第4話 2018年9月25日 午前 東京都港区高輪 鴉鷺商事本社 サバイバルコンペティションフロア 震撼
運命の日だろう。俺は今、サバイバルコンペティションのフル面子に囲まれている。それには順序がある。
手前のノートPCは、本社のAIサーバーを借用し検証に入っている。未だ計算中も結果は何となく分かっている。
俺達のともしびホテルプロジェクトの発注予測データは、9月遅延分を加味し、来月の10月分もAIに揺らぎデータを持たせ、判定計算させた。そして、10月末に発注遅延分で大集中し、また東南アジアのラインから大クレームが来る事になる。そう今度こそ鴉鷺商事は、パートナー協定から破綻し、通信の基幹業務は崩壊する。
そう俺が今、サバイバルコンペティションのフル面子に囲まれているのは、滝沢女史主管がまたヒステリーになるのを恐れたからだ。それとなく滝沢さんに囁き、ともしびホテルプロジェクトの10月分の発注予測データを見せると、滝沢女史主管の戦慄きで前下がりのミディアムボブが逆立ち始め、顔も見る見る青ざめ、その場で大声で皆を招集した。
集合。それは大声と思念が一致してか、俺の脳が結構揺れた。
そして、各プロジェクトのデータを俺三船に提出させ大検証させろの大号令で、フロアの人流が一体となった。頼りになり過ぎる女史の管理職は、どうしても有能過ぎると言う事らしい。
そして各プロジェクトのデータが届き、AIの50領域のパラメータの揺らぎを、組み上げ部品のタイミングをある程度1ヶ月から4ヶ月遅延と任意にした。時間が取られているのは、データ件数が決して多いからでは無い。俺の緻密なプログラムにデータを流し込むだけだから、問題はほぼ無い。
この未だ計算中は、本社のAIサーバーが断定的な二択分析判断を下せないからだ。任意であっても50通りの多種多様なパラメーターの中で3度検証させ、破綻か成立を事務的に示すのみだが、心情がある訳でも無いのに、やはり難しいか。オール・オア・ナッシングなら俺達も納得する。しかしハーフ・アンド・ハーフの答えが出たら、間違いなくプロジェクト長の夜を徹したの会議になる。新システムへの見切り発車と、ユーザーへの謝罪と懇願が詰まる所だろう。それが叶っても、出鱈目に遅過ぎる。
そう朝礼間も無く、俺が密かに滝沢女史主管を呼び寄せたのは、パニックを回避出来る今月の納品遂行日の締め切りが、今日この限りであるからだ。この先の基準1週間の混乱では遅過ぎる。
混乱は決して招きたく無かった。滝沢女史主管はもっと理性的で根回しの出来る人物と思ったが、いや、皆を呼び寄せて正解なのだろ。何故ならビジネスとは99%の不利から挽回出来る。ここはただ、フットワークの軽い女性だけでは無い事を尊敬しておく。
不意に、ノートPCのステータスバーが振り切れ、衝撃の表示が出る。
成立1/破綻49
生涯にこんな日が来るとは思わなかったが、鴉鷺商事の破綻が今日決まってしまった。
見事に凝り固まるサバイバルコンペティションのフル面子。何も言えないのは察する。ただ気の毒だ。
まあ、予測結果を分かっていた俺は次の一手に入るが、ここは皆がお通夜モードの方が進行し易い。
落胆、それはそうだ。サバイバルコンペティションのフロア、休憩仮眠は多めに取るも朝7時から夜9時まで働くなんて、義務感依然に懇意となったユーザーの信頼をより深くしたいからだろう。それが人生の糧になる事は皆の日々の熱意が証明している。
何よりは、御社弊社の共通のアジェンダである、2020東京オリンピックの成功。引いては観光立国日本の地位向上。これが一気に消失なんて、あいつらは罪深いものだ。
俺は問う。
“さあ聞こえているんだろう、孫さん。全派遣社員の我が儘、このままでは鴉鷺商事を越えて、この日本がどうかしてしまう。これはあなたの国、中国の横車なのか”
