。
「はあ、はあ」
「ねえ……」
「くそっ、大丈夫だ。大丈夫……。今度はもうやられない。ここはあの廃墟の奥とは違う……」
「ねえってば!! これからどこに向かうの? 作戦とかは!?」
間近でミドリに叫ばれて、カナメはハッと我に返った。
どうやら調子を乱されているのはツェリカだけではなかったらしい。背中を撃たれているから、というだけでもないだろう。自分のコンディションというのは自分で思っているより複雑なものだ。『ストレスケア』のスキルに頼らないと、自分で決めたはずではなかったか。
先ほどとは印象が変わった。赤絨毯の敷かれた長い廊下が待っていたのだ。
おそらく本来なら順路を示す矢印看板やイヤホンをつけて楽しむ音声ガイドなどがあるのだろうが、閉館時間を迎えているためそういったサービスはない。廊下のあちこちに大部屋と繋がった扉があるものの、どういうコースで一巡していくのかは読み取れない。
その時だった。
見えない拳で鼻っ柱を殴られたように、獅子の嗅覚が爆発する。
じゃか、じゃか、じゃか、じゃか、と。
首回りに取り付けたウェアラブルスピーカーのハードロックと共に、真後ろ、通路の奥から陽気な声がかかった。
「よお!!」
「チッ!!」
決断はシビアだった。
いくらカナメでも三人抱えて動くのは無理だ。マギステルスは撃たれても一時的に固まるだけだが、人間のディーラーは致命的なフォール状態に陥る。ゲームの中でしかできない取捨選択のロジックがカナメの全身を貫く。少年は即座に黒髪ツインテールのミドリを突き飛ばすようにして、手近なドアの奥へと飛び込んでいく。
床に倒れ込みながら、カナメが叫ぶ。
「ミドリ、廊下の天井だ!!」
パパンパン!! と銃声が廊下の方から炸裂した。
狂気の弾丸からAI制御のマギステルス達を守るため、押し倒されたままのミドリが発泡素材のように軽いガトリング銃を廊下側に向け直し、その猛烈な連射でもって壁と天井をまとめて崩していく。
滝のような障害物で拳銃弾を強引に押さえ込む。
ワンテンポ遅れて、ビキニトップスやミニスカートを組み合わせたツェリカとミニチャイナの冥鬼がこちらへ踏み込んできた。
ただし、
「冥鬼っ!?」
特に応じる声はなかったが、その右肩が的確に撃ち抜かれていた。ツェリカもツェリカで、抱えた『#豪雨.err』床に投げ出し、へたり込む。
ヒートアイランドの熱帯夜とは別に、その額には珠のような汗が浮かんでいた。
レースクイーン衣装と言ってもビキニトップスとミニスカートに、ファーのついた丈の短いジャケットを羽織った程度だ。
剥き出しだった。
片手で押さえた右の脇腹辺りから、赤い液体が溢れていたのだ。
「……そんな顔するでない。旦那様の選択は正しかった。わらわ達はマギステルスだったから、この程度で済んだのじゃ……」
そうではない。
理屈でしか動けなかった己が蘇芳カナメは許せないのだ。
ブラッディダンサーは最初に声を掛けずにいきなり撃っていれば、四人の誰か一人くらいは射殺できただろう。『遺産』のガトリング銃を使って天井を崩した時だって、逆にこうも急所を外す方が不自然だ。我流のまま針の穴を通す二丁拳銃を極めたあいつの腕なら、全く同じ技術で脳天や心臓を撃ち抜く事さえできたのではないか。
あいつは。
ブラッディダンサーはいつでもそうだった。
破天荒という意味ではカナメ以上で、オープンワールドの自由度を良くも悪くも最大限に使いこなす。あの怪物には届かない。追い着けない。少年の見ている前で大切なものを一つ一つ傷つけて、ズタズタに引き裂いていく。妹やタカマサの次は、残された親友の妹や世界に二人といないパートナーまで。
(殺す……)
静かに、であった。
しかし限界を超えた奥歯が、彼自身の力によってバキリと噛み砕かれた。
怒りのレベルが、ゲームの域を超えた。
(もう良い。主義も主張もどうでも良い。理由なんていらない。ブラッディダンサー。ヤツだけはこの手で必ず殺す!!)
