第79話 悩み事
「う~ん、困ったのよね~」
お姉さんがちゃぶ台に顔を突っ伏して、そんな事を言ってきた。
別に昨日俺の家に泊り込んだ訳では無く、牛すじの味噌煮込みの材料を商店街に買いに行った際に偶然? 出会ってそのまま家まで着いてきたんだよね。
「どうしたの? 藪から棒に」
困ったなんて、お姉さんには似合わない言葉だよな。
お姉さんなら困ると言う事象自体を力づくでねじ伏せそうなんだけど。
「いや、このマンションね、空き室が二部屋も有るじゃない? それなのにまたここから引っ越すって人が居るのよ~。しかも二軒も!」
「え? それって俺の所為だったりする? よく騒いでるし」
実際は俺"が"じゃ無いけどな。
かなりの頻度で夜中まで騒いだりしてるし、主にあなた達が。
「あぁ、それは大丈夫。二軒とも理由自体はおめでたい事なのよ。栄転とか結婚とかね」
何が大丈夫か分からないけど、まぁ俺の部屋が原因でなくて良かった。
やっぱり家賃収入が減るのが問題なんだろうか?
いやこのマンションは別にお姉さんの持ち物じゃないから関係無いか。
「じゃあ何が問題なの?」
「いや、時期的に四月となると普通みんな移動しちゃった後だし、それに十二部屋中四部屋も空き部屋が有るマンションって世間体的にも後から入居しづらくなるじゃない? うちが専属で賃貸管理をしている手前、このマンションの持ち主の人に悪くてね」
まぁ三分の一空き部屋があるマンションって何か問題有るのかと入りたくないよね。
「ふぅ~困ったわ~。どこかに入居者居ないかしらね~」
お姉さんが心底困っている顔をしてまたちゃぶ台に突っ伏した。
う~ん、さすがにこれは俺ではどうにも出来ないよね。
俺は一人悩むお姉さんを残して台所に向かった。
さぁ~、待ちに待った牛すじ煮込み! 腕によりをかけて作るぞ~!
しかし、今週は今までの人生で一番忙しかった週じゃないだろうか?
そして俺の人生が劇的に変った週でもある。
正直この学園では、何処へも引っ越す事も無い三年と言う長い月日をのんびりと楽しむ筈だった。
もしかしたら、何かのクラブに入って一生懸命青春したりとか、ちょっとわくわくもしていたんだよな。
そして、もしかすると彼女なんか出来ちゃったりとか……。
いや、ある意味一生懸命青春してると思うし、多くの女性に囲まれてたりする。
皆俺の事を慕ってくれている事も分かるし、俺も皆が大好きだ。
でも、なんだろう? コーイチと山元みたいな甘酸っぱいアレとは違うし、そもそも彼女達が俺に対して恋愛感情を持っているのかが分からない。
それに万が一そうだったとしても、何か、何だろうな? 本当に何か思っていたのと違う気がするんだよな。
い、嫌じゃないんだよ? 皆凄く美人や可愛い子ばっかりなんだけど……、何かとても苦労する将来しか見えないんだよ。
こう言うのをなんて言うんだっけ?
酷いヒロインで『ヒドイン』だっけ?
ヒドインだらけの俺の青春か……。
『わりとヒドインだらけな俺の学園青春記』……なんてね。
だけど、そんな彼女達の事を思い浮かべると、まぁそれも悪くないと思えてくるのは、もうこの状況に馴れてしまったからなのだろうか?
……。
ははっ、何考えてるんだ?
彼女達が俺の事を恋愛対象に見てるって? ないない!
