【Second Season】第六章 伝説と呼ばれた少年達 BGM#06”Dead Shot”.《005》


 殺し屋。


 それにしても殺し屋である。


 丸っきりゲームの中でしか成立しない話だ。


「……実際成り立つの、そんなビジネス?」


 ズタボロにされたログハウスからガレージの方へ向かう途中で、長い黒髪をツインテールにしたミドリがそんな風に疑問を放っていた。


 命を狙われているカナメは涼しい顔で、


「普通に考えればハイリスクハイリターンだ。しかもアングラの契約だから、きちんと仕事をしても踏み倒される恐れもある」


「それならどうして」


「専門的な知識を持つ人間だけがマネー(ゲーム)マスターにログインしている訳じゃないのさ。非効率であっても、それしかできないなら武力を提供するしかない。仕手戦やギャンブルで常に多くの金を作れるディーラーの周りに群がる殺し屋は珍しくない。おこぼれに与るか、インテリを力で脅して言う事を聞かせるかはケースバイケースだがね」


 言いながら、カナメはミントグリーンのクーペの下を覗く。鎮痛効果のある『レデュースペイン』に頼っているとはいえ、それでも背中の傷が激しい自己主張を始める。注目すべきはマシンそのものではなく、床にうっすら撒いておいた砂。そちらがかき乱されていないところを見るに、誰かが下に潜って爆弾を仕掛けた訳ではなさそうだ。


 何故かミドリは黒ゴス調のフリルビキニのミニスカートを両手で押さえて顔を赤くしながら、


「あ、兄を撃った人も?」


「ブラッディダンサーの場合はスイス恐慌を引き起こそうとした、世界的なディーラー集団に武力を提供していた。……とはいえ、あいつの場合は依頼人を皆殺しにしているが」


「えっ?」


「スイス恐慌は特定の口座に世界中の金を集約するために計画されたものだ。それを俺達が食い止めた以上、向こうのディーラー達にも払う金がなかったのさ。で、ヤツがブチ切れた。タカマサの件が終わった後、ヤツは迷わず依頼人に銃口を向けたんだ」


「世界的な、ディーラーの……集団なのよね?」


「少なくとも俺達コールドゲームよりは強大だった。銃、車、金、何でも持っている集団だった。不意打ちとはいえ、その集団を内側から食い破るのがブラッディダンサーなんだ。一人でな」


 あいつは車も金も興味ない。何でもできるマネー(ゲーム)マスターをとみなしていて、しかも、それだけで世界的な上位ランカーに食い込んでいる。金と弾は殺して奪え。倒した敵の落とし物と位置が重なると補給を行った事になる、戦争系ゲームのルールで特殊な二丁拳銃を振り回しているのだ。


 単身で二つの銃と二つの砲を完全に支配する怪物。


 ヤツはスキルも『遺産』も求めない。素のままでなければ楽しめない。


「……金なんか勝ち続けていれば後からついてくる。そんな考えで銃しか撃たないディーラーだ。ただ一方で、自分では家計簿すらつけていないのに目の前で報酬が減ったらそれはそれで暴れ回る。面倒なヤツだよ。撃破のスコアか何かと勘違いしているのかもしれないな、仮想通貨スノウを」


 何にしても、まともな相手ではない。


 車や隠れ家の位置を知られたので、ログアウトして逃げる手は使えない。ログインに備えて待ち伏せして下さいと頼むようなものだ。


 カナメは車のキーのボタンを押してドアロックを解除しながら、


「ヤツは俺の妹のマギステルス・シンディを手玉に取っていた。無理矢理暴力で話を聞き出している場合、こっちの隠れ家の情報が網羅されている可能性は高い。ミドリ、ひとまず外に出るぞ。仮の宿でも何でも良い。ヤツの知らない場所に身を隠す必要が出てきた」


「わっ、分かった」


 今さらながらミドリにも緊張感が伝わったのかもしれない。


 カナメには何もできず、その代わりにタカマサが彼の妹を庇って散っていった。


 だけどそもそも、当時のカナメ達だって有力チーム・コールドゲームとして名を馳せていたのだ。そんな悲劇が起きる以上、エース達を相手取ってそんな悲劇を起こした猛者がいなければ辻褄が合わない。


