【Second Season】第六章 伝説と呼ばれた少年達 BGM#06”Dead Shot”.《002》
命懸けの一〇分だった。
公衆電話なんて使ったのはいつぶりだろう。
ポケットのスマホについては電源を入れるのも躊躇った。仮にブラッディダンサー側が位置情報を傍受できたとしたら、そこで終わり。マネー(ゲーム)マスターにできない事はない。……ヤツの場合は金の力ではなく、横殴りの嵐のような鉛弾と爆発物で成し遂げるのだが。
物陰にへたり込んでじっと待っていると、やがてミントグリーンのクーペがやってきた。ハンドルを握っているのはツェリカのはずだが、どこか視線が定まらない。意識が遊離しているかのようだ。深く思考する能力を保てず、表面上のルーチンだけで動いている風に見える。
「……私が見つけた時には、もう、こうだったの」
カナメに肩を貸しているミドリがそう言ってきた。
「目の前であなたが撃たれたのが、よっぽどショックだったんでしょうね。何を話しかけてもまともに答えられる状態じゃなかったから、私が救急車呼んで、待っている間背中の傷口を両手で押さえていたんだけど……」
「……、」
そう。
普通の状態なら、ルーキーのミドリが救急車を呼んでもツェリカが搬送を拒んだだろう。派手にサイレン鳴らして多くのハイエナディーラーを引き連れてくる救急車が到着する前に、カナメをクーペに詰め込んで現場から走り去ったはずだ。
それでも。
それでもだ。ツェリカがブラッディダンサーに撃たれなくて良かったと、カナメはそう思っていた。マギステルスは死亡扱いになってもダウンと呼ばれる休眠状態に追い込まれるだけで、消滅する事はないと分かっていても。
一人のディーラーに一つのマギステルス。
だがどういう訳か囚われているシンディの事を考えれば、ヤツの気紛れ一つでろくでもない方向に話が進んでいた可能性もゼロではない。どうやってルールを破壊したのか見当もつかないが、ブラッディダンサーならありえる、と納得しかけてしまう自分すらカナメは認めていた。
「……『リスト』は?」
「無事。乱数表がなければ読み取れないって多分あいつは知ってる。つまり、私達と同じものを持っているんだわ」
追い駆ける方向は同じ。
ブラッディダンサーという特大の怪物が顔を出しても、囚われてはならない。タカマサの想いの欠片である『リスト』を回収し、乱数表を使って読み解いて、全ての『遺産』を確実に手に入れる。それでマギステルスの『総意』どもから見知った人達を解放する。
どこかへ消えてしまったタカマサを含む、大切な人を全員救う。
のろのろ動くツェリカに話しかけて席を替わってもらい、ツーシータなのに無理矢理ミドリまで乗せて、ミントグリーンのクーペのドアを閉める。いつもならシートにちょっと汚れをつけたらぎゃあぎゃあ騒がれそうなものだったが、今は血まみれにしても大人しかった。
「……心配かけたな、ツェリカ」
「……、」
返事はなかった。
ツェリカにとって、衝撃の中心はどこにあったのだろうとカナメは思う。自分が撃たれた事か、トラウマとなっているブラッディダンサーが現れた事か、天敵とも呼べる殺し専門のディーラーと命の奪い合いをする事になった今の構図そのものか。それが分からない内に形だけ頭を下げても、何の意味もない話だったのかもしれない。
申し訳ないが、ミドリの大型バイクはひとまず後回しにするしかなかった。最悪、どうしてもログアウトに必要なら単車とは別にテントよりお手頃な激安中古車を買ってもらう必要があるかもしれない。とにかくクーペを走らせて夜の半島金融街を抜け、海の上を走る環状道路を通って、マングローブ島にあるログハウス風の隠れ家に向かう。
「……っづ……」
