夕方電話

 遅めの出社後、あっという間に終業の時刻となった。

 いつもであれば、野球は9回裏ツーアウトから、というようにここからが本番であるのだが、今日は昨日納品したプロジェクトの文書整理程度で、他にまだすることはない。

 上司もこういった場合は、無駄に残業しないで早く帰れというので、うれしいことに帰らざるを得ないというわけだ。


 しかし、遅めの出社で定時帰りというフレックス万歳!という幸運な日であるにも関わらず、俺にはここまでの時間の流れがとてもゆっくりに感じられた。


 もちろん彼女のせいだ。


 朝の電話での「また電話して」というセリフは俺を有頂天にするのに十分なものであり、仕事の集中力を乱すのにもまた十分なものだった。

 本当に、今日がプロジェクトの山場とかでなくてよかったと、心底思う。

 

 俺は会社の建屋を出て、最寄りの駅まで歩く。

 そしてその道々考える。


 あの朝の短いやりとりからわかったこととしては、彼女はどうやら会社で働いている社会人だ。

 これは大きな収穫だった。

 本当によかった。

 俺は相手が学生ではないことに心底感謝する。


 どうしてかというと、学生であれば、おのずと男女関係に制限が加わるからだ。

 もちろん、そっち……のことも考えなくは無いが、それだけではなく、血でもつながっていなければ、街でスーツ姿の男と学生服の女子が隣り合って歩くのはご法度な世の中である。合法的に関係を深めることは難しい。


 そんなことを考えながら歩いていたら、無性に彼女に電話したい衝動が高まってきた。

 家まで我慢しようと思っていたが、もう無理のようだ。


 俺は、駅まで続く食堂や小物屋、スーパー等が並んでいる道路から少し脇道に入った。通りに比べると、やや静かではある。このあたりなら大丈夫だろうか。


 歩道脇の電柱にもたれながら、キーパッドに自分の番号を打ち込む。

 いつもどおり『通話または通信中』が表示された。


 そしてこれもいつもどおり、ひたすら俺は彼女を待つ。


「もしもし?」


 彼女の声だ。

 もう3度目ではあるが、この瞬間のうれしさは変わらなかった。

 今回は朝のような小声ではない。

 しかし俺は念のためいつものとおりに言うのだった。


「ごめん、昨日の今日で相野優だけど、今大丈夫かな?」

「クスッ」


 よしっ、つかみはオーケーのようだ。


「大丈夫そうで安心したよ」

「あーでも、そうでもないかも……」

「ええっ?」

「実はこれから友達と女子会なんです。今からお店に入るとこ」

「そっか……」

「……違うって、彼氏とかじゃないから、もー……」

「えっ?」

「ああ、ごめんなさい。後ろから友達が『彼氏?彼氏?』ってうるさいので、私に彼氏がいないからって、もー……その気を悪くしないでくださいね」

「ああ、うん。じゃあ、またかけるよ」

「待ってます」


 プツリ。

 俺はどうもタイミングが悪すぎるらしい……。

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