第16話 謝罪
「コーくん。足大丈夫だった~?」
その日の夕方、最近日課となっていた俺の夕飯を作りに来るという目的の為に、お姉さんが部屋にやって来た。
涼子さんの話しだと昼には一旦家に帰ったようだ。
言うまでも無いけど涼子さんは、当然の如くここに居る。
今日は黄檗さんも一緒だ。
咲さんは残念ながら、今日は一度元の仕事場に戻る用事が有ると言う事でここには居ない。
そして、学校帰りに水流ちゃんも付いてきた。
まぁ
「深草センセー今朝はどうも~。黄檗ちゃんもこんばんわ。おや~今日は水流ちゃんも来ているのね。……あら? 見掛けない人も居るじゃない」
そう、今日は今名前が出た水流ちゃんにの他にもう一人部屋に招いた客がいる。
いや、招いたんじゃなくて付いて来たんだ。
『また今度』と何度言ってもしつこくせがまれて、とうとう最後には校門の前で縋り付かれて号泣された為、絵面的にあまりにも世間体が悪過ぎたので、仕方無く部屋に連れてくる事になってしまった。
だって、『見捨てないで』とか『あの言葉は嘘だったの?』とか、もう他の人から見たら、俺が騙して手を出した上に捨てたとしか思えない言葉のオンパレードだったので、本当に仕方無くなんだ。
大体の事情は体育の時間のやり取りで何となく分かったとは言え、御陵家襲撃の時のお姉さんの嫌がり様はかなりの物だったから、一応探りは入れておこうと思ったんだよ。
そしてもっと、色々と計画を練って、万全の体制で円満に仲直りをさせようと思ってたんだけどな。
それなのにいきなりぶっつけ本番なんて……とほほ。
「あら、どうしたの皆? なんか微妙な顔してるけど?」
そりゃあ、微妙な顔になるさ。
もうその人物が誰か判ったと思うけど、想像通りのあの人。
面倒見の良い、誰とでも仲良くなるお姉さんをして、『ゲッ』とあからさまな拒否の声を上げさせ、過去『二度と姿を見せるな』と言わしめた女性。
刻乃坂学園高等部のOGにして体育教師。空手部顧問の
俺は鬼百合先生と心の中で呼んでいる。
何故かって? いや、もう目の前でその渾名の由来が実演されているんだ。
だから、俺を含めこの場に居る鬼百合先生を抜いた皆が微妙と言うか、これ以上無いくらいドン引きな顔をしているんだよ。
丁度、鬼百合先生は買って来た食材を冷蔵庫に入れる為、台所に立っているお姉さんに背を向けている状態だ。
と言う事は必然的に、鬼百合先生の顔は俺達の方を向いている事になる。
知らなかったよ。人間ってここまで幸せそうな顔って出来るもんなんだね。
さっきまでお姉さんへの想いを、これまたドン引きして聞いていた時も、かなりヤバ目な顔していたのに、お姉さんの声を聞いた途端、もうなんか外でこんな顔してる人を見たら確実に通報すると思わせるこの顔。
咄嗟に思わず携帯で110を入力しちゃったよ。
後は発信ボタン押すだけ。
「アレ? そこの人、何処かで会った事あったかな? なんか見た事が有る気がするわ。こんばんわ、いらっしゃい」
うん、会った事有るよ。お姉さん。
で、多分一番会いたくない人だと思う。
「こ、こんばんわ……」
うわっ、更にひどい顔になった!
嬉しすぎて声がむっちゃ上擦っているな。
「え? あれ? その声……え?」
お姉さんが何かに気付いたようで、信じられない事が起こったと言う顔をして俺を見た。
そして、俺のこの引き攣った表情から事情を察したみたい。
まぁ、御陵家襲撃の時に前振りみたいのが有った訳だからね。
お姉さんの顔には、俺が通ってる学校の先生だって言うんだから、いつかこんな日が来てもおかしくなかったと言う後悔の念が浮かんでいる。
「もしかして……あなた……」
お姉さんは、俺の顔と水流ちゃんの顔、そして鬼百合先生の後姿を順番に目を移す。
「ごめん、お姉さん……。仕方無かったんだ」
「大和田先輩がちゃんと説明しなかったのも悪かったと思いますよ」
水流ちゃんの尤もな言葉にお姉さんは一瞬言葉を失った。
そうだよね。ちゃんと説明してくれていたら、俺だってもっと警戒して慎重に鬼百合先生と接触して、俺の
「ぐっ。言わなかったあたしが悪いのはそうだけど……。しかしトネ! あんたには二度と私の前に姿を見せるなって言ったでしょう!」
「私は、ただ単に教え子の部屋に遊びに来ただけですよ?」
うわ~! 白々しい! 校門で待ち構えてた時の第一声が『今日も幸子様は牧野の家に来るのか?』だったじゃないか!
