【Second Season】序章《002》
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サーバー名、プサイインディゴ。始点ロケーション、常夏市・娼婦島。
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ようこそ蘇芳カナメ様、マネー(ゲーム)マスターへ。
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ギャリギャリギャリ!! という激しくタイヤを擦る音と腹に響く震動がハンドルを握る少年の全身を揺さぶる。アスファルトの他、微量の塩と砂を含む海沿い特有の音色であった。ミントグリーンのクーペ、その尻を振り回すようにしてヘアピンカーブをクリアしていく。
世界最大のネットゲーム、マネー(ゲーム)マスターによって構築された南国の半島金融街、常夏市。
そうでもなければ、こんな少年が銃や車を使いこなす事は許されない。
チリチリと鼻先に、電気を散らすようなうっすらとした痛みがあった。
獅子の嗅覚。
彼が命を預ける危険信号が断続的に自己主張を繰り返している。
助手席の悪魔にしてレースクイーン、マギステルスのツェリカは心地良い慣性の重みを体の芯で浴びながら嬌声を放っていた。機嫌良さそうに二股の尻尾を振り、柔らかい体が跳ね回るたびに大きな胸の谷間へシートベルトがぐいぐい食い込んでいる。
「あっはっは! 日本金庫を追い回すとはやはり旦那様は豪気だのう、ようは政府機関ではないか!!」
「仮想通貨に円が押され気味だからって国家銀行の連中はしゃぎ過ぎだ。国民キャッシュバック制度? いよいよ国でも売り払う気かっ! ……それよりオフルートどうなってる、足止めは!?」
娼婦島はマネー(ゲーム)マスターの中でも最たる魔窟だ。理由についてはわざわざ説明するまでもあるまい。背の低い古ぼけたビルの群れをベースに好き放題改築増築で積み上げられた廃材の塊は、まるでそれ自体が一つの生き物のようでもある。さながらカナメ達は無数のビルを素材にした歪な多脚生物の腹の下を潜っている感じになるか。
車で爆走中だから正直助かるが、真昼の割に人影がないのは島ごと昼夜が逆転しているからだろう。
こんな複雑に入り組んだ地形ではたった一台の標的を追い込むのは難しい。行き止まりに追い詰めたつもりでも、どこにでも細かい迂回路があるからだ。先行して罠を張り、蜘蛛の巣のように広がる道を塞いでこちらから袋小路を作る必要があったのだが……。
「チッ。瞬発力なら勝ってるけど、やっぱり最高速度は向こうが上か」
「そりゃ重さが倍近く違うからのう」
重たい車は速度が乗るまでは大変だが、いったん勢いがつけば凄まじい速度域で暴れ回る。クレーンの鉄球でも思い浮かべれば分かりやすいかもしれない。振り回すようなドリフトの連続は独特の挙動を取り続けるものだ。
「わざわざこちらから迷路へ追い込んだのじゃろ? ここ抜け出されて一本道の直線に逃げられたら力業のエンジン出力だけで振り切られるぞ」
矢が二股に別れた尻尾を伸ばし、助手席でくつろいでいるだけに見えるツェリカだが、実際問題、データ処理の部分は全部こいつがやっていると考えて構わない。こうしている今もオンラインで繋がり、一万分の一秒単位で蘇芳カナメ名義の金融取引を繰り返しているはずだ。
もちろん、その莫大なリソースは銃撃戦やカーチェイスにも応用できる。
フロントガラスを通し、目の前の風景と重ねるようにしてSNS風のチャットが流れていく。
『ミドリ>何とかキャッシュバック? いまいちピンとこないけど、ようは国が全国民に一律でお小遣いをあげるって仕組みでしょ。もらえるものはもらっておけば良いじゃない。何が問題なの?』
「大有りだ馬鹿野郎……」
「文字にせんといたいけな女子中学生には伝わらんぞ」
牛みたいな頭の角を指先でなぞってくつくつと笑う悪魔は放って、カナメはハンドル捌きと目線の動きを使った高速チャットを同時にこなしていく。
『彼女』は消えてしまった親友、霹靂タカマサの妹だった。
カナメはタカマサに大きな恩がある。
