【Second Season】第四章 場外乱闘はここにあり BGM#04”Team Play”.《007》



 サーバー名、ガンマオレンジ。終点ロケーション、常夏市・半島金融街。


 ログアウト認証完了しました。


 お疲れ様です、蘇芳カナメ様。



◆◆◆



「ふう……」


 気がつけば、今日も随分とゲームに没頭していたようだ。


 少年は一二〇フレームで展開されていた表象マーカーの停止したスマートフォンから目を離し、そこで何度か瞬きした。コンタクトレンズがないと視界がぼやけるが、ほとんど手探りで勉強机の上から目薬の瓶を掴んで、乾いた痛みを発する両目に潤いを与えていく。


(……しまった、コンタクトどうしよう)


 目薬を差してから気づいた。


 仕方がないのでペン立てに突っ込んであった安物のメガネを掛ける。四月一九日、という卓上のデジタルカレンダーの表示がくっきりしてきた。リアルな世界に視力を増幅するスキルは存在しないのだ。とりあえず部屋の外に出たい。小腹がすいている、というより気合いが必要な場面であった。ちょっとコンビニへ顔を出す事に決める。


「?」


(外行きのダッフルコートどこ行った?)


 四月下旬とは言っても、春先は時折思い出したように寒さがぶり返す事もある。窓辺から忍び寄ってくる冷気は本物らしかったのだが、壁掛けフックにはハンガーしかない。彼はスマホを使ってとりあえず妹にメッセージを投げ込みつつ、


(ついでにボールペンを何色か買い揃えておくか……)


 霹靂ミドリとはマネー(ゲーム)マスターの中でいくらでも顔を合わせられるが、それで文通の趣味がなくなる訳ではない。……向こうは新しい距離感をどうすべきか悩んでいるようで、やや文面はギクシャクしているが。続けるつもりがあるなら付き合おうと決めていた。


 それにしてもスマホに返信がない。


 嫌な予感がしてきた。どんなメッセージでも三分以内にレスを返さないとむくれるあの妹が、自分からこの手の連絡を怠るとも思えない。


「おいっ」


 ひとまずリビングのドアを開けると、そこで少年は呻き声を上げていた。

 ソファでだらけて夜帯のテレビを観ていた妹がのそりと身を起こす。


「……こんな時間に出かけるの。その格好だと大した用事じゃないな、カップのアイス何個か買ってきて」


「俺のコート!」


「んえ? 結構色褪せしているし、あちこちすり切れているからもう墓場送りだと思ってたんだけど。ここ部屋の広さに比べてエアコンが貧弱なんだよ……」


 小柄な体に肩までかかる黒髪が特徴的な妹は体が温まって眠気にやられているのか、微妙に目つきがぽやぽやしている。


 妹の悪癖の一つがこれだった。人がバーチャルに没入している間に部屋へ潜り込んできては、サイズも合わないのに目についたワイシャツもジャージもみんな持っていってしまう。試着室にこもってやたらと寝間着にこだわるくせに、最終的にはぶかぶかのTシャツ一枚纏ってベッドの上で大口開けて伸びている事も珍しくない。妹はそれで良いのかもしれないが、何気なく首に巻いて口元を覆ったマフラーから正体不明の甘い匂いが襲いかかってくるとかは結構心臓に悪いのでちゃんと事前に言って欲しい。


「とにかくカップのアイスお願いね」


「部屋の中で人様のコート着てぬくぬくしているくせに、なんて贅沢なヤツなんだ」


 なんかセンスを試されているような注文でもあったが、妹の趣味なら大体分かっている。チョコミントかストロベリーを買っておけば間違いない。ただしこの場合、バナナチョコパフェ風とか四種のベリー配合とか、ちょっと別の味を加えてアレンジした春の新作には手を出さない事。


「お兄ちゃん、マネー(ゲーム)マスターが大変なのは分かるんだけど、リアルの方もおろそかにしないでね。金ならあると金しかないは全然違うものなんだから」


「分かってるよ」


 少年はそこでわずかに躊躇した。


『あの』有力ディーラーも、リアルの世界ではこんなものだ。


「お前の方こそ、その、戻らないのか?」


「ううん」


 ソファの上で、妹はそっと首を横に振った。


「私はすでに退会した身の上だし。今からアカウントを作り直しても、担当マギステルスは『あの子』じゃなくなるんでしょ。だったら良いかなって」


 そっか、と少年は呟いた。


 人の心の傷は目に見えない。彼女なりの乗り越え方があるなら、無理に引っ張り込むのは無粋だ。マギステルスの『総意』は恐ろしくても、個人についてはその限りではない。それが、ツェリカと共に世界の理不尽へ挑む少年には嬉しくもあった。せっかくの芽をここで掘り返す事もあるまい。必要以上には拘泥せず、少年はこれだけ言った。


