第二章 地底と天空 BGM #02 ”dive to freedom”.《012》




 その少し前の事だった。


 サイクロンの暴風雨、横殴りの雨の中、先にマシンを降りていたカナメとミドリはずぶ濡れになったまま、抱き合うようにして身を潜めていた。


「わっ、わっ」


「静かに」


 何故だか土砂降りの中でも体温が高いミドリだったが、カナメとしては悠長に疑問を消化している時間的な余裕がない。今すぐにでもリリィキスカのリムジンを何とかしないといけないのだ。


 場所は大通りのすぐ傍。巨大な商業ビルと背の高い植込みの間にある狭いスペースだ。


「(……ああもう、デリカシーのないヤツ。あの人の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい)」


「あの人? 知り合いのディーラーでもいるのか、増援に呼べそう?」


 つい聞き返すと、抱き寄せていたミドリの肩がピクンと動いた。


 土砂降りの中でも顔を赤らめ、若干体温を上げたまま彼女はヤケクソ気味に言う。


「ええ、私の憧れの人!! 悪い!? あの人はね、とっても奇麗な文字を書く人なの。きっと性格も清らかで、何を相談したって優しい笑顔で大きく包み込んでくれる、そんなオトナな人なの。何でもかんでもデジタルで処理したがるどっかのバーチャルバカと違ってね!!」


「……、」


 気まずすぎてちょっと唇が青くなりつつある蘇芳カナメは、ツインテールの少女から目を逸らさないようにするので精一杯だった。


「……チリチリした感じがうっすらと広がっているな。とりあえず俺達も動こう、この調子じゃ猿芝居もすぐバレる。でもそれまでの間なら、ツェリカ達がリリィキスカのリムジンを引きずり回してくれれば短くても確実に時間を稼げる。あいつが戻ってくる前に準備を進めれば良い」


「準備って……」


 ミドリは絶句したまま、


「私達の手であの怪物リムジンを吹き飛ばすっていうの? どうやって!? 相手はアサルトライフルくらいなら簡単に弾き返す防弾装甲の塊で、時速五〇〇キロ近くでぶっ飛ばして、タイヤだってスポンジ詰めているからいくら撃ってもパンクしない! あんなの手持ちじゃどうにもならないじゃない!! 『#豪雨.err』は―――」


 言いかけて、わずかにミドリの言葉が詰まる。


 全ての『遺産』を破壊すると息巻いていながら、早速頼る方向に思考が向かった事に、忌避感情でも出たのかもしれない。


 カナメは率直に言った。


「別に悪い事じゃない。ここでフォールしたら元も子もないんだから」


「……あ、あれは、あなたのマシンのトランクの中だし。どっちみち、これじゃあどうにもならないでしょう!?」


「そうとも限らない。ともかく移動しよう。こんな状況じゃ一〇〇メートル進むのも命懸けだ。あの装甲リムジンが気紛れに顔を出したらフォール確定。もっと安全な道が欲しい」


「あ、安全な道って何よ!?」


 カナメは誰もいない大通りの真ん中へ小走りで近づいていく。怪訝な顔をしてミドリがついていくと、少年はその場で屈み込んでいた。普段は通信や演算はマギステルスに任せるためマネー(ゲーム)マスター内ではあまり利用頻度のないスマートフォンを太股に巻いたモバイルポーチから取り出している。


「何をしているのよ?」


「マネー(ゲーム)マスターは金がものを言う。金が全てとは言わないけど、あるかないかで使える手札や自由に動ける行動範囲はぐっと広がる。見える世界がガラリと変わってくる。これは前にも言ったよな」


「それが……」


 ミドリの言葉が途中で止まる。


 カナメはスマホをマンホールの中心部分にかざしていた。まるでコンビニや自販機の電子決済みたいだ、とツインテールの少女が思った途端、ガコンッ! とマンホールの蓋から重たい金属音が響き渡る。蓋自体が四五度ほど緩く回る。


 少年は炊飯器のように気軽に蓋を開けた。


(あれ、マンホールってこんな簡単に開くんだったかしら???)


