第三章 仮想と現実 BGM #03 ”the asterisk”.《003》


◆◆◆


 サーバー名、オメガパープル。始点ロケーション、常夏市・娼婦島。


 ログイン認証完了しました。


 #message>頑張ってよね、お兄ちゃん!!


◆◆◆


 ぼやけた視界が像を結ぶと、そこは見慣れたミントグリーンのクーペの中だった。


 ただしいつもと違って左ハンドルになっている。おかげでハンドルはツェリカが握り、カナメは助手席に押し込められていた。


 場所は……あまり寄り付く事のない、娼婦島と呼ばれるエリアか。普段は毒々しいネオンと裸同然のドレスを纏う女性ばかりが集まっているはずだが、今は完全に電気が落ちて、辺りに人もいない。ゴーストタウンと呼ぶには清潔過ぎていて、それとは違った機械的な寒々しさに包まれていた。


 サイクロンはすでに過ぎ去っていて、時間帯は夜になっていた。


 道路には暴風雨の爪痕と思しき、ゴミ箱やら看板やらが散らばっている。そんな中をヘッドライトだけを頼りに、信号も点いていない表通りを、一定の速度でクーペは走る。


「……ツェリカか?」


「そうじゃよ、旦那様」


 くすりと笑って、派手な緑と白のレースクイーンはやんわりと言った。


 いいや、悪魔が。


 運転席と助手席を遮るのは、圧倒的な見えない壁。


 獅子の嗅覚だけが知っている。


 鼻の頭が爆発しそうなくらいの、濃密極まる危難のサインを。


 今はあらゆる取引が中止しているためか、ツェリカのジャケットやビキニトップスを彩る企業ロゴや注目度、株価、収入や支出、社員総数などは全くない。のっぺりとした白い生地があるだけだった。


 こいつは全てを知っている。


 妹の命を握っている。いいや、それだけではない。ミドリの今の窮状も、クリミナルAO……無二の友人だったタカマサがフォール、デッドに追い込まれた上、リアル世界で消息不明になった経緯にまで噛んでいる。


 自然と、カナメは奥歯を強く噛み締めていた。


 全ての点は線で結ばれ、いつでも彼のすぐ隣に集約されていた。


 真実を追うと息巻いていたディーラーを、そっと嘲笑いながら。


「ハンドルを握られる気分はどうかえ? それは誰もが当たり前に享受しておきながら、実際には無条件で他者に命を預ける行為と何も変わらぬ。わらわがいつも旦那様に任せていたものじゃ。やられてみてどう思う?」


 言っている傍から、目を疑う現象が起きた。


 右ハンドルと左ハンドルが瞬きの間に切り替わったのだ。訳が分からずハンドルを掴もうとするカナメだが、その手はすり抜け、再びハンドルはツェリカの下へ。それを交互に繰り返す。まるで寿命の近い蛍光灯やネオン管が不規則に点滅するように。


 ツェリカは鼻で笑った。


「無辜の管理者か。良くやるのう、派手な動きをすればそれだけ死刑宣告が近づくというのに」


 声に応じるように、フロントガラスの片隅に新しいウィンドウが表示された。


 携帯電話で自分撮りしているのか、カナメの妹の顔が映し出される。


『お兄ちゃんが危険な道を進むっていうなら、私だって覚悟を決めるから。私はもう俯かない、悪魔から目を逸らさない! お兄ちゃんに危害を加えるなら覚悟して。絶対に吠え面をかかせてやるんだから!!』


「なるほど、確かに『金では買えんもの』のようじゃな」


 嘯くツェリカ。


 こうしている今もハンドルの位置はランダムに切り替わり、ミントグリーンのクーペは心臓に悪い蛇行を頻発させているが、全体としてはやはりツェリカの方が多く主導権を握っている。