ゲーム内で射殺されそうになったカナメ自身の妹、かつて蘇芳アヤメと名乗っていたディーラーを庇ってくれたからだ。文字通り、身を挺して。だからカナメは何があってもミドリを守る。どんなわがままでも聞く。そういう風に世界はできていた。
『カナメ>働く必要もなくみんなが分け隔てなくお金をもらったって誰も豊かにならない。その場合、ただ円の価値が下がるだけだ』
『ミドリ>分かる言葉で言って』
『カナメ>一〇〇〇円小遣いをもらったラッキー。でも缶ジュースは一本二〇〇〇円になりました。これでもラッキーは継続中か?』
『ミドリ>……、』
『カナメ>そういう事。こんなのいったん始めたら歯止めが利かなくなる。一〇〇〇円でダメなら五〇〇〇円に、それでもダメなら一万円に。……空き家対策で建物や土地を処分して獲得した資金や税金滞納者からの差し押さえ金をさらにゲームで運用して増やし、そいつを公共サービスとして還元する? 馬鹿言え。税金に支えられてコケても生活に困らない官公庁と、いったん負けたら回復不能なハイエナ民間企業の間じゃハングリー精神が違う』
『ミドリ>そんなに?』
『カナメ>まあやっかみもあるんだろうけど、こんなウワサがある程度には。二世タレントと税金暮らしのお役人に銃を向けるととっさに撃ち返したり遮蔽物に飛び込んだりする事もなく、普通に立ち止まって両手を挙げるんだってさ。フォールされてもやり直せるって間違った考えで早々に諦めるらしい。お金の恐ろしさを知らない連中じゃあ、このゲームでは勝てないよ』
ミドリからレスはなかった。
どうやら沈黙してしまったようだ。
『カナメ>必要は発明の母。羊の皮を被った民間企業の方が効率的に金を増やす設計図、金融技術の面で二世代くらい進んでるって話だ。しかも失敗した場合、転嫁されるのはどうせ窒素や二酸化炭素関係の環境税の上乗せだぞ。つまり、あっちこっち回り回って電気ガス水道なんかの公共料金に変換される。最後は国民全員が被る羽目になるんだよ。じんわりと、逃げ場のない形でな』
『ミドリ>ややこしい……』
『カナメ>わざとそうしているんだ。資産運用に失敗したから増税しますじゃ誰も納得しないだろ。お役人はあれこれ言葉のキャッチボールを繰り返してふんわり軟着陸しようとするだろうけど、結局みんなから税金を吸い上げてみんなへ平等に配り直すんじゃ計算が合わない』
『ミドリ>あれ? それってどうなってるの?』
『カナメ>国が一時的に借金してみんなにお金を配って、足りなくなったらその分は毎度の後回し。まあ、最終的には国債乱発か造幣局フル回転で新札を刷って対応するしかなくなるんじゃないか? どちらにせよ辿る道は一つ、円の価値がガタ落ちして国ごと沈むだけだ』
『ミドリ>うへえ……』
『カナメ>何が次世代のスマートな公共サービスだ。幸せの手応え? 一億もらったって掴める訳ないだろ。その頃には缶ジュースの値段が二億超えてる。だからミドリ、オフルートの方しっかりしてくれ! 厚労省が稼いだ金を日本金庫へ届けさせる訳にはいかない!』
『ミドリ>いちいち!をつけんでも分かってる!!』
そっちは二個つけとるがの、とツェリカはのんびりツッコミを入れていた。
国の予算というのは目的に合わせて各省庁に配られている。これは、目的以外の内容で使ってはならないという決まりがある。……ので、『連中』はいったん『税金の資産運用』などの名目で追跡のできないマネー(ゲーム)マスターの仮想通貨スノウに置き換えてから、部署をまたいでお金を移している訳だ。本来の目的を無視して、自由にお金を使うために。
言ってみれば、このゲームはお金のワームホールだ。
いったんここでお金をシャッフルしてから配り直すと、リアルの垣根はなくなる。
つまり、道路工事のための予算を医療保険のために付け替える、といった事もできる。
もはや官公庁が行うロンダリングだ。
「しかし旦那様も変わったのう」
「何が? この状況で地雷使わないディーラーがいるとしたらよっぽどだ」
「そうではなく。以前の旦那様なら全部一人で片付けるか、良くてもマギステルスのわらわに別行動を命令するくらいじゃったろ。他のディーラーを頼るなんて事は考えもしなかったはずじゃ」
