第15話 過去最大のピンチ


「おい、牧野。何をボーっとしている。私は怪我が大丈夫なのかと聞いている」


 俺が、心の中で盛大なツッコミを入れていると蛍池先生が、俺からの返事が無いのに痺れを切らしたのか少し苛立っている感じで聞いて来た。

 いや、良く考えたら名前が同姓なだけで、この人がお姉さんの嫌がっていると言う『蛍池』先生では無い可能性も有るよな。

 

「えぇ、怪我ならもう大丈夫です。今日から授業に出ますよ」


「そうなのか? けど、無理はするなよ。お前の事に関しては学園長のみならず理事長や元理事長も怪我をさせるなと口酸っぱく言われていてな。全くあの人達には困ったものだ」


 蛍池先生は腕を組んで、渋い顔をしながら愚痴を零した。

 う~ん、みんな過保護だなぁ。

 あまり特別扱いされると、皆からえこ贔屓って言われるから困るよね……。

 過去にそれで嫌な目にも会ったんだ。

 気持ちは嬉しいんだけど、今度やんわり注意しておかないとダメかな。


「どれ、私が怪我の具合を見てやろうか。なに、整体師の資格も持っていてな。安心してくれ」


 なんかサバサバした喋りだけど感じの良い人だ。

 やっぱりお姉さんが嫌っている『蛍池』先生とは別人なのかな?

 あそこまで嫌がられるような人には見えないしね。


「おや? う~ん、これは……むむむ」


 俺の傷跡を見てくれている蛍池先生だが、すぐに何やら首を捻って唸り出した。


「どうしたんですか? 先生?」


「いや、話では先週まで怪我で入院していたんだよな?」


「えぇ、そうですが……」


「ふむ、どう見てもそんな大怪我をしていたようには見えないんだよ。薄っすら傷跡が残ってるが数年前の古傷と言われても納得しそうになるな」


 あぁ、やっぱりそう見えますか。

 俺も昨日までの痛みは遠い過去のような気がしてくるくらい、傷の違和感まで消えちゃったんですよ、あはははは。

 

 ペタペタペタ


 先生は熱心に傷跡を見てくれている。

 いや見てくれているのはいいけど、先生と言えども女性なのでちょっと恥ずかしくなってきた。

 それに生足を女性にぺたぺた触られるのは、なんかエッチな感じがするしね。


「先生さっき、俺の担任の野江先生追っかけてませんでした?」


 変な気分になりそうになったので、ちょっと気を紛らわす為に別の話を振ってみた。

 水流ちゃんのうっかり話を聞いたら落ち着くかも。


 ははは、水流ちゃんの失敗談を思い出したら少し笑いがこみ上げて来たよ……?


 あっ、しまった! なんかこの場に来てオッパイ押し当てられた事や裸をガン見した事を思い出しちゃった!

 静まれ! 俺! 何想像しているんだ! ?

 

「あぁ、それは恥ずかしい所を見られたな。いや、何。あいつが抜け駆けをしたって噂を聞いてな。確かめに行ったら偶然一緒に歩いてる所を見ちまってね。それで……」


「誰と歩いてる所を見たんです? って、どうしました急に止まって?」


 話の途中で蛍池先生の動きが止まってしまった。

 それより、水流ちゃんが誰と歩いていたんだ?


 もしかして彼氏?

 え? 水流ちゃん彼氏出来たのか?


 抜け駆けって、もしかして、この人も独身で結婚を先越されそうになったから怒ったのかな?

 そうかぁ~、水流ちゃん彼氏出来たのか~。

 いつの間にだろう?

 この前まで居ないって愚痴っていたのに。

 祝福してあげるべきなんだけど、ちょっと寂しいかな。


 すんすんすん


 んん? なんか変な音が聞こえるぞ。

 慌てて音のする方に顔を向けると、蛍池先生が先程より顔を俺の足に近付けていた。

 いや近付けると言うか今にも鼻が当たりそうなんだけど?