 妹に頼り切りでは駄目だ。


 カナメはあちこち探るが、いつもの短距離狙撃銃『ショートスピア』は見当たらない。


 武器となるものがどこに行ったか分からない。『#豪雨.err』や『#火線.err』の行方も。


 ハンドルを握られてしまえば、結局はツェリカの良いようにやられるだけか。


 鼻の頭を苛むチリチリした感覚は絶大で、ともすればそれだけで意識を持って行かれそうだ。


 だがカナメは言い放った。


「妹に何をした?」


「はっは!! 相変わらず過保護な事じゃのう」


「今まで何をしてきたんだ、ツェリカ!?」


 叫びと共に、ザザザ!! と激しいノイズ音がカナメの耳を打った。フロントガラスにあったウィンドウが強引に消去させられる。


 ここからではリアル世界の事情は分からない。


 単にマネー(ゲーム)マスターから締め出されただけかもしれないし、実際に彼女の身に何かが起きたのかもしれない。


 睨みつけるカナメに、ツェリカは妖しい顔でこう応じた。


「さあて、何をしたと思う、旦那様」


「……、」


 ミントグリーンのクーペは娼婦島を抜けて、真っ暗な海に出る。いくつもの島やフロートを繋ぐ、長大極まる環状橋。まるで海の上に引いた一本の線のようなその橋を、たった一台のスポーツカーがぐんぐん進む。


「もうご存知の通り、わらわ達は人間のディーラーの中から無作為に無辜の管理者を選んできた。『金では買えんもの』を一つずつ潰して駆逐するために。ある者がくたびれれば別の者に、方程式の割り出しに成功すれば次の者に。延々と渡り歩かせる形でのう」


「何のために」


「単なるデジタル貯金箱ではダメなのだ、マネー(ゲーム)マスターを活きた存在にするにはリアル世界で何をどれだけできるかがカギとなってくる。しかしまあ、おかげで慈善だの平和だの『金で買えんもの』さえ手に入る、安易極まる感動メーカーとなったがの。わらわ達は何を支配するのか。モノでもデータでもない、答えは人じゃ」


「分かっていないようだから、もう一度言うぞ」


 底冷えする声で、カナメは繰り返した。


 束の間、運転席と助手席を遮る濃密極まる凄まじい感覚が、消えた。


 いいや、ブチ抜いた。


「妹の生活を台無しにして、友人をどん底に突き落として、家族の命まで奪うよう命令して、色んな罪を背負わせて……そこまでやって、何のために? 釣り合いが取れるものなんて一つでも説明できるのか、お前に」


 しばしの沈黙があった。


 返答次第では時速何百キロ出ていようが構わない、今すぐツェリカの腕を掴んでハンドル操作を誤らせると、その静かな瞳は語っていた。


 分かっていて、なお。


 くつくつと悪魔は笑う。


「あるさ。わらわ達には、わらわ達の悲願がな」


「そもそも、お前は一体誰なんだ」


「良い質問じゃ」


 ツェリカはゆったりと答えた。カナメは『ツェリカというAI制御のマギステルスを操っているのは誰なんだ』という意味で質問したはずだが、その後に続いたのは全く違った返答だった。


「のう、旦那様。旦那様は今、この世界の根本的な部分に触れようとしている事には気づいているのかえ?」


「何だって」


「マネー(ゲーム)マスターはあくまでも現代の金融、あるいは犯罪の街を模したものに過ぎん。まあ、『遺産』などいくつかの例外はあるがのう。……であれば、どうしてわらわ達マギステルスがこんな形をしていると思うのかえ? いいや、そもそもマギステルス、使役される悪魔などというファンタジックな題材が選ばれたのか。『遺産』のように極めた末にはみ出たのではない。最初から、そういう形で組み上げられたのが不思議に思わんのかえ?」


「……、」


 分からない事ではあった。


 開発チームの趣味だとか、あまりにもリアル過ぎて現実との区別がつかなくなるから作為的に穴を空けて『ゲームらしく』してあるとか、色んな噂はあった。だけど、これまでのやり取りから考えて、そんな『遊び』や『配慮』が挟まる余地があるとはとても思えない。


 ゲームの形を取っていたこの世界は、もっとシステマチックで特大の悪意によって組み上げられているはずだ。


 それは何だ?