「……、」
「どういう心境の変化かのう。グラマラスおねいさんは妹系ツインテールに妬けてしまうのうー?」
カナメは派手にハンドブレーキを引いてツェリカの全身がシートベルトに締め上げられた。悪魔は尻尾の先まで力をみなぎらせ、
「ぶえっふ! おいこら旦那様、ちょいとしたツッコミで疑似縛りまでやるかえ!?」
「そうじゃない舌噛むなよ」
彼はデジタルデータよりも、鼻先で弾ける自分の危険信号に背中を預けた。
バシュシュ!! と。
フロントガラスのすぐ前を対戦車ロケットの光と噴射煙が横切ったのは直後の事だった。
今さらのように両目を見開き、心臓が止まったような顔をするツェリカにカナメは舌打ちしながらハンドブレーキを再び解放する。ナビ役にはもう少し頑張っていただきたい。アクセルペダルを強く踏み込んで速度を稼ぎつつ、横目でサイドの窓の向こうを睨みつけた。
「伏兵がいる。身軽だけど走りながらロケット撃つって事はバイクじゃない、三輪のトライクで二人乗りって感じかな」
「あ、あ、あんなもん直撃したらわらわの大事な神殿が一発でひっくり返るぞ旦那様!!」
たかがゲーム、されどゲーム。仮想通貨スノウが現実の円に匹敵するこのバーチャルで撃ち殺されて『フォール』すれば、ペナルティとして二四時間の強制ログアウトに陥る。それくらい? と思うなかれ。この期間中は人間もマギステルスも金融取引に触れなくなるため、実質的に他のディーラー達から無制限に貪られる羽目になる。資産数百億スノウの大富豪が一夜にして借金地獄に転落する様はなかなかの絶望だ。
死ぬより恐ろしい事なんて、世の中には腐るほどある。
しかし蘇芳カナメの表情は涼しいものだった。
本当にできるディーラーは、目の前の危機に脅えて当たり前に足をすくませたりはしない。硬く身を縮めてしまえばかえって危険だという事を、嫌というほど知っている。
「対車両ダメージ増のスキル『アンチビークル』はロケット系の武装とは相性悪いから大丈夫だよ。ありゃ最初の一発目を当てたら、後はその一点へ重ねるように着弾を重ねていくスキルなんだから。理屈としてはガトリング銃とかと一緒。連射のできない単発武器じゃ意味がない」
「じゃからその最初の一発で死ぬッ!!」
「なら当たらないよう祈ってろ」
もちろん芝刈り機みたいな軽いエンジンしか積んでいない二人乗りのトライクに速度で負ける訳はないが、これもまた最高速度と瞬発力の話だ。ダートやオフロードの他にサーカスでも大ジャンプで観客を沸かせる、必要以上に太いサスペンションを噛ませたトライクであれば、木箱や腐って倒れた椰子の木などちょっとした障害物くらい乗り越えてショートカットしてくる。こんな迷路の中だと侮れる相手でもなくなってくる。
連中の格好はオフロード車にお似合いの派手なライダースーツだったが、それとは別にギラギラとした金のネックレスや腕輪が見て取れた。
おそらく装備品に組み込まれたスキルの恩恵を得るためだろう。マネー(ゲーム)マスターでは、強さに直結する要素は全て金で売買できるようにできている。あの挙動だと強制的に姿勢の安定を保つ『バランサー』や体感的な時間を遅らせる『スロー』などのスキルで知覚も補強しているはずだ。
プロの殺し屋をログインさせれば連戦連勝できるほど甘いゲームではない。
とはいえ、最初から『ゲームの力』に頼り切りだとそこで慣れてしまい、自分の伸び代を潰してしまうケースもある。この辺りは一長一短だ。
パンパン!! という乾いた銃声がいくつか響いた。
後部シートの射手がロケットの次弾を装填している間は、トライクの運転手が片手で撃てる機関拳銃で時間を稼ぐよう取り決めているらしい。対車両の『アンチビークル』は連射武器と組み合わせると脅威のスキルだが、装備しているのは後部シートの射手なので運転手については心配無用。そして改めて観察してみれば、臨時で銃を掴んだ運転手は時々チラチラと自分の手首に目をやっているのが分かる。とはいえ時間を気にしている訳ではあるまい。
カナメは思わず顔をしかめるところだった。
(……銃の残弾をモバイルウォッチに表示させているのか? 体の動きについても基礎訓練よりスキル優先。あれが全部演技でなければ、護衛のトライクもフリーだな)
