第6話 デート――水属性

 あいさつの時は間間に説明役が現れていたが、今回は現れる気はないようだった。


 ソリッドが消えてからしばらくして世界がマンションの一室に戻ったかと思うと、今度は図書室に姿を変える。どこかの高校にありそうな小さなものだ。絶えず喧騒にまみれていた先ほどとの落差に頭が一瞬真っ白になる。


「おー、本がいっぱいだー」


 そこに、間もなくリクィが現れ、景色の感想を端的に述べた。


「プレイヤー、疲れてるでしょ。実際の時間にすると短くても、他人との会話は疲れる物だからねー」

「いや、まだ――」

「いーんだよ。強がらなくてもさー。ボクのターンはもっと肩の力抜いていていいんだよ。一緒に、同じ空間で本を読むだけだからねー」


 用意された椅子に座り、ぐでんと机に全体重を預けリクィは言った。


 ……正直、結構ありがたい提案だった。ゲームセンターでは当然立ちっぱなしだったわけで、遊びの空間から離れたとたんにずしりとした疲れが体を襲っていたから。


「そんなんでいいんですか?」

「いーのいーの。ボクは動くの大嫌いだからね。こーゆーのが理想のデートってやつなのさー」


 その声色と表情に嘘は含まれていないように思える。だから僕はそのリクィの言葉に甘えることにした。


 説明役が作り出したであろう本棚には著作権が切れたような小説や、無料で公開されている漫画。果てにはネット小説までが混ざりに混ざって収められていた。なんともカオスな蔵書だ


「けっこうおもしろいねー、どれも」


 それでも、リクィは楽しめているようなのでよかったと思う。


「本当の図書室はもっときれいに本が並んでますからね」


 一応、誤解が生まれないようにそう言ってはおくけれど。




 ……ずっと紙をめくる音が響いていた。

 ほとんど液体なのではと錯覚するほど力を抜いてリクィは机に突っ伏している。それでも、腕の先をたどると本があって、一定の間隔でページをめくっていた。


「――ねえプレイヤー、この本面白いね」


 唐突に、リクィがそんな声をあげる。が、この状況は別に初めてではない。本についての感想を聞いてそれについて少し話し込む。こういうことはこの時間が始まってからの短い間にすでに数度起こっていた。


 いつも通り僕は自分の読む手を止めてリクィの方に顔を向ける。


「特にこの主人公にじつは兄弟がいるところ。読者はずーっとお兄さんの主観で話が進められてると思うけど、最後の最後に実はそこに弟さんの視点が混じっていたことに気づくようになってるんだー」

「……叙述トリックってやつですか?」

「そ。こういう実は何々だったのだーっていうのはわかりやすく衝撃を与えられるよねー」


 パタンと本を閉じる音が鼓膜を震わせた。それと共に世界がピンと張った糸で張り巡らされたような気がした。


「プレイヤー。プレイヤーは本当にボクたちのプレイヤーだったの? ボクたちの存在が技術によって成立している以上、そこを誤認させることは別に不可能じゃないよねー?」


 リクィは体を起こし、覗き込むような視線を向けてきていた。視線はカチリとかみ合う。疑うような視線の先、どこか揺らいでいるかのような瞳が見える。


「それはフェイクドールの接続先を本来の場所から入れ替えているんじゃないかって言う問いであってますか?」

「そうだよー。……だって、引っ越したばかりだって言ってもあの部屋はきれいすぎると思うんだー。普通料理の跡とか、翌日着るための服とか置いてあるものじゃないのかなーって。あそこには生活ごみすらパッと見た感じなかったよ。極めつけに、プレイヤーのベッドからは何の匂いもしなかった。……あれ絶対一回も使ってないよ」