あくまで出会いの切っ掛けが特殊だっただけで、その内きっと冷めるでしょ。
……だって、今までずっとそうだったじゃないか。
俺に向けられる好意に勘違いして、期待して、そして傷付いて……。
う~ん、桃やん先輩達が俺の事を全自動攻略機とか言い振らすから、ちょっと調子に乗っちゃったよ。
とんだ自意識過剰だよな。
俺は自分の馬鹿げた妄想に苦笑を零す。
だけど、もしそうなら……、彼女達の誰と付き合う事になろうと、そしてその先にどんな困難が待ち受けていようとも、俺は笑顔でその困難に立ち向かうだろう。
「ふぅ…」
俺は牛すじを適度な大きさに切り終えて、大きく伸びをした。
皆大食いだからね、かなりの量を買ったんで切り分けるだけでも大仕事だよ。
しかし、この一週間で俺の想像していた高校生活一年分くらい急がしかったんじゃないかと思う。
まぁ、なんにせよ月曜日の創始者への説得が終われば少しはゆっくり出来るかな。
創始者か……。
そう言えば昨日変な夢を見た気がする。
先日もうなされていたみたいだけど、今日のは悲しみ言うより寧ろ心の中に太陽が現われた、そんな気分だ。
二度寝した後、夢の形はおぼろげで、もう殆ど思い出せないけど、いまだ手に残る木肌の感触、そしてギャプ娘先輩によく似たミトセと名乗った少女の事だけは覚えている。
ただ、何故だかその事を思うと心の奥底がきゅっと締め付けられた。
あれは、もしかして……。
っていやいや、そんなこと有る筈も無いよね。
多分ずっと創始者とその旦那さんの手記の事を考えていたりしたもんだから、それがごっちゃになって変な夢を見てしまったんだろう。
昨日のお婆さんが変な事を言うもんだから混ざっちゃったんだろうな。
そうだ、そうに違いない。
「牧野く~ん。ごめんなさ~い」
そんな事を思っていると、開けていた窓から涼子さんが覗き込んでいきなり謝って来た。
「うわ! びっくりしましたよ。涼子さん、そこから急に現れるの止めて下さい」
うちに来る切っ掛けも、腹ペコモンスター化した涼子さんがそこから覗き込んで来たんだったよな。
ガチャガチャ、ガチャン。
「えへへ~、ごめんね~」
あれ? 今勝手に玄関の鍵開けた?
「ちょっとお姉さん! 何勝手に合鍵を涼子さんに渡してるの?」
プライバシーも有ったもんじゃないよ!
「あぁ、ごめんなさ~い。昨日さっき言った問い合わせが入ってきてね。先に帰らなくちゃダメになったから、戸締りをお願いしたのよ」
なんて事を……、いや別に涼子さんが嫌いなわけじゃないし、何か悪さなんてする……、いや家捜しとかしそうだけど、その程度だ。
でも、その、女の人に合鍵を渡すって、ほら、なんか色々とあるじゃん。
まるで付き合ってるカップルみたいな的な?
「牧野くん……、ごめんなさい。そんなにあたしが合鍵持つ事嫌だった? もしかしてあたし迷惑?」
涼子さんが悲しい顔をして謝って来た。
その顔を見て俺は心が締め付けられる。
嫌とか迷惑とかそんな事ある訳無いじゃないか!
この街に引っ越してきて最初に仲良くなった人。
いつもふざけて俺にご飯をたかりに来るんだけど、何処か憎めず、時には俺に優しく手を差し伸べてくれる。
そんな人を嫌いになる訳が無い! むしろ……。
「違いますよ! 嫌でもないですし、迷惑じゃないです。むしろ、す……」
やべ~、勢いで何か変な事言いかけた。
あっ、俺の言葉に涼子さんはにま~と笑い出す。
しまった! 遅かったか。
「あれれ~? 牧野くんったら今何を言おうとしたのかな~? いけないわ牧野くん! あなたはまだ学生よ? 条例とか色々有って、そんなに想ってくれても、私達は付き合う事は出来ないのよ」
「……涼子さん? 昼飯抜きにしますよ?」
「うわ~ん、ごめんさい~! 調子乗りました~」
本当にこの人はもう。
俺は牛すじの油抜きの為に大鍋で水炊きしながら、手際よく焼飯を作る。
パラパラさせるのは家庭用コンロじゃ難しいよね。
多少べちゃりが許されるオムライスのケチャップライスとは異なり、焼飯はパラけ具合が命と言えるだろう。
そこで俺が色々と調べた結果、玉子とオリーブオイルいや油なら何でも良いかも知れないけど、俺はオリーブオイルが好きだ! ……をよく溶いてご飯と混ぜ合わせて炒める方式を取っている。
簡単にパラパラになって美味しいよね。
特にオリーブオイルの香りが最高!
「これ新刊よ~! サインも入れた超レア本よ~、プレゼントするわ」
俺が焼飯を作っていると、思い出したかのようにそう言ってきた。
多分ダボッとしたスウェットのポケットに入れてるのを忘れてて、座った時に何か違和感有るなと気付いて思い出したんだろうな。
居間に座っている涼子さんが、手に持って見せびらかしているその超レア本は表紙が少し折れ曲がっている。
「あぁ~ありがとうございます」
平常運転の涼子さんに取りあえずお礼を言い、焼飯を皿に分けた。
「はい出来ましたよ」
「お~いい匂い~! おいしそう~」
色々な悩み事は置いておいて、腹が減っては戦は出来ぬと言う事もあるし美味しくご飯を頂こう。
「「「いっただきまーーす」」」
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