第三章 仮想と現実 BGM #03 ”the asterisk”.《002》




 この世の終わりだった。


 人間という人間が、余裕も理性もなくただ両腕を振り上げて、雄叫びを放ちながら追い駆けてくる。街一つ分、国一つ分、いいや世界全部が敵に回っているのだ。普通なら高校生の少年一人くらい簡単に捕まえて血祭りに上げられそうなものである。なのにこうして妹と二人でギリギリかわし続けていられるのは、それだけ追っ手の方こそがパニックに陥っているためだ。


 破産の恐怖。


 人生が崩れていく幻覚。


 そんなものに囚われている人達は、もう同じ人間には見えなかった。低い声を上げながら人肉を求めて徘徊する、ゾンビなんかの方がぴったりだ。


 バーチャルな世界からの干渉。デジタルデータの群れがリアル世界にできる事。


 てっきり機械を操るとか、そこらじゅうの防犯カメラに追跡されるとか、そんなものをイメージしていたが、実態は全然違う。マネー(ゲーム)マスターはお金を使って人間を操る。人を物として操作するための巨大システムが牙を剥いているのだ。


「はあ、はあ!!」


 とにかく妹と一緒に走る。


 リアル世界で追い回され、追い詰められるのは、マネー(ゲーム)マスターとは全く毛色が違った。腹の底から湧き出してくるような、あの不謹慎とも言える獰猛な喜びや高揚が一切ない。ただ底冷えするような命の恐怖だけで埋め尽くされる。


 獅子の嗅覚が効かない。


 いいや、膨大で濃密な塊に追われているのは分かるが、強さや方向がまるで掴めない。とてつもない濁流が好き放題暴れているような感じだ。


 人間に。


 同じ人間に、あそこまでのモノを出せるのか。


 こんな状態がいつまでも続いたら流石にスタミナが保たない。冷静さを取り戻した群衆が『もっと頭を使って』捕縛に動けばあっという間に捕まる。最悪のビジョンが頭に浮かぶ中、妹の方がヤケクソ気味に叫んでいた。


「あのメールを送ってきたアドレスはね!!」


「ああ!!」


「はあ、ふう!! マギステルスだった。ツェリカ!! お兄ちゃんのマギステルスだった!!」


 思わず、状況を無視して立ち止まるところだった。


 妹に手を引っ張られ、改めて夜の街を逃げ続ける。


「何だって……?」


「アドレスは間違いないもん! ひょっとしたら踏み台にされている可能性もあるかもしれないけど、でも、十中八九彼女が黒!! 何にしたって、話を聞いてみた方が良いよ!!」


「話を聞くってどうやって!? 今は世界中のディーラーが強制ログアウトで締め出されているはずだ! 二四時間限定のフォールなんて話じゃない。期間無制限でお先真っ暗の!!」


「忘れたの、お兄ちゃん? 今の私は無辜の管理者なんだって!」


「……、」


「もうすぐ粛清されるかもしれない。権限はよそに移るかもしれない。でも、今はまだ私は管理者だもん。無理矢理にでもお兄ちゃんをログインさせてみせる!!」


「でも、システムは管理者を重視していない。場合によっては使い捨てだろう。システムの益にならない行動を取ったりしたらパージされるんじゃ」


「もう牙は剥かれている! それにシステムは私の中にある『お金で買えないもの』に興味があるんでしょ。だったら見せてあげようじゃない、絶対に譲れないものを!!」


 だとしても、どこでログインする?


 マネー(ゲーム)マスターはあくまでオンラインゲームだ。体感的には異世界にでも旅立っているように見えるが、リアルな肉体は置き去り。こんなゾンビの群れの中に放り出しておけば、あっという間に取り囲まれてしまう。


「一つだけ心当たりがあるよ」


 妹はそんな風に言った。


 怪訝な顔をする少年に、彼女は昔のような笑みを浮かべてこう答えた。


 もう一度少女の兄になると決めた少年に、少女も妹の顔で。


「私達の秘密基地!! 公園脇のプラネタリウム跡地なら!!」


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