酔っ払いな戦闘姫 5
人の想いなど関係なく、時間は過ぎてゆく。
最後の夜は、あっという間に訪れた。
そんな中でも、一時落ち込んだ、あたしのテンションは復活していた。
よくよく考えてみれば、そんなに落ち込む話じゃない。
東京なんて、すぐ近くだし、何よりも遠距離恋愛は燃える。
長く続くのはダメだと、周りが結果で教えてくれてるけど、短い間なら、良い結果になることが多いとも教えてくれている。
むふふ。燃えた先に待つものは。
あたしは最後の夜なんて忘れて、一足先にママの店へ。
「こんばんは!」
あたしの元気な声に、ママは憂鬱げに答える。
「はあ、何であんたはそんなに元気なの? 強がりからくる空元気かしら?」
「ママさあ、そんなに落ち込むことないじゃん。会えなくなる訳じゃあるまいし。それに、遠距離って燃えるでしょ。何より、あたしはママに邪魔されることもなく、二人の愛を育んでいけるしね」
ママはため息を一つついて、テーブルに料理を並べ始めた。
あれ? いつものような返しがない。
これは相当落ちてるな。
あたしは、空気を変えたくて、ママに話しかけた。
「今日金曜日でしょ。お店こんなに早く閉めて良かったの? それに、すごい料理だね。ママ作ったの?」
「今日位はいいのよ。鈴木さんのお願いなんだから。それにね、わたしの手料理を食べてもらえるなんて、最初で最後だろうから」
やばい。空気が変わるどころか。
「いや、やっぱりママはすごいね! バーの料理とは思えないよ。ほら、このお肉の塊、ローストビーフだっけ? それにサラダの盛り付けなんて、こんな綺麗なのよそでもみたことないよ」
ダメだ。言えば言うほど。
「す、鈴木さんまだかなあ」
待ち合わせは十一時だったので、まだちょっと時間には早い。
この空気を何とかせねば。
そんなこんなで焦っていると、ドアベルが鳴り、鈴木さんが入ってきた。
「こんばんは。お待たせしてすみません」
「お待ちしてましたよ。鈴木さん」
ママがいつも通りに、渋い大人の男の声で答えた。
あたしには、いけないとか言ったけど、やっぱり鈴木さんのことが好きなんだね、ママ。
無理しちゃって。
健気なママに、あたしはちょっと、うるっときた。
あたしと鈴木さんがテーブルに着くと、ママはグラスとシャンパーニュを持ってやって来た。
ママは、静かにコルクを抜きながら、
「門出には、やはりシャンパーニュが良いでしょう。これは私の一番好きな銘柄です。手向けに同じものを用意してますので、帰りにお渡ししますね。ぜひもらってください」
そう言って、グラスに良く冷えた、淡い麦わら色の液体を注いでくれた。
「では、鈴木さんから何か一言お願いします」
ママに促されて、鈴木さんはちょっと考え込んでから、ゆっくり話し出した。
「今夜は僕のわがままに付き合ってくれて、本当にありがとうございます。短い間でしたが、お二人に出会えて、とても良かったです。僕の忘れられない、思い出になりました……」
鈴木さんはちょっと言葉に詰まった。
あたしはみかねて、
「もう、鈴木さん、そんな今生の別れみたいな言い方しないでくださいよ。ちょっと距離が離れるだけで、会えなくなる訳じゃあるまいし」
と言うとママも、
「そうですよ、鈴木さん。これはお別れではありません。門出なのですから。さあ、乾杯しましょう」
とグラスを掲げた。
「鈴木さんの前途と、私達の変わらぬ友情に乾杯!」
あたし達はグラスをそっと合わせた。
冷えたシャンパーニュが、湿っぽくなりがちな気持ちを洗い流してくれるようで、喉に心地良い。
「さあ、食べましょう。男の手料理で申し訳ありませんが、腕によりをかけて作りました。さあ、さあ」
あーあ。本当は男なんて自分で言いたくないだろうに。
無理しちゃって。
はっ!? いけない。ママに共感してる場合じゃない。
あたしも頑張らないと。
「鈴木さん。これはわたしからです」
そう言って、あたしは今夜のために用意したプレゼントを鈴木さんに渡した。
「え、僕に? いいんですか? いただいても」
「はい。良かったら、開けてみてください」
鈴木さんはあたしの言葉で、包みを丁寧に開け始めた。
そう。そういう繊細な優しさもいいわ。
「ボールペンですか。しかも、こんなに良いものを」
「鈴木さんに、ぜひ使ってもらいたくて」
あたしが選んだのは、名の通ったブランドのそこそこ値の張るものだ。安っぽいのはダメ。かといって、高すぎてもいけない。絶妙な選択が大事なのよ。良い筆記具は大人の男のアイテムに丁度良い。
何でボールペンにしたかって?
