【Second Season】第五章 夜のテレビは脱皮する BGM#05”Killer Stunt”.《003》



 時刻は午後三時過ぎ。まだまだ強い陽射しが続いていた。


 ネックレスや数珠のように、陸と海の環状道路で繋がった小さな島の一つだった。マングローブ島。焼けるような砂浜に椰子の木、南国の鮮やかな花々。秘密の花園には丸太を組んだログハウス風の隠れ家がひっそりと建ててある。


 その脇にあるガレージでの話、ではない。


 ぶいーん、という掃除機にも似た音が響いていたが、むしろ真逆。ハンディモデルのエアコンプレッサーで、車の表面についた砂や埃を吹き散らしているのだ。


「ふんふーん、ふふんふんふーん」


 もくもくと膨らんだ入道雲でも隠しきれない、燦々と輝く太陽の下に引っ張り出したミントグリーンのクーペ。レースクイーンの悪魔ツェリカは腰を曲げ、そのボンネットに濡れたスポンジを押し付けていた。足元には水の入ったバケツ。鼻歌に合わせて小さくお尻を振ってリズムを取りながら、ワックスを薄く伸ばしていく。


「よしよし坊や、おねいさんときれいになりましょー☆」


 いじくり回すのは銃と親友の妹ばっかりでマシンに全く愛着の湧かねえクソ馬鹿旦那様にこの楽しみは分からないだろうが、ツェリカは暇さえ見つければ車の手入れをしていた。整備は良い、マシンにも機嫌というものがある。いつもむすっと無言を貫くくせに、愛情を込めれば込めるだけ快適な挙動を返してくれるのが愛らしくてたまらない。愛車。そう、車が求めているのはラヴだったのだ!!


 共に車を愛せる仲間が恋しい。


 蘇芳カナメの妹、アヤメのパートナーだったダークエルフのシンディなどは車の運転も整備もどんとこいな善き好敵手だったのだが、失った時間に思いを馳せても仕方がないか。


「ふいー、こんなもんかの。さてこいつが乾く間に、と……」


 フロントガラスを磨くくらいは誰でもできるが、意外と大切なのは両脇の窓だ。それからサイドミラー。今時、車体後方の状況などカメラの映像をフロントガラスに映す事もできるのだが、どうもカナメはルームミラーやサイドミラーに重きを置く癖がついているようだ。ここに汚れを残すのは、メガネのレンズに赤の他人の指紋をべったりつけたままにしておくのと同じくらい気を散らしてしまうはず。まずは熱い吐息を吹きかけてから軽く乾拭きし、洗剤、曇り止めの順に重ねて拭いていく。最後に鏡面には触れないようにサイドミラーの角度を細い指先で整えて、


「よし、わらわは今日も美しい、と。これだけ磨いておけば及第点じゃろう」


『クイズプラチナビリオン。観覧希望者募集のお知らせ。おらおら部屋の中で食って寝るくらいしかやる事ねえ暇人ども、一〇億スノウが動く業界最大のクイズ大会をリアルでライブで体感する気はねえのか!? 本選大会は今夜七時、タップTVは諸君の来場を……』


(バッテリーも問題なし。急激に減る事もないな)


 マスメディアがネット番組のCMを垂れ流すなんて自殺行為のようにも聞こえるが、裏で資本提携でもしているのだろう。車載ステレオから響くFMラジオの声を耳にしながら、その場でツェリカはしゃがみ込む。衣装の上から形の良いお尻の丸みを浮かび上がらせた悪魔は、胸元から取り出したペンライトを口に咥えていた。覗いているのはアルミホイールの格子の奥だ。


(ふむ、ブレーキシューはまだ大丈夫じゃな。焦げ付きもない。よしよし、火山岩とセラミックスを練り込んだとかいう例のディスクが効果を発揮しとるのかのうー)


 何しろ時速三、四〇〇キロから急ブレーキやドリフトなどに移るカーチェイスだ。ブレーキ時にはホイールの奥が真っ赤に輝くほどの摩擦熱が発生する。そしてデキる女は足元も美しく魅せる生き物なのだ。自然とこういう所も気になってくる。この炎天下ならボディ表面の水滴などすぐに乾くだろうが、それでも車体全体を仕上げの水洗いでびしょびしょにする前で良かった。カラダの芯がムズムズしてきた彼女はガレージからジャッキを二つ引っ張り出してきて車体を浮かべると、仰向けになって下へ潜り込む。


「胸がつっかえなければ良いがの、っと」


 数十センチ先に重量数百キロの鋼の塊。結構な圧迫感だが、そもそもサキュバスとは『下に寝る』という意味を持つ語だ。力強くのしかかられるのも悪くない。心の圧は、かえって彼女の気分を軽く高揚させてくれる。


「うはー、意外と砂とか乾いた泥とかこびりついておるのう。まあ、仕方ない。この暴れん坊め、こっちも徹底的に磨いておくか!」


 どうせ誰も見ない所ではあるが、重要なのはそこではない。女の子の下着選びは男に見せるためとは限らないのと同じ理屈だ。


 マギステルスのツェリカが安全でエアコンも利くガレージの中でマシンの整備を行わない理由は三つあった。


 一つ目は、ワックスや洗剤など化学薬品の匂いがこもるため。


 二つ目は、車は外で魅せるものなのだ。本物の太陽光の下で色合いを確かめながら洗車や整備を行うのが一番となる。


 そして三つ目は、どこかで歯止めをかけておかないと部品の一つ一つまでバラバラに分解して磨き上げかねないから。昔はこれでカナメによく叱られた。同じエンジニア系のクリミナルAOは腹を抱えて笑っていたが。


「ふんふーん」


 洗剤の入った霧吹きに布巾。顔まで白い泡だらけにしながら、ツェリカは親に褒めてほしくてお手伝いをする小さな子供みたいな笑みを浮かべていた。


「……ようし旦那様、ガチで驚かせてやるから覚悟しろよ」




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