第三章 仮想と現実 BGM #03 ”the asterisk”.《001》


◆◆◆


 サーバー名、プサイインディゴ。終点ロケーション、常夏市・半島金融街。


 ログアウト認証完了しました。


 お疲れ様です、蘇芳カナメ様。


◆◆◆


 激しい眩暈に襲われ、光の乱舞が見慣れた寝室の像を結んでいく。


 平衡感覚が完全に戻る前からスマホの充電コードを引っこ抜き、少年は慌てて部屋を飛び出した。


 だけどそこには誰もいない。


 今日も一緒に夕飯を食べたはずの妹の姿がどこにもない。


 まるで示し合わせたように、身元がバレて慌てて行方を晦ませたようなこの消失。


 深く考えるまでもなかった。


 ……退会しているはずの妹にはマネー(ゲーム)マスター内での少年達の動向を掴む手段はなかった。にも拘らず、現に彼女はこのタイミングで図ったように消えている。何かしら、一般ディーラーとは別の手段で覗き見をしていたのだ。


 管理者。


 ゲームバランス崩壊を防ぐため、意図してクリミナルAOをフォールさせた、全ての元凶。


「くそっ!!」


 聞きたい事は色々ある。


 妹がどこへ消えたのか、論理的に説明するためのヒントはない。無断で部屋に踏み込んで財布や通帳の有無を確認すれば逃走可能範囲は絞れるかもしれないが、そもそも妹が管理者なら世界中の金を自由に動かせる。もはや火星に逃げる選択肢さえ浮かんでいるはずだ。


 だから少年は論理的な推理を諦めた。


 そしてそれでも靴を履いて玄関から飛び出す。


 何の用意もなく不自然に消えた。だとすれば、妹にとっても今回の逃走劇はイレギュラーであったはずだ。追い詰められた思考では、無限の選択肢も極端に狭まる。いきなり名前も言葉も分からない世界の裏側へ逃げるとは思えない。行動としては可能でも、思考としてはそこまで思い切った事はできない。いざという時に駆け込める場所は、意外と限られているものだ。それは普段から足しげく通っている生活範囲の中に限られてくる。


 ……妹の事なら何でも分かる。


 マンションを飛び出して明かりの少ない夜の道を突っ走る。


 少年は歯を食いしばる。


 ……でも本当にそうなら、そもそもどうして管理者の件を看破できなかった?


 ここは金融と犯罪の大都市ではない。手元に銃はないし、スポーツカーはないし、頼りになるマギステルスもいない。ちょっと走れば簡単に息が上がるし、その辺の不良に絡まれて顔を殴られただけで足はガクガク震えるだろうし、オモチャみたいなナイフでお腹を刺されればフォールだのデッドだの関係なく一発であの世に送られる。


 どうしようもなく弱い少年。


 選ばれもしなければ、何も成し遂げられない、それだけの有象無象。




 だけど一発で発見した。


 その絆の強さを証明するように、群衆の中に紛れようとする小柄な女の子の背中を。




 マンションから少し離れた繁華街だった。


 駅からも離れたここのメイン客層は、少年達の暮らすマンション群の利用者達。つまり、普段から少年や妹が買い物を考えるとまずここが思い当たった。


 カナメ同様、とにかく着の身着のまま、部屋着で雑踏に紛れようとする小柄な影。


 最初、妹はこちらに気づいていないようだった。


 チリッ、と鼻の頭に嫌な感覚が走り、少年は本格的に顔をしかめた。


 同じ家で暮らす妹からそれが漂ってきた事に、捉えてしまった事に、どうしようもない自己嫌悪を覚える。


 何かの気紛れか、定期的に確認作業でもしていたのか。


 先を行く少女が後ろを振り返った途端に目が合った。


 ここでの選択は色々あっただろう。


 だが妹は少年の顔を見るなり、弾かれたように全力疾走で逃げ出した。群衆をかき分けるどころか、半ば以上突き飛ばすような格好で。


 黒で確定。


 家族としては哀しむべきか、余計な茶番劇でこれ以上嘘をつきたくないという彼女の想いを汲んでやるべきか。


 だが無罪放免にはできない。


 話を聞かなくてはならない。


 全ての元凶が妹にあった。クリミナルAO、タカマサをフォールさせ、その妹の霹靂ミドリを含む家族達に借金を負わせて『AI落ち』させ、多数の『遺産』をゲームの中にばら撒いて多くの火種を作り、『銀貨の狼Agウルブズ』壊滅、リリィキスカをこの手でフォールさせる羽目になった、その全てを『管理者』として牛耳ってほくそ笑んでいた、一連の全ての黒幕……。