 ミドリは疑問に思ったが、すぐにそんな些細な事は頭の中から吹っ飛んだ。


 その先に異質な世界が広がっていた。


 想像していた狭くて暗くて臭い下水道のトンネルとは違う。一面の水。学校のプールよりも格段に大きな幅。サイクロンの暴風雨のおかげですっかり増水し轟々と音を立てているが、中はさほど不快でもない。何より、大量の照明で満たされていて、予想以上に奇麗な水が光をキラキラ照り返している。


 暗渠。


 都市開発のために封じられたいくつもの川。その内の一本。


 だがミドリが驚いたのはそこではない。




 マンホールの真下、地下に広がる川のど真ん中。


 そこに、全長一〇〇メートルは下らない葉巻型の潜水艦が横たわっていたのだ。




 金が全てとは言わない、だけどあるかないかで見える世界はガラリと変わる。


 ミドリはその一端を知った気がした。


 潜水艦のハッチの近くには、半袖の白いセーラー服を纏う少女が出迎えていた。だが人間ではなくマギステルスだろう。その体は赤紫っぽい半透明の粘液で作られていたからだ。


 マンホールから地下世界を覗き込み、カナメは暴風に負けないように叫ぶ。


「こんな嵐の日にすまない! 近くを通っていてくれて助かった、増水しているから停泊させておくのも大変だったろう!?」


「いいえ、入場だけで一〇〇万スノウはいただいておりますのでお気になさらず。それよりお噂はかねがね耳にしております、蘇芳カナメ様。主のフレイ(ア)も来訪を心よりお待ちしております、こちらへどうぞ」


 まず梯子を使ってマンホールから地下へ、さらに潜水艦に足を着けると、ハッチを開けてその内部へ。だが開いた途端に音楽の洪水がミドリの耳を打った。詳しいジャンルや曲名までは分からないが、いわゆるダンスミュージックだ。


 映画やドラマで見る潜水艦と違い、狭苦しい船室や曲がりくねった細い通路などはない。全ての内壁をぶち抜いて一つの空間を作ったように、中はひたすら広大だった。サイズで言えば、学校の校舎の一階部分全体を繋げたくらいはあるかもしれない。


 薄暗い間接照明。あちこちを飛び交うレーザーアート。そしてスラングだらけでサッパリ意味の分からない英語のマイクパフォーマンスに、ズンズンドコドコ腹に響くダンスミュージックの応酬。


「な、何なのここ……?」


「こういう趣味人のフィールドなんだ。マネー(ゲーム)マスターにも色々な楽しみ方がある。それよりはぐれるなよ、ミドリ」


 カナメがそう言ったのは、元から薄暗い空間いっぱいに若い男女がぎゅうぎゅう詰めになっていたからだ。音楽に体を預けて踊っているのか、そういう体裁で絡み合っているのかいまいち趣旨が読めないほどに。


「(うわ、あんなトコ触ってる。うわあ、そういう事ってする訳、ええっ、あんなトコ触って何になるんだろう、うわあー。わっ、私もいつかあんな事をするのかな、ええっと、その、奇麗な文字を書くあの人と……ぽやー)」


「ミドリ」


「ハッッッ!!!???」


 短く言われ、慌ててカナメの背中を追い駆けていくツインテールの少女。


 奥まで進むと、鮨詰めの男女は途切れた。代わりにいくつかのテーブルと二人掛けのソファばかり並んだ一角に出くわす。いわゆるカップルシートだ。


 すでに潜水艦の所有者は待っていた。


 真っ白な礼服を纏う長い金髪の優男だ。彼は二人掛けだというのに左右にそれぞれ丈の短いドレスの美女を侍らせ、ぎゅうぎゅう詰めになりながら、笑顔でこんな風に言ってくる。


「やあやあ! どうぞこっちに。それにしても嬉しいよ、カナメ君。やっと君がわたしの手を借りる時が来たんだから!!」


「フレイ(ア)。こっちはあまり時間がないんだ。突然で悪いが手早く協力を求めたい」


 優男からは鼻の頭がチリチリする感じはやってこない。


 が、ミドリやツェリカと違って、こいつに限っては反応がないのを安心材料にできない。むしろ、獅子の嗅覚を騙しおおせるほどの何かを、張り付いたような笑みの奥に抱えていると見るべきだ。


 彼に勧められるままに対面のソファにカナメとミドリが腰掛けると、何故だかその左右から挟み込むように追加で美女が二人座ってきた。とはいえ別に何か『サービス』をするつもりではないようだ。外からぐいぐい圧迫を掛けて、カナメとミドリの二人をひたすら密着させようとしている。