「行ってきます」


「うい。私が我慢できなくなってぬるい水道水に手を出す前にアイスお願い」


 マンションから出ると、冷たい炭酸を喉へ通したように意識がシャッキリしてくる。白い息を吐くほどではないが、やっぱりコートは奪い返しておくべきだったかもしれない。


 目的地はコンビニだ。ひとまず何でも揃っている、近くの繁華街に向かう。


 辺りはすっかり暗かったが、こんな時間でも人は多い。


 ただし働いている人となるとまた別だ。

 工事などで迂回を促す警備員は対話型のロボットを据え置いておしまいだし、道端の客引きは軒並み絶滅している。今はもう、繁華街で街並みの看板なんか見ている人間はいない。歩きスマホの注意喚起も何のその。みんな揃って視線は手元のスマートフォンに落としたままで、地図アプリやグルメサイトの星の数くらいしか気にしていない。胡散臭い連中もAI広告に任せた方が安上がりで捕まりにくい事に気づいたんだろう。


『やめよう複アカ! キャンペーン!! 現在、世界のアドレスが不足しております。パソコン、モバイル、ゲーム機などのプロファイルを一つに統合する事は立派な社会貢献として……』


「……、」


 ぱかぱか派手な色で点滅する液晶看板の脇を通り抜けていく。


 検索大手のパノラマ撮影隊みたいな三六〇度全周カメラや通信機材を詰めたリュックを背負って電動アシスト自転車を漕ぐお巡りさんとすれ違う。未だに有名なのは現場での柔軟な対応が求められている職種だからか、単純に公務員まわりはシステム更新が遅いのか。


 ちょっと歩くだけで息が上がるし、街灯の途切れた辺りは夜の闇が漠然と怖い。まったく、ゲームの中のディーラーとは大違いだ。


 自宅からそう遠くない繁華街が冷たい迷路のように思えてきた。が、夜景を形作る一角であるコンビニの自動ドアは開かない。


「おっと」


 少年は最初ガラスの出入口とぶつかりそうになり、それからゆっくりと指先を伸ばす。時間帯のせいか、ボタンを押して開ける方式に切り替わっていたのだ。


『せーのっ。こんばんは、女神三姉妹です! セブンレイブン限定おしゃべり、夜の部が始まりますよ。私ことアレクト、それからティシフォネちゃんとメガイラちゃんで織り成す秘密のガールズトークにしばしの間お付き合いください!!』


 明るい店内にラジオ放送にも似たアイドルトーク。ただし人影らしい人影はない。レジカウンターも空っぽで、液晶画面にはこうあった。


『ただいま無人店舗モードです。セルフ会計にご協力ください』


「……、」


 どうやら明かりに感じたぬくもりは砂漠の蜃気楼のような虚像だったらしい。


 アニメ調にデフォルメされた流行りのバーチャル何とかにコンビニ制服を着せただけの店舗キャラクターが躍る液晶画面はどこか白々しい。


 買い物かごを取って、半分干からびそうになっている雑誌コーナーの脇を通ってドリンクコーナーへ。缶のエナジードリンクとペットボトルのスポーツドリンクをカゴに入れ、それから弁当コーナーに回り、やっぱりやめて野菜系のサンドイッチをいくつか見繕う。


『パソコンとスマホでメアドが違っていたり、いくつもあるゲーム機やデジカメで以下略だったり。家電製品のアドレスをたくさん抱えるのって大変じゃないですか?』


『わーかーるー! どうせおんなじ顔や指紋で認証するんだから、わざわざバラバラのアカウントにする意味ないよねっ。もう煙草のヤニで黄ばんだキーボード使ってパスワードを打ち込む時代じゃないんだから』