ガレージに車を入れると、途端に眩暈が襲ってきた。もうすぐ対処してもらえると思うと感覚がぶり返してくる。
ツェリカとミドリの二人に支えられ、ガレージから隠れ家へ。
いつでも炎天下で蒸し焼きに近い車内だと薬品類がダメになるかもしれないから敬遠してきたが、今度から車のトランクにも治療セットを詰めておこうとカナメは心に誓う。
少年はリビングのソファに腰を下ろし、それからゆっくりとうつ伏せになる。
ブラッディダンサーに撃たれたのは背中側、腰の上辺りだった。流石に自分で弾を抜いて糸で傷を縫うのは難しい。
「ツェリカ」
「……、」
「頼むよ、助けてくれ」
その言葉で、何か小さく頷いて、ようやくのろのろとレースクイーンの悪魔は動いてくれた。薄い帽子に髪を詰め込み、マスクと手袋を装着。プラスチックの箱の中からビニールパッケージされた機材一式を取り出すと、ガス台の炎で熱を加え、さらに消毒用のエタノールで一通りの事前処理を施していく。
血まみれのシャツをまくり上げられる。
「うっ」
思わず呻いたのは、カナメではなく口元に両手を当てて震えている黒ゴス調のフリルビキニにミニスカートのミドリだった。マネー(ゲーム)マスターはこういうところが融通が利かない。宿屋で一晩寝れば数字が回復する話でもなかった。ログアウトの前に最低でも血を止めないといけない。
「まずは傷口の消毒じゃな」
随分久しぶりに聞いた気がする、ツェリカの声。それはどこか掠れて、しゃがれていた。
知らないところで泣き腫らしていたのかもしれない。
「痛むぞ」
「それくらいでちょうど良い」
傷口にエタノール。焼け付くような痛みが倍増したが、奥歯を噛み締めてカナメは耐える。
「患部の形状や出血量から見るに、中で弾頭が潰れている線はないじゃろう。ブラッディダンサーのクソ野郎は、そういう特殊弾頭を使っている訳でもないらしい。このまま引っこ抜くが、それで良いか?」
「ああ」
特殊な医療器具など何もない。何にでも使えるピンセットの出番だった。ツェリカはソファの上でうつ伏せになったカナメをゆっくりとまたいで、肩甲骨の辺りにお尻を置く形で馬乗りになりながら、腰の後ろの傷と向き合った。
「ふんっ、できないと思うておるじゃろ。何だかんだ言いながら結局わらわが折れて、今回も優しくしてしまうと」
「良いよ、迷惑かけたんだから。痛くしてくれた方がこっちも気が楽だ」
「そうやってテキトーにほっこりする事言っておけば、わらわが情にほだされてついつい甘やかしてしまうと?」
「お前みたいな悪女にそんな可愛げなんか一ミリも期待しちゃいな……ばからっちゃはぐおッッッ!!!???」
「これでよし、と。旦那様ザマァ」
「おま、ばか……そんな、ぐりぐり回しながら抜くヤツがあるか……」
首回りのネクタイを痛みを半減させるスキル『レデュースペイン』付きのモデルに縛り直す余裕すら与えてくれなかった。
弾を抜く痛みは場所や弾の種類、弾頭の潰れ方などでそれぞれだが、まあ、どこに何が残っていようが麻酔なしで歯を抜く程度にはキツい。ぐりぐりを思い浮かべる参考にしていただければ幸いだ。
うつ伏せで暴れるカナメを、レースクイーンの悪魔は馬乗りのお尻でロデオのように押さえつけながら、
「ご希望通りだぞ旦那様。バーチャルの肉体なら傷痕なんぞ気にする必要あるまい」
びくんびくんとツェリカのお尻の下で痙攣するカナメに、むしろ傍で見ていたミドリの方が両手で小さな口を覆って震えていた。往々にして怪我は本人より周りを怖がらせる事がある。
ツェリカは傍らのシャーレに抜き取った鉛弾をそっと置いて、
「さて、と。弾に欠けも見られんし、鉛が残留している事はあるまい。後は傷口縫って消毒し、輸血すれば終わりじゃ」
「えっ、あなた達、救急箱に輸血まで揃えてるの?」