とは言え、それを今言ったらまたアレを握りつぶされそうになんで止めておこう。
なんか確実に新しいトラウマになっちゃったよ。
「ひ、卑怯な! コーくんの部屋に上がり込んで私を待つなんて!」
「幸子様が、今日牧野
相変わらず、お姉さんに背を向けて、俺達にかなりヤバイ愉悦顔を晒しながらそんな事を言う鬼百合先生。
「なっ、何を白々しい! 素直に謝るなら許してやっても良かったものを、可愛い息子のコーくんを利用するなんて……。もう許せない! やっぱりあんたなんか大嫌いだ!」
さすがにお姉さんは鬼百合先生の態度にキレてしまったみたいだ。
やはり俺をダシに近付いたと言うのは、悪手過ぎたのかも。
しかし、ただの怒りでのキレではなく、呆れの念が強く出ているように感じるのは気のせいか?
あと、息子じゃないからね?
「え? 幸子様? いま、なんて……?」
鬼百合先生が、お姉さんの言葉に見る見る顔を青ざめていっている。
まぁ、普通こうなるよね。大切な人を利用するなんて一番やっちゃ駄目な事だよね。
会う事に必死だったから気付かなかったのか、会うだけで良いからと刹那的な行動に出たのか。
だけど鬼百合先生は、それ以上に『素直に謝ったら許す』と言う言葉にショックを受けているみたいだ。
う~ん、まるで美都勢さんと学園長みたいだな。
あっちは負けず嫌いの意地っ張りの末だったけど、鬼百合先生の場合は、好きだからこそお姉さんの言葉を守り、会いたくとも会わない様にしていたんだ。
それなのに俺が刻乃坂学園に入学した所為で、お姉さんを再び学園へと引き込み、水流ちゃんとの再会や空手部の先輩達を巻き込んでの騒動にまでに発展してしまった。
今鬼百合先生が、俺の部屋に居るのは元を辿れば俺の所為と言えなくもない。
自分達の中で折り合いを付けていた事を、俺がまた壊してしまったんだ。
鬼百合先生は今にも泣きそうな顔になった。
それにしてもいまだにお姉さんの方を向かないのは何故なんだ?
もしかして、まだ律儀にお姉さんの言い付けを守っているのだろうか?
でもお姉さんって『姿を見せるな』だから後姿でもアウトな気がしないでもないが、そこは今この空気の中ツッコんじゃダメなんだろうな。
相手が芸人先輩なら、どの様な修羅場でさえ容赦無くツッコムんだけど。
「はぁ? お前はあたしの触れちゃいけない所に、触れちまったんだ。喋りかけるな! 早く出て行け!」
お姉さんは聞く耳持たぬと言う態度で、鬼百合先生の言葉を遮り、出て行くように怒鳴りつける。
ここに来て、鬼百合先生の顔に激しい後悔の念が浮かんだ。
その両目は絶望に染まり、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。
そして、急に立ち上がり何も言わずに、部屋から出て行く為に走り出そうとした。
俺は咄嗟にその逃げ行く鬼百合先生の手を掴んでしまった。
鬼百合先生はその行為に驚いたのか、立ち止まり俺の顔を見る。
その表情は『なんで?』と言う疑問を浮かべて目を丸くしていたが、すぐに泣き顔に戻り、俺の手を振り払いまた走り出そうとした。
ダメだ! このまま先生を帰してしまったら、もう二度とお姉さんと和解する事が出来なくなる!
折角薄らいでいた傷跡を、俺が抉ってしまったんだ。
俺が何とかしないと!
そう思った俺は先生の両足にしがみ付いた。
「なっ! 牧野! 何するんだ! 足を急に掴むと……。う、うわっ!」
ビターンッ!
