第74話 平常心

「そう言えば忘れてたわ! アイスクリーム奢ってくれる約束してたやん!」


 宮之阪と挨拶を交わした後、歩きながら昨日の出来事を色々と話していたが、皆が暴走したの話題に差し掛かった際に、改めて思うととんでもない事だったと言うのに気付いた。

 最近お姉さんとか涼子さん、それに何故か学園の先輩達と言った年上と抱き合う事は理由も有って、少し慣れては来ていたのだけど、同級生と理由も無く抱き合うなんてのは話が別だ。

 しかも正気に戻るのが、あと数秒遅れていたらキスしていたんじゃないかと言う程、お互いの唇の距離が近かった。

 残念と言う気持ちと良かったと言う気持ちが交差する。


 正直小さい頃のお姉さんからのスキンシップやハプニングでの接触は過去にも幾度か有ったけど、ちゃんと意識したキスと言うと、がファーストキスになる筈だった。

 だからあれで良かったんだ。

 だってファーストキスはあんなカオスな空間ではなく、ちゃんとした雰囲気でしたいものね。

 それに一度キスが解禁されたら全員がしてきそうだったし、そんなファーストキスの記憶なんて、なんか嫌だ。


 う~ん、でもちょっと惜しかったかな~?


 そんなこんなでその場で二人して赤面しながらモジモジしていたが、結局は集団催眠による夢みたいなもので忘れてしまおうと言う事に落ち着いた。


 その後いつものメンバーと合流して、ワイワイと楽しく話をしながら坂を上っている所で八幡が突然昨日の約束を思い出して声を上げた。


 ああ、そう言えばしてたね。

 確か昨日のHR後に、その時点では二人には話難い内容も有ったんで野江先生と二人切りになるべく、先に生徒会室に行って貰う際に、渋る二人の説得でアイスを奢る約束をしたんだっけか。

 だけど結局、生徒会室で二人とも全ての真相知る事になったんだし、もうノーカンだよなと思って忘れていたよ。

 俺が約束の前提が無くなったので無効だと言おうとした所、八幡は顔を近づけて事情が分からない、こーいちと山元に聞こえないようにそっと囁く。


「昨日のの口止め料やで。特にアキラへのな」


 ぐっ、ここでアキラの名を出すのか、キタナイ! 八幡キタナイ!

 お前はあの時、俺にDead or Deadな質問で命の危機に晒した癖に!


「ぐぅむむぅ~。仕方無い。八幡と抱き合ったと言うのがアキラにバレると殺されかねないし……」


 俺が悔しそうに言うと八幡は呆れたと言う顔をした。


「……成長したと思ったけど、そこら辺はまだまだやな~」


 俺は八幡のその言葉の意味が良く分からず首を傾げる。


「どう言うこと?」


「はぁ~。ほんまにいっちゃんは相変わらずのにぶちんやな。あたしなんかより他の娘との方が怒りよるで?」


 やれやれと言うように手を上げて溜め息を付く八幡。

 知らない相手と抱き合っても別に気にならんだろうと思うのだが、八幡がそう言うならそうなのか?

 どちらにせよ知られないのに越した事はないし、甘んじて賄賂を贈らさせて貰おうか。

 関係者である宮之阪はまだしも、何故か部外者のこーいちと山元も便乗してきたが、仲間外れも気分が悪いので、今度一緒に帰る機会が有れば、その時に奢ると言うことでOKした。

 まぁその際には宮之阪と八幡も居るのは想像がつくので、再度奢らされる事になるのは明白だよな。


 まぁ良いか。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 朝のHRの時間。

 野江先生が俺を見て、どう言う反応をするのかと少し興味が有ったのだが、別段今までと変わらない態度で少し拍子抜けをした。

 やはり、あれは本当に俺をからかっていただけで、これが大人の余裕と言う事なんだろうか?

 俺的には、風呂上がりバスタオルが落ちると言うハプニングの所為で、間近でガン見してしまった事が思い出され、逆にほら……、なんかさぁ……、色々と大変だ。


 あっ、ガン見したと言っても後姿だからね。

 正面なら洒落にならなかったよ、本当に色々な意味で……。

 とは言うものの、何か剣道部の顧問とか言っていただけあって、とても引き締まり均整の取れた素晴らしいスタイルだったので、初めて家族以外の異性の裸を見る俺には十分過ぎるほど刺激が強かった。


 あぁ、いかんいかん、平常心、平常心。


「こーちゃんどうしたの? 虚空を見つめて」


「ん? 別に何でもないよ」


 平常心、平常心。


 今日の一限目はそのまま現文だ。

 課題提出や小テストの連続とは違い、今日から本格的に教科書を開いての通常授業の開始となっている。

 野江先生はこのクラスでの初の通常授業との事で気合を入れているようだ。

 教壇の前で教科書片手に物語を朗読し、時にはその中の一文を黒板に書き上げて、作者の意図を生徒に答えさせ、最後に解説といった内容で進めている。


 う~ん、たまに朗読しながら教室の中を一周するのだが、何故か俺のそばに来たら暫く立ち止まり動かなかったりする。

 まぁこの位置は教室の隅っこなんでクラス全体が見渡せると言ったらそうなんだけど、その際なんか微妙に近いし、たまに肩に体を摺り寄せて当ててくるし……。


 もしかして、これって刷り込みの効果なんだろうか?