ゲームの中なら何でもありで通ってしまいそうなものだが、やはりマネー(ゲーム)マスター、余計な忌避感情が湧くくらいリアルにできているのだ。
「数日スパンで自分の血を抜いて冷蔵庫で保管しているだけだよ。人間は自分で血を作る力があるからな」
「流石にモルヒネやハロタンなどの麻酔系までは揃えとらんがな。フツーはスキル頼みじゃし」
ツェリカはピンセットで糸のついた鋭い針を摘まんで、鼻から息を吐いた。湾曲した針は釣り針にも似ているが、いわゆる返しはついていない。
「そんな訳で仕上げの時間じゃ、始めるぞ旦那様。麻酔はないからハンカチでも噛んどけ」
「ツェリカああは言ったけどゆっくり優しくできないか、これだとホントに死ん……」
「こんな所でフォールする気か!? 簡単に諦めてっ、わらわ達の夢を捨てようとしてんじゃねえよッッッ!!!!!!」
「待ってツェリカ! あの、ええと、私、親しき仲にも白目に口から泡はアウトだと思う!!」
「旦那様が人間の王になって、わらわが悪魔の女王になって!! 『遺産』全部集めて、マネー(ゲーム)マスターのプログラム言語を全て解析して一緒に『総意』を黙らせるんじゃろうが!? ブラッディダンサーだか過去のトラウマだか知らんが、枝葉も枝葉で折れてんじゃあねえ!! 旦那様の口から出た約束はそんなに軽いのかえ!?」
ミドリが慌てて止めようとしたようだが、針と糸を使って傷口と格闘している人を羽交い絞めにして良いものか、判断に困っているのだろう。腰が引けているので何の効果もない。それはそれは一針一針丁寧に、『思い切り痛く』がぶちぶちと続いていく。
やがて。
ぽつりとこぼすように、ツェリカはもう一度繰り返した。
「……軽かったのかよ、クソ馬鹿旦那様」
「すまん。心配かけた」
ふんと鼻から息を吐く音があった。
器用にピンセットの先で糸を結び、余った所をハサミで切ってから、もう一回改めて、
「ふんっ!」
「ぎゃあツェリカ掌で叩くなッ!!」
「ほれ、念押しの消毒も済んだぞ。まったく、怪我や病気の時くらいしおらしくなって甘えてくればよいものを……。起きて腕出せ旦那様、足りない分だけ輸血で補うぞ」
「……ツェリカ頼む俺の哺乳瓶を口まで運んでくれ……」
「甘え方が間違うておるぞ旦那様、そんなもん風邪の時に出てくるかドアホ。まさかと思うが、マザールーズの甘い毒に頭をやられておる訳ではあるまいな……?」
ともあれ、だ。
これで弾丸の摘出と傷口の縫合が終わった。後はソファに座り直したカナメの肘の内の辺りに刺した針からスタンドにぶら下げている五〇〇ミリが全部入れば、晴れてログアウトに向かえる。とりあえず同じ柄だけどスキルの違うネクタイの中から、痛みを散らす『レデュースペイン』を選んで縛り直した。
このスキル一つだけでも大分違うが、値をゼロにはできない。
ツェリカはリビングの床に車のバッテリーより大きな箱をどんと置いて、
「ほれ、ひとまず血で汚れたシャツを脱げ」
「洗剤?」
ミドリが首を傾げると、グラマラスな悪魔は呆れたように息を吐いて、
「浸け置き用のな。元々は洗濯機に入れて使う粉末洗剤だったんじゃが、威力が高過ぎて洗濯槽がぶっ壊れると判明した。ただし、使い方次第では機械油でドロドロになった雑巾が新品同様に戻るぞ。まあ、くっついていたスキルまで奇麗サッパリ消えてなくなるというウワサまでついて回ったがの」
待っている間も有効に時間を使うため、カナメ、ツェリカ、ミドリで自然と作戦会議となる。
そう。
カナメがいきなり撃たれたからそちらにかかりきりになってしまったが、状況が落ち着くと今まで脇に置いていた多くの疑問が噴出してくる。
今まで『リスト』の持ち主を処分して回っていたのは、退会した妹のマギステルス・シンディだった?