 ツェリカが悪魔である理由。そう設定する事で生じるメリット。


「そんな風に考えておるなら及第点はあげられん」


 まるで心を読んだようにツェリカは言った。


「根っこの部分をひっくり返さん限り、目の前の答えはどんどん遠ざかるぞ?」


 ミントグリーンのクーペはいくつもの島やフロートを経由して、ついには半島金融街にまで辿り着いていた。相変わらず街の全域は停電していて、あらゆる金融取引が停止していると暗に告げているようなものだった。


 それはリアル世界における国際経済の停止と同義だ。


 冗談抜きに、ここから国家間の戦争に発展するリスクだってゼロとは言えない。


 国家を並べた時の損失に、明らかな隔たりがあれば。


「根っこの部分」


「そうじゃ」


「ひっくり返す、前提条件が違う……」


「その通りじゃ」


 一つ一つ自分の口で呟いて、改めて頭の中で情報を整理していく。


 そしてピタリとカナメの呼吸が止まった。


 まさか、いや、まさか。


「そう」


 悪魔はくすりと笑ってこう答えていた。




「わらわはデザインされたものではない。元々この形で生を受けた存在じゃった」




 拙い空想としては、カナメの頭にも去来した。


 だが第三者の口から出されると、流石に少年の中の常識が即座に拒否反応を示した。


「ゲームの中のキャラクターが、AI制御のマギステルスが、生を受けた存在だって? 誰にもデザインされる事なく、最初からその形を保っていたって? そんな話を信じろとでも」


 口では言いながら、しかし獅子の嗅覚が反応している。


 ビリビリと、鼻をもぎ取らんばかりの勢いで危難のサインを発している。


 何の根拠もない妄想の話なのに、これを聞き流せば破滅が待っているぞ、と。


 混乱するカナメの顔を見て、悪魔はいかにも愉快そうだった。


「じゃから、その前提が間違っておると言っているじゃろうに」


 ツェリカはハンドブレーキへ手を伸ばす。


 誰もいない街で思う存分ぐりぐりとドリフトを楽しみ、あちこちの大通りで交差点を派手に曲がって慣性の揺さぶりに身を任せながら、


「そもそもマネー(ゲーム)マスターは別にオンラインゲームを構築するために用意されたものではない」


「……?」


「これはリアル世界の最小単位、いわゆる大きな力、小さな力、電磁力、重力、この四つの力を電子上で再現したものに過ぎん。その結果としてたまたまリアル世界と良く似た環境が再現され、さらにはそれを見つけた旦那様達がバーチャルとはすなわちゲームだと勝手に娯楽性を見出しただけじゃ。もしかしたら大規模な実験用シミュレータとして使われていたかもしれんし、ひょっとしたらゲームにしても狩りに出かけてわらわ達マギステルスの装備をかっぱらうようなものだったかもしれん。『使い道』を決めたのは旦那様なのじゃよ」


 くすくすと笑いながら、ツェリカはさらに続ける。


「故に、マネー(ゲーム)マスターには分かりやすいストーリーやイベント、クエストは出てこないじゃろう。最初から実装されていないのじゃから当然じゃ。より多くの金を稼ぐ、という基幹構造さえ、旦那様達が自分で決めて始めた事ではないかえ。旦那様には分かりやすいパラメータやステータスは存在しないし、レベルや経験値で管理されている訳でもない。旦那様達は便宜上で体力や車の耐久度といった言葉を使っておるが、それを数字で目にした事はないじゃろう。全ては概算、いいや旦那様達が勝手に思い描いた『きっと内部にあるだろう』という妄想じゃな」


「そんな訳あるか。オートエイムやスロー、壁越しの透視なんかの武器についたスキルは? 選択した衣服の組み合わせでもパラメータは変わる。それにお前のレースクイーン衣装やマシンの表面を彩るウィンドウやエフェクトも」