 いや、ただ単にからかってるだけなのだろう。

 正直悪い気はしないんだけど、俺の平常心が乱されるし、何より宮之阪と八幡が不思議そうに俺の方を見て来る。

 昨夜の事はお姉さんの親友だから家に来たと言えば誤魔化せるけど、今朝の事は非常にまずいなぁ。


 何か離れさせる良い手はないだろうか?

 直接皆の前で『離れてください』と言うと、絶対嫌われるし、この人の事だから最悪泣き出す事も考えられる。


 う~ん、あっ! この位置からだと、丁度黒板の端が窓からの光で反射して見え難いぞ。

 これをネタにして……。


「先生、すみません。黒板の端の方に書いてある文字が光で反射して見え難いんですけど、なんて書いてあるんですか?」


 俺の声に先生はピクンと反応して振り返る。


 ……なんで、そんなにやっと構って貰えた子犬みたいな嬉しそうな顔で俺を見るんですか?


 まさか本当に刷り込み?

 いやいや教師として新学期最初の通常授業と言う事で、生徒に質問されたのが嬉しいんだろう。


「どれどれ? あぁ本当ね。まだこの季節は太陽が低いから、この教室の向きだとこの時間は丁度日が差し込むのね。気付かないでごめんさいね」


 野江先生は俺と同じまで目線を下げて確認してくれるのだが、近い近い!

 なぜそんなに顔を近づける必要が有るんです?

 皆が変な目で見てるじゃないですか!

 疑惑の目もなんのその、野江先生は気にした様子も無く、光が差し込まない様にカーテンを閉めた。


「牧野くん、これで見えるかしら? 他の人も、分からない事や困った事が有ったら、どんどん質問や意見を言って来てね? 先生のプライベートな事以外なら何でも答えてあげるわよ」


 その言葉にクラスの皆が笑い声を上げる。

 皆は先程の態度もラフな性格によるものだと思ったようだ。

 その後、先生の言葉に呼応して幾人の生徒が手を上げ、先生に質問や意見を言ったりしている。

 やっと離れてくれたよ。嫌じゃないけど気まずいからね。


「なぁ、いっちゃん? なんかさっき野江先生って、いっちゃんの周りばかりウロウロしてなかった?」


「なんか顔とか近付け過ぎじゃない?」


 先生が去った途端、八幡と宮之阪が俺に小声で聞いてくる。

 その質問に心臓バクバクだけど、普通を装って釈明を行う。


「気の所為だろ? この位置からだとちゃんとノートを取ってるか一目瞭然だからじゃないか? それに俺は先生が尊敬している先輩の縁者だから、弟みたいに思ってるのかもしれないな」


 うん、なかなか筋が通ってるし、実際俺の事を弟みたいに思っている節が有るんで嘘ではないだろう。

 この街に帰って来てからと言うもの、何故か心を見透かされてばかりな俺だけど、今のはなかなか以前の様な自然な演技が出来たんじゃないだろうか?

 俺は自分の演技に満足しながら二人の様子を伺う。

 あれ? 二人は何故かジト目で俺を見てるんだけど?


「こーちゃんなんか隠してない? 最後のそのどや顔は、なんか隠してる~って感じなんだけど?」


「いっちゃん最近大阪におった時とちごて、顔に出るよなぁ~」


 しまった! 俺のバカ! 最後に気が抜けて顔に出してしまった!


「いや隠してないって! 弟みたいと思っているのは本人が昨日言ってたし!」


「怪しいなぁ~」

「怪しいで~」


 俺の冷静さを欠いた弁明では納得してくれる筈も無く、疑惑の目は更に強まる。


「はい、は~い。そこ~! いちゃいちゃしない~」


「「なっ!」」


 俺達が騒いでると色々と質問に答えていた野江先生が注意をして来た。

 いちゃいちゃって……。

 俺的には先生の名誉もかかった命懸けの攻防だったのに。

 でもそのいちゃいちゃの言葉に反応して二人が真っ赤になって俯いてる。

 周りからはヒューヒューと冷やかす声がチラホラと聞こえて来て、二人は俺を追及するどころじゃなくなった。


 先生ナイスアシスト! 助かったよ! やっぱり頼りになる!


 キーンコーン、カーンコーン。


 おお! ダメ出しのチャイムだ!

 これで逃げ切れるだろ。




 ……と思ったけど、ダメでした。


 俺は休み時間に二人に詰問されて、昨日先生が俺の家に来て夕飯を食べたと言う所まで吐かされた。

 さすがに泊まると言う事までは、二人の頭の中には無かったようで、酔っぱらってお姉さんと一緒に帰ったと言う言葉はすんなりと受け入れられた。

 それで仲良くなって弟扱いされるようになったと説明すると『なるほど』と納得して貰えたよ。

 一応昨日の学園長とギャプ娘先輩の告白の件で、野江先生が学生時代から続いていた悩みが解消されたと言う説明も入れたんで説得力は補強されていた訳なんだけど。

 まぁ、それ以上追及されてたとしても、酔っぱらった後の内容は野江先生にも秘密にして欲しいと言われているので口が裂けても言えないけどね。


 その代わり近い内に俺の料理を振る舞うと言う約束をする羽目になった。

 特に宮之阪はポックル先輩との初遭遇時の件も有り、『私を差し置いて、千林先輩だけじゃなく先生もなんてずるい』と強く主張して来た。

 差し置いてと言われても……。

 なんかその内に生徒会全員ご馳走する事になりそうだよな。


 ペコモン大量GETなのか?

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