 とことん余計なお世話だった。


 何やらカナメの肩に頭を乗っける形になったツインテールの少女は顔を真っ赤にしているが。


「やっ、やあ!! わっ、わた、私は困るっていうかわた私その心に決めた人がいるからマネー(ゲーム)マスターの中でも困りますっていうかそういうドロドロ系少女漫画的展開は望んでいないと言いますかやめて私のためにケンカしないで……!!」


「ミドリ、雰囲気に呑まれるな。向こうの得意なペースに持っていかれる」


「……、」


「ミドリ、何で人の肩口に噛み付いてきたのか説明を」


 顔を真っ赤にしているミドリを眺め、白い礼服の男、フレイ(ア)はくすくすと笑っていた。別に水着の少女を好色な目で舐め回している訳ではない。彼はカナメも含めた『二人のやり取り』を楽しんで眺めているのだ。


「それにしても、『コールドゲーム』の死神も随分と丸くなったものだ。いや、これは褒め言葉だから気分を害さないでおくれ。でも本質は変わっていないのかな。先日、匿名で振り込まれたニブルヘイム医薬への巨額の寄付、差出人は君だろう? 難病に対する治療薬は単純な技術レベルの他に、消費者たる患者数が少ないため企業として採算が取れないという問題もついて回る。だけどこれで、経済的に見放されてきた患者達も突破口を見出した訳だ」


「フレイ(ア)、その話はあまり面白くない」


「どうして!? 君はもっと結果を誇示するべきだ、そもそも匿名の寄付というのが私には理解できんがね。世界の慈善家を見ろ。広告代理店に払うかカメラの前で小切手を切って寄付をするか、どちらが効率的に自分の顔を売れるか秤にかけているような連中ばかりじゃないか」


「いいか。人助けっていうのはな、見せびらかすようなものじゃないんだよ。金で解決する問題なら金で解決すれば良いし、そうでなければ別の方法を提示すれば良い。けどな、何であっても見返りを求めるようなものじゃない。何かを一つでも押し付けた時点で、それはもう人助けじゃなくて、他人の人生への侵略だ」


 束の間、二人の間で会話が途切れた。


 ドン、ドン、ドン、ドン! という腹に響くダンスミュージックだけが通り抜けていく。


 やがて、笑みを崩さずにフレイ(ア)は告げた。


「クリミナルAOか」


「えっ?」


 思わぬ名前に、ツインテールのミドリが声を上げた。


 カナメは黙ったままだった。だから白い礼服の男の言葉が続く。


「……彼の言葉だな。君に負けず劣らず良い男だった、惜しい人がフォールしたものだ。率直に言おう、一度くらいは抱いてみたかった」


 しんみりした顔でとんでもないフレーズが出てきて、ミドリは対処に困った。


 助けを求めるように、隣のカナメをチラリと見やる。


「そ、そもそも協力って? ええと、この人は一体……?」


「ああ、お嬢ちゃんには自己紹介が遅れたね!」


 もう結婚式くらい白々しい礼服を大きく見せびらかしながら、優男は笑う。


「わたしはフレイ(ア)! マネー(ゲーム)マスターでは質屋を営んでいる者だ。財宝ヤドカリというチーム名は……まあその顔だと知らないようだね」


「質屋?」


「そうだとも。景品系のカジノとも提携して手広く商売をさせてもらっている。ここにあるものだって全てわたしの持ち物じゃない。照明、音響機材、家具、調理器具、内装、そして潜水艦そのもの。みんなお客様からお預かりしている品に過ぎないのさ」


 カナメが口に出した『協力』の意味が、ようやくミドリにもぼんやりと見えてきた。ようは、まともな銃弾では歯が立たない装甲リムジンを破壊できる『何か』を、この質屋から手に入れようとしている訳だ。


 が、それとは別にミドリは眉をひそめていた。


(……なに、このコーディネート?)