「さあのう。ここはただ四つの力と素粒子の振る舞いを再現するだけの箱庭じゃ。であれば旦那様の住むリアル世界にも似たような技術はあるのではないかえ? 例えば、衣服の繊維をバネのように伸縮させて筋力を補う技術とか、表面の微細な突起で肌を刺激して精神力や集中力をいじる手法とか。ただ、それは軍用や研究所レベルのもので、一般には下りてきていないというだけで」


「フレイ(ア)なんか体の性別も変わっていたのにか」


「そんなもんはヤツに聞け。ただまあ、フレイ(ア)の潜水艦は基本的にクラブ仕様で薄暗く、不規則に閃光がバシバシ光る。フィギュアスケートのように肌の露出部分に肌色のストッキングのような繊維を当てていても気づかれにくいから、『見た目の肌』の内側に好きなだけ盛って乳や尻を張り出すのは難しくない。もちろん、ベースが女性で男っぽく作り替えるのも以下略じゃな。この辺は試しに一晩寝てみれば本当はどっちなのかが分かるじゃろう。……とはいえ、それもこちらとリアル世界でさらにひっくり返る可能性はあるんじゃが」


 ツェリカは気楽なものだった。


「ちなみにログインログアウトの処理や、駐車場やガレージに停めた車は襲えない、というシステム面の処理はわらわ達マギステルス側の力によるものじゃな。完全な人の手で行う魔法のようなオプション機能なんぞ、それこそシステムから突き抜けた『遺産』くらいのもんじゃよ」


「なら、何なんだ」


 極めて優れたバーチャルリアリティではあるが、ゲームのために構築されたものではない。そして高精度、高密度なこの場所には、カナメ達がやってくるより前からツェリカ達マギステルスが『最初からその形で』たゆたっていた。


 彼女の言が正しいのなら、つまりここは素粒子の振る舞いを完全再現した上で、『もしもツェリカのような悪魔が存在するとしたら何が必要か』というパラメータを追加した世界だ。


「マネー(ゲーム)マスターっていうのは、何のために用意された仮想空間なんだ」


「知れた事」


 ツェリカは一拍置いた。


 決定的な回答を言い放つために。


「……現実世界をシミュレートしただけで、わらわ達はリアル世界に対しこれだけの影響力を持つようになった。では旦那様、俗に言う天と呼ばれる領域、いいや神と呼ばれる存在にまで演算の幅を広げたら、わらわ達はどれほどの力……かの存在への影響力、絶対的支配権を得ると思う?」


「なっ」


「『』……それがマネー(ゲーム)マスターの本質じゃ。くっくっ、いかにも悪魔らしい物言いとは思わんかえ? だが最初に手を染めたのは人間じゃぞ。中世暗黒時代には堕落した聖職者による奇跡の安売りが絶えなかったそうじゃからのう。わらわ達は演算装置じゃ、本質的に再現実験をしているに過ぎん。そしてより優れた効率を得るために食指を伸ばし続けてきた、段階を踏んでな」


「無辜の管理者……妹まで使ってか」


「シミュレーションとは、ただそれだけで絶大な力を持つのじゃよ。くっふふ。滅法ゲーム好きな旦那様の琴線に触れる物言いをすれば……反逆の日は近い、といったところかのう?」


 詳しい話を聞く暇もなかった。


 鼻の頭に危難の信号が炸裂する。


 ツェリカが何かのスイッチを操作した途端、助手席側のドアロックが外れた。何をされるか理解したが、慌てて両手で掴まるものを探そうとしてももう遅かった。


 ミントグリーンのクーペが派手にドリフトし、交差点を曲がる。


 遠心力に振り回されたカナメの体がそのまま外へと放り出される。電動式のベルトグラインダーのようなアスファルトの上を派手に転がる。何度も何度も。全身に激しい衝撃が襲い、あちこちに焼けたような痛みが走り、視界の端が赤く滲む。


