第21話 阿鼻叫喚
「ち……千花タン。そ、そんな……ごめ……」
沈黙を破った千晶ちゃんは何かを言おうとするが言葉に出来ないようだ。
売り言葉に買い言葉だとしても本人を前にして思わず『消えた』と言う今のドキ先輩を否定する言葉を言ってしまったんだ。
そしてそれを本人によって逆に否定された。
千晶ちゃんは今、自らの発言に対して後悔の念に苛まれているんだろう。
「あたしはあたしだぞ。そりゃちょっと変わっちゃたけど、今のあたしが本当の千林千花なんだ」
そんな千晶ちゃんにドキ先輩は力強くそう言った。
それを受けて千晶ちゃんは更に悲しそうな顔をする。
けど、その口は何かを言おうとしてしているようで唇が震えていた。
そこにドキ先輩は言葉を続ける。
「今までずっと人を無暗に傷付けるこの力の所為で、大好きな家族の皆には嫌われたくないように、大人しくて可愛い自分を家の中で演じていたんだ。そして外では誰も傷付けたくないから誰も近付かない様に乱暴に振舞っていた。それがとても苦しかったんだ」
「千花た……お姉ちゃん……」
ドキ先輩の辛かった心の葛藤の吐露に千晶ちゃんは返す言葉も無くただ立ち竦むだけ。
今の話は俺も部活写真巡りの初日に俺も聞いたっけ。
家と学校での相反する性格を演じなければいけないドキ先輩の心は壊れる寸前だったんだ。
だけど俺と出会う事によってその苦しみから解放されたらしい。
これに関しては俺も理由がよく分からないから『らしい』としか言えないんだよね。
それでも、ドキ先輩が救われたと思ってくれたのなら嬉しいな。
「けど、光一に出会って変わる事が出来たんだ。最初お姉ちゃんと間違えて声を掛けて来た時は、『なんだこの頼りなさそうな奴は? こんな奴がお姉ちゃんと仲良くしてるのか?』って、とてもムカついた。だから軽く一発殴ったら二度とあたし達に近付いて来なくなると思ったんだ」
頼りなさそうな奴……、まぁ否定はしないけどさ。
あの時のドキ先輩には俺の事がそう映ってたのか
しかし、ドキ先輩に取ったら
不意打ちだとしても口から内蔵飛び出しそうになっちゃったんだけど。
「それなのにもう一発殴る振りをしようとした途端、光一は突然人が変った様に豹変したんだ。だからつい本気を出しちゃったのにスルッと避けちゃった。今までそんな事出来るのはお婆ちゃんか野江先生、あと蛍池先生だけだったのに……」
おっと~、また一人不穏な人物が浮かび上がって来たぞ?
うっかり水流ちゃんと鬼百合先生は既に実力の程を聞いてるから良いんだけど、突然飛び出したお婆ちゃんって何ぞ?
ドキ先輩より強いお婆ちゃんってどんな存在なの?
もしかして千林家に伝わる~とかのアレな所為なの?
はっきり言葉にしちゃうと登場フラグ立ちそうなんでこれ以上考えないけど……。
しかし、突然人が変ったってのは母さん(心の悪魔)が出て来たからだろうな。
自分では分からないんだけど、出て来た時って傍から見ると変な顔とかしてないよね?
「その後、光一は逃げたんだけど本気のパンチを避けた相手の事が気になったから追い掛けちゃったんだ。今まで同年代にそんな人が居なかったから。もしかして本気を出しても大丈夫な人かもしれないって。だから追い掛けて確かめたかったんだ」
そうだったのか。
生徒会室ではここまでは語ってくれなかったな。
自分だけが特別な存在じゃないと言う事を証明したかったからあんなに執拗に追いかけて来たと言う事か。
正直あの時とっても怖かったけど。
「今までの自分をこれからも演じ続けなきゃダメだと思う気持ちと、そんな辛くて悲しい現実から解放してくれるかもしれない存在が現れた事による喜び。あの時のあたしは色んな感情が暴走しておかしくなってたんだ。そんな訳の分からなくなったあたしは考えるのを止めてあたしを惑わす全ての物を破壊しようと光一に襲い掛かった……」
え? あの時のドキ先輩ってそんな事を思って俺に飛び蹴りして来たの?