“違うわ、”
“違うも何も、中国の党員はまじめだからな”
“えっつ、何なの、この違和感。私の心の声が聞こえるの”
“知っての通り、俺はテレパシストだ。今までの傾向通り送信だけだと思ったか”
“まさかでしょう、”
“その送信も、ただ激務になるとなると全く消えるから、信じれないだろうが、俺はテレパシストだ”
“いいえ送信だけでしょう、何故会話出来るの。受信迄とは派遣の注意書きに書いてなかったわ、はっつ”
“はっつ、は察するが後だ。俺は小さい頃から何人もの観察員が目の前に現れた。それなりに鼻が利く様になって、成長に伴って受信も開花した。それより特許部の劉博報は、設計図をスキャンし終えたか。本国に送って何をしたい。鴉鷺商事は過去中国に工場進出し、撤退した時の施設はそのまま公司に譲った筈だ。今更じゃないのか”
“受信が出来ると言う事は、今迄ずっと見ていたの、吐き気がする”
“そこまで言うか。昔たまに勘の良い女子がいて、生理的に受け付けないって、面と向かって言われたけど。今でもあんまりだ”
“ムカムカするわ。どこまで知ってるの、いや何もかも知ってるんでしょう”
“通信機器の遠隔保守の為のバックドアは必須だ。このバックドアは中国撤退後に装備したから、どうしても回路を置き換えたいか。それで何をしたい”
“覗いているなら言わせないで。中国全国民監視システムはより多くのゲートを持たないと、またも天安門が起るわ”
“そんなシステムに巨額の費用を投じる位なら、共産主義を捨てるべきと、俺は常々思う”
“優れた国家統制は捨てられないわ。現状を見なさい、拡販実績としては既に中国は世界一よ”
“その世界一の中国が、孫さんをハニートラップ要員にするなんて、どうかしている。派遣社員、キャバクラ嬢、回春マッサージ嬢、ピンサロ嬢、働き過ぎだよ。孫さんは”
“どこまで覗いているの。まあ今更ね、私の様に、未だ奥地のレンガの狭い家に育った人間程、普通の暮らしに憧れるものよ。でも、その普通の暮らしなんて、未だ中国のシステムではまかり通らないものなの。語学教育の為に莫大な借金しては、漸く今の生業よ。実家にも送金しないと行けないから、血反吐くまで働かないとならないのよ”
“孫さん、ここまで日本語で送受信出来るなんて、すごいタフですよ。普通の人間なら二心が動いて心のノイズが酷いのに、余程心理教育されているのですね”
“三船救真には気をつけろとは言われてたけど、所詮私も捨て駒だったのね。大塚のキャバクラまで見つけられるなんて”
“そこは勘違いしないで欲しい。山県の嗅覚はそら恐ろしいものですよ。そのお陰で外れは無いですけどね”
俺の右隣で悲鳴が上がる。
「痛い、痛い、和泉さん、痛いですよ、」
和泉女史、ただ山県の右の耳たぶをきつく握ったまま。
「ちょっと、私が週末に名古屋に帰ってる間に、そこまで気を緩めてる訳、ねえ、ねえは、どうなっての君達男子諸君はよ」
「痛いですー、和泉さん、これは、ともしびホテルプロジェクトの親睦の一環です。許して、痛い痛い」
不意に電話機の呼び出し音がなるも、刹那の0.1秒で、普段通りに和泉女史が瞬時に受話器を取る。
「はい、サバイバルコンペティション。ともしびホテルプロジェクトの和泉です。丁度いい、うるさいって、あなたは2階下だからいつもでしょう。今立て込んでいるから、切りますね」
夢遊病者の様に立ち上がる孫紅華、みるみる青ざめる
「そんな、まさか、皆に聞こえている。これじゃあ、公開処刑でしょう、我不想被處決」
尚も、俺は行使する。
“孫さん、酷い言い様だ。送信も受信も出来るテレパシストが相手なら、この状況は想定出来るでしょう。このフロアと上下フロアの何れもは筒抜けですよ”
