お昼に電話

 俺はどうも運が悪い。

 そうだとしか言いようがない。


 2度彼女に電話して2回とも取り込み中だったということもそうだが、今は目の前の、ため息をつくしかない仕事の山を見てそう思っている。


 納品したソフトウェアについて、客先のテスト運用でバグが見つかったとのことだった。こういう場合は、バグの原因を見つけてそれを直すのはもちろんだが、他にも類似のバグが起きる可能性がないかを設計書、プログラム含め検証することが必要となる。

 しかも、納品したものであるから、それについての早期の客先報告が当然必要となるわけだ。


 今日はおそらく徹夜だろう。


 ……。


 「待ってます」、彼女のその声がなぜか頭をよぎった。

 しかし不思議である。

 まだ会ったこともないからその姿が頭をよぎることはない。

 もっとも、姿を無理やり想像することすることはできなくもないが、たいていは今まで現実で会ったことのある女性や、テレビに出ている女優に近いものとなり、異なる性格付けがされてしまい、なんだか当初の目的と違うものになってしまう。


 それを楽しめるやつもいるかもしれないが、俺はやはりそれは違うと思うのだ。


 そういえば、昨日の電話も一言二言に近い会話だったとはいえ、情報的には収穫だった。


 彼女には、彼氏がいないらしい。


 これは俺のようなヘタレ、肉食獣に草原から駆逐される草食動物にとっては重要な情報だ。

 しかも、通常は最重要機密の類であり、人づてに聞くところで、本当にそうかも怪しいことが多いが、今回の情報は本人のその口から出た情報である。お墨付きなのだ。


 この本人の口から直接というのも相当ポイントが高い。


 つまり俺は彼女に心許されているということだ。

 友人らしき同行者に、『違うって、彼氏とかじゃないから、もー』と言っていたが、まんざらでもないという響きがそこにあったように思えてならない。ならないのだコンチクショウ。俺はなんたって「待ってます」って言われた男なんだぞ!


 そんなことを考えていたらいつのまにかお昼の12時を過ぎていた。

 このままでは午後も無駄にこの思考に費やしてしまいそうだ……そうだ。


 周りを見回す。

 しめしめ、他の同僚は今日はみんな外に食事にいったらしい。

 となると、会社にはしばらく戻ってこないだろう。


 俺は手早くキーパッドに自分の番号を打ち込んだ。

 『通話または通信中』が表示される。


 俺は彼女を待つ、待つ、待つ、ああ待ちきれない。


「もしもーし?」


 いつも通りの彼女の声。

 俺はすかさず相の手をいれる。


「ごめん、タイミング悪い魔の相野優だけど、今大丈夫かな?」

「あっはは、何言ってるんですか」


 ふっと胸をなでおろす。

 つかみは今回もオーケーだったようだ。

 

「大丈夫ですよー、今お昼ひとりで食べてるとこですから」


 なんと!初成功ではないか!

 俺は自分に万雷の喝采をあげていた。

 しかし、何といったものだろうか……これまでの失敗の数々から、うまくいったときのことを全く考えていなかった俺は悩んだ。


「実は仕事がうまくいってなくってさ」


 何か早く言わねばと焦って気が付いたらこの台詞である。

 気の利いた一言どころではない、気を遣わせる一言だ。

 俺は重過ぎるその内容を言ってしまった自分を殴ってやりたくなった。


「そうなんですか……そういうときもありますよね、でもきっと大丈夫ですよ。なんとかなります……もぐもぐ」

「えっ?」


 おいおい何も言ってないのに何を言い出すんだこの子は?

 しかも若干そのくぐもった音は何か食べてないか?


「だって優さんは私と同じ名前なんですから」


 その一言は俺の頭を真っ白にするのに十分だった。

 自然と笑いがこみあげてきた。


「ははは、そういわれちゃうともう何にも言えないな」

「でしょ……もぐもぐ」

「ありがとう。元気出たよ。でも食べながらは、ないんじゃないかな」

「あら、わかっちゃいましたか……ごめんなさい……もぐもぐ」

「また食べてるっ!」

「ごくごく……これでよしっと……うーん」

「今度はどうしたんだ?のどに何かつまったのか?」

「そういえば優さんは私のこと名前で呼んでくれないんですね」

「えっ?」


 いきなり切り込まれた気分だった。本当に油断ならないのだこの子は。

 こういった場合、慣れているやつならきっと、上手い言葉が浮かぶのだろうが、不器用な俺は何といったものかもわからず、ただ驚いた声をあげることしかできなかった。


「優様でいいですよ」


 ふてぶてしく彼女は言った。

 俺は、この子のコミュニケーションスキルには本当に感動させられる。

 まるでこちらの心が見えているかのように、困ったときは道を作ってくれるのだ。


「じゃあ、優ちゃん」

「……絶交です」

「ああ、じゃあ、優様」

「あははは、単純ですねー、もう」

「自分の名前だとあんまりダメージないんだ、実は」

「そういうことですか!これは一本取られました」

「賞品何かください」

「賞品ですか……私、とか?」

「……」


 お昼の電話で何を突然いうのだこの子は!?

 俺の鼓動が早くなる。

 言っちゃえよ俺!

 せめてギャグとして「娘さんを嫁にください」とかくらいは言え!

 もうこの時しかないぞ!


 ……でも、やっぱり俺には無理だった。

 まだ2、3回電話しただけの相手だし、そこまで言っていいものか、ふんぎりがつかなかったんだ。


「黙ってないで何か言ってくださいよー。これ精一杯のネタなんですよ」


 彼女のその一言で安心する。

 ヘタレだと言われてもいい、こちらとしても、これが精一杯なのだ。


「こらこら、結婚前の娘さんがそんなこといっちゃいけません」

「はぁーい」

「もーお父さんは許しませんよ」

「お父さんになっちゃった……ちなみに私結構可愛いって言われますからね、覚えておいてくださいね!」

「ど、どういう意味だ」

「さーどうでしょうね~」


 彼女の意味深な一言に動揺した俺は、この時もその後何を話したかあんまり覚えていない。礼儀として最後に「落ち込んでたのがどっかいっちゃったよ、ありがとう」くらいは言ったと思うのだが、思いはするのだが。

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