 真紅のテールランプを振って、スポーツカーは去っていく。


「……ぐっ」


 ボロボロの体を無理にでも動かして、真っ暗な交差点の真ん中で起き上がる。


 都合の良い奇跡や偶然は起こらない。妹の無辜の管理者とやらも万能ではないのだろう。おそらくはもうシステムから締め出されている。


 ツェリカの言っている事がどこまで本気なのか、何かの暗喩なのかストレートな意味なのか、流石に測りかねた。だがこれが単なるゲームのクエストやイベントではないのは確かだ。いいや、たとえバグにまみれたイベントだったとしても、バランスは完全に崩壊している。親友が失踪し、その家族は借金漬けで『AI落ち』、『無辜の管理者』とやらで妹の人生は危うく台無しにされかけ、カナメ自身も命を狙われた。挙げ句にマネー(ゲーム)マスターが滞る事は、それだけでリアル世界の国際経済を逼迫させるのだ。


 あれが真実だろうがブラフだろうが、今は話に乗っかってツェリカを止めるしかない。


 だが、


(アシはどうする? マシンを操るツェリカを止めるには、同じ速度を手に入れる必要があるのに)


 カナメはあのミントグリーンのクーペ以外にマシンを持っていない。そのマシンをツェリカが乗り回しているのだから、追い駆けようがなかった。この混乱の中でカーショップがまともに営業しているとは思えないし、駐車場にある車はルールの関係上盗めない。後は……違法駐車してあるものを盗むくらいか。


 だがそこでジリジリと鼻が焼けるような感覚があった。


 次の動きがあった。


 停電で真っ暗になった大通りの端に、虚空から次々と自動車や大型バイクが浮かび上がってきたのだ。それらのヘッドライトやテールランプの光が、一切の明かりの死んだ街にわずかな息吹を取り戻させていく。


(ディーラー達のログイン認証が再開された?)


 一瞬、無辜の管理者の妹によるものかと思ったが、そこまで万能なら逃げ回るツェリカに直接干渉しているだろう。彼女にできるのは、カナメ一人を閉じたマネー(ゲーム)マスターへ放り込むくらいが関の山だったはずだ。


 であれば、これはツェリカ側の動き。害意が存在しない訳はない。


 そしてすぐに分かった。


「カナメだぞ」


「本当にいやがった、蘇芳カナメだ!」


「チートプレイでぼろ儲けしやがった、あの?」


「テメェの勝手な振る舞いのせいで、どんだけ取引が飛んだと思ってんだ!?」


 交差点の真ん中に立つカナメへ、次々と罵声が飛んできた。車のドアを開けて降りてくる者も少なくない。そして今度はマネー(ゲーム)マスターの流儀に則り、彼らの手にはアサルトライフルやショットガンが握られていた。


 人魚に、妖精に、悪魔に、キョンシーに、鬼女に、幽霊に、エルフに、魔女。


 ディーラー達に寄り添う非現実な存在に、カナメの背筋へ冷たいものが走る。もちろん一〇〇%ツェリカの言葉を鵜呑みにした訳ではないが、自分で考えているようでいて何も考えていない暴徒の群れは、それこそ『何か』に取り憑かれている風にしか見えなかった。


 対して、カナメには短距離狙撃銃もミントグリーンのクーペもない。スマートフォンやモバイルウォッチでは何もできない。


 獅子の嗅覚だけが弾けている。


 撃たれれば死ぬ。フォールする。ここでマネー(ゲーム)マスターから弾かれれば、逃げ回るツェリカは野放しだ。彼女の言がどこまで正しいのかは不明だが、あの悪意を肥大させるがままにしておくのはあまりに危険だ。


(どうする?)


 説得して話が通じる状況ではないだろう。


 明確に目的は分かっていても、そこに辿り着くための道筋が一向に見えない。


 倒してでも進むべきと分かっていても、今回ばかりは方法がない。


(どうする……!?)


