第二章 地底と天空 BGM #02 ”dive to freedom”.《007》
やるべき事は決まっている。
後はその確認だ。
カナメは大粒の雨が当たるログハウスの窓へ目をやって、
「本当はカジノで手に入れた『アシッドD』を使ってさっさと『#豪雨.err』をぶっ壊す予定だったんだけど、このサイクロンじゃな……」
「こっそり壊しても意味がないって話をしていたよね?」
ああ、とカナメは頷いた。
「『
「つまり、永遠にわらわ達が所有していると誤解され続ける訳かのう」
「『俺は蘇芳カナメから「遺産」を奪ってやったぜ』と豪語する何者かが現れるまではね。こうなるとあっちこっちに拡散する存続説を否定する材料はない。『遺産』の存在を信じるディーラー達は、実際に使わなくてもその言葉だけで脅えて命令に従う羽目になる」
「……兄の遺したものが、人を傷つけるのを止められなくなる」
「だから誰にも言い訳のできない形で完璧に破壊するのが望ましい。動画サイトで公開するくらいじゃブラフだと思われるから、もう金融街のど真ん中で実演した方が良いかもしれない。どうせ自分達でやらなくても、どこかの誰かが撮影してアップしてくれるだろうし」
「じゃが、このサイクロンだと……」
「そう、こんな大嵐の日に広場に集まってくれるディーラーなんかいない。セッティングはサイクロンが過ぎるまでおあずけだ」
ふう、とミドリが重たい息を吐く。
彼女からすれば一刻も早くバラバラにしたいはずなのだから、まあ無理もないが。カナメとしても、『#豪雨.err』はトラブルの元だ。あまり長い間、手元に置いておきたいとも思わない。
「だからひとまず『
「あれな、すげー疲れたぞ旦那様……。アルミ箔をジューサーにかけて粉々にしては、その辺の砂浜で磁石引きずり回して確保した砂鉄とその他色々ヒミツの隠し味と一緒に缶の中に詰め込んでじゃな……」
「?」
怪訝な顔をするミドリ。
どうやらポトフを作りに来たのは内職の後だったようだ。
そしてツェリカはアタッシェケースいっぱいに詰め込んだ成果物を見せびらかしてきた。
「ほれ、アルミニウム還元式焼夷手榴弾一〇〇個! これだけあれば文句なかろう旦那様!!」
どうしようもないお披露目に、ミドリは口をパクパク動かしていた。
アルミニウム還元式と言えば、アルミと酸化鉄の急激な反応を利用して数千度の熱で対象を焼き尽くす、特殊な爆発物だ。鉄の融点が一六〇〇度である事から分かる通り、普通の爆発と違って金属の壁も当てにならない。
それを、一〇〇個?
