第4話 ひかりのcafe

 そのカフェは海を見下ろす丘の上に建っていた。

 丁寧に養生された芝生の上に、白亜の清潔な輝き。

 西に向かって建つそのガラス張りのカフェで過ごすのにもっともふさわしい時間は、秋の午後だった。

 早いリズムで暮れてゆく空。風向きが変わり、オレンジから紫へ、雲のグラデーションが広がる様が窓越しに見てとれる。そんな日暮れの壮大な光のドラマを見ていると、本当に無言のまま、何度もお茶を冷ましてしまったものだ。



 手元1枚の写真がある。

 あのカフェを撮ったものだ。

 青い空を背景に、わずかに相模湾と、白亜のカフェ。そして手前には緑の芝生が広がっている。レンズに陽光がきらめく、虹色のが映し出されることによって、この写真は生き生きとした輝きを定着させている。

 この写真は、1990年ごろ、リバーサルフィルム(スライドフィルム)で撮影したものだ。

 いまのようにデジタルカメラなど普及しておらず、写真を撮るのは一眼レフか、もっと手軽なコンパクトカメラか、だった。

 わたしはその頃写真を撮るのが好きで、いつも国産の可愛らしい短焦点のカメラをバッグに忍ばせていた。ステンレスの筐体のとても高品位なそのカメラは、玩具のように小さいのにとてもシャープな写真を撮ることが出来た。

 わたしはそのカメラにいつも、36枚撮りのリバーサルフィルムを装てんしていた。普通のネガフィルムは現像すると、フィルム面には実映像を陰影ネガポジ反転した、オレンジと黒で彩られた画像が浮き上がるが、リバーサルフィルムは撮影したままの画像が映っている。35mmの対角線長を持つこのフィルムは、しばしばスライド投射機によって、暗い部屋でスクリーンに写されたりするけれど、わたしは手のひらに納まるスライドビュアーという小箱を愛用していた。



 スライドフィルムは四角く白いプラスティックの枠に収まって現像所から上がってくる。それを黒い小箱の上面にあけられたスリットに格納する。箱の片面は乳白色の膜が張られており、それと正対する面にはルーペのついたのぞき窓がついている。

 のぞき窓に目をあて、乳白面を窓や電灯などにかざすと、その光源の輝きを透過させ、黒い箱の中でスライドがいきいきと輝くのだ。

 そのちまちまとした小さな世界のなかでは、時間が止まり、空気の匂いやその時の人生の気配までもが定着されている。

 だから、スライドルーペで覗き込む35mmの世界には、風景のみならず、過去の記憶までもが鮮明に写っている。



 その頃のわたしは、恋人に首ったけだった。

 この写真のシャッターを切った瞬間、隣にはその恋人が立っていた。

 白い綿のずぼんを履き、紺色のポロシャツと、麻のジャケットを着ていた。秋はまだ深くなく、夏の気配が残っている季節だった。

 わたし達はこの写真を撮った後、このカフェに行き、お茶をいただいた。

 彼はカフェラッテ(当時はまだそういう呼び方が一般的だった)を、わたしはアッサムティーを飲んだ。

 彼は大学の准教授(当時は助教授と呼んだ)であり、わたしは彼の研究室に勤務する研究員だった。記憶は生々しく蘇る。



 それからしばらくして、わたし達は別れたのだけれど、その衝撃はとても大きく、しばらくのあいだ、わたしは泣き濡れて暮らした。仕事も辞め、貯金を切り崩しながら、どこの誰でもない生活を送った。もう恋はたくさん、と本気で思っていた。



 やがてその傷が癒え、わたしは社会に戻り、いまの夫と出会い、結婚した。

 犬を飼い、あのカフェのある田舎町に小さな家を買った。

 写真は今でも撮るが、手軽さに勝るデジタルカメラに、わたしの愛機は変わった。

 この写真は、あのカフェの丘を下ったところにある砂浜で撮ったものだ。

 もうあのカフェの写真を見ても涙が出ることはなく、また、その思い出のカフェ自体もなくなった。そこにはやはり白亜のリゾートマンションが建っている。

 あざやかな光に彩られたカフェは、わたしの心のなかでいまでも燦燦さんさんとした陽を受けて、緑の芝生の上に建っている。

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