 ミントグリーンのクーペ、紅葉柄の赤い大型バイク。


 二台のマシンがマングローブ島から大きな環状橋へと合流していく。


 世界最高峰のガンスリンガー、ブラッディダンサーから直接命を狙われる。ミドリは実感が追い着いていないようだった。良くも悪くも、まさしくゲームの中でしかできない体験だ。


『ミドリ>具体的にどこへ向かうの?』


『カナメ>木を隠すなら森。一番の人口密集地帯、半島金融街だ』


『ミドリ>表にはヤツが雇った殺し屋が徘徊してるんでしょ!?』


『カナメ>州一個分くらいの広さがあるって言っても、常夏市は有限だ。世界の果てまで逃げるって選択肢はないよ』


「ツェリカ、検索頼む」


「はいよ。デカいホテルで空の上から覗かれる事のない地下駐車場か立体駐車場を完備、最低でも二ヶ所以上の出口のある環境、と」


 そこでカナメは無造作に左手で短距離狙撃銃『ショートスピア』を振り上げた。助手席のツェリカがリクライニングシートを倒してパワーウィンドウを開ける。


 ガキキンっ!! と。


 金具の音と共に消音器と一体化した銃身から立て続けに無音の四五口径弾丸が解き放たれる。併走するワゴン車にいくつか風穴が空いた。金属板で窓を潰したスライドドアが力なく開き、高速で流れる路面にアサルトライフルを抱えたまま黒い夜戦用軍服を着た覆面男が転がっていったがカナメは気にも留めない。


 鼻にはチリチリした感覚があった。


 獅子の嗅覚が正常に働いている間は怖くない。ただ自分のセンスを信じればそれで良い。


 彼は運転席の方へ銃を向けながら叫んだ。


「グレード低いぞ! 俺を殺したければ最低でも星四つ以上の殺し屋を呼んでこい!!」


 警告を無視してワゴン車が幅寄せしてきたので、カナメは急ブレーキをかけてワゴン車を手前に流しつつ、今度は運転席側のパワーウィンドウを開いて右の後輪を迷わず撃ち抜いた。バランスを崩したワゴン車は横転して後ろへ流れていく。


『ミドリ>ねえっ、上になんか飛んでない!?』


『カナメ>スズメバチの巣に奇襲して殺虫剤ばら撒くための農業ドローンを改造した偵察用だ。速さよりも横風に対する安定性が優先。あれくらいなら速度で振り切れるから問題ない』


 ようやっと、調子が戻ってきた。


 スリルを楽しむ心を失ったら、ゲームはゲームではなくなる。


「……半島に辿り着く前からこんな感じか」


「スズメバチ?」


「だよ」


「だとすると今の、害虫駆除業者のマリエッタフラッパーかえ。あのレベルを顎で使うとは、殺しだけでどれだけ稼いでいるのやら」


 ようはネズミやゴキブリを始末するところから始まって、やがては同じ人間まで『事業』を拡大させていった殺し屋達だ。


 紅葉柄の赤い大型バイクで傍らを併走するミドリは、そもそももっと根本的なところが疑問のようで、


『ミドリ>害虫駆除? ゲームの世界なのにそんなの需要あるの?』


『カナメ>便利だぞ。マネー(ゲーム)マスターは土地や店舗も投機……つまり奪い合いの対象になる。狙った相手から確実に奪うには、店の裏にこっそり生ゴミやペットフードを撒いておくと手っ取り早い嫌がらせになる。特に飲食店まわりは大ダメージだ』


 もはや沈黙があった。


 可憐な女子中学生のお気に召さない話題だったようだ。


 バン、バン!! という太い発砲音がさらに連続した。


 カナメでもマリエッタでもない。銃と車のバトルに巻き込まれた一般車がキレて勝手に暴れ始めたのだ。端役など誰もいない。これもマネー(ゲーム)マスターの醍醐味ではあるのだが、


「ええいっ、スマッシュドーターが絡んできおったぞ!?」


「俺達やミドリを狙っている訳じゃないんだ、勝手に露払いしてもらおう」


 スマッシュドーターは七・六二ミリのライフル弾の代わりに膨大な電気を溜め込んだコンデンサ弾を撃ち出すセミオートライフルと、銃身下部に取り付けた七〇万ボルトのスタン警棒で戦う非殺傷の達人だ。必要とあらば、移動のアシに使っている折り畳み式の電動バイクのバッテリーを利用してでも威力を跳ね上げる。