「逃がすか」


 呟いてみて、その底冷えする響きを自分の耳で聞いて、少年は感情を整理した。


 残ったスタミナの全てを振り絞って全力で走る。妹の背中を追い駆ける。ただならぬ雰囲気に回りはざわつくが、暴漢か何かと勘違いして食い止めにかかる者もいなかった。やはり現実はゲームのようにはいかない。たった一つの命を棒に振れる者はいない。


 横断歩道の赤信号に捕まって方向転換しようとした妹の二の腕を掴む。


 一度は振り払われたが、両手で細い肩を掴んでそのまま信号の柱へと背中を叩きつける。


 呼吸困難で喘ぐ妹の顔を至近で睨み、大声で質問を飛ばす。


「何をした?」


 大声は、もはや叫びの域に変わっていた。


「一体何をしたッッッ!!!???」


 普通の人には、何が何だか分からない抽象的な質問だっただろう。


 だけど、それを耳にしただけで妹の小さな顔がくしゃくしゃに歪んだ。


 思い当たる節がある証拠だ。


 自分の足で立っていられないのか、そのまま柱に沿う形でずるずると地面へ崩れ落ちていく。体育座りのように膝を抱える妹は、しかし顔を俯かせる事も叶わない。少年の手で肩を押さえつけられたまま、兄の顔を見上げたまま、震える嗚咽があった。それはすぐにでも、小さな子供のような大音声の泣き声に変わっていった。


 家族を泣かすようなヤツは最低だ。そんなのはもう人間じゃない。


 昨日まで当たり前のように思ってきた事実が、翻って自分の胸に刺さる。


 だが、なかった事にはできない。


 話を聞かなくてはならない。


「……管理者……」


 ひっくひっくとしゃっくりのような音を何度か洩らしながら、ボロボロの顔で妹は何とか言葉を紡ぎ出そうとしていた。


「……無辜の管理者……、選ばれた……。私、でも、だって、私……!!」


 言葉は断片的で、意味が通じていない部分もある。


 だが気になるところがあった。


「選ばれた……?」


「……、」


「自分でなったんじゃない。開発や運営の一人だった訳じゃない。お前は、選ばれた……?」


 誰に?


 どうやって?


 鼻の頭からチリチリとしたあの感覚が萎んでいく。


 引っ込んでいく。


 少年の中で次々と疑問が浮かんでくるが、妹も妹でようやく喉の震えが多少は収まってきたのだろう。ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、引きつったような笑みを浮かべて先を続けた。


「『本当の運営サイド』がいるのかどうかは分からない。ひょっとしたら全部AIが仕組んだ事なのかもしれない。だけど、ある日突然メールでやってきたの。あなたは無辜の管理者に選ばれたって。表向き、添付ファイルのないメールだから油断していたんだよ。あんなの開けなければ……!!」


「何なんだ、無辜の管理者っていうのは……」


「『連中』は莫大な力を持っているんだよ」


 妹はポツリと質問に答えた。


『連中』。見えない敵。サイズもスケールも分からない、ただ枠だけで語られる存在。


 マネー(ゲーム)マスターが世界に覆い被さる影、そのもの。


「だけど、『連中』はそこで満足しなかった。世の中には『お金で買えないもの』がある。でも、具体的にそれが何の事かは分からなかった。だから自分で理解する事を諦めた『連中』は、そうしたものをよそに求めたんだよ」


「それが、無辜の管理者?」


「どういう選定基準なのかは分からない。優れたディーラーのお兄ちゃんじゃなくて、私の方に矛先が向いたのだって。一定年齢以下の少年少女が持つ純粋な感性を参考にしているのかもしれないけど、仮説でしかないし。とにかく『連中』は管理者が抱えるお金では買えないものを割り出すと、それが本当にお金で買えないかどうかを徹底的に実験していくんだ。あるいは、愛情。あるいは、慈悲。あるいは、平和。あるいは、正義。あるいは、恩義。物価を上げて、流行を作って、為替を比較して、宝石や美術品を品薄にして、株価を下げて、戦争を起こして、国債を売買して、消費者指数の吊り合いを取って、その日どこの誰がバスを使うか電車を使うかまで微に入り細に入りコントロールして。……そうやって、『連中』は同じものを手に入れようとするの。再現性を証明し、お金で買えるものにしてしまう。少しずつ世界をお金で制御する方法を学んでいって、支配地域を広げていく。ジグソーパズルのピースを一つ一つ自分の色に染めていくように、マニュアルを構築して『お金で買えないもの』を駆逐していくんだよ」