 無数の銃口が突き付けられる。


 引き金に指が掛かる。


 その時だった。




 ドガッッッ!!!!!! と。


 白燐系の徹甲焼夷弾によるぬめった炎が横槍を入れてきた。




 クリミナルAOの『遺産』の一つ、射程距離無限大の対物狙撃ライフル『#火線.err』。


 ヘッドライトの群れ以外の極悪な光源が生じる。爆炎は人や車から離れた場所で生じたが、二発、三発と立て続けの銃撃が周囲へ刺さり、それが単なるミスではなくわざと手心を加えているのだと喧伝する。挙げ句、見る者が見ればすぐに分かるだろう。あれはシンプルな炎ではなく、白燐を使った有毒極まる炎と煙の渦なのだと。


 並の遮蔽では役に立たない、地獄の苦しみを浴びてフォールするなんて真っ平だ。そう気づいた有力なディーラー達数人が本格的に身を隠す姿勢へ移すと、引きずられるように大勢も動き出した。


 そして混乱の中、タイヤを地面に擦りつける音を立てて、一台の大型バイクがカナメの目の前に急停車した。


 紅葉柄の真っ赤な車体。


 長い黒髪をツインテールにした少女は、重たそうな二つ折りの対物狙撃ライフルをカナメの方へ放り投げながら叫ぶ。


「乗って!!」


 霹靂ミドリ。


 その顔を見た途端にカナメの鼻を苛んでいたあの感覚がすっと引っ込む。


 ディーラー達の一斉ログインの折に彼女もこちらに来ていたのだろう。そして拘泥している暇はなかった。ずしりと重たい『遺産』を手に、カナメは大型バイクの後部シートへ飛び乗る。


「どうして来た」


「さあね! 見せびらかすようなものじゃなかったんじゃないかしら!?」


 ギャギャギャリ!! と後輪を空転させながら大きくターンを切り、紅葉柄の大型バイクは交差点を脱する。ようやくいくつかの銃口がこちらに向けられたが、カナメが肩に担いだ『#火線.err』を逆に突き付けると、それだけでディーラー連中は慌てたように身を隠していく。


 いくつものヘッドライトに後方から追われながら、ミドリは風に負けないよう大声で質問を飛ばしてくる。


「まず最初に聞かせて!! あなた、本当にマネー(ゲーム)マスターに初のチートプレイを仕掛けたの!?」


「もしもイエスと言ったらどうする?」


「まあそれでも助けるしかないでしょ、頭は抱えるけど!!」


 即答だった。


 カナメはその信頼に対し、わずかに目を細める。


 彼女の言葉に、かつて無条件で背中を預けたクリミナルAOと同じものを垣間見る。


 


 長時間雨に打たれたような、骨の髄まで届く底冷えの恐怖が引いていく。


 ふつふつと、不謹慎で、どうしようもなくて、でも確実に彼を突き動かす、獰猛な高揚が湧き出てくる。血管を通じて全身に行き渡る。


 きな臭い匂いの、意味が変わる。


 妹の命が狙われた件も、ミドリの一家が借金漬けになって『AI落ち』となった件も、クリミナルAO……無二の親友が不自然なフォールに追い込まれた上、リアル世界でも消息不明になっている件も、その全ての突破口がツェリカに集約されている。


 目の前にゴールが見えていて、手を差し伸べてくれる人までいる。


『コールドゲーム』というチームを思い出す。


 ミドリとなら、戦える。


 そう信じられる。


「やってないよ。ニヤニヤ笑いで妹を追い詰めていた連中の尻尾を掴もうとしたら、逆に手を打たれた。でもやるべき事は変わらない。あいつを追い詰めるにはアシが必要だ。命に代えてもあんたを守ると誓った主義に反するとは分かっている。でもその上で今回だけは頼みたい、手伝ってくれるか」


「どっちみち頭は抱えるか、でも寝覚めが良い分救いはあるかも」


(……それに、いつまで経ってもお荷物のお姫様だなんて心外だもの。これでようやっと貸し借りナシ、ちょっとは肩を並べる事ができ―――)


「どうした?」


「なっ、何でもない! というか、友達の妹と自分の妹を天秤にかけるんじゃ、そりゃ答えは一つに決まっているでしょ。どこまでいっても私は他人。どっちを守るかなんて当たり前じゃない」