「い、一体常夏市で何をするつもりなの!? 戦争!?」
「『
顔色一つ変えずに、カナメはしれっと言ってのけた。
「表に出てきた実働は一〇人前後だったけど、絶対あれだけじゃ済まない。後方支援が別にいる。一人頭一〇人なら三ケタ、一〇〇人なら四ケタに届く計算だ。これを戦争と呼ばずに何と呼ぶんだ」
「有力チームには色んな
「……、」
改めて、ミドリは問題の大きさに圧倒される。
豪華客船でも一〇〇〇人のPMCを相手取ったが、それとも違う。いくら強くてもAI制御で決まった『契約』の範囲でしか攻撃してこないPMCと違って、生身の人間は各々どう動くか予想がつかない。圧倒的に自由過ぎる。いつどこからどう狙われるか分かったものではない。
自分一人では絶対に行き詰まっていた。
なのにカナメは迷わず踏み込んだ。何も知らない少女の手を取るために。
「でも、それならそれでやりようはあるんだ。さっさと始めよう」
「えっ、えっ?」
慌てるミドリとしては、もうついていくしかない。
ガレージまでの数メートルで再びずぶ濡れに。ミントグリーンのクーペの座席の後ろに『#豪雨.err』とアルミニウム還元式手榴弾のケースを放り込むと、
「ツェリカ、タイヤの方は?」
「うむ、今回はヤバそうだから中にちゃんとスポンジを詰めておいたぞ」
「すぽんじ?」
キョトンとするミドリに、カナメが言う。
「タイヤは本来空気で膨らませるものだけど、代わりに樹脂を詰めてしまう手もある。こうすると仮に撃ち抜かれてもパンクしないでそのまま走行を続けられる訳だ」
「リアル世界じゃ大統領専用車なんかでも採用されておるらしいのう」
「便利そうね。私のバイクにもできる?」
カナメとツェリカの手で機材を使って、紅葉柄の真っ赤な大型バイクのタイヤの中身も交換する運びとなった。
へえー、と腰を折って興味深そうに覗き込んでくる(びしょびしょの)ミドリは、またもや黒いビキニに包まれた尻をクーペのドライブレコーダーに向けて突き出している事実には気づいていないようだった。当然、停車中にガレージ内の記録なんぞ取る意味はないのだが、色々と無防備な女の子だ。それも親友の妹。危なっかしくて逆にカナメの方がそわそわしてくる。
「でもこんな頑丈にできるなら、どうしてみんなスポンジにしないのかしら」
「そりゃあ詰めるのは簡単じゃが抜く事ができんからじゃろう。消耗も激しいからほぼ一回のカーチェイスで全とっかえじゃし」
「ぶふっ!! そういうリスクはやる前に言ってもらえる!?」
今さら言われても遅い。タイヤチューブの中ではもう特殊な樹脂が固まっている。
「何でも良いからさっさと本題に入ろう」
「あっ、おい旦那様! 運転席に座る前に体を拭けっ! 本革のシートなのにー!!」
嫌がるツェリカに構わず、ずぶ濡れのまま運転席に直接乗り込んでしまうカナメ。
横では紅葉柄の真っ赤な大型バイクにミドリがまたがるところだった。ゲーム内なのでノーヘルは当たり前。だがこのサイクロンの中だと雨粒が顔に当たって痛そうではある。
「
虚空に向かって少女が何度か叫ぶと、ようやくといった調子で後部シートに妙齢の美女が浮かび上がった。冥鬼。彼女のマギステルスか。肩の辺りでまである艶やかな黒髪に、額から伸びた二本角と、中央のお札。服装については大仰なファーで首回りを飾り、ボディラインの両サイドを大胆に魅せる丈の短い真っ赤なチャイナドレスだった。そこそこの長身だが、何故か胸はミドリよりも小さい。ツェリカの衣装と同じように、チャイナドレスの表面には注目銘柄の企業ロゴや注目度、株価、収入と支出、社員総数などがずらずらと表示されては消えていく。
そして時折、全身から灰色のノイズが散っている。モニタのようなチャイナドレスからではなく、鬼女そのものからだ。
運転席から、珍しそうな顔でカナメが呟く。
「何だあれ、バグ……じゃないよな。マネー(ゲーム)マスターに限って」
「相性の問題かもしれん、わらわも二輪を好むディーラーなんぞと円満にやっていける自信はないし。わらわは趣味の良い旦那様と共にあって幸せじゃのう」
