2.

「最高だった」

 と、目の前のホットドッグにかぶりつきながら俺は言った。

「いいや、最低だね」

 と、渋い顔でベーグルサンドを口に運びながらFartは言う。

 『Cinema Anthony』で『COHEN&TATE』を観終わったあとのことだった。俺たちは一度映画館を出、ブリーカー・ストリート沿いにあるブランチカフェで軽めの昼食を取っていた。

 本当によく食うやつだって? いいんだよ、俺は育ち盛りなんだから。

 それに上映中に食べたフレンチフライは、今や最高に面白い映画を観たあとの興奮で完全に消化されてしまっている。俺は映画を観たあとは大抵こうだが、それにしてもこんなに楽しめた映画は久々だった。

「あんた観てなかったのかよ、あのコーエンが血塗れになりながらテイトを撃つシーン。あそこは最高にクールだったぜ。それにラストのトラヴィスとのやりとりも」

「あれがクールだと? 冗談じゃない。そもそもあのコーエンとかいう男は、30年もあの仕事をやってるくせに抜かりすぎだ。殺し屋なら、普通は自分が撃った相手が確かに死んだかどうか確認するだろう。やつは二度もそれを怠ったんだ。まったくひどい脚本だった」

「けど最初の父親はともかく、あの状況でテイトが生きてるとは誰も思わないだろ。だってコーエンは完璧にやつの心臓を撃ってた」

「ふん。俺だったら心臓じゃなく頭を撃ったね。あの距離ならその方がより確実だった。そもそもあのテイトとかいう若造が気に入らん。殺し屋なら警察に追われるのは当然だ。それをいちいち蹴っ飛ばされた鶏みたいに騒ぎやがって」

「そんなに言うなら、あんたが自分で理想の殺し屋を書いてみろよ。売れれば映画化されるかもしれないし、もしそうなったら特別に観に行ってやってもいいぜ」

 まあ、本当にそんな売れ線があんたに書けるならな。そんな皮肉を朝食のピーナッツバターみたいにたっぷりと塗りつけて、俺は口の端でわらってやった。

 Fartはそれが物書きとしてのプライドなのか、はたまた歳を重ねるごとに偏屈になっていく人間ひとさがゆえか、映画を観終わったあとは必ずこうしてシラミを探すようなことを言う。

 だがそこまで言うならあんたの小説を見せてみろと迫っても、のらりくらりとかわすばかりで一向に尻尾を見せなかった。

 まったく、この卑怯者のロクデナシめ。他人の作品はいくらでも批判するが、自分の作品は誰にも批判されたくないって?

 それともやっぱり〝売れっ子小説家〟なんて肩書きは嘘なのか?

 どちらにせよとんだチキン野郎だ。違うなら正々堂々と――

「殺し屋が主人公の話なら、もう書いてる」

 ――白状しろ。

 そう俺が心の中で言い終える前に、Fartはそう言ってニヤリとした。

 その笑みを見て俺は確信する。なんてこったHoly shit。まさかこいつは俺を挑発してやがったのか? 皮肉を皮肉で迎撃するために。だとしたらなんて大人げのないやつなんだ!

「へえ、そうかよ。で、それ、いつ映画化するの?」

 だがここで青筋を立てたりしたらこのジジイの思うツボだ。俺は必死でそう言い聞かせ、こめかみがひくつきそうになるのをこらえながら尋ねた。

 対するFartは至って余裕の表情だ。それどころか俺を策にハメたことで満足したのか、微笑みながら優雅にエスプレッソなんぞ啜ってやがる。

 God damn it。死ぬほど憎たらしい。

「映画化はしない。たとえそんな話が来ても、俺は断る気でいるからな。あの話には映画にして映えるような華がない。礼拝で聞く説教より退屈だったと観客に叩かれるのがオチさ」

「主演がトム・クルーズで監督がトニー・スコットでも?」

「ああ、無理だね」

「そりゃ、原作がよっぽどの駄作ってことだ」

「俺はリアリストなんだ」

 すました顔で食べかけのベーグルサンドを掴みながら、Fartは言った。

 余談だが、信じられないことにFartの注文したベーグルサンドにはハムもベーコンもスモークサーモンも入っていない。年寄りの胃には重すぎるからと、挟んであるのは定番のクリームチーズとレモンをかけたアボガド、そしてアクセントのマスタードだけだ。こいつはそれでもニューヨーカーのつもりだろうか。まったく歳は取りたくない。

「だから映画みたいに派手だが破綻した話は書かない。いや、書けないんだな。昔から染みついた習慣、あるいは性格みたいなもんだ。ただ上から命ぜられるままに淡々と、誰にも知られることなく、慎重かつ確実にターゲットを殺していく話。そこにはヒーローも悪役もいない。ただ殺す人間と殺される人間がいるだけ……そんな話が世の中に受けると思うか?」

「それがあんたの〝理想の殺し屋〟?」

「殺し屋に理想もクソもあるか。生き物なんだよ、殺し屋ってのは。俺はただその現実に従っているだけだ。そして現実ってのは、往々にしてもんさ」

 薄い唇に薄い冷笑を貼りつけて、悟ったようなことをFartは言う。俺はそんなFartの顔をちらりと見ながら、ケチャップとマスタードたっぷりのホットドッグにかぶりついた。

 いつもならそこで「小説家のくせに夢のないやつ」とか「これだから年寄りは嫌だ」とか、俺からも更なる皮肉をかましてやるところだが、今日は敢えて見逃してやる。

 何故ならからだ。

 そう、現実ってのはもんだ。

 でも、俺はだからこそ、そんな現実に風穴を開けられる殺し屋おとこになりたい。

「ところでBrat。お前、来週の日曜日は暇か?」

「Why?」

 いきなり話が飛んだので、俺は思わず眉をひそめた。Fartからそんなことを訊かれたのは初めてだったから、というのもある。

「31日は平日だから、実質日曜がハロウィンみたいなもんだろう。それとも、お子様はおうちでママの特製パンプキンパイを食べるのに忙しいか?」

「暇だよ」

 マザコン扱いされたことにイラッとして、俺の口はつい脊髄反射を起こしていた。が、今にして思えば、それもFartの罠だったのだ。その答えを聞いてニヤリとしたFartの忌々しい顔を、俺は今でも神を呪いたくなるほどハッキリと覚えている。

「なるほど。つまりお前にはハロウィンパーティーに誘うガールフレンドも、誘ってくれる友達もいないってことか。寂しいやつだな」

「う、うるせえな! 俺はただ、そういう馴れ合いが嫌いなんだよ。それに日曜は前からチェックしてた映画の公開日だから、それを観て過ごそうと思ってたんだ」

「ふうん。ならそういうことにしといてやる。だがどうせ映画を観に来るならちょっと付き合え。面白いものを見せてやる」

「面白いもの?」

 してやったり、という顔をしているFartを心底憎々しく思いながらも、俺は思わず片眉を上げて聞き返した。

 Fartはその問いに、ベーグルを口へ運びながらニヤニヤとして頷いている。最後の一口だ。いつも思うがこのオッサン、年寄りのくせに物を食い終わるのが異様に早い。

「それ、『COHEN&TATE』より面白いの?」

「あの映画は最低だと言ったろう」

 最後に手についた食いカスを払いながらFartは言った。……まったくこのオッサンも頑固だな。だがいいだろう。そこまで言うなら見定めてやる。このオッサンの言う〝面白い〟が本物かどうか。

 もしそれが最高につまらなかったら、こいつの正体は〝売れない作家〟でファイナルアンサーだ。

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