 マネー(ゲーム)マスターには経験値やレベルアップ制度はない。ディーラーの強さは武器、衣服、車両などで決まる。……はずなのに、フレイ(ア)の衣服はコーディネートにナニナニ系という統一感がない。見た目重視でパラメータを全く考えていないものなのだ。


 気づいたようで、フレイ(ア)は笑みを広げる。


「わたしはガンアクションなんて野蛮な事に興味はない。カーチェイスも以下略。車なんて向こうのステージでまとめて何台か飾ってあるよ。トロピカル平均とかお金の話にもさして興味はない。必要だから商売はしているし、火の粉が降りかかればバトルもするけど、基本的には部下やマギステルスの出番かな」


 フレイ(ア)が軽く手で示した方へミドリが目をやると、音楽に身を委ねる若者達より一段高い位置に、確かに五台くらいのマシンが並べられていた。どれもこれもガッチガチにチューニングされたもので、カラーリングは全て素組みの缶詰のような銀一色だったが、彼女の見ている前で複数のマシンが次々とぬめるように色彩を変えていく。


 原則として一人のディーラーに一人のマギステルスしかつかない。あれは複数のマシンへ次々に同じマギステルスが乗り移って全面モニタのような表面を操り、車体に命の火を点けているのだろう。


 銃と並んでディーラーの象徴とも言えるマシンさえ遊び道具にしかなっていない。


 ミドリは怪訝な顔で、


「なら、一体何を……?」


「何を? 決まってる! 恋愛だよ、出会いの場と言っても良い! わたしがマネー(ゲーム)マスターに求めるのは恋! 恋なんだ!! それ以外は何だって構わない!!」


 ダンスミュージックを吹き飛ばすほどの大音声で優男は叫ぶ。


 色々な楽しみ方、そういう趣味人のフィールド。カナメはそんな風に言っていたか。


「わたしは基本的にカップル以外とは手を組まない。マギステルス相手の疑似恋愛もナシだ。恋は最も原始的な対人駆け引きだし、何より守るものを持たない連中は追い詰められるとヒロイックに死にたがる。手を結ぶのはちょっと怖いんでね。最低でもネット恋愛くらいこなせる程度の頭がない人間とはアドレスの交換もしたくない」


 何とも分かりやすい偏見だった。恋が全てというスタンスが滲み出ている。


「だからカナメ君の来訪は純粋に嬉しいんだよ。何だい何だい、涼しい顔してきっちり人間のディーラーの恋人を作っているようじゃないか。わたしもやっと安心できる」


「ぶふっ!? なっ、なん、こいびっ、何ですって!? なに勝手にもがっ!!」


 ミドリが余計な事を言いかけた時、カナメが彼女の肩を抱いて自分の胸板にぐっと引き寄せた。半ば強引に口を塞ぎ、場の空気が悪くならないよう配慮する。


「むぐぐぐぐ……!! (ああ、ああ、馬鹿みたい私! 奇麗な文字の人がいるのにこんなので簡単にドキドキして! ああもう! 私の馬鹿、ああもー!!)」


 何故だかバックンバックン少女の鼓動が響く中、カナメは本題を切り出した。


「フレイ(ア)。そろそろ本題に入りたい」


「そうかい? 大事な話があるのなら、わたしとしてはもう少しそちらのお嬢ちゃんの緊張をほぐしてからにしたい。とはいえ、この外見にも原因があるのかな。うら若き乙女だと、わたしのような優男が恋だ愛だと囁くところには抵抗があるかもしれないし」


 パチン、とフレイ(ア)は指を鳴らす。


 途端に変化があった。彼の纏う白い礼服が解ける。布は無数の白い糸になり、優男の全身を包み直し、それこそ純白のウェディングドレスに変貌していた。体つきも胸元が盛り上がり、腰がくびれて、手足はしなやかになり……何より顔が女性のものへ切り替わっている。


 カナメの胸板で真っ赤になっていたミドリは、それさえ忘れて目を白黒させていた。


「なっ、え、嘘でしょ、何それ……!?」


「はっは! ここはマネー(ゲーム)マスターだ。金さえあればできない事なんか何もない。わたしは恋をするためにここへ来たと言っただろう。肉体程度で制約を掛けられてもつまらないのでね。わたしは恋の全てをしゃぶり尽くす。そのためなら何だってする。スタンスは分かっていただけたかな?」


「フレイ(ア)」


「お嬢ちゃんは軽薄な優男には抵抗感があるらしい。それは純粋で奇麗な感性だ。だから今日は君に合わせよう。ほらほら、同じコイバナでもガールズトークなら受け入れやすいだろう?」


「フレイ(ア)」


「ただまあ、男の体で迎えたのは君への配慮でもあったんだ。人によっては女の体で迎えるとヤキモチ焼いちゃう場合もあるからさ。はっは! 自身の貞操観念は強く、しかし嫉妬で相手を縛り付ける事もない。なかなかに優良物件じゃないかカナメく―――」







