でもしか先生

武上 晴生

でもしか先生

「やぁい、でもしか先生!

 なんで先生になったんですかー!」

 誰かが廊下で大声を出すと、その先生は、決まって大きな角を振り返して答えます。

「うるさい! 先生にでもなるしかなかったんです!」

「わあ、本当に『でもしか』先生だ!

 先生に『でも』なる『しか』なかったんだって!」

 子どもたちは、そういって笑い転げます。

 いつものことなので、でもしか先生は怒りもせず、ひとつため息をつくと、何事もなかったかのように教室へ向かいました。


 でもしか先生は、近くの森で暮らしていた、オスの鹿です。最近は、でもしか先生のように、動物たちが人間と同じように二本足で立ち、人間と一緒に生活するものが増えてきているのです。

 でもしか先生のクラスは、みんな元気はつらつで、いつも賑やかです。でも、元気がすぎてしまい、授業中に先生を困らせてしまうこともしばしば。

 この前の国語の授業では、

「なぜ動物たちが人と一緒に生活するようになったのか?」

と先生が問いかけると、

「先生が先生にでもなるしかなかったからです!」

 と、ひとりがおふざけで答えて、笑い声で授業が進まなくなってしまいました。


 そんなある日、でもしか先生が見慣れない少年をつれて、教室に入ってきました。

 少年は、目の周りが黒く、お尻から垂れ下がるしっぽはふさふさしています。

「このクラスの新しい仲間を紹介しよう。

 彼は、もとは裏山に住んでいたたぬきだ。今日からこのクラスのメンバーになるんだ。

 みんな、仲良くしてやるんだぞ。」

 先生がそう言って、少年の茶色い髪の毛をなでました。

 少年は少しうつむきながら、

「まだ人間の生活に慣れていないですが、よろしくお願いします。」

と、挨拶をしました。

 クラスの元気っ子たちは、新しい仲間に興味津々です。

 たぬきの少年が席につくと、周りを一斉に囲って、質問責めを始めます。好きな食べ物は? とか、お家はどこ? とか、しっぽさわってもいい? とか。

 熱い視線に戸惑いながらも、少年は嬉しそうに、ひとつひとつ答えていきます。

 最後に、ひとりが問いかけました。

「将来の夢は? やっぱり先生にでもなるしかないの?」

 少年は、表情を曇らせました。

 周りにいた子どもたちも、今までとは様子が違うのを感じて、固まってしまいました。

 少しして、たぬきの少年は口を開きました。

「もしかして、あの鹿の先生、そんなこと言ってんの?」

 子どもたちは、みなキョトンとしてしまいました。

 先生は、話は聞こえてはいましたが、知らんぷりをしてすましていました。


 放課後になって、お日さまが傾いてきました。

 子どもたちは皆とうに帰り、西日の差し込む職員室には、でもしか先生だけが残っています。

 カラスが子を愛おしむ声を聞いて、先生も帰ろうか、と支度を始めたとき、ドアの前に、一人の少年の姿を見ました。

 赤い夕焼けの光は、少年のその姿を真っ黒に染めています。

「先生。先生は、何になりたかったんですか。

 なんで先生になったんですか。」

 あの、たぬきの少年の声でした。

 悲しみを帯びた、弱々しい声でした。

 夕陽に溶けて、今にも消えてしまいそうな声。

「先生にでも、なるしかなかったんです。」

 先生の口から出たのも、いつもの怒鳴り声とは違って、ほんのわずかな空気の揺らぎのようでした。

「森の食べ物が少なくなって、仲間も減って、すむ場所も狭くなって。

生きたいなら、人間と関わるしかなくなったんです。

お仕事も、他のことも、動物に出来ることなんて少ないですが、それでも人間になる方が、良かったのです。

どっかのお偉いネコも、先生にならなれそうだと言っていました。

なら、私も、先生になるしかなかったのです。」


 少年の耳は、そのほのかな揺らぎを、しっかりととらえていました。しっかりと聞いて、心に留めていました。

 そして、心にうまれたもやもやを、言葉にして吐き出しました。

「先生は、それでいいんですか。

 先生は、夢はないんですか。」

 少年のはっきりとした声に、先生は、顔をあげました。

 少年は続けます。

「ぼくは、また森で、みんなで楽しく暮らしたいんです。

だから、一生懸命勉強して、森を増やして、動物の街を作るんです。安全な家を建てて、食べ物も自分たちでつくって、人間と戦わなくていい世界を作りたいんです。」

 少年は、だんだんと目に光を溜めて、からだを震わせます。

 でもしか先生も、そんな少年の姿を悲しく思って、つい口を開いてしまいました。

「じゃあ、先生は、その街の学校の先生になりたいな。

 ……なれるかな。」

 少年の顔が、ぱあっと明るくはじけました。

 逆光にも負けないくらい、眩しく。

「なれるよ! なれるようがんばろう!」

柔らかな陽だまりは、二人をあたたかく包みこんでいました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

でもしか先生 武上 晴生 @haru_takeue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る