「よーおー!! どうしたカナメ、俺を殺すんじゃなかったのかあ!?」
「ダメじゃ旦那様。奥に向かえ、自家生産のトラウマに縛られるな」
ジャカジャカジャカ、と首回りのウェアラブルスピーカーから溢れるハードロックがカナメの鼓膜と心臓を叩いてくる。
「これじゃああの時と変わらんなあ!! 今度は誰に庇ってもらうつもりだ? 使い捨てるのはどなたかな? 身代わりいっぱい溜め込んだかなあ!!」
「ここはあの時の廃墟ではないっ!! ヤツに吠え面かかせたければ考えろ、旦那様! わらわに冷静さを見失うなと言った旦那様自身が思考を捨てるでない!!」
んっ、とミドリが掛け声を放った。
ハンカチで縛って冥鬼の肩の傷を強引に止めたミドリが、今度はへたり込んだツェリカの腕を取って肩を貸したのだ。
そのままカナメを睨みつけて叫ぶ。
「言ったわよね、命を懸けても私の身を守るって。だったら自暴自棄なんて許さない。命令するわ、何があっても私達を守って!!」
言葉で頬を叩かれたようだった。
それでようやっと、蘇芳カナメの意識が遊離状態から現実へと帰還する。そうだ、怒りに任せて突撃するのが許されるのは、彼の命が彼のものである間の話だ。タカマサに妹を救ってもらった。その恩を返すため、ミドリを守ると誓った。自分の復讐よりも優先すべきは他にある。
大金を掴んで人の心を忘れた怪物に落ちるのは容易い。そんなの単なるAI社会の奴隷だ。
英雄に人生を救ってもらった。
自分もそんな『人間』になると決めたはずだろう。
「……良い目になったわね」
レースクイーン衣装のツェリカに肩を貸して起き上がらせながら、黒ゴス調のフリルビキニにミニスカートのミドリは笑った。
どこか、古い友を彷彿とさせる笑顔だった。
「あのモンスターを見逃せなんて言わないわ。あの野郎をフォールに追い込むなら、ゲームに勝ってみんなで生き残る方法で考えて。もちろん、あなたが欠けるのも許さない」
「ああ……」
「兄はあなた達の英雄だったかもしれない。だけど一つだけ間違えた。それはあなた達に、自分の死の重みを背負わせてしまった事よ。その苦しみが分かるなら、絶対よそには押し付けないで。完勝して全員で生きて帰るの、分かった!?」
「ああ、もちろんだとも。もうこれ以上、あんな野郎に好き放題奪わせてたまるかっ! 一つたりともだ!!」
ホラーがスリルに置き換わる。
蘇芳カナメの胸の内で、強烈な炎が点火していくのが分かる。
手持ちの武器は限られている。『遺産』三つを使って真正面からゴリ押ししても、ブラッディダンサーという怪物はそこらの市販品を使って、容赦なく押し切るだろう。そういう方法では勝てない。銃撃戦はヤツのフィールド。わざわざ同じ土俵に上がって得をする展開は何もない。
「分散するぞ」
短くカナメは言った。
とにかく時間がない。ウェアラブルスピーカーのハードロックに合わせて、だんだだんっ!! という銃声が廊下の方から響いていた。基本的に、無尽蔵に増援が湧いて出る高火力高耐久のPMC軍団と撃ち合いをしても敵わない。そんな前提を覆し、博物館の夜間警備を皆殺しにしているのだろう。鼻の頭をジリジリと炎で炙るように、獅子の嗅覚が強くなっていく。
ほんの暇潰し。
鼻歌でも歌いながら。
「ミドリはそのままツェリカを支えて奥へ。可能なら止血してやってくれ。この環境じゃ使い物にならない『#落雷.err』も頼む。自由に動ける俺と冥鬼は別々の方向からブラッディダンサーを狙い撃つ。冥鬼、『#火線.err』は使えるな?」
元々まともな対話のできないマギステルスなので、その無表情からはいまいちイエス、ノーのサインを掴みにくい。二つ折りの対物ライフルは相当重たくて扱いにくいはずだから、きちんと言葉で確認を取らないと不安も残る。だがミドリがこう請け負ってくれた。
「問題ないって。私が許可するから、その子へ自由に指示出しして」
「分かった。ミドリ、あんたはツェリカを連れて奥へ。……冥鬼良く聞け、ブラッディダンサー相手に普通の撃ち合いへもつれ込んでもこちらが殺されるだけだ。人の数とか兵器の質とかそんな話じゃない、とにかくブラッディダンサーはそういう怪物なんだ。覚えておいてくれ」
「……、―――」
「その上で言うぞ。二方向から同時に狙撃してヤツを確実にフォールする。初手で仕留められなければ次はない。いいか。二発目は、ない。ブラッディダンサーを動かすな。そもそも『戦い』の形になってしまったら負けだと思え」