それは、常に使うものだし、使う度にあたしを思い出して欲しいからよ。まあ、意識付けね。
「ありがとうございます。大事に使いますね」
「そう言ってくれると、わたしも選んだ甲斐があります」
「さあ、早く私の料理も食べてください。味には自信がありますから」
それはそうだ。
せっかくのママの手料理だもんね。
ちょっと、渡すタイミング間違ったかな。
あれ? 何か、今夜のあたしはママに優しいようだ。
まあ、そんな時もあるよね。
「すみません、マスター。それにしても、凄い料理ですね。どれも美味しそうです」
「美味しそうじゃなくて、美味しいですから」
ママは、鈴木さんとあたしに料理を取り分けてくれた。
白い皿に丁寧に盛りつけられたサラダが、あたし達の前に置かれた。
「ロメインレタスのシーザーサラダです。どうぞ、召し上がってください」
あたしと鈴木さんは、ママに促されて、フォークで口に運んだ。
「美味しいです! ドレッシングもマスターの手作りですよね」
「さすが鈴木さん。気がついていただけましたか。基本オリジナルレシピに忠実なのですが、ビネガーをボディがあって、風味の優しいものを使いました」
「そうなんですね。繊細な中にもしっかり芯があるように感じるのは、そのせいですね」
これには、あたしも諸手を上げて賛成。
本当に美味しい。
ママ、あんた芸が細かいよ。
神様の不条理がなかったら、間違いなく良い女だったろうね。
それからもママは、甲斐甲斐しく料理を取り分けてくれた。
どれも美味しくて、バーじゃなくても、この道でもやってけんじゃないのと、あたしは舌を巻いた。
美味しい料理も手伝ってか、会話も弾んで、楽しい時間が過ぎていく。
あたしは、鈴木さんにアピールすることも忘れて、この楽しい時間が、ずっと続けばいいのにと心の中で思ってた。
ママの出してくれたシャンパーニュはとっくになくなり、あたし達はオススメの白ワインを飲んでいた。ほのかな甘味を感じるそのワインは、ママがお肉料理にも合うと言って出してくれたものだ。
お肉には赤と思っていたあたしは、目から鱗だった。
そのワインも空いた頃、鈴木さんは脇に置いたカバンから包みを取り出した。
その包みをを開けながら、鈴木さんはママに言った。
「実は、ロックグラスを買ってきました。お店に対して失礼かとは思いましたが、このグラスでどうしても飲みたいお酒があるんです」
包みから出てきたのは、三つの小振りのロックグラスだった。
「チェコのカットグラスです。今夜のために探しました。マスター、お願いできないでしょうか?」
「何を言ってるんですか鈴木さん。断る訳がないじゃないですか」
「ありがとうございます。これは、お二人に僕からの感謝の印です。使っていただけると嬉しいです」
あたしはジーンときた。
ママももちろんだと思う。
「鈴木さん。ありがとうございます。大事に使わせていただきます。高橋さんもそうですよね?」
「はい。わたしもマスターのお店で使わせていただきます。これで飲む度に鈴木さんを思い出しますね」
「高橋さん。今生の別れじゃないって、さっき言ってたじゃないですか」
笑いながら、鈴木さんに突っ込まれて、あたしは顔が熱くなった。
それにしてやられた。これって、あたしがやった意識付けのカウンターじゃん。
ズルいよ鈴木さん。
自分は棚に上げるけど。
「そ、そうですよね。自分で言っておきながら、わたしったら」
「そうですよ高橋さん。鈴木さんとはいつでも会えますから」
あたしに対してのそのセリフには、ママの想いが詰まってるように感じた。
「ところで鈴木さん。飲みたいお酒というのは?」
鈴木さんは、あたし達の顔を交互に見て言った。
「シャルトリューズを飲みたいんです」