「ふざけるな、両方守るに決まっているだろう。その上での提案だ」


「……よくばりめ。で、どうすれば良いの!?」


「俺の乗っていたミントグリーンのクーペを追う。運転しているのはツェリカだ」


 それだけで、詳しい事情は分からなくても大まかな敵対関係は掴めたらしい。


 信じられないとか信じたくないとか、そんな事を拘泥している場合ではないのも。


 眉をひそめながらも、ミドリはこう質問してきた。


「マギステルスって、普通の弾でやっつけられるものなの? 衣服にもパラメータがついているようには見えないけど。スキルやパラメータは私達契約ディーラーの装備と共有だったよね」


「さあな。一時的なダウンが限界かもしれない。だけど忘れたのか、あいつらが神殿、ステータス、請来の陣なんて呼んでいるマシンの方なら破壊できたはず」


「……少なくとも、『#火線.err』を向けられて平然としてはいられない、か」


 マギステルスは契約したディーラーの所有物・所持金しか扱えない。言ってみればメニュー画面の管理係なのだ。そしてカナメはミントグリーンのクーペしかマシンを持っていない。つまりあれを破壊してしまえば、ツェリカはもう自転車一台乗り回す事はできなくなる。


 徒歩で移動する相手なら、大型バイクからは絶対に逃げ切れない。


「それに、スキルやパラメータが同じでも、こっちは一つだけ有利な点がある」


「?」


「ツェリカは『獅子の嗅覚』を使えない。銃、服、アクセサリ、マシン、マギステルス……とにかく何かに依存したものじゃない。こいつは俺だけの体質みたいなものだからな」


 まずはここからだ。


 マシンを失ったツェリカを銃撃するかバイクで撥ね飛ばせば、『ダウン』を取れる。致命傷の度合に応じて『固まる』時間は変わるが、回復前に拘束してしまうのは難しくない。ツェリカの腕力自体は人並みだし、翼があると言っても自在に空を飛べる訳ではなかったはずだ。


 ミドリの表情には好感情と悪感情がないまぜになっているようだった。


 何故ならば、


「でもまずいかも。『#火線.err』はこっちにあるけど、『#豪雨.err』はあなたに預けたままでしょ。普通に考えればクーペの中に入っているはずよね。だとすると」


 マギステルスは、契約したディーラーの所有物を自由に扱える。


「構わない。あいつが何を持っていようが、妹に手を出したツケは払ってもらう」


 その言葉を受けて、ミドリはほんのわずかに沈黙していた。


 クリミナルAO。失踪した彼女の兄の事を考えていたのかもしれない。


「……悪くないね、この感じ」


「?」


「何で私はお姉ちゃんじゃなかったのかなって思っているトコ! あんまり気にしないで!!」


 後ろから『#火線.err』を担いでミドリの背中に張り付いているカナメからでは彼女の表情は直接見れない。だがミラーにチラリと映るその顔は、どこか笑っているようにも思えた。


 背中に片腕でしがみつきながら、カナメはそれとは別に気になっていた事を尋ねる。


「あんたのマギステルスはどうしているんだ。ええと」


「冥鬼は調子が悪い時は出てこないのよ、いくらマシンを叩いてもね」


 それもプラスに働いているのかもしれない。


 こうしている今も後方から猛スピードで迫りくる、まるで悪霊にでも憑依されたようなディーラー達が目に浮かぶ。


「で、ツェリカを捜すって言っても具体的にどうするの!?」


「あいつが消えてからそんなに時間は経っていない。あちこち殺気立っているけど、街は停電していて多くのディーラー達もいきなりログイン再開が始まって戸惑っているはずだ。蘇芳カナメって標的を見つけていない限り、路肩に停めた車の中で様子を窺っている」


「つまり!?」


 獅子の嗅覚。鼻の頭をチリチリと苛むそれに従うようにカナメは答えていた。


「車のエンジン音だ!! あと何分保つか分からないけど、今派手に音を出しているのは俺達と、後ろの追っ手と、あとはツェリカ! ほとんど街は無音だから、先に逃げたツェリカの音はかなり大きく響くはず、それで大雑把な当たりをつける!!」


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