「うっさいな、マギステルスの本懐はディーラーのサポートなんだから、こっちに合わせるのが筋でしょ。大体今日は出てきただけまだマシよ。出ない時はほんとにいくらマシンを叩いたって出てこないんだから」
唇を尖らせながらミドリもそんな事を言っていた。
リモコンでガレージのシャッターを開けて、カナメとミドリは表に出る。サイクロンに煽られるマングローブ島から、海をぐるりと囲む特大四車線の環状橋へ合流。こんな日でも車両の数はそこそこあった。カーステレオもこんな事を言っている。
『サイクロン「エリザベータ」の猛威は今後半日程度続くようです。港湾、空港は各地で閉鎖が相次いでおり、物流の停滞から各種の取引価格が……』
『ビルからビルへ渡るダイバー集団「空追い人」が活気づいています。動画サイトでの発表によりますと、絶好の追い風を逃す訳にはいかないのだとか。半島金融街でお過ごしの皆様は、不意に落下してくる人影に直撃しないようお気を付けください。では次のニュースです……』
『
適当に『イベント告知』を耳にしながら、カナメは並走するミドリへグループSNSをモチーフにしたチャットの申請を飛ばす。すぐに回線が開いた。
『ミドリ>行き先は半島金融街で良いのよね?』
『カナメ>ああ、そこで「
『ミドリ>食糧の、先物取引? ええと、とにかくそれを何とかするんでしょ』
文章を読んで、カナメはわずかに顔をしかめた。
並走する真っ赤な大型バイクへ直接目をやってみれば、何故だかツインテールの少女は不安げになっていた。
『カナメ>まさか分かっていない? 金稼ぎが全てのマネー(ゲーム)マスターなのに!?』
『ミドリ>別に良いじゃない、私は兄の「遺産」の破壊にしか興味ないし』
思わずカナメは呻き、ツェリカはけらけらと笑っていた。
ミドリが言っているのは、体力ゲージの存在も知らずに格闘ゲームで遊んでいるようなものだ。今までフォールしないで良かったと本気で思う。
『カナメ>先物取引っていうのは、今お金を払って、後で商品をもらう契約の事だ。普通、この期間は半年とか数年とかにまたいでいる』
カナメの言葉に合わせて、ツェリカのレースクイーン衣装を彩る企業ロゴが別のものに切り替わっていく。米や麦や小豆など、先物取引の銘柄と価格だろう。
『ミドリ>ややこしいのね。その場でもらえば良いのに』
『カナメ>冬には一本一〇〇スノウのサイダーが、夏には一本一〇〇〇スノウになるとしたら? 価格の変動を利用すれば、転売で利益が出るだろう』
小麦やトウモロコシなどの食糧分野は、とにかく先物取引がものを言う。
実際には一つ二つどころか、何十トンの単位でやり取りする訳だ。
『ミドリ>兄の「遺産」を狙う連中は、その先物取引を使って軍資金を得ている、と。でも、逆に今一〇〇スノウの炭酸が一スノウに落ちたら大損じゃないの? アイスのコーヒーや紅茶が流行っちゃったらそれまででしょ』
『カナメ>もちろん。普通なら泣き寝入りなんだけど、ヤツらは当然ダーティな手でそうならないよう取引価格をいじくっているだろうな』
『ミドリ>どうやって?』
『カナメ>値を釣り上げたいなら話は簡単だ。取引される塊を乗せた貨物船や列車を爆破して、枯渇させてしまえば良い。量を絞れば瓶のサイダー一本辺りの値段は高騰するから、ヤツらは損失を埋められる』
現実世界ならもはや立派なテロ行為だが、ここはそういう場所なのだ。
『カナメ>ここまでなら普通のディーラーでもやってる。だけど「
『ミドリ>??? 何の意味があるの? 値を上げないと儲からないんでしょ』
『カナメ>例えば「
そして、貨物船や列車を破壊して枯渇『させ過ぎた』時に価格帯を修正するのにも使える。何にしても、軸が二本あって損する事はない。
本来の先物取引は半年から数年かけて利益を上げる手法だが、『
これくらい強固なコントローラがなければ、数日単位で巨万の富を用意するのは不可能だ。
『ミドリ>でも具体的に何をしているの? 船や列車を襲って枯渇させるのはイメージできるけど、その反対で街中をだぶだぶにさせるだなんて、ちょっと想像がつかないし』
『カナメ>だからそれを、これから見つけてぶっ壊すのさ』
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