第二部 第二章 嵐の到来で大変です。
第23話 嵐の予兆
「お前はまだそんな事を言っているのかッ!」
恰幅のよい初老の半ばを越えたと思われる男の怒号が部屋に響く。
内装や家具、本棚に並ぶ資料ファイルに書籍類、また壁に沢山掛けられている額に入れた賞状や企業理念と言う言葉から察するに、ここはどうやらとある会社の社長室の様だ。
そしてその怒りを受けている者は、少年と呼べる歳を漸く脱し青年の域に足を踏み入れ始めたと言ったところか。
その目には理不尽とも言える男の言い分に負けじと必死に足掻いているように強い意志を宿らせていた。
一度は燃やす事を諦めた夢。
そんな燃えカスのような想いに再び火を灯してくれた友達の期待に応える為、自分はここで再び折れるわけにはいかない。
青年は男の叫びに負けじと声を上げる。
「父さんッ! 小さい頃言ってくれたじゃないか! 俺の撮った映画が見たいって! それが老後の楽しみだって!」
青年の叫びに男は目を顰め呆れたような溜息を吐く。
「ふん、あれはただの現実逃避だ」
「なん……だって……」
男が吐き捨てた言葉に青年は狼狽えて後退った。
目に宿していた強い意志も風前の灯。
『現実逃避』……男の言葉を理解出来ない。
何が? 誰が? そんな疑問の言葉で頭の中でぐるぐると回り返す言葉が出てこなかった。
――プルルル
その時、机の上の電話が鳴った。
男は青年に何も言わず電話を取る。
「何事だ? ん? 下請けが価格交渉してきた? ふん、生意気な」
男が苛立ち気にそう吐き捨てたかと思うと電話向こうの社員に対して『そんな要求するところなら取引をやめてしまえ』と怒鳴っている。
下請けも生きる為に必死で頑張っているのに簡単に取引停止しろだなんて……。
いつから父はこんな傲慢で非道なことを言う人間になったんだ?
青年はいまだ先ほどの『現実逃避』と言う言葉に混乱している頭で目の前の男の姿をどこか遠くの存在のように眺めていた。
電話はまだ続いている。
男はさらに酷い言葉を吐き捨てていた。
過去の優しかった男と目の前の傲慢な男。
この10年で大きく変わってしまった男の姿に悲しくなり青年は部屋から飛び出していった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いや~流石我が最愛なる親友だ。お陰で周辺地域に被害も無く事を終えることが出来たよ」
「何が最愛なるですか!! ったく……」
今日は千林家から無事帰還した二日後である月曜日。
その放課後、俺は校舎裏にある悪の秘密結社のラボから生徒会室がある校舎へと帰る途中、隣を歩くお笑い芸人の戯言に対して文句を言った。
何があったかと言うと、アレだよアレ。
悪の首領である芸人先輩が秘かに創り出していた実験動物。
それがなんとラボから逃げ出したんだよ。
モグが"
んで、今回逃げ出したのがざっとナンバリングが遡って"
なんか見た目は熊くらい大きな生物だった。
突然そんな突拍子も無い事を言われても訳分かんないよね。
勿論俺も分からない。
けど何故か俺がそんな怪物と対峙して、何とかしなくちゃいけなくなったんだ。
俺ってば一介の高校生だよ? なんでそんな事をしなくちゃいけないんだよ。
まぁ、実際何とかなったから良かったけどさ。
最初はさ、悪の秘密結社の幹部である楠葉先輩こと助手先輩が生徒会室に俺に助けを求めて飛び込んできた時は助かったと思ったんだ。
だってさ、その時『みんなを騙して千林家に行った』ことを生徒会の皆から責められていたからね。
乙女先輩なんか乙女モードから冷血魔人モードに戻って俺の言い訳を片っ端から潰していくもんだから生きた心地しなかったよ。
最初はポックル先輩とウニ先輩も一緒に説教受けていたんだけど、俺が『そんな生易しい事じゃなかったんですよ』と千晶ちゃんに追われたり追いかけたりしたあれこれを語ったら、先輩達の顔がサァーッと白くなって「また増えた……」とか言い出したかと思うとポックル先輩とウニ先輩達まで俺への追及に参戦して来たんだ。
