第20話 ツンツン
「や、やぁ千晶ちゃん。お邪魔してます」
俺は開け放たれたリビングの入口に立ち鬼の形相で睨んでいる千晶ちゃんに出来るだけにこやかに挨拶した。
けれど千晶ちゃんは相変わらず鬼の形相のままだ。
「な、なんで牧野が家に居る!」
やっと開いたその口から出てきた言葉は俺が先に千林家のリビングでくつろいでいる事への詰問だった。
いや、尋問と言ってもいいかもしれない。
少なくともその形相はまるで刑事ドラマの取調室で鬼警部が犯罪者に『お前がやったんだろ』と怒鳴る時の顔にそっくり。
まぁ今日はここ最近で特に暖かいと言うか既に初夏を思わせるほど暑かったりするし、そんな中逃げた俺を追い掛けて汗だくになるまで走り回ったんだから、その怒りは相当なものだと思う。
それなのにとうとう諦めて帰って来たら俺が自宅のリビングでのうのうとくつろいでるんだから怒るのも当然と言えるかもしれない。
いや、いくら人との諍いを回避する為にぬらりひょんスキルを磨いて来た俺だけども、自分が同じ事をされたら絶対同じような態度を取る自身が有るな。
「まぁまぁ、千晶。ちょっと落ち着きなさい」
おっと、ここで刑事ドラマに付きものの人情派刑事の登場だ。
まぁ千歳さんな訳なんだけど。
「牧野に誑かされ済みのお母さんは黙ってて!」
「た、たぶっ!?」
千晶ちゃんの言葉に千歳さんがびっくりして吹き出している。
俺も吹き出し掛けたけど何とか飲み込んだ。
ちょっと待ってよ千晶さん。
なんだかとても誤解を招く言葉じゃないか!
俺は人妻を誑かせたりしてませんよ。
大声で否定したいけど、今まで培ってきたぬらりひょんスキルがこの場で言葉に出して否定しても千晶ちゃんの説得が拗れるだけだと警告している。
このまま俺は何も言わずに千林ーズ+2に何とか説得して貰った方が良いと思うんだ。
まぁ、一撃で千歳さんは撃沈したんだけどね。
何気に千歳さんのそんな顔真っ赤にして焦ってる顔を見るのは初めてかも。
「千晶! 母さんになんて事を言うんだ。それにもう良いじゃないか。話して見て分かったが牧野君は近年稀にみる程の好青年だぞ。許して上げなさい」
続いて千林ーズの家長である千春さんが威厳のある口調で千晶ちゃんに言い聞かせるように俺を許す様にと諭してくれた。
あぁ威厳の有るのは口調だけで、その声自体はまるで小学生くらいの声変わり前の男の子の声まんまだから威厳の欠片も無いんけどね。
それにその声以上に威厳の無い状態が千晶ちゃんの目に映っている筈だ。
さっき俺が吹き出し掛けたのを何とか飲み込んだ理由でも有るんだよ。
なんたって千春さんと来たら今現在俺が胡坐をかいて座っている足の間にちょこんと入り込んで座ってるんだから。
この状態で吹き出したりなんかしたら、千春さんの後頭部に唾とか色んな物をぶちまけちゃう事になるしね。
千晶ちゃんが帰って来る直前までは、俺の上に嬉しそうに座っている千春さんを羨んだ千林ーズ+1による壮絶な次俺の上に乗る順番を巡る熾烈な戦いが繰り広げられていたんだ。
戦いと言っても暴力によるものではなくて、平和的に俺の上に座るべき正当性を訴えるディベート合戦だった訳だったんだけど。
ちなみになぜ千春さんが一番最初に俺の上に座る権利を得たかと言うと、『娘を傷物にされたんだから父親として当然の権利だ』と主張されたからね。
傷物と言うのは流石に訂正させて貰ったけど、俺の所為でドキ先輩の性格を変えてしまった事には変わらないし、それに対して父親として怒るのも理解出来るから俺も含めこの場に居る全員が納得したんだよ。
まぁ、その償いが俺の足の間に入って座ると言う事には全く納得も理解も出来ないんだけどね!
よく考えたら俺の親父と同年齢帯の中年のおっさんの筈なんだよ?
どうなってるんだよ全く!