 ……とはいえ人を殺せない甘ちゃんではなく、『いったん眠らせればどんなディーラーだろうが生かすも殺すも自由自在』という考えなのだから笑えない実力者であるのだが。


『ミドリ>何あれっ、バチバチのカタマリ!? ほとんど入道雲に突っ込んだみたいになってるけど!』


『カナメ>下手に近づくなよ、バイクだと流れ弾の被弾リスクが大きい』


 ミドリの言う通りだった。


 スマッシュドーターは単独でも十分恐ろしいディーラーだが、銀髪のマギステルス・アプサラスと組むと狂暴さに拍車がかかる。何故なら大きな滝の模様を施した青いビッグスクーターを操る褐色肌の美女は、そこらのアサルトライフルより大きな水鉄砲『ホットスプラッシュ』を使っているからだ。水素エンジン搭載車を駆る長身の美女が炭酸ガスで無理矢理圧力を高めた高圧放水を放つ事で、スマッシュドーターのスタン攻撃に味付けをしていく。蛇のように空中や地面をくねる変幻自在の高圧電流の嵐は、下手な重機関銃などよりよっぽど恐ろしい。


 あるいは防弾ガラスに亀裂を入れ、あるいはドアの隙間から水が入り込み、そして車の中まで高圧電流が埋め尽くしていく。


『ナメんなコラ!! こんだけ考えなしに鉛弾ばら撒いておいて、今さらそんなつもりじゃございませんが通じる状況とでも思ってんのか、あァ!?』


『れでぃ抑えてください、せくしーな淑女とは言葉に気を使うものですよ。はいわたくしと一緒にゆっくりと息を吸い込んでぇ、りらーっくす』


 向こうは最後まで付き合う義理もないはずだ。


 特徴的なスクール水着に魔女帽子を纏う栗色ショートヘアの女の子は適当に殺し屋の数を減らすと、こちらに中指を立てて足早に去っていく。一応カナメはヘッドライトを短く二回ほど点滅させ、感謝の気持ちだけ伝えておいた。無愛想な少女の代わりにジムのインストラクター風のマギステルスが振り返って軽く投げキッスでレスを返したつもりのようだったが、何だか不機嫌になったスマッシュドーターが横から小さな足で軽くビッグスクーターを蹴っていた。


「ふん、アプサラスじゃからやっぱり基本が尻軽なのかのう」


「やっぱり対抗意識でもあるんじゃないのかツェリカ」


 少年としても、最後の最後まで流れのディーラーに頼るつもりはなかった。


 相手が誰であれ、タカマサの妹ミドリを守り抜くのは必須だ。そいつが強敵であればあるほど、こちらも苛烈に噛み付いて排除する以外に道はない。緊張はしている。危機感は消えない。だけどこれは逃げるためではなく、真正面から食い破るための高揚である。


 そういう風に変換する。


 ホラーをスリルに醸造できない者は、足がすくんで撃たれるだけだ。


 前はそれで失敗し、タカマサを失った。あの経験だけは真っ平だ。


『カナメ>ミドリ、注意だ。基本的に俺のマシンの後ろにつけ』


 すぐそこを併走しているはずのミドリから返事がなかった。


 何かを見ている。


 長い黒髪をツインテールにした少女は、風景に表示を重ねて眺めるための風防に目をやっているようなのだが。


『カナメ>ミドリ!』


『ミドリ>リクエストが来てる……』


 半ば呆然としたように、ミドリの呟きが文字の形で並べられていくようだった。


『ミドリ>チャット要請。リクエスト相手は……ブラッディダンサー?』


「野郎!!」


「シンディから情報を引き出しているだけではなさそうじゃぞ。ミドリがマネー(ゲーム)マスターに来たのはタカマサがフォールしてからじゃ。同じタイミングで退会した旦那様の妹とも接点があるとは思えん。私立探偵プライベートアイでも雇ってんのか?」


