仮想カノジョ~君と何エンド?

英知ケイ

いきなり電話

 今日は残業で午後10時帰り。

 なんとか午前様を免れはしたものの、疲労感が半端ない。


 とりあえず納期は守られ、客先からのリクエストは今のところ無いということだけが救いだった。明日は少し寝坊しても許されそうだ。こういうときは会社のフレックス制度に感謝せざるを得ない。


 俺は、友人にこの不満をぶつけようと、スマホの電話アプリを起動した。

 そして、そいつの電話番号をまだ登録していなかったことに気が付く。

 やつはあまりに迷惑電話が多いので、最近番号を変えたというのだ。

 やむを得ず、俺はキーパッドを叩いた……。

 

 しかし、画面は『通話または通信中』の表示のまま変わらない。

 なぜだ……?

 ここでやっと俺は気が付いた。

 画面情報に表示されている電話番号が自分のものであることに。


 なんてことだ。疲れすぎているのか……。

 俺は、通話停止ボタンを押そうとしたんだ……その時。


「もしもし……」


 スピーカーから女性の声が流れた。

 声の印象から、若い女性のように思える。

 どうしよう、切るべきだろうか……。


「もしもーし?」


 彼女は再度呼び掛けてきている。

 ここは、応答して謝るのが筋だろう。

 俺は心に決めたんだ。


「も、もしもし」

「どなたさまですか?……あ、えーっと、その、非表示の番号にはあんまり自分から名乗っちゃいけないって、その、両親に言われているので……」


 どこの誰ともわからない相手に対しての、その、あまりに正直な彼女の言い方に俺はこの一瞬で好感を抱いてしまった。

 これは、こちらも応えねばなるまい。


「相野です。間違えてかけてしまったみたいで、ほんと、すみません」

「……」


 彼女は何か考え込んでいるかのように、応答しなかった。

 言い方が軽すぎたか?

 俺は彼女を怒らせてしまったのではないかと思って焦った。


「あの……ほんと、ごめんなさい。すぐ、切りますから」


 こういうときはとにかく謝るしかない。

 俺は繰り返し謝り、彼女から「いいですよ、それじゃ」などと言われるであろうその時を待っていた。

 しかし、彼女は予想外のことを聞いてきたんだ。


「下の名前は?」

「はい?」


 突然の意味の分からない質問に、思わず俺は聞き返した。


「教えてほしいんです。あなたの下の名前を」


 若い女性の声で繰り返し懇願されては、漢としてこれに答えないわけにはいかなかった。


「……優です。優しいと書いて、優」

「……」


 また彼女は押し黙った。

 何を考えているのだろうか?

 しびれをきらした俺はこちらから打って出ることにした。


「あの……迷惑ですよね?失礼してもよいでしょうか?」

「待ってください……その、もう1点だけ、もう1点だけ」

「何でしょうか?」

「苗字の漢字、ひょっとして藍色の藍に野原の野ですか?」


 また、想定外の質問だ。

 名前マニアなのだろうか?

 ともかく俺は答えたんだ。


「いえ、あいは、相思相愛の相のほうです」

「……」


 まただ……長考。

 相手が若い女性だといっても限界がある。

 ただでさえ眠いのだ。

 俺はいい加減面倒になって別れの言葉を告げて切ろうとしたんだ。

 ちょうどその時だった。


「私もなんです。相野優」

「はい?」

「あなたと同じ名前なんです」


 なんということだ。

 彼女の言うことを信じるのであればとんでもない偶然である。

 まだ20代の短い人生ではあるが、ここまで生きてきて同姓同名には遭遇したことがない。


「そ、それは奇遇ですね」

「もう少し感動とかないんですか?」

「えっ?」


 それなりに他人向けの適当なセリフを言ったつもりだったが、まさかそれにツッコミが来るとは俺は思わなかったんだ。


「それとも何かで私の名前調べてかけてきてるんですか?」

「ええっ?そ、そんなことはしてません」

「……ですよね、そうだったらもっと、コレコレ買いなさいーとか、お姉ちゃん今借金取りに追われてるんだっ、とか既に何か言ってそうですもんね」


 想像力がたくましい子みたいだ。

 そういえばさっきの苗字の確認にしても、あえて間違いの漢字で確認している。

 ある意味賢い子なのだろう。


「ああっ、私ばかり話しちゃってすみません」

「いや、こっちも楽しいから問題ないです……その……」

「何です?」


 俺はもう少しこの子と話しをしていたいと思ったんだ。

 いつの間にか彼女との会話を楽しんでいる自分に気が付いて。


「また電話してもいいかな?」

「……」


 長考。

 ちょっといきなりすぎただろうか?

 俺は自分で言っておいて早くも自分で後悔していた。

 しかし、もう言ってしまった以上、俺には彼女の判決を待つ以上のことはできない。早まる鼓動を抑えながら俺は彼女の次の言葉を待った。


「……いいですよ」


 スマホを持っているのと逆の手で思わずガッツポーズ。

 そこからは舞い上がってしまい、何を言ったのかはあんまり覚えていない。

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