しかし冥鬼は人の話を聞いているのかいないのか。
どこか緩慢に視線を泳がせているミニチャイナの美女は、カナメよりも周囲を注視しているようだった。カナメもカナメで、誘われるようにぐるりと辺りへ目をやる。四角い大きな部屋だった。壁際にはガラスケースが並び、間接照明で照らす仕組みらしい。廊下に面した一面だけ壁が崩れているため、ガラスケースも壊れて『中身』が表に転がっていた。
マグナム拳銃に、水中銃に、カービン銃。
どれもこれも銃器というのは随分と偏ったコレクションだ。
いいや。
ガラスの破片と共に、近くに転がっている金色のプレートに刻まれた文字を見る限り、
「『#豪放.err』に『#海蛇.err』、それから『#貫通.err』……」
心臓が縮んだ。
改めてカナメは周囲へ目をやって、
「嘘だろう。ここにあるもの全部が全部、タカマサの『遺産』だっていうのか!!」
「おいおいおい。何の意味もなくこんなトコに車突っ込ませたとでも思ってんのかあ?」
いきなりの声だった。
カナメはとっさに短距離狙撃銃の『ショートスピア』を廊下の方へ突き付けたが、その視界を遮るようにしなやかな影が飛び込んできた。
じゃかじゃかじゃかじゃか、というハードロックが後から遅れて聞こえるほどの錯覚。
南米辺りのギャングでも参考にしているのか熱帯夜でも耐えられる薄手のスーツを纏った、マギステルス以上の怪物。単身で二つの銃と二つの砲を同時に操るモンスター。
獅子の嗅覚が暴走する。
シュコン!! というスパークリングワインの栓を抜くような音があった。
直後に放たれたグレネードが容赦なく破裂する。
「があっ、あ!?」
叫んで薙ぎ倒されるが、本来ならそんなものでは済まないはずだ。爆風を利用して半径五メートル以内に致命的な破片の雨を撒き散らすグレネード。特に密閉された屋内で効果を発揮するこの兵器を前にしたら、身を隠すものがないと即死は避けられない。
ならばどうして蘇芳カナメは助かったのか。
薙ぎ倒されたまま、それでも短距離狙撃銃の『ショートスピア』を手放さずに、震える声でカナメは叫ぶ。
「シンディ……ッ!?」
「結局お前って庇ってもらうしかねえのな?」
怪物が無造作に傷を抉りながら、メチャクチャになった室内に踏み込んできた。
固まっていた。
それこそ砕かれた女神像のように不自然なポーズで横に倒れているのは、ダークエルフのマギステルスだった。本来ならカナメの妹が退会したタイミングで(単純に街の外か、目には見えない魔界でもあるのかは知らないが)どこかへ引っ込むはずだった少女。瞬き一つできず、しかし固定された視界でこちらの無事を確かめた彼女の顔が、無造作に踏みつけられる。首回りに装着したウェアラブルスピーカーから響くハードロックに身を委ねながら。
「すげえー。自力で『軛』を破りやがった」
まるで。
何の変哲もない瓦礫を踏むように。
「あの時はモヤシ野郎だったからサマにならなかったけどよ、こういうのは女がやった方が奇麗に収まるよな? 種族の違いとか乗り越えるとなお良い。美談だ、美しい! おら、感動をお届けしてやったんだぜ。ちったあ泣いてみたらどうなんだ、あァ!?」
「ブラッディダンサー……ッ!!」
「遊ぶなら本気だろ!! 『二発目』なんぞ恐れてちんたら襲撃準備固めてんじゃねえ。無駄弾なんかいらねえよ。この一発、真正面からの撃ち合いに命懸けろや!!」
近距離で互いの銃口が跳ね上がった。
だんだだんっ!! と分かりやすい銃声に紛れて、カナメの側からも消音器と一体化した銃身から銃声の消された四五口径弾丸が空気を引き裂いた。
時間が止まった。
首のウェアラブルスピーカーからのハードロックだけが両者の間に流れていく。
ぶしっ、と。
赤い血が散った。ブラッディダンサーの右耳にわずかな傷が走っている。
初めてのヒット。
これだけで十分に褒められるべき偉業だ。その実力を知る者が目撃していたら、あまりの驚きで喉が干上がっていたかもしれない。
ブラッディダンサーもまた、肉食獣のような笑みを浮かべる。
敵を認めるために。
「……イイ速度だ。初めてだ、ここにきてつまんねえ予測を超えた展開ってヤツだぜ。獣の速さを手に入れたな、カナメ。ようやくスキル頼みで無駄の多いイージーモードから抜け出しやがったか」
しかし、だ。
実際に苦悶の顔と共に膝をついたのは、カナメの方だった。
獅子の嗅覚すら、遅れた。
「だけどもうちょい横だぜ。それじゃあ俺は殺せねえ」
「……ッ!!」
