【Second Season】第六章 伝説と呼ばれた少年達 BGM#06”Dead Shot”.《001》


 視界が揺らぐ。


 喉にものを詰まらせたように呼吸がおかしい。


 手足の先どころか、腹の内側からケイレンが止まらない。




「あぎぐっ、あアッッッ!!!!!!」




 無理矢理にまぶたをこじ開け、視界を確保する。消毒用のエタノールの匂いが鼻についた。狭い空間、窓にはカーテン。全体的に白い箱の中は断続的に揺れていた。仰向けに寝かされているカナメが震えているからではない。


 部屋ではなかった。


 天井のさらに向こうからけたたましいサイレンが響いていた。


 救急車の中だったのだ。


「あっ、起きた!?」


「落ち着いてください」


 こちらを覗き込む黒ゴス調のフリルビキニにミニスカートの霹靂ミドリに、にこやかな笑顔で機械的な応答しかしないAI制御の救急隊員。


 カナメの手首に巻いたままのモバイルウォッチが血圧や心拍数などを読み取り、定期的に警告を放っていた。


 胴体全体がじんわりした熱で膨らんでいるようだった。どこか一点が痛むという感覚はもうない。それでも彼は息も絶え絶えに言う。


「麻酔はやめろ……。痛みを散らすだけならスキルの『レデュースペイン』で良い、スキル付きの替えのネクタイは?」


「そんなもん救急車にあると思う!? 着替えなんて全部クーペの中よ。言わんこっちゃない、あなた自分で思ってるほど頭が回ってないのよ!!」


「医薬品の場合は、一度体に入ったらオンオフできなくなる」


「でもっ」


「それより、み、どり……何がどうなった……?」


「撃たれたのよ」


 ぶるぶると。


 可憐な唇を噛んで震えるミドリは、ストレッチャーに寝かされたカナメより顔色が悪くなっていたかもしれない。


「あなた撃たれたのよ! 兄を、私のお兄ちゃんを撃ったディーラーにっ!! 後ろから、無抵抗だったのに……。私も、私だって、何にもできなかった! あいつ、何していたと思う? 私達なんて放って、笑いながら沖の船を沈めに向かったのよ!? あれはもう狙って撃っていたんじゃない。壊れて動かなくなったPMCの装甲車からミサイル系の装備を毟り取って着火して、花火大会の事故みたいにそこらじゅう撒き散らして、暗い夜の海を全部焼き尽くしてでもね!!」


「……、」


 そうだ。ブラッディダンサー……タカマサの仇に背中を撃たれた。


 フリゲート艦ほどの大火力があっても、ヤツにとっては些細な時間稼ぎにしかならない。


 かつてスイス恐慌を引き起こそうとした者達の一人。計画が失敗すると、その腹いせの報復作戦でカナメ達コールドゲームをバラバラに引き裂いた張本人。


 しかもヤツは妹の退会と同時にどこかへ引っ込むはずだったマギステルス・シンディを支配していた。あろう事か、無辜の管理者を押し付けられた妹との会話のやり取りを無理矢理引き出したらしい。


 何もかもが予想外の連続だ。


 万全の状態でさえ、実力的に言って追い着くかどうかも分からない。


 しかし、だ。


(まずは生き残らないと……)


 気がつけば鼻の辺りでチリチリした感覚が戻っていた。獅子の嗅覚。一度は撃たれて麻痺した、カナメにしか分からないあの感覚が。つまり、彼は死の向こう側から戻ってきた。生き残るチャンスを、危機の形で受信しているのだとすれば無駄にはできない。


 まずは『逃げ隠れる側のリスク管理』において基本中の基本。点けっ放しだったスマホとモバイルウォッチの電源をきちんと落とす。


「ぐっ」


「ダメだよ起きちゃ! いつ死んでフォール扱いになるか分からないの。体の中に弾が残っているらしくて、病院で手術しなくちゃ……」


 マネー(ゲーム)マスターの中で怪我をした場合、そのままログアウトすると治療を放ったらかしにしたまま時間経過、という扱いになってしまう。擦り傷や捻挫くらいならわざとログアウトして短時間で傷を治してしまう、という荒業も横行しているが、刺されたり撃たれたり重傷を負った場合は止血や縫合など最低限の応急手当をして、『安静にしておけば回復する』ラインは自力で確保しないとまずい。最悪、ログアウトしてリアル世界へ戻っている間にゲームの中では出血多量扱いで死亡、という宙ぶらりんの状態に陥る。