 妹は途切れ途切れに、震える声で、何とか先を続けていく。


「だから無辜の管理者は、付き合い方さえ間違えなければリアル世界の経済をごそっと動かせるの。でも、そこで有頂天になったらおしまい。お金で買えないものはない、こいつにはもう何もない。そう結論が出たら最後、『連中』は波が引いたように撤退していく。無辜の管理者はよそへ移って、後には自意識だけが丸々太って飛べなくなった鳥だけが地面に残される」


 そんな話は聞いた事がなかった。


 人の口に戸は立てられない。仮にそんな管理者が全ての権限を剥奪されて野に放たれれば、噂はすぐにでも広まってしまいそうなものだが……。


 そこまで考えて、少年の脳裏から嫌なものがじわりと滲んだ。


 考えたくない可能性があった。


「そう、リミット切れの管理者が辿る道は二つに一つ」


 妹は自虐的に笑う。


「死ぬまでシステムに従って口を閉ざし続けるか、システムの手で口を封じられるか。そのどっちかでしかない」


 ゾッとする言葉だった。


 頭の中では、マネー(ゲーム)マスターは世界経済に影響を及ぼしていると分かっている。だけど実際に、自分達の生活にどこまで精密にピンポイントで介入できるものなのだ。


 例えば、ゲームの中に佇むAIの手で、リアル世界に住む群衆の中から狙った一人だけを事故や病死に見せかける事までできるのか……?


「……怖かった」


 妹は膝を抱えたまま、懺悔するように言った。


「だってすごく怖かった! 無辜の管理者でいられる間は、システムが私を守ってくれた。私が望んでもいないのに敵対者は勝手に消えた!! 部活のレギュラー争いも全国模試の顔も知らないライバルも、何がどうなってどこへ行っちゃったのか私にも見当つかないんだよ! だから、もう、私にも分からない。分からないんだよまったくさあ!! 『連中』がどんな方法でどのレベルで私の頭の中から宝物を読み取っているのか! お金で買えないものなんて自分でもイメージできないのに、『連中』は確かに私の中にある『何か』を見て喜劇悲劇を繰り広げているんだよ。ちょっとでもイラッとしたらダメなのか、それとも私自身が気づいていない深層から拾い上げているのか!! それさえ分からないから、どっちに舵を切れば避けられるのかも分からなかったんだよおッッッ!!!!!!」


 きっと。


 妹は過去の世界で、皆が共に笑っていた一つのチーム『コールドゲーム』の中で、何かを思ったのだろう。お金では買えない何か。それを思い浮かべて、彼女自身が意識もしていない天秤がわずかに揺れたのだろう。善悪好悪。少年はもちろん、少女さえ詳細は見えないほどの、些細な何か。


 それにシステムは全権を差し向けた。


 最終的にクリミナルAOが確実にフォールするようお膳立てを組み上げ、その釣り餌として少年や妹が危険にさらされた。


 タカマサが妹を庇って目の前でフォールした時、彼女自身はどう思っていただろう。


 もしも、自覚すらしていなかった深層から引きずり出されたジャッジだったら。


 もしも、目の前で撃たれるのを見て、初めて自分のせいだと分かってしまったら。


 もしも、そんな自分のために損得抜きで身を呈する友人が全てを失ったら。


 もしも、一番近くにいた彼女の兄が、元凶となったものを呪っているとしたら。


(……なんて野郎だ)


 少年は血が出るまで唇を噛んでいた。


 システムだの『連中』だのではない。自分自身の不甲斐なさを憎悪していた。ここまで彼女を追い詰めたのは、気づいてやれなかったのは、全てこちらの落ち度ではないか。


 少年は妹の肩から手を離し、絞り出すように言った。


「……言ってくれれば良かった」


「できないもん」


 妹は首を横に振る。


 罪悪感から己を恥じているのではない。もっと切迫した理由が別にあった。


「無辜の管理者には機密保持の義務があるんだよ。お兄ちゃんに知られていたら私は口を閉ざすのではなく封じられる側に回っていたはず」


 そして、


「ああ、もうダメだと思うから教えちゃうね……。機密保持行動の対象は、洩らした者と、それを耳にした者の双方に当てはまるんだよ。だから、だからね」


 再び嗚咽が混じる。彼女は何かをこちらにかざす。


 携帯電話だった。メールの文面にはこうあった。


『あなたが無辜の管理者である事が露見するリスクが発生しました。情報漏洩阻止のために具体的行動を実行してください。あなたが兄に捕縛された時点で失敗とみなし、我々の手に処遇を移します』