 ……あの時、リクィがあいさつに来た時、ベッドの匂いを嗅いでいたのか。


 よかった試しに寝転がるとかしなくて、と心の中で胸をなでおろす。


「正直に言います」

「うん」

「僕は間違いなく君たちを選んでゲームを開始して、それをずっと遊んでいたプレイヤーです」


 疑惑の目は消えない。当然だ。それを証明する手段はない。


「ベッドは確かに一回も使ってないです。実のところここに越してきてから、いえ、この場所に来てからまだ一日もたってないんです。食事もここでは取らずに外で取ってました。説明役が現れてからは、何も食べてないです。だから、生活ごみがないのは当然です」

「……もしかして、ここ、プレイヤーの家じゃないの?」

「はい、一時的に住んでるだけです。僕のものなんて、このスマホぐらいです」


 僕はポケットから今契約しているスマホを取り出して見せた。


 リクィは机の上に本を置いて、その上に両手を重ねている。目を閉じて、判断に迷っているようだ。


「僕が君たちのプレイヤーであることは本当です。……神に、いや――アクルエイリヤに誓って」

「……!」


『アクルエイリヤ』はゲームに出てきた神様の名前だ。彼女、水属性のリクィが信仰しているという設定の、情報の神様の名前。ゲームの設定上、リクィにとって心の大部分を支配する大切な存在。


「……神様の名前なんて、別にプレイヤーじゃなくても知る手段はある。それがボクにとって大切だということも」

「……わかってます。これが証明の手段にはならないことは」

「つまり心持ちの話ってわけだよね。それだけ自分の言葉に責任を持つってことだよね」


 何かの覚悟を決めたみたいに、リクィは立ち上がって僕の前まで歩いてくる。


「……信じるよ? 信じていいんだよね? 本当にプレイヤーはボクたちのプレイヤーなんだよね?」


 近くに来て、瞳の奥の揺らぎがより鮮明に見えるようになった。


 たぶん怖かったのだろうと思う。ソリッドが感じたのと同種の恐怖だったのだと思う。期待からくる裏切りへの恐れ。だからリクィは僕を疑うという形で逃げた。

 そうすれば、たとえ裏切られたとしても僕が本当のプレイヤーじゃなかったという希望ができる。


「はい。僕は君のプレイヤーです」


 眼を正面から見て、宣言する。


「――わかった。ボクはプレイヤーを信じることにする」


 それで、全部終わったみたいにリクィは元の席に座りなおす。僕はそんな姿を見ながら、期待の逃げ道をなくした責任をひしひしと感じていた。


 期待を裏切らないように。そう書かれたおもりを心の奥の方に置く。




「えっと、これはたしかそっちー」


 リクィから渡された本を教えられた場所に戻す。

 このデートの時間に僕が読めた本は少なかったが、リクィはいつの間にか大量の本を机に積み上げていた。目の前に広がる景色がすべて説明役が作り出したものであることを考えれば片付ける必要はないのだが、「片付けるまでがこういうデートの範疇でしょー」というリクィの言葉に従っている。


 一つ一つ本棚に本を戻していき、ついに最後の一冊になった。


 リクィがその最後の一冊を棚に戻そうと背伸びをする。……が、絶妙に届かない。


「はぁ、こういう時は背の高さがほしくなるなー」

「……手伝いましょうか?」

「いいよ別に。こんなのは椅子を持ってくれば……」


 そこまで口にしたところでリクィは考え込むようなしぐさをして、にやりと笑った。


「いや、やっぱり手伝ってプレイヤー」

「……? はい」


 僕がリクィの持っている本を受け取ろうと右手を差し出しても、リクィは本を渡すしぐさを見せない。


「あの――」

「何やってるのー? 早くよ、プレイヤー?」

「――ぇ」


 まるでいたずらが成功した子供みたいにリクィは笑う。


「ほら早く」


 急かされ、僕はリクィのわきに手を入れ持ち上げる。そしてリクィが本を戻したのを確認してから地面に下した。


「ふふ、ありがとー。愛してるよ、プレイヤー」


 振り返り軽くハグされる。いろんなもろもろに頭が追い付くその前に、世界からレイヤーが剥がれ落ちた。

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