第78話 不思議な夢

 

「皆、改めて気を引き締めて。これは言わばスタートラインです。本当のゴールは御婆様の説得よ。御婆様の承認が無いと折角作った会報も、学園に配布する事は出来ないからね」


 学園長のこの言葉に、俺達は真剣な眼差しで頷く。

 そうだ、原稿が出来たとしても、それで終わりじゃない。

 生徒会会報の第一号は部活紹介の事だけでなく、新年度の学校教育方針も含め運営情報も一緒に掲載する事や、新生徒会発足の報告等、学園としても非常に重要な会報である為、創始者の検分による発行承認が必要と言う事だ。

 とは言え、今までに関しては日程の関係も有り却下された事は無いとの事で、今回も現物を見せ付けての、なし崩し的な発行承認がギャプ娘先輩達の当初の計画だった。

 桃やん先輩と乙女先輩に関しては、当初の説得失敗作戦が俺の出現によって方向転換されたので、途中からは創始者に対して、今まで創始者が守って来ていた伝統を無理矢理変える事によってギャフンと言わせようと言う魂胆では有ったようだけど。


 しかし、今や学園長とギャプ娘先輩、それに俺としても、最早生徒会会報の配布が目的では無くなっている。

 いや、昨日の話を聞いた皆も同じ思いだろう。

 最終目的は最愛の人の言葉を勘違いしたまま苦しんでいる創始者の救済だ。

 決戦は来週月曜日。

 この原稿が会報として刷り上がり、それを武器に俺とギャプ娘先輩は創始者と直接対決する。

 緊張するけど、これを乗り越えないと全てが始まらない気がするんだ。



「じゃあ、原稿データを印刷所に送信するわよ。ポチッと。……はい、これで月曜日の昼には出来上がった会報が学園に届くわ」


 各自の原稿を会報の体裁に整えたデータファイルを印刷所にメールで送信した。

 第一号は情報量の多さから中綴じ冊子スタイルを取っている為、日数が掛かるとの事だ。

 それにしても仕上がりが早過ぎる気がしないでもないけど、どうやら刻乃坂学園御用達の印刷所なので毎年この時期はスケジュールを開けており、最優先でやってくれるからこの日程で行けるらしい。


「へぇ~こうやって依頼するんですか」


 データを送るだけで依頼出来るなんて簡単だな。


「本当に便利になったわね。昔は紙だったからとても大変だったのよ。文字も手書きでね。枠線とかも失敗しない様にプルプルしながら引いてたわ。出来上がった原稿を封筒に入れて、夜中に牧野会長と自転車に二人乗りで印刷所まで入稿しに行った事も有ったのよ。懐かしいわね」


 学園長が便利になった印刷所への入稿方法を見て感慨深そうにそう言った。

 親父と一緒に夜中に印刷所まで走ったなんて、なんか青春だよな。


「私の時はギリギリデータ入稿だったわ。私と入れ替わりに引退した先輩は紙での製作だったんで、とても悔しがっていたのよね」


 ほ~野江先生の代からなのか。

 なんか二人の生徒会OGの感想の比較は歴史を感じられて面白いな。


 まぁなんにせよ、これで一安心だな。

 原稿も完成して印刷所への依頼も完了した。

 日程も刻乃坂学園御用達の印刷所が最優先でやってくれるとの事で、問題無く月曜日に届くだろう。

 これで無事月曜日の準備が全て整ったんだ。


 ……。


 あれ? なんか引っかかる。

 何故か不安が有るんだけど何だろう?

 何か見落としているような?

 俺は心の奥底にチリチリと燻っているをなかなか形に出来なかった。


 ただ、俺が気付く事なんて桃やん先輩や学園長、それに野江先生、真乙女になったとは言え元策謀家の腕は落ちていない乙女先輩に、何と言っても全ての思惑の外側に居る萱島先パイまでもが何も心配していないんだから気にする必要はないのかな?