特別な回避スキルを使っている訳ではない。そもそもヤツは既存のスキルになど頼らない、だから決められた動きの外へ平気ではみ出る。道具を磨いた結果の『遺産』ではない、人間そのものを鍛えた末の究極の形がここにある。
これだけかき集めておいて。
『遺産』という安易な攻略法など一度も試そうとはしない。本人は我欲の塊のくせに、外からの誘惑についてはとことん強い。
「一つ一つ説明してえんだからちょっと待てよ、落ち着け、がっつくな! そもそも気にならねえのか、ここに山積みされた『遺産』の山とかよ」
「お前がタカマサをフォールして、さらにあいつの持ち物までかき集めたって事か?」
「ハイエナだのハゲタカだの死体漁りみたいに言うなよな。一応これでも依頼の形なんだぜ? つっても、話を持ってきたのはAI連中だけどな」
「分かっていて……」
もはやまともに立ち上がる事すらできないまま。
しかし、カナメは倒れない。
片膝をついてでも、荒い息を吐いてでも、どうあっても。
ある意味、怪物の言う通りだ。物理的に痛みを半減させる『レデュースペイン』や精神の重圧を緩和する『ストレスケア』に頼っていたら、きっと、ここまでの執着は生まれなかった。互いの数値を見比べてダメだった時、そこで諦めるようではケダモノの領域に立てない。
「マギステルスの総意が俺達人間を踏み台にして、もっと上の領域まで支配しようとしていると知っていて……!!」
「どおーでも良いよ。マネー(ゲーム)マスターで遊べれば」
片方をカナメに、もう片方を冥鬼に。
薄手のスーツで身を固めた怪物は左右それぞれの拳銃を突き付けながら、にたりと笑う。
「逆にさあ、お前、このゲームがなくなったらどうすんだ? リアルの世界だけでやっていけんのか。俺もお前も同じだよ。マネー(ゲーム)マスターっていう異世界があるから輝いてんだ。取り上げられたら何にも残らねえんだよ。リアルな世界での俺がどういう人間か知ってるか? 想像もつかねえだろ。そういう事だ。もはや血と肉になっているんだよ、このゲームは」
「……、」
「難しい事なんか考えたくもねえ。ただ頭ん中空っぽにしてひたすら撃ちてえんだ。だっつーのに人間もAIも余計な事にばっかりお利口な頭を使いやがって、面白くねえ。あの時だってそうだった。スイス恐慌。だから何? リアルの世界で何千万人が職を失って食うものにも困りますとかさ、知らねえんだよ。金なんか集まる所に集まるし、勝ち続けてりゃ後からついてくるもんだ。俺は、ゲームで、遊びたい。これだけ楽しいゲームが目の前に広がってるっつーのによ、何で誰かに遊び方を制限されなくちゃあならねえんだ。あ?」
「正気じゃない」
ごくりと、唾を飲む。
ブラッディダンサー。初めて会った時から狂っていたとは思っていた。
こいつは現実とゲームの区別がつかない狂人とは違う。
区別をつけた上で、だ。
「……これだけ悪夢を広げられて、まだ言い切るかよ。頭の中を空っぽにするだなんて」
「俺は全ての『遺産』を集める」
明確な宣言であった。
マギステルスだのAIだのではない。
ヤツらとはまた違う、世界全人類の天敵。人智を超えた悪魔のゲームの恐ろしさを理解しておきながら、それでもそいつは笑って確かに言った。
蘇芳カナメともクリミナルAOとも違う。
ブラッディダンサー。スキルも『遺産』も使わない、他のディーラーやマギステルスとも手を組まない。まさしく、一騎当千。体一つで孤独に戦うというスタイルが最適という、他に類を見ない破滅的な天才。
「その上で、AI連中に全部渡す。くだらねえ、変に天秤が揺れているから引き返そうとするんだよ、人間ってのは。完全にチェックメイトを済ませちまって、取り返しがつかなくなっちまえば、もう遊ぶしかねえだろ? AIの奴隷でも何でも良いよ。だからリアルの余計な問題なら放っておいて! さっさと思う存分ゲームに専念してくれや!! ネトゲやってる最中に家庭の問題なんか持ち出すんじゃあねえよっ、萎える!! なあどうよ有名ディーラーさんよおッッッ!!!!!!」
ゲームに対する姿勢が違う。
誰よりものめり込んでいた。力の源がそこだとしたら。
こいつにだけは。
現実を捨ててしまうほどバーチャルに浸かり切った戦闘狂にだけは。
おそらく蘇芳カナメでも、勝てない……!!
直後だった。
だだんだんっ!! と立て続けの銃声があった。
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