「逃げ切れるのかえ!?」
「今のポジション崩したくない。相手剥き出しだぞ、撃った方が早い!」
運転席側の窓を開け、片手でハンドルを掴んだままもう片方の手で四五口径ベースで消音器と一体化した銃身と折り畳みのストックが特徴の短距離狙撃銃『ショートスピア』を外へ突き出すカナメ。
彼は、射撃と車の運転に関してはスキルに頼らない。
敢えてのマニュアル照準。
カチチン!! と。
銃声を封じられ、金具の音だけが小さく響く。お店の看板代わりに女性下着ばかり不自然に干した物干し竿の列を鉛の塊が突き抜け、向かいの小道を走る安っぽいエンジン音が唐突に途切れた。代わりに壮絶なクラッシュ音が炸裂する。
自動的に標的の中心に狙いを合わせる『だけ』のスキル、『オートエイム』ではできない成果。
ゲームの恩恵を利用しつつ、そこで捕らわれないバランス感覚の賜物だ。
両手を頭の後ろにやり、大きな胸を張ってシートベルトへ無意味に食い込ませているツェリカは口笛を吹いていた。
「……相変わらずの腕じゃのう」
「外付けの力で強制的に体勢を保持するスキル『バランサー』の使い手だろ? つまりどんなに飛んだり跳ねたりしても必ず奇麗な放物線を描くんだ、分かっていれば狙いやすい。それにこんな脇道で褒めてどうするんだ。逃げるスポーツセダンを見失ったらそれまでだぞ」
銃を助手席の眩い太股へ放り投げ、少年は両手でハンドルを掴み直し、危なげなく建物の角を派手に曲がっていく。
カナメ達が追い駆けているのは、いわゆる運び屋だ。ただし札束の詰まったドラムバッグやアタッシェケースを抱えている訳ではない。
「運び屋専門のディーラー、メニーゴーラウンド。4ドアそのものが走る金庫か。しかしまあ豪勢な話ではないか」
「あれ全部みんなの税金だぞ。ステアリングウェイトだ」
スポーツカーやレーシングカーは一般に重心は低い方が有利とされている。そちらの方がより高速でカーブを曲がり切れるからだ。そのため空気抵抗以外の理由でも車高はできるだけ低く抑えるものだが、それでも要求仕様に足りない場合は、車の底に鉛などの重金属を詰めるケースもある。もちろん瞬発力を犠牲にするため、最後の手段ではあるが。
今回の場合、車体の真下に敷いた畳一枚分以上のタンクの中を、やたらと重たい比重一九の液体でたぷたぷにしている訳だ。
『ミドリ>グラムあたりの値段は純金の二五倍だっけ? まったく信じられん……』
『カナメ>高級ブランドの化粧品なんてそんなもんだよ。プロ仕様、芸能人仕様、セレブ仕様、変な冠がついて色々グレードが上がると際限ってものがなくなる。まして年がら年中陽射しの強い常夏市じゃ、サンオイルの需要が下がる事はないだろうしね』
『ミドリ>サンオイル!! そんなの工場で大量生産している商品なんでしょ? 純金とかダイヤみたいに、土の中に埋まっているものじゃない!』
そりゃあ黙っていても勝手に水を弾いてしまう女子中学生のミドリには価値の分かる話でもないか。人外の美に首まで浸かっているツェリカも興味はなさそうだった。
カナメはそっと息を吐いて、
『カナメ>工場設備が移転した時のゴタゴタで人知れず
『ミドリ>うええ……』
『カナメ>あれ一台で二〇〇億スノウの仮想通貨が走り回っているぞ。逆に今時の銀行はそこまで現ナマを置いていないんじゃないか』
『ミドリ>ねえそれ、秘匿資金とか電子貨幣とかって呼んでいる人もいるけど何なの?』
『カナメ>特殊詐欺とか危険ドラッグなんかと一緒だよ。大きなお金が動いているけど役人に嫌われるモノは大抵コロコロ名前が変わっていく。電子マネー、仮想通貨、暗号資産、お次は架空預金か暗黒財産辺りかな。ぐるぐる何周も回って落ち着かないから結局仮想通貨で落ち着いている、今のところはな』
『ミドリ>全然定着しなかったお母さん助けて詐欺みたいなもんか……』
マネー(ゲーム)マスターの世界では、きちんとした駐車場に停めてある車は盗みも破壊も不可。バリアのようなものに守られる。下手な大金庫や森の中に隠しておくよりよっぽど安全でもあった。
カナメは何度も細かくハンドルを切り返し、S字に蛇行する格好で錆びた自転車やゴミバケツなどを避けながら、