 そう思い、その燻っていた何かを心の深淵に投げ捨て、忘れる事にした。



「ん? 千花先輩? どうしたんですか?」


 俺達が無事原稿データを送り終えた事に喜んでいると、ドキ先輩が何やら生徒会室のドアを開けて外を確認しているのが見えた。


「いや、何か外で誰かが居るような気配がしたから見てみたんだけど……」


 そう言いながら、ドキ先輩はまだ外を確認している。


「気のせいじゃないですか?」


 ドキ先輩は『う~ん』と唸りながら扉を閉めた。


「いや~分からないわよ~。ここって歴史が古いからのよね~」


 学園長が声のトーン落としてそんな事を言って来た。


「え? あるってなんですか? もしかして……?」


 宮之阪が恐る恐る学園長に尋ねるけど、聞くなよ!

 学校で色々あるって言ったら一つしかないじゃん!


「決まってるじゃない~。幽霊よ」


「いやぁぁぁ、聞きたくなかった~」


 宮之阪! 自分で聞いといてそれは無いでしょ!


「どんな話が有るんですか?」


「こーちゃんやめて~」


「いっちゃんなんで聞こうとすんねん! 怖いやんか!」


 俺も聞きたくないけど、もしばったり会ったしちゃった時の心の準備として知ってた方が良いじゃん。

 先輩達は既に知っているのだろうな。

 なんか『あぁアレね~』みたいな顔をしている。

 学校の怪談ってみんな好きだもんね。


「まずは事故で亡くなった風紀委員の霊ね。かなり古くから有る噂よ。下校時間を超えて理由も無く一人で残っている生徒に早く帰れと注意してくるらしいの」


 う~ん、怖いと言うかなんか律儀な幽霊だな。


「いや~私もう一人で帰れない~!」


 宮之阪が俺の腕にしがみ付きながらビビっている。

 ちゃんと聞いたか宮之阪? 多分幽霊じゃなくても、風紀委員なら普通に言ってくる事しかしてこないみたいだぞ。

 まぁでも女の子だもんな。幽霊ならなんでも怖いか。


「そん時は一緒に帰ってやるから安心しろって」


 俺は怖がっている宮之阪を安心させようとそう言ったら、宮之阪は嬉しそうな顔をして頷いた。


 ん? 何か凄く突き刺さる視線を沢山感じるぞ?

 俺はしがみ付いてる宮之阪から目を離し前を見た。

 学園長を前にして輪になっていた俺達なので皆の顔が良く見える。

 その顔が何か『その手が有ったか!』みたいな顔で俺を見ていた。

 そして、一瞬の後。


「あたしも怖い~」「私も一緒に帰る~」と次々に声を上げて俺の周りに殺到して来た。

 野江先生は今更でしょ! なんで一緒になって来るんですか!

 先輩達も先程まで『はは~ん、一年生はビビっちゃって可愛い所有るわね』って顔で怖がっている二人を見ていたじゃないですか!

 それに噂通りなら生徒会役員なんだし、理由が有るから現れないんじゃないですか?

 このまま昨日の様な事になっても、色々大変だしなんとかしないと!


「分かりました! そんな時は皆で一緒に帰りましょう!」


 俺が大声でそう宣言すると、皆は少し不満げな顔をしながら渋々納得する。

 え~なんで~?


「後は窓から見える生首ね。夕暮れ時に外から窓を見ると窓の下側ギリギリの所に顔だけが見える事が有るらしいの。最初は誰かが頭だけ出してるのかなと思うんだけど、それが立ち上がる事無くス~って動いて行くらしいわ」


「きゃぁぁぁーーーー!」


 まだ続けるのかよ! 窓から見える生首か、それは怖いな。

 ……って、それ千林シスターズ+1が廊下を歩いているだけじゃないのか?


「他には凄いスピードで裏庭を跳ね回る小人ね」


「きゃぁぁぁーーーー!」


 それ、ドキ先輩なんじゃあ?


「お~い」 ガチャッ!


 その時、突然生徒会室の扉が開き、男の声が生徒会室に響き渡る。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!出たーーーーーー!」