あたしは、聞いたことのない名前に、思わずママの顔を見た。
「シャルトリューズですか。ジョーヌとヴェーヌはどちらがよろしいですか?」
「ジョーヌでお願いします」
ママは静かに頷き、カウンターのバックバーからボトルを持ってきた。
あたしは名前も初めてだったけど、ボトルも初めて見た。
「これはどういうお酒なんですか?」
「フランスの修道院で作ってるリキュールです。食前に飲むこともあるし、食後にも飲まれます。ハーブをふんだんに使ったお酒です」
あたしは養命酒みたいな? という言葉は飲み込んだ。
「ストレートにしますか? それともロックで?」
ママの問いに鈴木さんは、
「そうですね。ロックでお願いします」
と答えた。
「かしこまりました」
ママはそう言って、またカウンターに戻り、氷の塊を持ってきた。
アイスペールに入った氷を、ロックグラスに入る位にピックで割り、ぺディナイフで削り始める。
あたしと鈴木さんは魅入った。
いつも何気なく出されていた、丸い氷が作られていくさまに。
ママは素早く、それでいて流れるように削っていき、あっという間に三個の丸い氷が出来上がった。
三個の氷を、チェイサー用に持ってきていた水差しの水で軽く洗い、グラスに入れる。
カランと良い響きが広がる。
ママはそこに、ボトルから静かに注いでいく。
黄色味がかった透明なお酒が、グラスの氷を包んでいく。
甘い、そして、いろんなハーブが重なりあったような独特の香りが鼻腔をくすぐる。
ママはあたしに達の前にグラスを静かに置いて、鈴木さんの言葉を待った。
鈴木さんは、少し間を置いて話し出した。
「大人になってからの良い出会いは、一生ものだと僕は思うんです。そんな出会いを僕にくれたお二人には、本当に感謝しています。もう一度乾杯しませんか? 僕らの出会いに」
そう言って、グラスを目線に掲げた。
あたし達もグラスを目線に合わせる。
乾杯という言葉もなく、ただ静かにグラスを掲げるだけ。
言葉はないけど、その分、鈴木さんの想いが流れ込んでくるようだった。
あたしはグラスに口をつけた。
幾重にも重なったハーブの香りと共に、甘くて優しい味が広がる。
これが、鈴木さんがあたし達と飲みたかったお酒。
ママに言って、ボトルキープして貰おう。
そして、これから鈴木さんと会える日も会えない日も、このお酒を飲もうと思った。
ヤバイ、また意識付けされてる。
優しい香りに包まれながら、静かに時間は過ぎていった。
「そろそろ行きます」
鈴木さんの声が、その時間に終わりを告げた。
あたし達は、黙って頷き、席を立った。
鈴木さんはあたし達を交互に見て、ゆっくりと店のドアに向かって歩いていく。あたし達もゆっくりとついていく。
ドアの前で立ち止まり、鈴木さんはあたし達に向い、また交互に顔を見た。
鈴木さんはママに近づいて、ママの両手を持ち上げて、優しく包むように握った。
「マスター。本当にありがとうございました。また、お会いできる日を楽しみにしています」
手を握られたママは、あわあわしながら、やっと答えた。
「わ、わたしも楽しみにしてます」
ママ、あんた素に戻ってるよ。
鈴木さんは、今度はあたしの手を握り優しく言った。
「高橋さん。一緒に過ごした時間は本当に楽しかったです。また、お会いできる日まで」
ママの気持ちが分かった。
あたしもあわあわしてしまって、やっとのことで声を出した。
「わ、わたしも楽しかったです。また、鈴木さんとお会いしたいです」
鈴木さんは微笑んで、あたしの手を離して、ドアを開けた。
一歩外に出た鈴木さんは、あたしたちに「では、また」と一言残して歩きだした。
あたし達は鈴木さんの後ろ姿を見送っていた。
ポンっと背中を押されるのを感じた。
「ほら、行ってきなさいよ。今行かなくていつ行くのよ。あんた恋愛戦闘姫でしょ。撃ち落としてきなさいよ」