急にしがみ付いた事に驚いた鬼百合先生はバランスを崩し盛大に顔面からコケてしまった。
「せ、先生ごめんなさい」
思っていたのと違う展開になってしまったが、取りあえず結果オーライ?
いや、先生怪我してないかな?
余程テンパっていたのか受身も忘れて綺麗に顔面からダイブだったし。
本当にごめんなさい。
「コーくん、何してるのよ」
俺の急な行動にお姉さんも驚いて声を上げた。
鬼百合先生は相変わらずべったりと床に張り付いたままピクリとも動かない。
打ち所が悪くて気絶しちゃったんだろうか?
俺は慌てて確認すると、『ヒック、ヒック』と泣き声が聞こえるので取りあえず気絶はしていないようだ。
痛くて泣いているんだろうか? 怪我させてしまったか?
「先生、何処か痛いですか? もしかして今ので何処か怪我を?」
ふるふる。
鬼百合先生は小さく頭を振った。
ホッ。怪我はしていないようだ。良かった。
ならなんで張り付いたまま動かないんだろう?
「……自分が情けなくて……。ヒックヒック。調子に乗って会おうと思わなかったら良かった……。素直に謝っていれば良かったよ~。うえぇ~ん」
鬼百合先生は、まるで子供の様に泣き出してしまった。
朝初めて会った時のサバサバした、あの体育教師の姿は何処にも居ない。
好きな人に振られて、その悲しみで泣きじゃくる可哀想な人がそこに居た。
また女性を泣かせてしまった……。
本当に俺は何人の女性を泣かせたら気が済むんだ?
このままじゃダメだ。
「お姉さん! 聞いて! 蛍池先生は俺が無理矢理部屋に呼んだんだよ」
「え? コーくん何を言って?」
「ま、牧野?」
俺の言葉に二人がびっくりした声を上げた。
「昔の事は知らないよ。お姉さんが蛍池先生の事をなんでそんなに嫌っているのか分からない。けど、蛍池先生はお姉さんの言葉をずっと守って会わない様にしていたんだよ。それを知ったから俺は今日この場を設けたんだ」
「それはどう言う事なの?」
「どうもこうも無いよ。さっきお姉さんが言っていたろ? 素直に謝ればって。そうなんだよ。蛍池先生はずっと反省してて謝る機会を探していたんだ。でもお姉さんの言葉で自分は会う事が出来ない。だから謝罪の意味を込めて空手部に口伝として、お姉さんが困っていたら何が有っても助けろって伝えていたんだよ。会えない自分の代わりにね」
これは俺の想像のハッタリだけど、多分嘘じゃない。
そうじゃないとあんな変な口伝を残す訳が無いじゃないか。
「ね? そうだよね? 蛍池先生?」
俺の言葉に、呆然とした顔をしているが、それは俺の言葉に対して訳が分からないと言うより、なんで知っている? と言う顔をしていた。
少し遅れて俺の言葉に同意するように頷く。
やっぱり口伝の意味はそうだったんだな。
じゃあ、俺のした事は間違っていない。
「だから、それを知った俺は、蛍池先生がお姉さんに謝る事が出来る機会を作ったんだよ。突然なのは、アレだよ。先に聞くと絶対お姉さん来ないじゃないか」
「そ、そりゃあそうだけど……」
「でしょ? ほら、先生。久し振りで恥ずかしかったからって逃げないで。ちゃんと謝って」
「う、うん」
鬼百合先生は、素直にそう答えて起き上がり土下座の格好を取った。
身体は少し震えている。
「幸子様。ごめんなさい。幸子様に会えない時間はとても苦しくて寂しくて悲しかったです。幸子様の大事な牧野を利用してしまいごめんなさい。どうしてももう一度幸子様と話したかったんです。でもこれで満足です。もう二度と幸子様の前には……」
「ダメ!」
俺は鬼百合先生が言おうとした言葉を遮った。
それを言ったらお仕舞いだ。
もう二度と元には戻れない。
悲しみしか残らない。そんなのはダメだ!