 文面は冗長だが、ようはカナメを殺せとそう命じているのだ。


 機械が、人間を顎で使って。


 その瞬間浮かんだのは、悪寒ではなく灼熱だった。


 猛烈な怒りであった。


 妹が少年から逃げ出していたのは罪を糾弾される事を恐れてではない。巨大なシステムが何も知らない少年を噛み砕こうとしている。だから彼を守るために、捕まる訳にはいかないと考えていたのだ。


 無辜の管理者なんて知らない。システムだの『連中』だのなんてどうでも良い。マネー(ゲーム)マスターにはどんな秘密があって、どれほど強大かつピンポイントにリアル世界へ介入できるかなんて話は後回しだ。


 どこかの誰かが、妹にいらない罪を背負わせた。


 彼女の生活をズタズタにし、無二の友人をどん底に突き落とし、今、その手で家族まで奪わせようとしている。それらは実際には『どこかの誰か』がやった事なのに、妹一人の落ち度だという事にして、その責任を全て押し付けて尻尾を切ろうとしている。


 ……許せるか、そんなもの。


 絶対に、許してたまるかっ!!


「いいか、良く聞け」


 少年はしゃがみ込み、昔よくやったように妹と目線の高さを合わせた。


 もう一度、この少女の兄になると決めた。


「俺の命が狙われたのならそれはもう仕方がない。向こうに止めろと言って聞くようなものじゃない。だから教えてくれ。無辜の管理者としてシステムに触れていたなら、俺より多くの情報を握っているはずだ。少しでも良い、『連中』に繋がる情報を教えてくれ!!」


「……そうしたら?」


 純粋な質問があった。


『連中』の情報を知って何をしたい? 身を守りたいのか、敵を倒したいのか、真実を知りたいのか。そこまで考えて、少年は静かに首を横に振った。


 一番したい事は別にある。


 だから言った。




「お前を守れる」




 わずかな沈黙があった。


 これで良い。これが一番で構わない。そのためならば、世界を相手に大立ち回りをするのも悪くない。周りから見れば訳が分からなくても、何の利害も見えなくても。一〇〇億円を払って一〇〇〇円札を掴みにかかるような回り道でも。この妹を守れる側に立てれば後は何も問題ない。


 人助けはいちいち見せびらかすようなものではない。


 クリミナルAO、タカマサから教えてもらった。彼が自分の人生を棒に振ってでも庇ってくれた妹を、こんな所で失ってたまるか。


 虚を衝かれたような顔をした後、妹はくしゃりと顔を歪めた。


 さっきまでとは、涙の意味が変わっていた。


「あのね……」


 突き付けられたのは、やはり先ほどの携帯電話だ。


 間接的に少年を殺害すると脅迫しているような、命令のメール。


 だが妹が注目しているのは文面ではなく、アドレスの方だった。送信者の欄は文字化けしているが、何かしらの方法で解析できるのかもしれない。明確に、彼女は何かを伝えようとしていた。


「私にメールを送ってくるアドレスの持ち主はね……」


 その時だった。


 いいや、まさに直前の出来事だった。




 ばづんっっっ!!!!!! と。


 スイッチをひねるように、繁華街が一斉に停電した。




 映画館の照明を落とすように、行き交う人々の視界の全てを漆黒の塊が覆う。少年の場合は、偶然妹が携帯電話の画面をこちらに向けていたおかげで、バックライトの光が多少は味方してくれた。


 だが他はどうだったのか。


 街灯も信号もいきなり消失した中、多数のクラクションがまず爆発した。ヘッドライトの光は残っていたはずだが、やはり急激な景色の変化が運転手にパニックを生んだのだろう。


 いいや。


 チチカッ!! とヘッドライトやウィンカーの光が不自然に点滅するのを危うく少年は真正面から捉えてしまうところだった。


「ぐうう!!」


(点滅効果っ!? 大規模な停電でドライバーの目線をわずかに残った光源に集中させた上で不規則な点滅信号を与え、そのまま意識を飛ばしたのか!!)