「……だから早い内に駐車場を特定して、周り全部地雷で囲んでやれば良かったんだ。出発進行と同時に吹っ飛ばせたのに」
「相手は日本金庫と厚労省を繋ぐ運び屋じゃぞ、それもわざわざ追跡の難しい仮想通貨スノウを使ったな。守りのための欺瞞情報くらい大量にばら撒くわい。何しろ出処が税金じゃから躊躇なしじゃろうしな」
ともあれ、あいつを逃がして仮想通貨の形に変換された『国の予算』が厚労省から日本金庫へ運び込まれると、国民キャッシュバック制度とかいう配給サービスが始まってしまう。待っているのは円の価値がどこまでもガタ落ちするハイパーインフレの始まり始まりである。
だからその前に始末する。
必要以上にエンジンを噴かしているのは、何も気合いが空回りしているからではない。
『カナメ>b4からc7へ回った。ヤツは追い立てられて焦ってる、ミラーしか見てない』
『ミドリ>待って何とかする、これでよし、と。車のハンドル握ってるヤツのコーディネートは銃撃戦よりカーチェイス優先。ジャケットもズボンもベルトも全部「D.V.A.」とかいう動体視力を高めるスキルがついてる。同じスキルを重ね掛けして、真正面に集中しての回避メイン。でも両サイドや後方の視界は車載カメラとモニタに頼り切り。側面からの不意打ちについては反応速度が鈍るはず、と!』
相変わらずであった。
しれっと言っているが、一目見ただけでそこまで正確にステータスを掌握できるのは彼女だけだ。これに関しては助手席のツェリカまで軽めに呻いている。全体を眺めてコーディネートの狙いを読んでいるだけ、と当人は語っているが、十分以上に天才だ。カナメの獅子の嗅覚とはまた違った、替えの利かない才能である。
オフルートだの地雷だのと言っても、先行するスポーツセダンが走っているのは硬いアスファルト。スコップで掘って地雷を埋める事はできないし、そんな話は期待していない。
だからこうなった。
いきなり真横の路地から飛んできた爆発物が逃走車に突き刺さった。
脇腹を食い破られたスポーツセダンがそのまま横転して道から外れていく。
ようは、先ほどのロケット砲とあまり変わらない。オフルートは『道の外に仕掛けられた』という意味であって、この場合は道を横切るように不可視の赤外線やレーダー波を張り、遮断した標的へ自動的に対戦車兵器を撃ち込むユニット一式を指す。
設置を任せたミドリはまだまだビギナーだが、気配を消す『シークレット』のスキルのついたアクセサリーを装備させておいたのが功を奏した。……とはいえカナメやミドリがやってのけた通り、スキルは正体が分かれば逆手にも取れるので、油断は禁物なのだが。
ギャギャリ!! とカナメのクーペもまた尻を振るようにして強引に急ブレーキをかける。
獅子の嗅覚が、急速に引いていく。
「あーあー、全部炎で埋め尽くされとるではないか。あのバーベキューでは中のは死んどるのう、確実に」
「フォールを確認するまで絶対も確実もナシだ」
派手な銃声と共に、カナメのクーペのフロントガラスいっぱいに蜘蛛の巣のような亀裂が入ったのはその時だった。
「……、」
「……。」
表示も全部死んだ。
ツェリカが無の表情になった。
そしてカナメの短距離狙撃銃を掴むと、助手席の窓から炎と鉄くずの塊へあるだけ鉛弾を叩き込んでいった。
「あーほーかーくだらん最後っ屁で毎日ピカピカに磨き上げとるわらわの神殿を傷モノにしてくれおってえええー……ッッッ!!!???」
「? よせツェリカ、ありゃ炎の中にある弾がポップコーンみたいに暴発しているだけだ。中のディーラーはとっくにフォールしてるよ」
「確認するまで絶対も確実もナシじゃろうがあ!!」
獅子の嗅覚に反応はないが、それでもツェリカはマジメだった。先が二股に分かれた尻尾をカナメの首に巻いてがっくんがっくん揺さぶりつつ、銃撃の反動で大きな胸を揺らす事にも余念がないらしい。マジメ過ぎて手に負えないので優等生はしばらく放っておこうとカナメは決めた。
(半島金融街の方に月額いくらで撃ち放題とかいうサービスあったっけ。こりゃあツェリカに火薬詰めさせるんじゃなくて、銃砲店と契約結んだ方がお得かなあ……?)
