第二章 地底と天空 BGM #02 ”dive to freedom”.《004》


◆◆◆


 サーバー名、シータイエロー。終点ロケーション、常夏市・第三工業フロート。


 ログアウト認証完了しました。


 お疲れ様です、蘇芳カナメ様。


◆◆◆


 ミントグリーンのクーペの修理が終わり、ようやく右ハンドルの運転席から正規手順でログアウトを済ませると、スマホの画面が光を照り返し、少年の顔を反射させていた。中肉中背の体型に黒い髪をラフに切っただけの、あまり個性のない顔立ち。うちの中をウロウロするのにもベッドで昼寝するのにも使えるグレーのスウェット。そう言えばコンタクトをつけたままログインしていたようで、必要以上に目が乾いている。


 手を握って開く。いったんログアウトしたので、もう腕の傷はない。


 四月一一日、という表示。


 温かいというより若干肌寒いくらいの気温。


 南国の海と太陽が似合う常夏市から『帰ってきた』と分かる変化。


 少年がゆっくりと首を横に振ると、ピントが合っていくように本当の現実感が取り戻されていく。画面から目を離すと、勉強机の上にあった写真立てへ目をやっていた。中には写真が入っている訳ではなく、代わりに切手が一枚収まっていた。民間宇宙旅行の記念切手で、今時珍しいアナログな文通相手からいただいたものだった。


 保護用のガラス板の上から指先でなぞって、それから部屋を出る。


 マンションのリビングでは妹がだぼっとした淡い桜色のトレーナーに短パンというラフな格好でソファに寝転がっている。サイズが合っていないものだから首回りを覗き込むと大変なものが待っていそうな予感もするのだが、向こうが気にしている素振りはなかった。


 妹はテレビを観たまま言う。


「出前、結局お蕎麦屋さんにしたよ。でもあそこ、本当に一番美味しいのはカレーなんだよね」


「ん」


 ダイニングの方へ視線を投げてみれば、確かにラップに包まれた大皿が二つある。複数のスパイスと蕎麦つゆの混ざり合った、いかにもメイドインジャパンな匂いも鼻についた。蕎麦ではなくカレーにしたのは、いつログアウトするか分からない少年のために『のびない』ものを選んでくれたのだろう。しかも電話口で注文をつけておいてくれたのか、ご飯とカレーのルーがそれぞれ別々の皿にあった。見た目は素っ気ないが色々気を遣ってくれるのがこの妹なのだ。


 とりあえず電子レンジでざっくり温め、ダイニングではなくリビングのガラステーブルで食事を取る事にする。ちなみに妹は飲み物に水ではなく牛乳、カレーには自前の半熟卵を一つ落としていた。やはり辛いのは苦手なのに付き合ってくれている。


 特に根掘り葉掘り尋ねる事もなく、妹は半熟卵をスプーンで潰しながら簡素に言ってきた。


「どうだった?」


「まあ、何とか」


 テレビの中ではお笑い芸人が雑学クイズで分かりやすい引っ掛け問題に囚われていた。


 この兄妹はしゃべる時はマシンガンか爆弾のように撒き散らすが、しゃべらない時は全くしゃべらない。そして特に気まずくもならない。学校のクラスやネチケットと違って、空気を読む必要のない関係なのだ。


「これからお風呂入ったら、ちょっと休憩してまたログイン。宿題とか、見てほしいものがあるなら今の内に」


「今日は大丈夫だよ」


「あと、あれ……目薬どこやったっけ? 刺激キツめのヤツ。目がしぱしぱするから、ログイン前に差しておきたいんだけど」


「ああー……」


 と、スプーンを宙にさまよわせ、妹の目がちょっと泳いだ。


 不思議そうな顔をする少年に、彼女はこう白状した。


「ごめん、あれ秘密基地」


「何年前の話だよ。まだあそこ使っていたのか」


「通学路の途中にあるから一休みに便利なんだもん。公園脇のプラネタリウム跡地なんてレアだし、とにかく頑丈だし。きちんと掃除すれば普通にまだ一〇年は使えそうだよ」


「いつ誰が入ってくるかも分からない廃墟が快適だって?」


「正面玄関のドアに太い鎖とでっかい南京錠つけていると、そういうのまとめて威圧してくれるんだよね。ちゃんと管理会社が目を光らせているぞ! って勝手に勘違いしてくれるようで」


「それにしたって外は外なんだから、持ち物だのヘソクリだの置き去りにしないように」


「へいへい」


「あとお昼寝も禁止。誰かがふらっと入ってくる可能性はゼロじゃないんだから」


「うへへーい」


 この分だとお説教の効果があるかどうかは未知数だ。


 普通のマンションに、普通の学校通い。


 友人のクリミナルAOが身を挺して守ってくれたもの。『AI落ち』にならず、自分の足で立って自分の手で生活していける環境。


 誰が運営しているのか、どこにサーバーがあるのかも分からない。マネー(ゲーム)マスター。それを使えば『とりあえず』一夜にして巨万の富を築く事もできるが、『AI落ち』は破算申告の条件として一時的に財産権を放棄するよう求めてくる。つまり、他人から財産を譲渡させるための受け皿がない。カナメがいくら送金しようとしてもダメなのだ。『AI落ち』から脱する方法は一つ。AI企業が肩代わりした無利息の借金を、少しずつで良いから自らの手で全額返済するしかない。


 だけど、仮に送金ができたとして、果たして本当に救いになったのか。


 借金漬けになった彼らに多額の資金を送金しても、きっと彼らの矜持は元には戻らない。


『誰かに生かされている環境』から抜け出せない限り、相手がAI企業だろうが人間の友人だろうが、精神的な重荷は何も変わらない。


 むしろ、受け取ってしまえば対等な友人関係は破壊されてしまう。


 ゲームの理を知らない彼の家族は一時的に喜ぶかもしれないが、結果は同じだ。熱が冷めれば、じんわりとした澱が心を縛り付ける。誰かに生かされ、誰かに感謝し続けなければならない事を強要される日々に気づく。


 そういった『別の終わり』を金で買う羽目になる。


(何とかしないと……)


 スプーンで食事をすくい、当たり前の日々を当たり前に過ごしながら、少年は思う。


 優しい文字を綴る、今時珍しいアナログな文通相手。


 マネー(ゲーム)マスターでようやく出会えた一人の少女。


 クリミナルAO、タカマサの妹。


(そんな簡単な方法じゃない。本当の意味で、あいつに報いる方法を見つけないとな)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る