第18話

 薄明かりが林の中に侵入してきた。もう夜明けだ。全ての力を使い果たした私は、無様にも地面に転がっている。もはや頭部だけになってしまったが、視覚はまだ残っていた。なので、最後に見ておきたかったのだ。私の視線の先にある、この子のことを。

 ナノハは目を閉じ、辛そうに呼吸している。すまなかったな。病院に連れていってやることができなくて。もう少し余力を残して、ここに戻ってこれたなら助けてやることが出来たのに。

 私の気配に気付いたのか、ナノハはうっすらと目を開ける。

「ピエロ・・・さん?」

 私と目が合うナノハ。普通の人間であれば卒倒ものの光景だろう。地面に転がっている首から上だけのピエロ。しかし、やはりナノハは違う。

「いやぁぁぁ!ピエロさん・・・ピエロさん・・・嫌だよぉ、死なないでぇ・・・」

 悲鳴のようなものを上げるが、違う。私の餌になり得るものではなかった。これは文字通り、悲しみの鳴き声。一見恐怖に似てはいるのだが、私のことを助けたいと願ってくれるこの暖かな気持ちは、とても喰らえるものではなかった。だが、それでいい。この子はこうでなくては。傷口を押さえ、必死に私の傍へと四つん這いで来てくれたナノハ。そして私を拾い上げると膝の上に置き、いとおしそうに顔を指で撫でる。

 その時だった。

「何?これ?」

 モワァッと薄灰色の靄が辺りに流れる。

 なんと!しつこいことに、奴は未だ消滅しきれていなかったのだ。しかし、あの見るからに邪悪で禍々しい漆黒とは程遠く、今や白よりの灰色になっていた。自我すら持っていない様に見える。放っておいても今は問題なさそうだが、いずれ力を取り戻したら人間を襲い始めるかもしれない。だが、もう私にはどうすることも出来なかった・・・

 逃げろ・・・逃げろ・・・餌達・・・頼むから、こいつから逃げ切ってくれ。

 私の切なる願い。どうせそろそろ消えてしまうというのに、まだ私は人間達を守りたいと思っている。どこまでも食料を大事にするこのお人好しさに、自分自身本当に呆れてきてしまった。

「ここに居たのね・・・」

 突然、私の後頭部方面から声が飛んできた。自らの意思で振り向くことの叶わない私の代わりに、ナノハは私ごと身体の向きを変えてくれる。そこに立っていたのは・・・コウタ捜索の時一緒にいた女だった。ちなみに言うと、私の計算ミスはこの女のせいでもある。奴がタクミに憑いている時、リキヤとこの女、二人から恐怖を供給し続ける算段でいたのだ。しかし、あろうことかこの女は一切恐怖を感じていなかった。従って私は予定の半分のエネルギーしか蓄えられず、今この段階で身体を残しておくことが出来なかったのだ。

「ちょっと・・・待っててね。」

 女は右手で虚空に何やら印を切り、そして胸に当てる。

「いただきます。」

 ニヤリと笑うと口を大きく開け、悪霊を吸い込んでいく女。これは・・・


 シュルルルル・・・ゴクンッ


「ごちそうさまでした。」

 程なくして悪霊を平らげた女は、とても満足そうに微笑んだ。

 ・・・ゴーストイーター・・・この女もまた、人間ではないようだ。奴の次は私を喰らうつもりなのだろうか。まあいい。なんであれ、私にはもう抗う力などないのだから。女はまたしても印を描く。すると今度は女の身体から薄黄色のエネルギーが放出され、上空に集まっていく。そしてそれをそのまま霧散させた。かけていた何らかの術を解いたのだ。

 直後に女の素性を思い出す私。そう、私はこの女のことを前から知っていた。

「『認識障壁』は解除したわ。あたしのこと思い出してくれた?クロさん。」

 ああ、勿論だ。この娘はかつての私のお気に入り、カエデだ。元気そうで何よりだが、何故こんなところに?

「あなたがこの国に戻ってきたって聞いて、いてもたってもたってもいられず探したわ。で、やっと見付けたと思ったら・・・」

 優しい顔で、ナノハを見つめるカエデ。ナノハは座りながら木にもたれ、再び意識を失っていた。

「また人間を助けてるんだもの・・・ずっと観察してたわ。あなたが何をしたいのか、何をしようとしているのか。まさか、相手の能力を利用して殺された人達を生き返させるなんて・・・途中あたしが悪霊を消しちゃおうとも思ったんだけど、やらなくてよかったわ。」

 カエデは私にも優しい視線を送ってきた。怒っていないのか?私はお前を化け物にしてしまったんだぞ。あの日、重症を負ったカエデを治すことが出来ず、私は喰わせ私の力を授けることで命を救った。だがその代償にカエデは、悪霊や化け物を喰らい続けなければ生きていけない特殊な身体になってしまったのだ。私の失った力を操ることのできる悲しき怪物、それがカエデだ。ちなみに先程の認識障壁も、私の使えていた能力の一つだ。

「安心して。この子はあたしが責任を持って病院に連れていくから。」

 今の私にとって、一番安心できる言葉を発してくれるカエデ。

「あたしにしたことをこの子にはしなかったね。わかってる。そうよね。あたしの様な化け物にしないためよね。あの時あなたは、その責任からか、突然あたしの前から姿を消した。あたしがあなたを恨んでいると思った?ううん、全然恨んではいないわ。特別な力を手に入れることができたし、悪霊を喰らって消すことで人間に感謝されることだってあった。あたしに一人で生きていける術をあなたが与えてくれたの。」

 そうか・・・私はやはり良いことをしていたのか・・・何故だろうな。聖人君子ではないむしろ真逆な存在の私が、ただ自己利益の為に行動したところ、いつも餌達の助けになってしまっていた。

 別にいいのだが・・・

 昔カエデを助けたことにより、今ナノハを救うことができたと思えればそれでよい。今までのことは、全てこの時の為の伏線だったのだと思えば・・・それで・・・

「だから、ありがとう。後始末は任せて、ゆっくりおやすみ・・・クロさん。」

 意識が遠退いていく。これが・・・消えるということか・・・


 ・・・去らばだ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・

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