彼女の背後には『遺産』を集めてAI側に明け渡す狂気のディーラー・ブラッディダンサーがいた?
そのブラッディダンサーが、ここにきてどういう理由でカナメ達に噛み付いてきた?
「……その」
おずおずと、口火を切ったのはミドリだった。
「兄を撃ったヤツって、それはそれで有名人なんでしょ? だったら全く同じ見た目のアバターを作る事はできないの?」
「デューラーの場合、あまりに近似のフェイスデータは重複禁止の警告がつくのう。双子や三つ子の場合も誤報が出ると聞いた事がある」
「確か、フレイ(ア)の潜水艦にいた
「『遺産』の中に、顔を変えたり私達の認識を狂わせるものはないのかしら」
ミドリはまだ変装機能を推したいらしい。
いきなり兄の仇と言われても、心の整理がつかないのかもしれない。できるだけ目を逸らして後回しにしたい気持ちは分かるが、しかしカナメも首を横に振った。
「……あの動きはまともじゃない。スキルにも『遺産』にも頼ってない。あいつは素の技術だけであそこまでやったんだ。俺とツェリカ、二人の隙を突いて背後を取れるヤツなんて、俺の知る限り一人しかいない」
「だから、そういうステータス強化をする『遺産』を持っているとか!」
「『遺産』の装備も込みでの話に決まってんじゃろが。これでも旦那様は伝説のチーム、コールドゲームを率いていた精鋭の中の精鋭じゃぞ。『遺産』を使った底上げ如きでそうそう後れなど取るものか」
「うっ、うううー……!!」
「ツェリカストップだ、ミドリを泣かせても仕方がない」
泣いてない!! と叫び返したミドリは、何故だかこちらに背を向けていた。カナメとツェリカは静かに視線を交わして、
「……仮定でも何でも良い。ひとまず、アレはブラッディダンサー本人とみなして話を進めていこう。違ったら後から軌道修正すれば良い」
「だの」
仮定でも。ひとまず。みなして。思考の逃げ道を用意しておくと、ぐじぐじとミドリはハンカチで顔の辺りを拭いてから、改めてこちらに振り返ってくれた。
「当然ながら、ヤツの隠れ家は誰にも分からない。というか、分かっていたらとっくに爆破していた。まずはここから詰めていかないとな」
「……そいつを今話し合いで特定していくのはかなり難易度高くないかえ? シンディの件を考えると旦那様の妹が退会した辺りから準備を進めておったのじゃろ。かなり計画的に旦那様と対立の準備を進めてきたように見えたし、わらわ達に予測のつくような場所には貯め込んでおらんじゃろ」
「ふうむ」
言葉を選ばないと堂々巡りに陥りそうだ。カナメが思案した時だった。
ガォン、という太いエンジン音が響いた。
しかし一般的な車とはまた違う。空冷の二サイクル、つまりバイクのものだ。そもそもマングローブ島にあるのは彼らの別荘だけ。カナメとツェリカが同時に窓の方へ目をやるが、ミドリはパッと顔を明るくした。
「冥鬼だわ。珍しく言う事を聞いてくれたのね、私のバイクを持ってきてくれた!」
「いやちょっと待て」
そのまま表に走り出そうとするミドリを慌ててカナメは停めた。
冥鬼に罪はない。
だけど良いニュースと悪いニュースが混在してそうだ。
ばづんっ!! と。
低い音と共に、いきなりログハウス風の隠れ家の電気が落ちたのだ。
どうやらミドリのマギステルスは招かれざる客まで案内してしまったらしい。
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