 突然の出来事に俺や同級生は勿論、その場に居た全員が悲鳴を上げた。


「うわぁぁぁ~! 何だ何だ! びっくりするじゃないか」


「え? 校長先生?」


 そこに立っていたのは、俺達の悲鳴にびっくりしている校長先生だった。


「こっちこそびっくりしましたよ、おとやん先生!」


 野江先生が口を尖らせて文句を言っている。

 校長先生をあだ名呼びですか……。


「……野江君。私は今君の上司で校長なんだけどね」


「関係無いですよ! 私にとってはおとやん先生はいつまで経っても担任だった男山おとこやま先生なんですよ」


 校長先生ってお姉さんだけじゃなく、野江先生の担任でもあったのか。

 連続でパワフルキャラの担任をされたとは、本当にご愁傷様です。


「そうそう差し入れだよ。お腹がすいただろう」


 そう言って校長先生は扉を開ける為だろう、足元に置いていた五重に積み重なった大きな寿司桶を重そうに持ち上げた。


「皆、頑張ったご褒美として出前を取っていたのよ。特上のお寿司よ。沢山有るからいっぱい食べてね」


「やったーーーー!!」


 その言葉に俺達は歓声を上げる。

 言われて気付いたけど本当にお腹ペコペコだよ。

 重そうにしている校長先生を手伝い机の上に寿司桶を並べた。

 凄い豪華なお寿司だ! 学園長! それに校長先生! ありがとう!


「あの~私も居るんですよ?」


 俺達がお寿司に気を取られていると扉の方から女の人の声が聞こえる。

 え? 誰だ? もしかして幽霊?


「「「ママ!」」」


「いや、お母さん」


 千林シスターズ+1がママと呼ぶ人物は一人しか居ない。

 ポックル先輩も言い直さなくて良いですよ。


「ち、千歳さん、どうしてここに?」


 そう、そこには千林シスターズ+1の母親である千林千歳さんが立っていた。


「あら、牧野くんこんばんわ。月曜日振りね。ふふ、千花の事でになったわね」


 千歳さんはとてもいい笑顔で笑っているけど、その目に宿る怪しい光はどう言う事なのでしょう?

 やっぱりアレですか? 落とし前を付けろと言う事ですか?

 ドキ先輩を元に戻すとかは無理そうなので、出来れば庭の草むしりとか家の掃除とかでご勘弁願えないかなぁ。


「ははは、それに関しては落ち着いたらお詫びに行こうかと……」


「ふふふ、楽しみに待っているわね」


 あぁ、なんかどうしても行かなくちゃいけなくなったみたいだ。


「ごめんなさいね千歳ちゃん。紹介が遅れたわ。牧野くん、先日話した改竄をお願いした書記の後輩の話を覚えている?」


 あぁ親父と学園長の伝説の立役者と言う、学園の公文書を私物化した人かぁ、ってもしかして?


「え? それって? 千歳さんの事だったんですか?」


 と言う事は、この化粧しているだけの千林シスターズ+1の一員みたいな人が俺の母さんと同じ年齢なのか!?


 嘘だろう? 恐るべし千林一族!


「そうなんです。あなたのお父さんにはとても良くしてもらっていたわ。先日の時にも言おうとしたのだけど美佐都ちゃんの変貌とか色々と立て込んでたから機会を逸してしまったの」


 まぁあの時はギャプ娘先輩が人前で初めてギャプ娘モードを発動した記念日みたいなものだったし、本当にカオスな空間だったよな。

 しかし、千林家も当事者だったとは驚いた。

 ポックル先輩が書記をやっているのはある意味当然の成り行きなんだな。


 今の生徒会はある意味親父達の生徒会の再現じゃないか?