『一つにまとめてスマート管理。やめよう複アカ! あなたと社会のためにっ!!』


 店内放送については、おそらく人の手で大枠を作ってAIに推敲させた半自動原稿だろう。従う者と従わない者で線引きすると、何とも分かりやすい感情操作が織り込まれているのが分かる。さて、2サポート1、つまり人間の少女とデータアイドルの混成ユニットは自分達が読み上げた原稿の『真意』まで気づいているのか、いないのか。


 ゴールデンウィークが近いからか、デザートコーナーには柏餅がいくつか並んでいる。中身がチョコレートやカスタードクリームとすり替わっているものもあるらしい。


(そうだ、ボールペン)


 いったん文房具のコーナーに引き返して、三色セットの商品を手に取った。何にしてもアイスを見るのは最後だ。この程度の時間で溶けるとは思えないが、何となく常温のままうろうろしたくない。


 メイドインジャパン、オートマチック。


 どこの商品を見てもラベルにはそんな風に書かれているはずだ。安くて大量確保の海外製、というブランドは消えた。AI制御の無人工場に任せれば人件費はゼロにできるし、同じ工場機材さえ導入すればどこの国でも品質は変わらなくなる。


 誰もいないレジカウンターに用はない。そのまま出口に向かっても構わない。無数のカメラで捕捉されているため、代金はスマホから勝手に引き落とされる仕組みなのだ。


 ……こんな制度だと万引きや未払いが横行しそうなものだが、徹底した商品タグ管理とハイスピードの防犯カメラなどで対応している。そして会計の読み取りに失敗した場合は自動ドアが開かないようにできる、らしいのだ。これについては少年もそんな場面を実際に見た事がないのでまた聞きとなってしまうが。レジの隅にある受話器の形のアイコンは、エレベーターと同じく誤作動で閉じ込められた時の緊急連絡ボタンだ。マンションのオートロックと訪問販売の関係みたいなもので、抜け道と対策のいたちごっこになっているようだが、それでも全国チェーンを束ねる大企業としては深夜帯の人件費削減という誘惑は抗い難かったのだろう。その分、早朝の時間帯に品出しが集中するので一長一短なようではあるが。


 AI社会は何かを強要したり、恫喝したりはしない。


 もっと便利で、より自堕落に。


 そうやって人が自分から持っているものを捨てるようにやんわりと迫ってくる。そうしなければ、他のライバルがのし上がる形で。


「……、」


 このセルフ会計だって、深夜帯の仕事を奪われて途方に暮れる人は大勢いたはずだ。無人店舗で電気ショートからの火災に巻き込まれて蒸し焼きにされた、なんていう悲惨なニュースも流れている。非効率かもしれないけど、そういう無駄な所が柔軟に働く事でケアされてきた部分もある。引っ越しの時にコーヒーカップを守る、くしゃくしゃに丸めた新聞紙を詰めた緩衝材のように。AI社会はそうした柔らかい部分を徹底的に削ぎ落とし、カリカリのピーキーになるまで社会の効率化を促して、結果生じてしまった不幸や悲劇については予測困難な誤差として切り捨てる。人間と機械、企業と個人、行政と民間。どこに責任があるのかはっきりしないから、たらい回しの末に誰も裁かれない。人の命が消えようとも、だ。


 世界のアドレスが不足している。


 やめよう複アカ! キャンペーン!!


 これだって人から人、人から機械ではなく、機械から機械へ猛烈な速度で金融取引を繰り返している結果だ。大量のアドレスを取得して圧迫しているのは人間ではなく、実体のないプログラムである。有人ユーザーの登録すらない完全フリーランスの機械間取引の割合、実に全世界の金融取引の四八%。これが過半数を超える時、人間が機械を動かすのではなく機械がお金を支配して効率的に人間を操る時代がやってくる。


 同時に。


 生体認証と関連づけて、アドレスを一人一つで統合してしまえばAI連中の『総意』が七〇億人を個別に管理する上で都合が良いのだろう。ネット通販の履歴やSNSの発言からユーザーの思考を分析し、地図アプリに表示された光点をタップすれば完全自動運転車が自然な事故に見せかけて速やかに撥ね飛ばしてくれる。そんな未来だって作れるはずだ。


「さて」


 少年は無事に会計を済ませてコンビニを出る。


 火事で蒸し焼きにされる事もなければ、会計ミスで店舗に閉じ込められる事もなかった。


 今日は誤差には遭遇しなかった。


 でも、明日はどうだろう。


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