仕事の前に電話
朝起きると既に時計は8時45分を指していた。
いつもであれば、まず体調不良等の理由を考え、アリバイを万全にした後、上司に謝りの電話を入れるところではある。
しかし、今日はその上司から、ゆっくり目でよいとお墨付きを貰っているのだ。
連日深夜まで頑張っていたかいがあったというものだ。
俺は、シャワーを浴びた後、バスタオルで体をふいて、食事をしながら軽く湯冷ましした。
そして昨日のことを思い出す。
また電話してもよいと彼女は言っていた。
相野優。
俺と同じ名前らしい。
そういえば名前以外何も聞いていない。
わかっているのは、おそらく彼女がウィットに富んだ会話のできそうな、話していて楽しくなるような、そんな子であるということだけだ。
でも俺にはそれで十分だった。
単純といえば単純なのかもしれないが、知らないということは逆に想像の余地を人に与える。
殊更、スカートの下に思いを巡らしたり、女子のブラウスにうっすらと見えるものからその実態を想像することに一生懸命な男などという生き物はそうなのかもしれない。
おっと、声の可愛さも、忘れてはいけなかった。
話し方から、当人はそれなりに節度をわきまえた大人ではあるようだが、10代のようにも20代のようにも聞こえる、ちょっとトーンの高い可愛い声だった。
考えているうちに、次第に彼女に電話をしたいという欲求が高まってきた。
さて、どうしよう。
今電話してもいいものだろうか?
湯冷ましを終えた俺は、考えながら既にワイシャツどころかスーツのズボンまで着込んでいた。あとスーツの上着を着てしまえば、もう会社に行ってしまうだろう……かけるなら今しかない。
もう9時近い。
学生であれ、会社員であれ、電話に出てくれるなら状況から何がしか彼女の情報が得られるだろう。
迷惑だろうか……。
そこは少し悩ましいが、昨日の電話から類推する彼女の性格的に、許してくれそうな気もする。そこに一縷の望みをかけてもよいだろう。
それに、完全に出るのが無理なら、そもそも出ない可能性のほうが高いのだ。
よし、と俺は覚悟を決めた。
そして、自分の電話番号を間違いないように気をつけながら、キーパッドに打ち込む。客観的に考えると、なんだか不思議な光景ではある。
前と同じで『通話または通信中』が表示された。
俺は期待を込めながら、表示が変わるのを待った。
「もしもし?」
まぎれもない、彼女だ。
ちょっと、囁く感じの小声ではあるが、昨日と同じ声がスピーカから流れる。
俺は、ホッとしつつも、何を言うべきか悩んだ。
しかし、こういうときはやはりこういうしかなかろう。
「ごめん、昨日の相野優だけど、今大丈夫かな?」
「あー、ごめんなさい。うちの会社もう始業過ぎてるんです。上司に気づかれると面倒なので……また電話して。ほんとごめんなさい」
プツリ……。
彼女との会話は一瞬にして終わった。
しかし俺はうれしかったんだ。
「また電話して」というその一言が。
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