第二章 地底と天空 BGM #02 ”dive to freedom”.《005》


◆◆◆


 サーバー名、ミュウグリーン。終点ロケーション、常夏市・半島金融街。


 ログアウト認証完了しました。


 お疲れ様です、リリィキスカ=スイートメア様。


◆◆◆


「くそっ!!」


 ログアウトと同時に、同じ『銀貨の狼Agウルブズ』のメンバーに見られる事がないという安心感も手伝って、肌の上から一回り大きなワイシャツだけを纏う少女は盛大に吐き捨てた。高度な仕手戦を繰り返すディーラー達はポーカーの名人勝負のように、仲間の前でも本音をさらけ出す事を嫌う風潮もあるのだ。


 場所は広大だが生活感が全くない部屋。テナントが入る前の大型商業ビルのワンフロアを丸々そのまま借りたような寒々しい空間に、無数の液晶モニタがあった。あるいはテーブルの上に、あるいは天井からアームでぶら下がって。そこでは世界中の為替、株価、石油、食糧、宝石、純金やプラチナの価格の推移から、それらに影響を与えそうなニュースまで、片っ端から網羅されている。


 マネー(ゲーム)マスターに限った話ではない。


 金にまつわるあらゆる情報がここにある。


 こうしている今もこの惑星全体では一万分の一秒単位で数十億の仕手戦が繰り広げられ、その膨大なデータの移動、金のやり取りが『世界』を作っている。自律投資プログラムの重要性はますます増し、それがAIの拡大を助長している。データの向こうには『銀貨の狼Agウルブズ』のメンバーもいるかもしれないし、いないかもしれない。そもそも素顔や本名はお互い分からないのだ。だから、そうとは知らずにプログラムを差し向け、味方同士で鍔迫り合いをしている可能性もあるにはある。


 リアル世界での少女はパステルカラーのフリースを昼夜問わず纏っていて、外へ出る気が皆無といった調子だった。一方で、彼女は外の世界を知らない訳ではない。むしろ娯楽という娯楽はあらかたしゃぶり尽くした。金では買えないものがある、と嘯く連中もいるが、愛情など真っ先に買い占めた。芸術、音楽、骨董、蒐集、料理、旅行、社交、慈善、スポーツにカメラに鉄道に歴史にとにかく何でも。最後にはケンカもたっぷり買ってみたが、その全てに少女は飽きていた。


 結果、待っていたのは世界の上限だった。


 大体世界なんてのはこんなものだろうという一線が、目に見えてしまったのだ。


 だから少女には未来がない。莫大な富を持ち、できない事は何もないのに、『世界に残っている事』の方に心当たりがなくて、金の使い道がなくなってしまったのだ。何をやっても予想通り、期待通りの枠からはみ出る事がなく、スリルの摩耗したなだらかな日々は少しずつ彼女の魂を削り落としていく。


 もう、彼女が彼女でいられる場所は現実世界には存在しない。


 リアルを捨ててマネー(ゲーム)マスターにでものめり込まない限り、人間としての自分を保てない。


 そんな折だった。肌がひりつくほどの、魂が震えるスリルが目の前にあった。


 蘇芳カナメ。


 彼は何故『銀貨の狼Agウルブズ』を裏切って『#豪雨.err』を持ち去った……?


(彼が『銀貨の狼Agウルブズ』の一員であれば、あの場で私達が『遺産』を強奪する事に拒否感情は生まれなかったはず)


 ギリッ、と奥歯を噛み締めて、思う。


(取り込みが甘かった。彼が私達の一員として完全に融合する前に事を起こしたせいで、土壇場で剥離した……!! 結局、三つ子の魂百までか。今回もこれで失敗した!!)


 少女は数字やデータにはとことん強いが、反面、人の感情の機微を読み取るのはとことん弱い。読み取る必要がなかったので育たなかった、といった方が近いかもしれない。対人関係でトラブルが起きても、大抵は金の力でねじ伏せられるのだから。


(でも)


 だが今回はそうならなかった。


 相手は同格の有力ディーラー、蘇芳カナメ。


(やっぱり)


終の魔法オーバートリック』を目の前で奪われた腹立たしさは募るが、しかし一方で、少女はそれとは別の感情が渦巻いているのを感じていた。


 この世界には、まだ簡単には手に入らないものがある。そんな希望。


 そう。


 灰色で埋め尽くされたリアルな世界にはもう搾り滓ほども残っていない、魂を炙るようなスリルが彼女を待っている。


 一方で、少女はカナメの言葉を思い出す。決定的な訣別の言葉を。




 人助けっていうのはな、見せびらかすようなものじゃないんだよ。




 理解不能で。


 手に入らなくて。


 だからこそ、完璧な時代の勝者の心を揺さぶる、その一言。炙られるままに、彼女はそっと呟いていた。


「……ならどうしろって言うのよ」


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