孫紅華、ただ張り裂けんばかりに吠える。
「怪物、何がしたいの、」
“俺達が望むのは、キャバクラでのアルバイトに気付かれた腹いせに、鴉鷺商事の全派遣社員巻き込んでのサボタージュを撤回させる事だ。この手は首謀者が舞台から降りると収まるんだろ。今直ぐ消えろ”
孫紅華、怖々と自ら鞄を持っては、自らの席を立つ。
「蓮実課長、体調が悪いので、早退させて頂きます」
蓮実課長、凛と。
「いや、孫さん。その前にあなたが社内に幾つもばらまいた虚言の数々の真意を聞きたい。このまま新山総務部長のオフィシャルルームに行って貰えますか。これから業務管理部は、発注書の山をこなさないといけないのでね」
孫紅華、意気消沈したまま席を後にする。
それでも静まる、サバイバルコンペティションフロア。俺三船救真のやり過ぎはそうだろう。
徐にヘッドバンキング通信プロジェクトの又佐課長が机の上に上がり、切に問う。
「皆、思う所は十分分かる。でも何が恥ずかしい、俺は何も恥ずかしくないぞ。今この場で、俺の十八番逆さ富士をしても構わないぞ。どうか、有り難く眺めた給え」ベルトに手を当てるも、全プロジェクト員から直ちに机から引き摺り下ろされる。
溜め息から開放されたサバイバルコンペティションのフル面子が、いそいそと机に帰り始め、自らの仕事を再開させては、以前の活気が戻り始める。PCでは、リミッターの外れた基幹システムの納期が回復し、フロアほぼ全員一斉に電話回線に携帯電話を持っては、ユーザーへの通信機器のヒアリングと今後の納品予定を丁寧に連ねて行く。
そこからただ机にひれ伏す俺。さすがに受信は疲れる。時折現れる中国語が理解出来れば良いが、同時に浮かぶビジョンを読み取るのがやっとだ。
傍らよりゆっくりと蓋付きコーヒーカップが差し出される。そう和泉女史が堪らず。
「ねえ、三船。受信は使っちゃ駄目って言ってるでしょう。これから皆と折り合いつけるの大変よ。ほとぼりが冷めるまで、暫くは後ろの演算室で仕事してなさい。後は私が言い含めておくから。こう言うのもいつかはと思ってたから、きちんと任せて」
非常に助かる。送信は堪らず出てしまい、通りすがりでも幾度となくぐるり振り返られるが、それも慣れたものになってしまった。だが受信の事は極力触れないに立ち回っていた。その為、会社に入って気付かれたのは和泉女史だけだ。
ここは何と言うか、またも和泉女史に先を見透かされていたから、相変わらず恐ろしいものだ。俺が居づらくて会社を辞める事を見越しての演算室送りだろ。
ここは和泉女史の根回しにまた甘えるが、多分来月頭には平常運転に戻る事だろう。何せサバイバルコンペティションのフロアは忙しく、俺の送信受信のそれどころじゃない。
それに今更テレパシストのどうのこうのは、鴉鷺商事の【共生】の社訓に反するところだから、異を唱える者は有無を言わさず、またも残らず桶川工場勤務を命ずられる事だろう。可哀想と思えるだろうが、理性的な会社とはそんなものだ。
敢えて言わせて貰おうか。2016年6月。ローマカトリックの長官は人類の不誠実さに関する発言で問う。
「如何なる人物も善良で有り、更なる懇願で神を求めている。私達はその人を業を責めず、その人を裁かず、そして寛容であるべきを率先すべきであろう。不協和音とは本来有り得ない事象なのだから」
寛容。問題のすり替えとかは無しにして、俺は生きている。そして明日もだ。数々の異端審問の歴史は終わり、ここに俺はいれる。ありがとう。心がとことん疲れて果たして皆に伝わっているか分からないが、ただ、ありがとう。
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