 いくつもの金属の破壊音が炸裂し、弾かれたように中型のトラックが歩道に突っ込んできた。


「ッ!?」


 とっさに妹の肩を掴んで手前に引っ張る事ができたのは、鼻の頭のチリチリした感覚もあっただろう。だがここはマネー(ゲーム)マスターの中ではない。それとは別に、なまじ停電のせいでトラックの威圧を目の当たりにしないで済んだからかもしれない。恐怖に囚われていれば、棒立ちのまま二人とも挽肉にされていた。


 そして原因不明の停電は、ほんの数秒で回復する。


 事故の惨状へ思わず目をやりかけた少年は、しかしそこでもっと異様な光景と出くわす。


 トラックは歩道に乗り上げ、信号機の柱を薙ぎ倒し、近くのビルに突っ込んでいた。死傷者の数も不明だが、これだけ派手な事故なのに、野次馬らしい野次馬が集まってこないのだ。不審に思って辺りを見回せば、みんながみんな、自分の携帯電話やスマホに目をやっている。そのまま固まっている。


 チリチリした感覚も消えない。


 危難は、打ち倒すべき敵は、まだ消えていない。


 妹を抱き寄せたまま不審に思って少年は周囲を見回し、一点で首が止まる。ビルの壁に張り付いた巨大な液晶画面には検索エンジン提供のネットニュースのトップ三が並べられていた。その頂点にはこうあった。




『マネー(ゲーム)マスターで障害発生?


 現在、全ディーラーの強制ログアウトが確認されています。同ゲームは現実世界と同様に一万分の一秒単位で金融取引を行うオンラインゲームで、仮想通貨スノウは円やドルに匹敵する価値があると見られており、こうしている現在ゲーム内取引の行方がどうなっているのか、今回のトラブルがどこまで世界経済に影響を与えるのかは予測がつきません』




「……何だ、これは?」


 善きにしろ悪しきにしろ、マネー(ゲーム)マスターは過去一度も大規模な障害やサイバー攻撃などの憂き目に遭った事がない。その安定性の高さがスノウの価値を押し上げていたのだ。それを、ここに来て一体何が起こった……?


 純粋に疑問を浮かべる少年とは裏腹に、妹は小刻みに震えていた。


 青い顔で、彼女は呟いていた。


「始まったんだ……」


「何が?」


「こっちに来て、お兄ちゃん! とにかく逃げて!!」


 手を引っ張られ、訳も分からずに走り出す少年。


 そして巨大液晶のニュースが塗り替えられる。




『マネー(ゲーム)マスター、初のチートプレイ被害?


 運営サイドからの報告によりますと、今回の障害は人為的な脆弱性攻撃であった可能性が濃厚との見方です。今後、体制を強化して保守点検を徹底するとコメントしておりますが、障害復旧の具体的な目途は立っておらず、予断は許されません』




 呆然としている少年の目の前で、次々にニュースが表示されていく。


 膨らむ。鼻の頭を苛む、痺れとも電気とも違うあの感覚が。




『ディーラー蘇芳カナメが買収に成功


 マネー(ゲーム)マスター内において、S級サッカーリーグのアトラクションズが買収されたという報告がありました。買収額はわずか一〇〇〇万スノウとの事で、通常なら買収費用のみで一〇〇億スノウは固い業界において破格の……』


『ディーラー蘇芳カナメが買収に成功


 マネー(ゲーム)マスター内において、大手テレビ放送局のアマテラスTVが買収されたという報告がありました。あくまでゲーム内の事ですが、同メディアの影響力は現実世界の放送局と遜色がないと噂されており、今後経済界の……』


『ディーラー蘇芳カナメが買収に成功


 マネー(ゲーム)マスター内において、ホワイトライガー航空が買収されたという報告がありました。こうまでスムーズに話が進んだのは通信障害の混乱の中、他のディーラー達が一切手出しできない状況での応酬だったためだと経済アナリストの……』


 ・


 ・


 ・




 ここまで派手にやられたら、『誰が』チートプレイをやっているのか、誰でも間違った答えを導き出してしまうだろう。


「『連中』か。ゲーム全体が、いいや世界全体が敵に回るように仕向けてきたな……!!」


 あくまでもゲーム内での出来事。スノウはオモチャの札束と同じで何の意味もない架空のデータ。これはゲーム内のアナウンスをしているだけで、報道ではない。だからなのか、文章は苛烈で容赦がない。少年法だのプライバシーだのにも縛られない。


 スノウの崩壊は、世界経済の破滅を意味している。


 この一秒で、どれだけの人が損をしている事だろう。


 もしくは、そうなったと思い込んでいる人が増殖している事だろう。


 蘇芳カナメそれ自体はあくまでもゲーム内でのディーラー名で、それだけではリアルの個人情報は掴めない。だが方法なんていくらでもある。ハイエナじみた野次馬達のネット上暴露合戦に見せかけてディーラーの個人情報を管理するシステム側が情報を漏洩している可能性さえ。


 だって、何故なら、直後に。


 世界の憎悪の矛先が。その全てが。




 ぐるんっっっ!!!!!! と。


 一斉に群集の首が回り、たった一人の少年を潰すために殺意が突き付けられていく。


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