 まるで川がやがて海に流れ着くように、全てが今この時に収束しているかのような大きな力の流れを感じる。

 これが運命と言う物なのだろうか? いや宿命なのか。


「そうだったんですか。と言う事は、写真に関しての一連の話は千夏先輩達に話してたんですか?」


 てっきり知らない物だと思っていたよ。


「いえ、それは副会長である美都乃さんから口止めされてたから言ってないわ。それとなく促してはいたけどね」


 千歳さんはそう悪戯っぽく笑いながらそう言って来た。

 とってもかわいい……、ハッ! いや、いかんいかん。

 この人は人妻でしかも母さんとタメだった。

 くそ~人生経験を積んでいる分、自分のかわいさを最大限に発揮する方法を心得ているので本当に質が悪い人だな。


「ありがとう千歳ちゃん。約束を守ってくれたていただけじゃなく、強力な助っ人を送ってくれて本当に助かってるわ」


 千歳さんの言葉に学園長が嬉しそうに返した。


「しかし、今の生徒会は本当にあの黄金時代の再現のようね。美都乃さん」


 千歳さんも学園長に嬉しそうに返す。

 その微笑ましい光景に俺は心がほっこりした。

 二人は仲が良かったんだな。

 まぁだれにも言えない秘密を託す程の相手何だから当たり前か。


「御陵くんに藤森くん! 君達一体どうしたんだ?」


 校長先生が二人を見て驚いている。

 あぁ、校長先生は今日が初でしたね、二人のこの姿。


「校長先生~。これが牧野くんの力なんですよ~」


 桃やん先輩が嬉しそうに校長先生に二人の変わりようを大げさに説明している。

 二人は何なら恥ずかしそうにもじもじしているが、その様を驚愕の表情で校長先生が見ている。


「何かやるとは思っていたが、こんな短期間でここまでやるとは思わなかったぞ? こりゃあ今後が楽しみだよ」


 説明を聞き終わった校長は嬉しそうに俺の肩をバシバシと叩きながら言って来た。


「痛いですよ校長先生!」


「男の子だろう? これぐらい耐えたまえ! いや~本当にうれしいよ」


 校長先生これ体罰ですよ~。


「じゃ~お寿司が痛んじゃわない内に食べましょうか!」


「は~い! いっただっきま~す!」


 俺達は机の周りに集まり頂きますをした。

 さぁ食べるぞ~!


「あぁウニは私の大好物だから頂こうか」


「私はコハダが好きですね」


「何でここに居る! お笑いコンビ!」


 いつの間にか当然の様に芸人先輩とお飾り部長が混ざっている!

 

「まぁまぁ、いいじゃないか。減るもんじゃなし」


「いや物理的に減るわ! もりもり減るわ!」


「ふっふ~」プルプル。


 俺のツッコミに目をうっとりさせてプルプルする芸人先輩。

 これが恍惚とした表情ってやつか。

 やっぱりこの人、Mっ気があるんじゃ?


「あら光前寺さんとこの淀子ちゃんじゃない? どうしたのそんな恰好珍しいじゃない? ……ってもしかして?」


 学園長の言葉に皆が無言で頷く。


「恐るべし、全自動攻略機!」


 違いますって~!



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「ママが来たよ~。ほら飲み物とかも買って来たわ~」


 そう言ってお姉さんまでお土産持って乱入して来た。

 そうだよね、このメンバーでお姉さんが居ないのはおかしいよね。

 これで親父を除いた部活紹介写真に纏わるメンバーが揃った訳だ。

 あっママじゃないですけどね。


 コンコン ――


「失礼するわね」


 突然のノックに今度こそ幽霊かと身構えたが、開いた扉にはなんと理事長が立っていた。


「御婆様!」


「御母様! ここに来るなんて珍しいですね」


 ギャプ娘先輩と学園長が驚いている。

 理事長は初めて会った時のような鋭い眼をして俺をまっすぐに見てきた。


「り、理事長、ご無沙汰しています……」


「牧野君、何を緊張しているんですか? 情けない。ご無沙汰と言う程、時間は経っていないでしょう」


「は、はいすみません」


 うぅ、何か緊張するなぁ~。


「私もこの話には一枚噛んでいますからね。私を失望させるような真似をしていないかの見極めに来ましたよ」


 そう言うと俺から目線を外し、ギャプ娘先輩と乙女先輩の方を見る。

 厳しい表情は崩さないものの、その目はとても優しく一瞬口元が綻んだように見えた。


「なるほど、それが今のあなた達ですか……」


 理事長は目を瞑り静かに頷いた。


「まぁ、今の所は合格としておきましょうか。しかしこの女性達……、フフッ、美佐都も橙子さんもこれから大変ね」


 目を開いた理事長は一転して優しい顔になり、ギャプ娘先輩と乙女先輩に少し笑いながらそう言った。


「おっ、御婆様!」


「大叔母様ったら、そんな……」


「フフフッ頑張りなさい」


 何を頑張るのかいまいち分からない俺だけど、理事長に合格と言って貰えてとてもうれしい。

 このまま失望させない様に頑張らないとな。


 その後、皆でお寿司を頂いた。

 さすが学園長だ、このお寿司むっちゃ旨い!

 今まで食べた中でも最高じゃないだろうか?

 お値段もとんでもないんじゃないだろうか? 学園長太っ腹!


「あら? 今牧野くんからイラッと来る思念を感じたんだけど?」


 ち、違います! を文字通りに取らないで!