ママが微笑んで、あたしを促した。
「ママ……。あたし行ってくるね! そう、あたしは恋愛戦闘姫だ!」
あたしは鈴木さんを追った。
「鈴木さん、待ってください!」
あたしは鈴木さんに追いつき、下まで送りますと言って、エレベーターに一緒に乗り込んだ。
ママがあたしにくれたチャンス。
本当は辛かっただろうに、あたしを送り出してくれた。ママ、あたしに勇気をくれてありがとう! あたし頑張るから。
エレベーターの中では、まだ整理がつかずに何も言えなかった。
今じゃない。
言うのは降りてから、タクシーを捕まえる間に。
大したプランではないけど、あたしが考えてる間に、エレベーターは下についた。
「高橋さん、少し歩きましょうか」
鈴木さん、それって。
その誘い、あたしが断る訳がない。
「はい」
あたし達は、人気もまばらな小路を大通りに向かい歩きだした。
言われるのか、それともあたしが言うか。駆け引きなんて、まどろっこしい。
いざ、行かん!
「あの」
その声は同時だった。
だったら、男の鈴木さんに華を持たせましょう。
「どうぞ、鈴木さんから」
鈴木さんは少し考えてから、あたしの目をじっと見て話し出した。
「高橋さんには言っておきたくて。言わずに去ろうと思ったのですが、こうして見送りに出てくれたので、聞いたください」
きたの? きたのね! いよいよくるのね!
さあ、想いの丈をあたしにぶつけるのよ!
受け止める準備は出来てるから。
あなたに撃ち落とされてあげるわ!
「はい。鈴木さんの口から言ってください」
「僕はマスターが好きなんです」
「ありがとうございます。鈴木さん。あたしも……」
ん?
何か違う。
違和感ある。
あたしがキョトンとしてると、鈴木さんがもう一度言った。
「僕はマスターが好きなんです。恋愛対象として。高橋さんには話しておきたくて」
「えーと、鈴木さん。マスターが好きって聞こえたんですが」
二度も言われたのに、あたしは確認せずにはいられなかった。
「はい。好きなんです」
あたしは固まった。
そりゃあ、固まるよ。
「あ、へー。マスターを。そうなんだ」
あたしは間の抜けた返答しかできなかった。
「でも僕は男です。マスターにその気はないでしょうから、言わずに去ろうと思ったんです。でも、高橋さんには言っておきたかったんです。それも出来ずに情けないと思ってたら、高橋さんが来てくれて。やっと言えました。同じ想いの高橋さんに」
ん? 何やら引っ掛かる言葉が。
「鈴木さん? 同じ想いって?」
「僕は気づいたんです。マスターと楽しそうに話してる高橋さんを見て。だって、同じ人を好きなんですから、分かりますよ」
あたしは混乱した。
なに? 言ってる意味ぜんぜん分かりません。
はあ? あたしがママを好きだあ!?
「いや、鈴木さん、ちょっと話を整理しましょうか。鈴木さんはマスターが好き。そして、あたしもマスターが好きと」
「はい。僕らは同志です。同じ想いを持つ」
あんた、どんな思考で行き着いたんだ、その答えに。
ちょっと、あたしの恋心はガタガタよ!
返しなさいよ! あたしの貴重な時間を!
あたしが怒りに震えてる間に、鈴木さんは通りすがりのタクシーを止めた。
そして、あたしに言った。
「マスターのことをよろしくお願いします。高橋さんなら、マスターはきっと受け止めてくれるはずですから。じゃあ、また!」
バタンとドアが閉まり、タクシーは走り去っていった。
鈴木さんの、変に爽やかで、満足気な笑顔を残して。
あたしは暫く茫然と立ち尽くした。
怒りすら通りこし、虚無感に襲われながら。
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