『ミドリ>どっどうしよう!?』


『カナメ>承認してこっちともリンクしろ。どうせ話があるのは俺だろう』


 緩やかにカーブを描き続ける一本道の環状橋だと、尾行する者を確かめるのも大変だ。しかしカナメは不規則に速度を上げたり落としたりと繰り返した。この場合、車間距離を縮める車も広げる車も無関係だ。


 無理して一定の距離を保とうとする者。


 何とかして現状維持の努力を続ける者だけが、不自然に浮かび上がる。


「そこ」


 立て続けにマリエッタフラッパーなる殺し屋どもの社用車を始末していくが、こんなものは枝葉だ。カナメは淡々と撃ちながら、フロントガラスに大きくチャット専用のウィンドウを開いていく。


 レベルが違った。




『ブラッディダンサー>よおカナメ』




 これだけで、だ。


 たったこれだけで、蘇芳カナメの頭の芯が沸騰しそうになる。


 獅子の嗅覚が、飛びそうになる。


 対して向こうは呑気なものだった。


『ブラッディダンサー>楽しんでもらえているようで何よりだ。その調子だとマリエッタくらいのレベルじゃ止められんか。一本道の環状橋ならどうにかできると思ったんだがね。連中、せめて標的ごと橋を落とすくらいの気合いモチベは入れられねえのか』


『カナメ>歴史の裏に隠れていれば良かったものを。わざわざ目の前に現れるなんて、そんなに人生全部壊して欲しいのか?』


『ブラッディダンサー>ははっは!! お前が? 俺を殺す? ああ楽しみだ。廃墟の奥で妹と肩を寄せ合って震えてやがったお前がどこまでできるようになったのか、見てやろうじゃあねえか!!』


 ゴォッ!! と。


 カナメのクーペとミドリの大型バイクがいくつもの島を繋ぐ長い長い環状橋から、光の洪水のような夜の半島金融街へと飛び込んでいった。


「ツェリカ、ヤツの目を欺ける仮の宿は!?」


「ああっもう! 条件に合うのはどこもかしこも満室じゃ。昼と違って夜の時間帯から当日扱いで泊まれる場所なんぞどこにもない!!」


 ミドリとも情報共有すると、併走する彼女は納得がいかない顔だった。


『ミドリ>この街、何でホテルが繁盛してるの? 普通にプレイしてるだけなら数時間くらいでゲームからログアウトしちゃうんでしょ』


『ツェリカ>こいつわらわに家庭教師アプリでも頼んでいるのかえ、つまり保健体いk


 カナメが慌ててツェリカの角を掴んで頭を揺さぶった。


 何にしてもここからだ。


 十分な足場を固めて互いに標的の位置を特定し、万全の装備で鉛弾を叩き込む。実際に向かい合って銃を向ける前から戦いは始まっている。ここからはカナメの番だ。戦闘一辺倒のブラッディダンサーと違って、こちらは車も金も己の武器にできる。


 そう思っていた。


 直後。




 ドッッッガァッッッ!!!!!! と。


 いきなり横の道からミントグリーンのクーペに巨大な鋼の塊が突っ込んできた。




 ダンプカーではない。


 トラックやトレーラーにも似ているが、やはり違う。


「かはっあ!! かっ、『カラミティスタジオ』じゃと!?」


 コンテナのような、単純化された細長い直方体のシルエット。大雑把な印象は全面を装甲板で覆った窓のない護送車や大型観光バスが一番近い。ただし平べったい屋根の上には巨大なアンテナが乱立していた。その正体は放送局が抱えている特殊な放送中継車だ。スマホやケータイのカメラがスクープを連発するネット放送時代に生き残るため、災害現場へ直接出向いてライブ中継するための大型民間装甲車。家の屋根をめくり上げる巨大な竜巻のど真ん中に突っ込んで『中から』衝撃映像をお届けするべく、撤退的に重さと厚さを盛りまくった世紀末仕様の災害時基幹放送中継車である。


「チッ!!」


 カナメは慌ててハンドルを握り直すが、相手の重量は八〇トン以上でつまり戦車以上。まさしくケタ外れだ。車輪についても空気で膨らませているとは思えない。


『ミドリ>あの車、タップTVって描いてあるわよ!!』


『カナメ>真正面から殺して奪ったんだ、PMC軍団に守られた軍事要塞みたいなネット放送局から。ヤツならできる!!』


 かくいうカナメだって結果論だった。最初からこんなデカブツを奪って持ってくると分かっていたら戦術を変えていた。


 反応が遅い。


 獅子の嗅覚に頼るだけでは、あいつの動きは先読みできない!!