「ダメって……」
「そんなのはダメだよ! お姉さん、過去何が有ったのか何となくは察しは付いているけど、俺が先生に言って普通に接するようにさせるから」
「え? 、昔の事って、その子って急に『結婚して』とか『抱いて』とか言ってくるのよ」
「もうしないよ」
まぁ、それはなんとなくそうだったんだろうなと思っていた。
鬼百合先生はこの15年以上の間お姉さんへの気持ちを仕舞い込める事が出来ていたんだ。
普通に接する様にしたら、ずっと会えると言う事を言い聞かせたら聞いてくれるだろう。
「それに、バレンタインデーの時なんて、自分にリボン付けてプレゼントとか言ってくるのよ?」
うわぁ~、ベタだけど想像付くな。
まぁ、ちょっと行き過ぎている行為の様な気がしないでもないけど、一応純粋な思いをぶつけようと言えなくも無い。
「もういい大人だからしないでしょ」
鬼百合先生? なんで『え? ダメなの』みたいな顔をしないで下さい。
フォローしづらくなるじゃないですか。
「それに、婚姻届を勝手に出そうとしたり、光にぃを暗殺しに行こうとしたのよ?」
犯罪じゃないか!! 婚姻届もギルティーすぎるけど、親父暗殺って時期的に俺生まれて来なかったかもしれないじゃん!
庇って良いのか? この危険人物!
とは言え、一度乗りかかった船! 最後まで面倒見ないとな。
「勿論もうさせない。ね? 先生? ほら、謝って」
「う、うん。幸子様! もう過去の様な事はいたしません。お願いです、二度と姿を見せるなと言う悲しい事は言わないで下さい。どうかお願いします」
鬼百合先生は俺の促した言葉に頷くと、もう一度土下座をしながらお姉さんに謝った。
お姉さんは、最初は複雑そうな顔をしていたが、やがて悩む様な顔と言うか、断腸の思いを更に倍増させたような顔をした。
暫く経つと、何処か落とし所をつけたのか、仕方無いとのため息を付いて頭を搔きだした。
「はぁ~。仕方無い。今日の所はコーくんの顔に免じて許してあげるわ。でも今度また前の様な事したら今度こそ絶交だからね」
「本当ですか? 幸子様!」
鬼百合先生はお姉さんの許しの言葉にとても嬉しそうに飛び起きた。
そして、そのまま……。
「ちょっと! 言った側からくっつくな! 絶交って言っただろ!」
と言うように、飛び掛るようにお姉さんに抱き付いた。
お姉さんも突然の事に不意を付かれた様で、避ける事が出来なかったみたいだ。
「幸子様はさっき抱き付く事は言っていなかったじゃないですか。あぁ~、懐かしい幸子様の感触。素晴らしい~」
「な! それは言葉の綾でしょう! 離れなさいって」
まぁ、これ位は大目に見ようかな。
だって、やっとお姉さんと和解する事が出来たんだ。
今だけはその喜びを味あわせてあげようか。
「牧野!」
急に蛍池先生が俺の方を振り向きそんな事を言ってきた。
相変わらず抱きついたままだけど。
「なんです? 先生」
「ありがとうな。幸子様が居なければ惚れる所だ」
「はははは、なんですかそれ」
「ちょっと、コーくん。笑ってないで助けてよ。思った以上に力強くなってんのよこの子」
「久し振りなんですからもう少し我慢してあげてよ」
「ちょっと、コーくん。酷い」
「しかし、初めて客観的に見ましたが、これが牧野さんの全自動攻略機の力なんですね」
俺達のやり取りを見ていた黄檗さんが関心した様に呟いた。
「そうなのよ~。この前なんか独身同盟のみんなを片っ端から無双してたのよ~」
「え? それは聞き捨てならないわ。深草先生その話を詳しく」
黄檗さんの言葉に、涼子さんがこれまたとんでもない言葉を言い出し、それに水流ちゃんが乗っかってきた。
「ちょ、ちょっと。涼子さん何出鱈目言ってるんですか!」
「それ、あたしも詳しくは知らないわ。深草センセー聞かせて頂戴」
「教え子のふしだらな行為については、教師しては把握しておかないとな」
いつの間にか抱き付を止めて二人まで参戦してきた。
「ちょっと!! 何勝手な事を言っているんだよ! 止めてって!!」
俺の悲痛な叫びは皆の耳には届かず勝手に、俺の不名誉な話に盛り上がる皆。
お姉さん、晩飯の事忘れてるな? くそ~仕方が無い。俺が作るか。
取りあえず、お姉さんが買って来た具材は何なのかを確かめに台所に向かった俺の後ろでは、五人の楽しそうな声が聞こえてくる。
「先生も楽しそうだし、まっいっか」
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