けど、外見がウニ先輩と完全互換だから俺的にはあまりにも自然な感じで内心驚いてたりする。
と言う事なので、俺に対して敵愾心を燃やしている千晶ちゃんからすると、自分の父親が難い相手の足の間にちょこんと座りながら説教すると言うある意味地獄絵図な光景が自分ちのリビングで繰り広げられているって事なんだよ。
そりゃ余計怒るだろ。
その予想通り千晶ちゃんたら顔真っ赤にして頭から湯気出そうな形相でこっちを睨んでる。
……あれ? 俺のぬらりひょんスキルってば能力低下してる?
なんだか最悪な方向に行っている気がするんだけど……。
「パパこそ何してるのよ! この裏切り者!! あれだけ牧野の事を簀巻きにして東京湾に沈めて魚の餌にしてやるって息巻いていたじゃないの!!」
とうとう怒りが頂点に達した千晶ちゃんが口を開いたんだけど、え? 千春さん、そんな恐ろしい事を言っていたの?
最初会った時の形相は微笑ましいながらもそれくらいの憎しみを少しは感じていたりしたけども……。
アレだよね? 怒りの比喩表現的な言葉の綾ってやつ。
「ふむ、今朝の今朝まではそう思っていた。簀巻き用の
俺の足の間に座っている可愛らしい
ちょ、ちょっと待って? 既に道具を準備済みと言う事は本気で思ってたの? 凄く怖いんだけど。
「なら、なんでよ。なんでそいつの膝の上で嬉しそうにしてるのよ!」
残念!
千晶ちゃんの怒りは尤もだよ。
俺でさえこの場面において、いまだにその場から退こうとしない千春さんはどうかと思うもん。
「それは直接会って彼の優しさに触れて分かったんだ。彼には人を変える力が有る。千花が変ったのも彼の力によるものだ。そりゃその変わり様に驚きはしたが、お前だって分かっていただろう。千花は我が千林家の伝わりし呪いによる人ならざる怪力と知性の狭間に苛まれ苦しんでいたと言う事を……」
「それはそうだけど……」
おぉ! なんだか説得してくれそうな雰囲気。
どうやらぬらりひょんスキルは衰えていなかったようだ!
……後半聞こえて来た『千林家の伝わりし呪い』とか言う意味不明な単語はこの際良く聞こえなかったノイズとして処理した。
うっかり理由を聞いちゃったりすると無理矢理引き摺り込まれて骨の髄まで酷い目に遭いそうだしね!
怪力とか知性とか以前にそのコピー人形みたいな姿の方が呪いな気がするけど、これ以上考えるのは止めておこう。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだって言うし、君子危うきに近寄らずだよ。
千晶ちゃんだけがまともなので、ある意味この異常な千林ワールドの中のオアシスみたいな存在だから何とか仲良くなりたいんだけどな。
「……けどっ! けどそれで良いの? あんなに可愛かった千花タンは消えちゃったのよ? 全部全部そいつの所為なのよ? あたしはそんな事許す事は出来ないわ!」
ドキ先輩が変ってしまった現実をどうしても納得出来ないのか、とうとう千晶ちゃんは絶叫する様に思いの丈を吐き出した。
目には涙が浮かんでいる。
自分の姉に千花タンと呼ぶのはどうなんだ? と言う事には敢えてツッコまないけど、その気持ち自体はつい最近同じ言葉を投げ掛けられたので痛い程分かった。
好きな人が他の人の影響で変わっていく。
これは美都勢さんが俺と出会ってから次第に変わっていくギャプ娘先輩の様子を見て、なぜ自分ではダメだったんだと俺に嫉妬心を燃やして憎んでいたのと同じ事。
俺はまた女性に涙を流させてしまったんだ。
今の今まで何とかこの場を誤魔化してなぁなぁで事を済ませようと思ってしまっていた。
しかし、もうそんな事を言ってられない。
千晶ちゃんと真剣に向かい合って許しを貰う必要があるんだ。
そう思い至った俺は千晶ちゃんに話し掛けようと口を開いた。
「千晶ちゃ……」
「千晶。俺……いや、あたしは消えないぞ?」
名前を呼ぼうとした瞬間、それに被さるようにドキ先輩が首を傾げながら千晶ちゃんにそう言った。
しかも、一人称がいつもの
この拗れた話の発端であるドキ先輩の突然の言葉に皆はただ黙って彼女に注目した。
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