 そんなこんなで楽しく食事をしていると、視界の隅でドキ先輩と千歳さんが真剣な顔で話し合ってるのが見えた。


『……を頼めるかな?』

『そうね、念の為やっておきましょう』


 皆が騒いでいるので良く聞こえないけど何だろう?

 話し合いが終わったのか千歳さんが俺の元にやって来た。


「牧野くん、私達の代から始まった物の集大成を見せて貰えるかしら?」


 あぁ、そうか、千歳さんもこの会報への思い入れは俺の親父や学園長と同じくらい強い筈なんだよな。


「良いですよ。PCは立ち上がったままですので自由に見て下さい」


「ありがとう。見させてもらうわね」


 そう言って千歳さんは嬉しそうにPCの前に座り入稿したデータを確認している。

 その出来に時には頷いたり、時には難しい顔をしてダメ出ししたりと楽しそうだ。


 それからもこの宴はしばらく続いた。

 皆が皆、嬉しそうな顔で語り合っている。

 俺はこの光景を生涯忘れないだろう。

 願わくば創始者の説得が成功し、将来この事を楽しい思い出として皆と語れるようになる事を神様に祈った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 その日の夜、俺はとても不思議な夢を見た。

 先日も見たような気がするけど……?

 思い出せないな。


 その中で俺は、何やら見覚えのある木に手を当てている。

 この手触りは中庭の木かな?

 いや、それにしては一回り以上小さい気がする。


 不思議に思い周りを見渡すと、見慣れてきた校舎は何処にも無く、木の周りは開けているもののどうも山の中のようだ。

 何処だろうか?


「あなた! そこで何をしてるの? ここは我が家の山なのよ?」


 突然後ろから声を掛けられた。

 俺はその声に驚き振り返る。


 え? 美佐都さん?


  いや少し違う、身長も低いし顔付きも微妙に違うな。

 そこに立っていたのは美佐都さんによく似た少女だった。


 その後ろに見える景色はどことなく見覚えが有る。

 遠く麓に見えるあの川の形は、俺が住んでいるこの街なのか?

 でも建ち並んでいる建物は見覚えの無い物ばかりだ。

 俺が小さい頃に建っていた建物よりもっと古めかしい。

 何だこれ? いったいここは何処なんだ?


「あなた! 私を無視するなんていい度胸ね? さぁここで何してたか白状しなさい! 場合によっては警察に突き出してやるんだから!」


 美佐都さん似のその少女はかなり気がきつく、俺に食って掛かって来た。

 何か説明しないといけないな、でも何て言おうか? 取りあえず自己紹介かな?


 俺は――

「僕は最近ここに引っ越して来たんだけど、麓から見えるこの木が気になってここまで来てしまったんだ」


 俺が喋ろうとした瞬間、口から勝手に言葉が零れた。

 その言葉に少女は興味を持ったようで、きつい顔を少し緩める。

 その顔はますます美佐都さんにそっくりだ。


「へ~? そうなの? この木が気になるって、あなた見どころ有るわね。 じゃあ、あなたこの木の事は好き?」


 あれ? このセリフどこかで聞いたような?


「好きですね。それにきらきら輝く木漏れ日を見上げながら、この木陰の下で寝転んだら最高でしょうね」


 またどこかで聞いたようなセリフが勝手に俺の口から零れた。

 その言葉に少女はとても嬉しそうだ。


「あなた! とっても分かってるじゃない! そうなのよ! ここでのお昼寝は最高よ! 私の名前はミトセって言うの! あなたの名前は?」


 ミトセ? その名前は……。


 そして、俺の口からまた言葉が零れ……。


「僕の名前は、―――」



 …………………………。

 ……………………。

 ………………。

 …………。

 ………。



「ハッ! はぁはぁ……」


 俺はそこで目が覚めた。

 辺りを見渡すと、あの不思議な景色の中ではなく俺の部屋のようだ。

 なんだったんだ? 今のは夢か?

 心臓がまだバクバクと音を立てている。

 今見た不思議な夢は何だったんだ?



 俺はこの不思議な夢の所為で、暫く寝付けなかったが、体は正直なようでこの連日の疲れによって、その内また睡魔に誘われ意識が…だんだ…ん…遠のいていっ…た……。



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