(痛みを半減させる『レデュースペイン』と、できればカサブタの出来を早める止血用の『エイド』も欲しいところだな。何にしてもクーペを拾って隠れ家に行かないと……)


 ミドリの懸念は間違っていない。


 だけど彼女は純粋過ぎる。まだまだ人間の悪意を知らない。そのままであってほしいと願う気持ちも嘘ではないが、やはり一つ一つ教えていかなければ彼女も自分の身を守れないか。


「びょう、院は、ダメだ」


「どうして!?」


「瀕死のディーラーは、すでに狩りの対象だ。復讐したい連中は山ほどいるっ」


 ガォン!! という太いエンジン音が外から響いてきた。カナメはとっさに身を起こし、ミドリの剥き出しの肩を抱いて、真横へ車内の端まで転がる。


 爆発めいた一撃があった。


 普通のワゴン車なら後部の荷物出し入れ用の撥ね上げ扉に相当する部分が、ショットガンか何かで外から吹き飛ばされたのだ。AI制御の救急隊員がなす術もなく笑顔のまま薙ぎ倒された。相手は病院前で待ち伏せするのももどかしかったのか。カナメはミドリを抱いて倒れたまま、床に落ちていた銀色のハサミを掴み取った。元々は包帯を切るためのものだろう。


「わっ、わわ!?」


「黙ってろ!!」


 今はミドリから敵対ディーラーのコーディネート情報を聞き取っている暇さえない。


 夜の闇を引き裂く強烈なヘッドライトは目と鼻の先だ。彼我の距離を考え、しっかり九〇度回転を意識する。身を伏せたまま腕の力だけでハサミを投げつけ、オープンカーの運転手の額へ鋭い刃を叩き込んだ。どんな高級ファッションでスキルやステータスを強化した難敵だって殺してしまえばただの死人だ。


 さらに二発三発と助手席からポンプアクションのショットガンが咆哮を放ち、少年の腕の中でミドリが甲高い悲鳴を上げたが、オープンカーそのものがスリップ音と共に派手にコースアウトしてくれたので助かった。向こうの照準がブレる。道端に並んでいる椰子の木に激突して鉄くずの塊に変貌していく。


 あれで終わりではない。


 すでにアンダーグラウンドでは情報が拡散されつつあると見るべきだ。有力ディーラーがフォール寸前、瀕死の状態でさまよっている。殺して財産を奪うなら今だと。


「……適当な所で降ろしてもらおう」


 息も絶え絶えに、カナメは少女の耳元で囁いた。


「どこでも良い。隠れ家に行けば治療セットがある。ツェリカとクーペはどこだ……。隠れ家で弾を抜いて傷口を縫ったら、反撃を始めないと……」


 反撃。


 全ての元凶、仇敵ブラッディダンサーは蘇芳カナメが生死の境をさまよっている間に、妹のマギステルス・シンディを拾って街のどこかへ消えたはずだ。


 その気になれば、倒れたカナメにトドメを刺す事もできたろうに。


 合理性がない。カナメには襲われる理由も、見逃してもらえる理由もない。だけど結果はこうだ。


(どういうつもりだ)


 カナメとは決定的に感覚が違う。


 しかし一方で、だ。


(……『遺産』、『リスト』、それにタカマサが絶対秘密にしなくちゃならないって分かっていても、誰かと共有する可能性を残したくて思わず形にしてしまった乱数表。少しでもバグやエラーに関わる持ち主を次々とフォールさせていったのも、妹のシンディを従わせているのも、マネー(ゲーム)マスターの真相を知っていながら集めた『遺産』をマギステルス側へ流しているのも、全部が全部……つもりなのか、ブラッディダンサーっ!!)


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