そんな時だよ。
いきなり生徒会室の扉がバンと開いたかと思うと助手先輩が部屋に飛び込んできて「牧野くんの力を貸して下さい」と言い出したんだ。
その必死な表情からとっても嫌な予感はしたんだけど、この地獄鍋の様な状況を抜け出すのに好都合と思い至り、秒で「わかりました」と言っちゃったんだよな。
ただ、ここで普通なら周りのみんながこんな茶番な逃走劇なんて看過して「逃がすか!」とか言いそうなのに、みゃーちゃんと八幡を除く先輩達が助手先輩を見ながら「あぁ……(察し」って雰囲気を醸し出していたんだよ。
その様子に不思議がっているみゃーちゃん達に桃やん先輩が耳打ちで何かを伝えたら、俺のことを可哀そうな物を見るような目で「頑張って」とか言い出したりするもんだから、『しまった! これあかんやつや』と気付いた時にはもう遅い!
助手先輩の小柄でおとなしそうな見た目からは想像も出来ない強い力で、腕引っ張られて廊下を引き摺られてたんだ。
で、あっという間にラボに着いたと思ったら、目の前には熊のようにデカい"
熊、熊って言ったけどそれぐらいデカいってだけで熊じゃない。
なんか見た目はほぼ豆しばちっくなコロッとした外観なんだ。
けれどその表情は悪鬼のごとく怒りに満ちて牙を剥き出しているんだもの、その衝撃ったらなかったよ。
しかも俺が現場に到着した時なんて、明らかに悪の組織チックな防護服に身を包んだ芸人先輩率いる生物部の部員先輩達が、各々手にバチバチと火花を迸らせているレーザーブレードみたいなスタン棒を持って"
映画監督は宗兄に任せておいて、芸人先輩はそのままお笑い芸人を目指せばいいんだよ。
と思ったら、結構マジヤバな状況だったらしく、珍しく芸人先輩が声を荒げて「この状況を見てふざけている場合か!」とか言い出したので「どう考えてもふざけているだろ!!」とツッコんだのにいつもの様な恍惚の表情を浮かべなかったんだ。
そこでこりゃマジだなと気付いた俺は、状況の説明を芸人先輩に求めた。
すると芸人先輩は「彼女の名前は"
さすがに切迫した状況の芸人先輩も俺の素気無い言葉には嬉しそうに身体を震わせたりしたけど、どうすべきかを簡潔に教えてくれた。
要するに俺に目の前の怪物を攻略してほしいんだって。
まぁ力じゃなくて言葉でって意味だけど。
そんなこんなで色々あって、最後には俺にお腹を撫でてもらうのが大好きなわんこの出来上がり。
凶悪だった顔も豆しばそのものの愛くるしいものに変わってくれた。
俺が時折会いに行くのを条件に大人しくゲージに帰っていってくれたんだ。
で、今は一仕事終えた俺と何故かついてきている芸人先輩が生徒会室まで歩いてるってわけ。
あぁ芸人先輩の服装はちゃんといつもの白衣に戻っているよ。
悪の首領スーツのまま横を歩かれたら、俺が恥ずかしいから着替えさせた。
ちなみに樟葉先輩は"
しかし今回の事件、なんかやらせ臭を感じるんだよな。
確かに生徒会室に飛び込んできた助手先輩や、俺のツッコミに一度は耐えた芸人先輩。
それぞれかなり必死そうではあったけど、俺が"
最初からこうなる事を予想していたみたいにさ。
だからこれはやっぱり事故じゃなくて特撮映画の収録なんじゃね? と思うわけ。
その場合どうやって熊みたいな豆しばを用意したかって話なんだけど今更だよね。
本当にこの悪の首領には困ったもんだ。
この際ちゃんと言い聞かせた方が良いと思った俺は、隣を歩く芸人先輩に注意した。
「全校集会の時も言ったでしょう。こんな事したら絶交だって。次は本当にないですからね?」
「違う違う! これはあの時のようなお披露目とかではなく本当に突発なインシデントなんだ。もう少し遅れていたらどれだけ犠牲者が出たか……」
俺の疑いの眼に必死になって言い訳をしている芸人先輩。
その姿は俺のぬらりひょんレーダー的に嘘をついてるようには見えない。
本当なのかな?