 災害時基幹放送中継車のバンパーはカナメの車の右側後方、後輪よりも後ろの辺りに突き刺さった。横からぶつかり、一発でクーペのトランクが空き缶みたいに丸ごと潰された。ハンドルの動きとは無関係に後輪が横滑りし、一定のラインを越えた辺りで一気にスピンを始めてしまう。どうにかして滑る車と格闘しながらも、カナメの意識はミラーを通して自分の後ろに向いていた。


 ブラッディダンサーは車の運転すらできない。


 金網で補強されたフロントガラスの奥。あまりにも大き過ぎるハンドルを握っているのは、


「シンディ……!?」


「そっちじゃないツェリカ。 ブラッディダンサー、ヤツもついてきてる!!」


 護送車や大型バスのような平べったい屋根の上。放送中継用の太いアンテナの群れの陰からのそりと一つの影が顔を出した。


 常に猛暑日のゲーム内でも十分に着こなせる、通気性重視の薄手のスーツを纏った怪物。


 やたらとマガジンの長い二丁拳銃。銃本体よりも大きな単発式のグレネード付き。


 このマネー(ゲーム)マスターの中において、車も仕手戦も頼らずに、ただ銃の力だけでのし上がった戦闘狂。首回りに装着したウェアラブルスピーカーとハードロックさえあれば、ちょっとコンビニに出かけるくらいの感覚で真正面からAI企業本社へ乗り込むモンスター。争奪戦という意味をこの上なく分かりやすく、物理的に体現する恐怖のトップランカーである。


 ドッドッドッドッ!! と少年の左胸で心臓が暴れている。


 それでも塊のような恐怖を飲み込み、自らの手足を動かすスリルへと無理にでも変換していく。ここで喰われてしまったらそれまでだ。鉛弾より先に、魂の部分で殺されてしまう。


 自らのトラウマ。


 助手席からツェリカが新しいネクタイを取り出したが、カナメは片手で制した。『ストレスケア』のスキルなんかで物理的に緩和したところで、それでは逃げているだけだ。値はゼロにはできない。圧されていると認めてしまえば、ますます搦め捕られる。


 重圧からの解放、ストレスの破壊を意識してカナメは叫ぶ。


「ブラッディダンサー!!」


「ひひ」


 もはやチャットですらなかった。


 暴風に負けないくらいの大音声で狂気の男は吼え立てる。


「いひひ。はははははははは!! 金で雇った人間くらいじゃ燃えねえんだろ? だったらもう一段スリルを盛り上げようぜえ!!」


 パンパンパパン!! という立て続けの銃声があった。


 ようやっとバランスを取り戻したミントグリーンのクーペの中で助手席のツェリカがレースクイーン衣装を軋ませるようにして思わず身をすくめたが、ヤツの狙いはそこではない。


『ミドリ>なに?』


 ガラスの割れる音があった。


 クーペと併走する大型バイクの方でも、黒ゴス調のフリルビキニにミニスカートのミドリが頻繁に後ろへ目をやっていた。


『ミドリ>あいつ、あの野郎。私達じゃないっ、そこらのビルに向けて適当に撃ちまくってる!! でもどうして!?』


『カナメ>企業警備だ』


 ぞっと。


 ようやくその意味が分かって、カナメは背筋に冷たいものが走り抜けた。


『カナメ>警戒だミドリ、ブラッディダンサーはAI制御のPMCどもを呼び寄せようとしている!! 辺り一面の私有地や建物から!!』


 すぐに蜂の巣をつついたような大騒ぎが始まった。


 最初はサイレンを鳴らしてやってくる防弾車だった。だがそれらが表通りに顔を出した瞬間に二丁拳銃の下についたグレネードで吹き飛ばされると、フロントガラスに新しいウィンドウが表示された。AI制御の兵隊達の注目数が、ドライブレコーダーと連動して検知した目線の数が初手から八〇以上に跳ね上がる。屋根に砲塔をのっけた八輪の装甲車に、ミサイルや機銃をぶら下げた攻撃ヘリ。次々とやってくる追加の戦力は、もはや事件というより戦争に出てくるような高火力だ。