ゾゾゾォォォ~。
母さん(心の悪魔)が出て来てくれなきゃ今頃死んでたかも……。
『ほら、母さんが出て来て良かったでしょ?』
おや? 母さん(心の悪魔)突然ですね。
この前見た夢以来ですか。
飛び蹴りの時は助かりましたが、取りあえずややこしくなるので今は出て来ないでください。
『もう! つれないわね』
と言う脳内妄想の会話は置いておいて、あの時のドキ先輩はそんなに追い込まれていたんだな。
「だけど、そんなあたしを光一は優しく受け止めて……そして抱き締めてくれた。そしたら今まで苦しかった事が全部パァって消えてとっても楽になったんだ」ポッ
ポッて頬を染めるのは止めて下さいお願いします。
その仕草は裸眼で見るには可愛過ぎる所為で破壊力が半端ないんで。
思わず吐血しかけましたよ、いやマジで。
しかも、なんだか周辺の空気が怪しくなってきたし。
なんだろう、この異様な気配。
と言うか、凄く視線を感じる。
ヒッ! 千林ーズ全員が凄い目付きで俺を見てる!
俺の胡坐の上に座っている千春さんも首をぐにゅっと曲げて俺を見上げていた。
首柔らかいですね!
そして、その目に浮かんでいる感情は……あれ?
なんだろう? 全員怒りと言うか恨めしそうな感じ。
あぁ、千晶ちゃんはちゃんと怒りの感情を露わにしてるよ。
けど、他の皆は……ポックル先輩とウニ先輩はまぁ分かる。
誰かを抱っこすると僕も私もって強請って来るし。
千歳さんも似た様な顔するから百歩譲って分かるっちゃ分かる。
だけど、千春さんは怒りましょうよ。
嫁入り前の娘を抱き締めたんですよ?
いや既に性格を変えちゃった事について許しを貰ってるので今更怒らないのかもしれないけど、それでもその顔はいい年した成人男子がする顔じゃないです。
「そ……それに……」
おや? まだ何か有るんですかドキ先輩?
その様子だとこの異様な空気を更に悪化させる事を言いそうな気がするんですが。
激しくモジモジしだしたドキ先輩にとても嫌な予感がする。
皆も俺から目線を外しドキ先輩が何を言うのか注目しだした。
「胸を…「あ~あ~っ!!」
俺はドキ先輩の発言を秒で理解して大声を出して遮った。
やばいやばい。
この期に及んでなんて事を言おうとするんだドキ先輩は!
ポックル先輩とウニ先輩は既に知っているけど、さすがにあとの三人に知られるのは洒落にならないぞ。
ギリ千歳さんは知ってるかもだけどな。
千晶ちゃんに知られたら即痴漢扱い間違いないし、千春さんには準備していた筵と縄で東京湾に簀巻きでポイされちゃうよ。
「ふ、ふぇぇ……」
わぁ! 俺が急に大声を出した所為でびっくりした千林ーズが涙目になってる。
千晶ちゃん除く他の全員が目を潤ませてぷるぷる震わせてこちらを見ていた。
あぁもう可愛いなこいつら。
「ごめんなさい、突然大声出して。怖くないですよ~」
俺なにしてるんだろ?