「じゃあなんで俺を呼んだんです? 結果的には解決出来ましたけど逆に今までどうしてたのか気になりますね」
「あぁ今までは紅葉女史に頼んで折伏してもらっていたのさ。しかし生憎彼女は現在美登勢さんと他県へ出かけててね。ならばと牧野くんに頼むことにしたんだよ」
「折伏って言い方……」
色々ツッコみたいけど、ここで追及して聞くとヤバい方向に沼りそうになったので言葉を止めた。
俺の傷を治した紅葉さんの薬に関して尋常じゃないアレコレを含んでいるし、ちらりと聞いた紅葉さんの一族的な絵空事の数々や、さっき芸人先輩が"
普通の高校生活を目指している俺には無関係の世界だよ。
これ以上そんな世界に引き摺り込まないで!
「しかし、この前は薬物実験に負けない丈夫な小動物を作るって話してませんでした? なんか"
話の方向性を少しズラして気になる事を聞いてみた。
なんか幼い頃に友達である実験動物との悲しい別れで思い立ったとか言っていたけど、あれからネットで調べてハムスター本来の小ささを知った俺ではあるが、モグは多少デカいと言ってもボーリングの玉くらいなのでギリ小動物と言えると思う。
なんだか既に芸人先輩の思想に染められている気がしないでもないけど、さすがに"
「あぁ、答えは簡単さ。強い生き物を創るには質量が物を言う。要するに大きい物ほど強いと言う事だ」
「はぁ……」
なんか変なことを言いだしたので適当に相槌を打つ。
強さて……薬物実験に負けないと言う話から脱線してませんか? まぁそんなことは今更か。
「夢へと至る道は、日々努力と研鑽の積み重ねが大切だと言うことは分かるだろう?」
またとんでもないとこに話が飛んだな。
普通の人が言うなら関心するけど、この人の言葉だと胡散臭いことこの上ない。
「だから私はまず最初にした事は強さへの追及! 質量に物を言わせた最強の生物を目指した! ……って、イタタタタ」
なんかある意味想像通りな答えに、俺は思わず芸人先輩にアイアンクローをかけてしまった。
小柄な芸人先輩は、悪の首領ではあるものの耐久力は普通の少女レベルらしい。
平均的高校男子の握力しかない俺のアイアンクローでも十分痛いようだ。
「以前方向性を変えてとか言ってたけど、最初からそうだったんじゃねぇか!! この生命の冒涜者!!」
インタビューの時は俺の指摘に『じゃあ実験動物にされない様に~』とか言っていたのに!
ちょっと過激なツッコミだけど、芸人先輩にはこれでいいよ。
だってイタイイタイと言いながら、なんかだんだん嬉しそうな嗚咽を出してるし。
『ハァハァ、痛いよ。牧野くぅん』とか言いながら身を捩っているしね。
ただその様がちょっと気持ち悪くなってきたのでそろそろやめよう……か、あれ?
チラと視線の端に見知った人影が入る。
ただその様子に何か違和感を覚えた。
「あれは……宗兄……?」
俺が向けた視線の先には虚ろな瞳で廊下を幽霊のように歩く宗兄が姿があった。
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