【企画競作】電気豚の餌【野晒し・資料用】

柿木まめ太

【お題:電気豚の餌、その他ぶち込み】

夕日に染まる荒野を歩き続けている。遠くに見える血の色をした丸い塊は下半分がへしゃげて潰れ、熟し過ぎた果物が腐れかけている様を思い起こさせる。果実が落とされた遠い地面には、真っ赤な染みがぶちまけられている。


もうじき日が暮れる。薄い闇が足元に迫り、紅色の大地に混ざり合って、堅い地面は黒く塗り替えられてゆく。俺は歩調を少しだけ速めた。


奴等が、やって来る。




いつから始まったものか、いつになれば終わるのか、俺には解からない。以前会った男は終りなどないと言った。俺たちは奴等の餌として、ここへ呼ばれたのだと。老人といって差し支えない容姿の男。薄汚れた身なりをして、片隅にうずくまっていた。諦め、疲れきった顔を俺に向けた。


夕暮れ時から始まる逃避行。空気が研ぎ澄まされ、白くけぶる明け方頃にまで続く、奴等との死闘。


眠りに落ちた時からこの世界は始まり、夜明け、ぐっしょりと濡れた衣服と共に疲労困憊の目覚めで終わる。眠りが浅くなった、いや、眠るのが怖くなった俺は幾度かの抵抗を試みて、都度に失敗した。眠らずに居続けることなど不可能だった。


仕方なしにベッドへ潜り込み、睡魔に誘われるままに辿り着いたその大地はいつでも同じ景色だ。立ち尽くす俺の周囲を、熱く渇いた風が吹きぬけてゆく。赤い大地、赤茶けた巨岩の連なり。砂の混じる干からびた地。河もなく、緑もなく、ひたすらに赤い景色だけが続いていく。


熟れ過ぎた果実は圧力と共に大地に押し潰されてゆく。


いつもと同じ景色。夜に入る儀式のように、毎日、毎日、繰り返される。




白銀の月は姿を変えることがない。細い糸のような、商売女の、笑みをつくった口元のような形のままだ。夜は薄い影の世界となり、色彩を失った景色が奴等を産み落としてゆく。


銀色に輝く丸い塊が中空に浮かんでいる。


白い月が産み落とした忌むべき存在。大地の上へと器用に降り立ち、小さく身震いした。青白い光を反射して、ひょこひょこと不細工な歩みを始め、周囲を窺っている。楕円の球体には細く短い四本の脚が付いていた。扁平な鼻は、今夜の得物を探っている。その匂いを。


俺はゆっくりと右手を前へ出す。手の平を上へ、受け取る重みに構えている。意思の強さがこの虚空に重さを生み出すのだ。何もない手の上に、降って湧く一振りの太刀。


―――― 豚、め。


俺に気付いた奴は、小走りになって向かってくる。距離はある、小さな脚を縺れさせながら、愛嬌のある声で鳴く。「ぷぃ、」騙されるものか、鞘を捨てた。




流れるような動作で獣は薙ぎ払う刃から逃れた。銀色の軌跡が二本、薄闇に閃く。


左手。開かれた指先、掌に重量が乗る。続けざまに撃ち出された二発の弾丸がメタリックな輝きを追って走る。36口径のコルトマグナム。滑るように軌跡を曲げる白銀の獣。振り向きざま、側頭部へと飛び掛った豚の鼻に銃口を押し付け、引き金を引いた。


三発。吹き飛べ。


風船のように破裂する。爆音が耳をつんざき、視界を奪って世界を一瞬にして白に染める。数度の瞬きで無理やり目を順応させた。まだ、慣れない。奴等は閃光弾だ、複数相手だったなら、俺は食われていた。


これが恐ろしい敵の正体。電気豚だ。




赤く染まる荒野には蜃気楼が立ち上る。やけに鮮明な東京都心の俯瞰図が揺らいでいた。


電気豚はこの世界に迷い込んだ者を食う。いや、この世界は奴等の餌場であり、俺たちは投げ込まれた生餌に違いない。


眠りの度に訪れる悪夢。ひたすら荒野を歩き続け、月の閲覧のもとで延々と戦い続けるだけの繰り返しの夢。やがて夜の帳が落ち、星のない夜空には大きな白い口元が横たわる。下卑た微笑を湛えた銀色の口紅。あれは、この世界の女帝か。


月よりの使者か、女帝の仔らか。虚空に産み落とされる銀色の滴は今宵も電気豚となる。


漂う泡沫にしばし気を取られた。色のない夜の世界に虹色の泡が浮かぶ。食われた者の思い出の欠片。




『この一撃に、すべてを賭ける……!』


『誰か……誰か、助けて……争いはイヤ……』




食われてたまるか。俺の思いは、俺だけのものだ。




『この魚肉ソーセージが尽きた時にわたしも死ぬのね……』


『食らえ! パイルバンカー・ガトリングバージョン!』


『くくっ、この時を待っていたぞ、月が昇るこの時を! 助けておにいちゃーん!』


『超絶無敵! 仮面ライダー・カブト! 死にたい奴からかかってこい!』




今夜もまた、腹を満たした電気豚がどこかで、誰かの黒歴史を盛大にぶちまけている……。背中に傷など残ってはいない、なのに奴等に噛まれた傷跡が、こんな時には疼き始める。奴等は悪食だ、人の抱える黒い思い、歩んできた歴史を吸い出して、あの扁平な鼻に開いた二つの穴から泡沫にして夜空へ飛ばす。黒歴史が消え去ることはない、だが、そんな事は慰めにもならない。大音量でがなり立てる泡沫に耳を塞ぎ、かたく目を閉ざす。


この世界は地獄、彷徨う亡者と化した俺たちは、白く丸い鬼どもに怯えて過ごす。眠りごとの逃避行を続けて。夜は始まったばかり。のろのろと動き出す両足。虹色の河となり、流れてゆく黒歴史。


俺は見て見ぬふりをして、その場を立ち去った。

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