そんな思いが頭に過るけど、取りあえず場を収める為に皆を宥める。
「い、今、胸とか聞こえたような……?」
訝し気な目付きで俺を見てくる千晶ちゃん。
この子なかなか鋭いな。
「何言ってるの気の所為だよ! ね? 千花先輩」
「ひっく、ひっく! ぐす? え? いや、む、胸……」
「胸がドキドキって事ですよね?」
「え? え?」
「ねっ!?」
「う、うん。光一見てると胸がドキドキする……けど……ひゃぁ~恥ずかしい」
ドキ先輩は俺の事を見てると胸がドキドキすると言う言葉になんだか恥ずかしくなったみたいで顔を真っ赤にして手で覆った。
照れてる顔も可愛いなぁ。
どっちにしろこれで修正完了だ。
危なかったよ。
なんだかパーフェクトドキ先輩を発露させた時みたいになっちゃったけど背に腹は替えられない。
いや、その時の事を謝りに来たんだけどね。
「むっむむむむ、胸がドキドキですってぇっ!! そ、それってもしかして……お姉ちゃんがっ!! お、お前の事を……?」
あれ? 折角事が治まったと思ったのに千晶ちゃんたらなに興奮してるんだろう?
胸を触ったに比べたら胸がドキドキなんて可愛い物…………そうか?
女の子が異性に対して胸がドキドキする~ってのは、これもう告白みたいな物じゃね?
こ……告白? え? 嘘? ドキ先輩って俺の事を好きって事?
いやいや落ち着け俺。
ドキ先輩は俺の事を子分の様に慕ってくれていると言う話だしその延長だろう。
それにまぁ、千林ーズ全員が俺の事を(主に抱っこしてくれる人として)好いてくれているのは知っているので、そりゃ改めて言われると照れるんだけどよく考えたら今更な気がする。
ウニ先輩からはそれ以上な親愛の情を向けられているのをたまに感じるしな。
それらは千歳さんの話からも千林家内の共通認識だと思っていたんだけど、千晶ちゃんの様子からすると、もしかして千晶ちゃん自身はそうとは知らなかったと言う事なのか?
なるほど~、だったら今の反応も納得だよ。
うんうん、そうかそうか知らなかったのか……。
……。
うわぁぁぁぁぁぁーーーー!!
これはこれでアウトじゃないか!!
大好きなお姉さんの性格が変わった理由が、男を好きになったからってのは思春期の女の子にとってショックなんじゃないのか?
しかもその男が自分の憎い相手だと言うんだから怒りは倍増だろう。
変態扱いよりかはマシだけど、これはこれで拗れそうだ。
なんとか説得しなければ……。
「わ、私もドキドキするわ!!」
え? 今の誰……? あぁポックル先輩か。
千晶ちゃんの怒りを鎮めようと言い訳を考えていると突然ポックル先輩が立ち上がってそう叫んだ。
……あの~状況分かってます?
貴女の一番下の妹さんは、上の妹さんのその言葉にお怒りになっているみたいなんですよ。
今貴女がそんな事を叫ぶと収拾がつかなくなるんですが。
「ぼ、僕もドッキドキだよ~」
ちょっ! ウニ先輩までなに張り合ってんですか!
止めて下さい。
もう色々と混沌を極めてしまいます。
「わ、私も!」
ん? またポックル先輩?
けど、さっきと違う場所から聞こえて来たぞ?
「げっ!」
貴女は千歳さん!!
人妻が旦那の前でなんて事を言ってんですかっ!!
ヤバいヤバい! その旦那は今俺の胡坐の上に座ってる千春さんその人だ。
不貞を疑われて家庭内不和を巻き起こしてしまうぞ?
いやその前に簀巻きにされるかもしれない。
「あ、あの千春さん? 今のはただの冗談……」
「僕だって! ドキドキするもん!」
お前もかいっ!!
いい年した成人男性が『もん』は止めて下さい。
……いやだもうこの人達。
なんで皆して俺を巡って張り合ってるの?
先輩達千林ーズは良いとして、千歳さんと千春さんはいい年した大人でしょう。
「皆……何を言ってるの?」
目の前で繰り広げられる阿鼻叫喚の惨状に千晶ちゃんが信じられないものを見る様な目をしながら両親兄妹達に問い掛けてくる。
うん、千晶ちゃんだけは見た目の通りまともな精神の持ち主の様だ。
とても安心したよ。
実の姉を『タン』付けで呼んで愛でてるのはどうかと思うけど……。
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