 鋭く、突き刺すように。


 明確に『男性名』で名を呼ばれ、ウェディングドレスの美女は唇を尖らせた。もう一度指を鳴らすと、彼女(?)は再び白い礼服の優男に戻っていく。


 カナメはミドリを抱き寄せたまま再び切り出した。


「本題に入りたい」


「はいはい。わたしは何をしたら良い?」


「上の状況はそちらでもリサーチしているはずだ。リリィキスカの装甲リムジンを破壊するために手伝ってほしい事がある」


「言っておくが、わたしは質屋だ。扱うのは物品専門、人身売買はナシだ。つまり兵隊の運用はサポート外だよ。金にものを言わせた略奪愛は好きだけど、商売にはしたくないんでね」


「そこまで借りを作る気はないさ。やって欲しい事は、この潜水艦を使って所定のポイント、つまりマンホールまで安全かつ迅速に連れて行ってほしいのと、あと一つ」


 カナメが提案すると、フレイ(ア)は難色を示した。


 予想通りに。


「……それは、君にとっては些細な事かもしれない。だがわたしにとっては商売の根幹に関わる事態だ。分かっていて提案しているんだろうね?」


「ここはマネー(ゲーム)マスターだ。金が全てとは言わないが、あるとないとでは自由度が違う。普通に考えたらできない事でも、札束次第で変わってくるはずだけど?」


「へえ、言うじゃないか」


 パチン、とフレイ(ア)が指を鳴らした。


「ひゃっ!?」


 ミドリが甲高い声を上げる。彼女達が腰掛けていたカップルシートの背もたれが真後ろに倒れたのだ。元々ソファベッドだったのだろう。


 そして気がつけば、フレイ(ア)もまた王の玉座から腰を浮かせていた。ガラスのテーブルを越え、ソファベッドに倒れ込んだカナメの上へ這い寄るように覆い被さる。


 その全身を覆う礼服がウェディングドレスに変化し、彼(?)は再び美女になる。


 四つん這いで彼女(?)は言う。


「わたしの商売の根幹を揺るがす事態に、君はいくら払って『納得させる』つもりだい?」


「……、」


「君とて退くには退けないだろう。表で陽動をしているマギステルスやマシンも潰したくはないだろう。だからこうしようじゃないか。黙って追い返すのはナシだ。どんな形であれ私は協力する。ただし君の提示した額で納得できなければ、差額は君のカラダで楽しませてもらおう」


 艶めかしく唇を舐め、カナメの胸板へ細い指を這わせて。


 性別不明のフレイ(ア)は、チラリとミドリの方へ目をやる。


「それを君のパートナーに見てもらうというのも面白い。はっは! わたしはあらゆる恋の形を楽しみたいからね。純愛だの何だのもたまらないけど、同じくらい背徳的でアブノーマルなのにもゾクゾクしてしまうんだよ」


「……、」


「さあ蘇芳カナメ君。言っておくれ、君はわたしに何をどこまで提示できる?」


 至近、おでことおでこをくっつけながら、甘い吐息を吐いてフレイ(ア)は告げる。


 対して、カナメの表情は変わらなかった。


「お前の質屋は第三工業フロートのカジノと提携していたな」


「うん? まあ、あそこに限らず六つのカジノと提携、二つは直接経営しているけど。何しろ恋にはお金もいるからねえ。特にこっちの世界では」


「ならどこでも良い。このサイクロンの中でも一番客入りの良い店で賭け事を提案しろ。蘇芳カナメとリリィキスカのどちらが生き残るか。俺に賭ければ好きなだけお前が儲かる」


 しばし。


 虚を衝かれたようにフレイ(ア)は沈黙していた。


 やがて、ぷっ、と彼女(?)は噴き出す。


 大笑いする。


「あっはっはっはっは!! そうかそうか、理論上の無限大と来たか! 確かに確かに、それではこちらは条件を呑むしかないな! マネー(ゲーム)マスターはお金が全てなんだから!!」


「全て? 本気でそう思ってるなら、お前だってそこまで色恋沙汰にのめり込まないだろう」


「良いだろう」


 すっと身を引き、ウェディングドレスの美女は片目を瞑って言った。


「君の提案に乗っかろう。ただし表に出たら、もうその戦いは君一人だけのものではないと理解しておくれ。わたしのかわいいサラブレッド君?」


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