ガォン!! という車とはまた違う、激しいエンジン音が追い着いてきた。赤い紅葉柄の大型レーシングバイクにまたがっているのは、長い黒髪をツインテールにした、ビキニにミニスカートを穿いた未成熟な少女だ。黒地に白のふりふりをつけているので全体的に雰囲気がゴスっぽい。
「ミドリ」
「てか、倒しちゃったらクエスト完了? あの燃え盛ってるのどうするの」
「どうするって、ここはお金が全てのマネー(ゲーム)マスターだ。紙幣やダイヤと違って値段が爆上げされた例のサンオイルは燃えない。それならステアリングウェイトのタンクが壊れる前に、さっさといただくものをいただこう」
「?」
「全員道連れで通貨の価値を下げず幸せの手応えを掴む方法は一つ。不平等でも良いから、誰かが突出して金を持つ事だ。世界ってシビアにできてるよな、ほら一緒に消火栓探しに行くぞ。ポンプで吸うのはそれからだ」
「えと、これみんなの税金なんだよね? 総取りとかって罪悪感は……ねえってばー!?」
ぎゃあぎゃあ喚きながら追ってくるミドリを従えながら、カナメはそっと息を吐く。
そして、だ。
人間達が誰もいなくなった後。
「……、」
一人ミントグリーンのクーペに残されたツェリカは涙目のまま車を降りて、愛おしげに(フロントガラスに蜘蛛の巣状の亀裂が広がった)車のボディに頬ずりしていた。直射日光のせいで少々いやかなり熱いが気にしない。愛があるのだ!
「ぬおお済まぬ我が存在を支える神殿よ。もう少しだけ待っておくれ、すぐにガラスを張り替えて隅から隅までピッカピカに磨いてやるからのうー」
そう独り言を呟いている間にも、レースクイーン衣装やクーペのボディの模様は流動的に変化していく。全てはカナメのリクエストだ。
(……今回のキャッシュバックは福祉名目、財源は厚労省ベースでかき集めていたのじゃから、ここ最近のニュースと照らし合わせて、走る金庫に詰めておったサンオイルの時価総額と見比べてみると……ふんっ、現実で高額医療費を払えず貧困にあえぐ難病患者やその家族達から無理矢理差し押さえたVRの家財道具をマネー(ゲーム)マスター内で競売に掛ける珍事件が発生、か。まったく今見てもムカムカする。表計算ソフト起動、マクロ処理を挟んで一万四〇五五件の取引記録を合算。ふむふむ、旦那様が睨んでいた通り、やはり総額とメニーゴーラウンドの抱えていた大金はぴったり合う。ふむうー、推測に具体的な数字で根拠を与えられたし、これで確定かの)
ぱぱぱぱぱぱぱぱっ、と大量のウィンドウが車体を埋め尽くしていく。
常人には目で追い駆ける事もできない勢いだが、一万分の一秒で金融取引を行うマギステルスたるツェリカにとってはあくびが出るような確認作業でしかない。
(なら、超高級サンオイルの塊を換金して大量確保した仮想通貨スノウでそいつを全て買い戻し、匿名扱いで持ち主に返してやれば帳尻を合わせられる。現実ではできなかった結婚式のチャペル、病気の痛みを気にせずくつろぐための別荘、海を見た事がない子供のためのプライベートビーチまで……。やれやれ、アシが出ないようきっちり帳簿計算せんと旦那様が怒るからのう。ここは良いところ見せて、さっさとガラスを張り替えてもらうとするか)
何も知らないミドリの前で、わざわざこれみよがしに言う必要はない。
人助けは、見せびらかすものではない。
蘇芳カナメという少年は、そういう生き方を選択している。
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