 あくまでもAI制御の傭兵達は、後ろから追ってくる四角い災害時基幹放送中継車と、そこに乗ったブラッディダンサー個人をロックオンしているはずだ。


 普通に考えればAI制御のPMC達は正面から撃って撃退などできない。基本パラメータがケタ外れだし、どれだけ倒しても増援が無限に湧き出てくるからだ。よって、追っ手を速度で振り切ってから物陰などに隠れ、彼らが警戒態勢を解除するまで待ちに徹するというのが常道。間違っても自分からケンカを売るような真似はするべきでないのに。


『ミドリ>これ、戦っているって事で良いの……?』


 絶句があった。


 真っ赤な紅葉柄の大型バイクにまたがるミドリはミラーだけでは己の見ているものが信じられないのか、途中で何度も後ろを振り返りながら、


『ミドリ>事故ってる、何もかも。まるで鋼の巨大な顎に追われているみたい!!』


 瞬く間の銃声にグレネード砲と大爆発。防弾車がスピンして攻撃ヘリは墜落し、それら燃え盛る鉄の塊をブラッディダンサーのまたがる大型特殊車両のバンパーが撥ね飛ばしていく。逃げるカナメ達はポップコーンのように次々と弾けるスクラップが一つでもぶつかっただけで爆発炎上間違いなしだ。


 ヤツは、呼びつけたPMCの火力に期待しているのではない。


 あんなもの、もはや無尽蔵に湧き出る残弾に過ぎない。ピッチングマシンに尽きないボールを補充する程度の感覚で、ゲーム内ではほとんど死神みたいな扱いのPMC軍団を薙ぎ払って蹴飛ばしてくる。ブラッディダンサーが高笑いするごとに燃え盛る鋼の塊が歩道にまで突っ込み、信号機を柱ごとへし折って、店舗のウィンドウを砕いていった。通りを歩いていた無関係なディーラー達が悲鳴を上げて近くの店や車の下へと潜り込んでいくのが分かる。


 もはや鉄と火薬でできた活火山に追い回されているようだ。リアルどころか、ゲームの世界だってこんな戦術はありえない!!


「おら!! 足りねえかっ!? 不満があるなら言ってくれよ、どんどん追加で注文してやるからよお! テーブルいっぱい自慢の料理で埋め尽くそうぜえっ!!」


『ミドリ>狂ってる……。街全体から狙われるような状況を自分から作っておいて、ここまでやっても笑っていられるだなんて!!』


 PMCの装甲車が動く。


 それは戦車のような、一発の鋭い砲撃だった。


 しかし屋根の砲塔から放たれたマッハ五の塊に合わせる格好で、ブラッディダンサーも銃身下部のグレネードを解き放つ。二つの爆発物が空中で激突し、中途半端な場所でいきなり爆発した。


 衣服についたスキルの一つ、体感時間を無理矢理に引き延ばす『スロー』を使っても、それでも手が届かないほどの神業。


 恐ろしいのは、ここまでやっているのにヤツの左右の手にある拳銃それ自体は『遺産』ではない点だ。ヤツは、どこにでもある市販品でこれだけの結果を生み出してしまう。


 そして呑気に眺めている暇もなかった。


 おかしな場所で爆発が起こったため、回避する暇もなかったのだ。


 爆風に煽られたカナメのクーペが下から持ち上げられる。右の車輪を浮かせるような片輪走行だった。転ばなかっただけでも奇跡に近いが、車輪を下ろしてバランスを取り戻すまでブラッディダンサーは待ってくれない。


 だだんっ!! と。


 地面と接触している左の後輪に二発撃ち込まれ、一気にバランスを崩す。空手でもキックボクシングでも良い。ハイキックを放った直後、カウンターでその軸足を払われたようにミントグリーンのクーペの挙動が崩壊していく。


『ミドリ>ちょっと!?』


『カナメ>来るなミドリ、俺のクーペに巻き込まれるなよ!!』


 もはや制御不能だった。


 蘇芳カナメのクーペはそのまま大通りに面した建物へと突っ込んでいった。


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