 どうも、先程の『すんすん』って言うのは蛍池先生が俺のズボンの匂いを嗅いでいる音の様だ。

 え? なんか臭かったのか? いや、そんな筈は……。

 まだ柔軟しかしていないから、それほど汗かいてないし、そもそも体操服は今日が初着用な訳だし、一昨日お姉さんが洗濯して畳んでくれたんだから、洗剤の良い匂いがすれど、臭いって事は……。

 もしかして体臭なのか!? ちゃんと朝風呂入ったんだけど。


 しかし、匂われているショックも、かなり心に来るモノが有るのは確かなんだけど、それ以上に周囲から見たら、かなり異様な光景に見られてしまうんじゃないだろうか?

 現に、コーイチは『何も俺は見ていない』と言う顔をして、そそくさと距離を取り出したし、他のクラスメートもあからさまに別の方向に顔を向けて俺と目を合わせ様としない。


 なぜかと言うと、蛍池先生は俺の正面側にしゃがみ込んで傷を見てくれていたので、その位置から顔を近付けると言う事は、見る角度からしたらモロににしか見えない。


「ちょっと、先生。何をしてるんですか?」


『幸子様の匂いがする』ボソッ


 俺が離れてもらおうと声を掛けた際に、蛍池先生はポツリと何かを呟いた。


 え? 今小さい声で『幸子様』って言った……?

 『幸子様』って、お姉さんの事か?

 俺の耳にはそう聞こえたが、気の所為だよな?

 

『あぁ、幸子様ぁ~』


 いや聞き間違いじゃ無さそうだ。

 さっきよりもっと顔を近付けて、ほぼ鼻が当たって匂いを嗅がれている!

 確定な気もするが一応最終確認をしておこうか。

 

「蛍池先生って、もしかして空手部顧問だったりします?」


「あぁ幸子様ぁ……、ん? あぁそうだが? なんだ、お前。空手部に興味が有るのか?」


 やっぱり、この人があの蛍池先生で間違い無さそうだな。

 急に真面目に受け答えしても様になってないから。


「いえ、俺生徒会に入っていますし」


「あぁ、そう言えばそうだったな。それより気になる事があるのだが、……何故お前の体操服から幸子様の匂いがするのだ?」


 いたたっ! なんか最後の方凄く睨んでドスの効いた声を出しながら、太ももを力いっぱい掴まれた!

 何この人? さっきまでの気の良い体育教師は何処行ったの?


「おい! 早く言え! 何故お前から幸子様の匂いがするのかと聞いている!」


 とんでもない事を人目も憚らず大声で叫んじゃったよこの人!

 あぁクラスメート達が運動場の向こう側まで退避している!

 助けて! 皆置いていかないで!


「何でって言われましても、体操服を洗濯したのがお姉さん……。大和田幸子さんだからですよ」


「なにぃ? 何故幸子様がお前の体操服を洗濯するのだ!」


「ぎゃぁぁぁっーーー! 先生! 太ももから手を放してーーーー!」


 なんか両手で雑巾を絞るかの如く俺の太ももを締め上げてきた。


 何でこの人はこんなに怒ってるの?

 昔この人とお姉さんの間に何が有ったんだよ。

 てっきり、お姉さんがあそこまで嫌がってたもんだから、相手は男性でしつこく交際を迫られたからと思ってたんだけど。

 この人は女性だし……。


「お前もしかして幸子様と付き合っているのか? この私を差し置いて!」


「えぇぇーーーー!!」


 あれ? あれれ? この人今『私を差し置いて』とか言っちゃったぞ?

 どう言う事?

 あっ、もしかして『付き合う』じゃなくて『突き合う』って意味なのか?

 この人、空手家みたいだし。


「も、もももしかして、同棲しているのか! 幸子様の純潔奪っちゃったのか! で! 《コイツ》》で!」


「ぎゃぁぁぁ! 変なとこ掴まないで! 千切れちゃう! 違いますって! 大和田さんは俺の保護者なんですよ!」


「なっ! 息子なのか? いや、馬鹿な! 嘘を付け! 幸子様に息子など居ない!! それに幸子様が結婚したなど聞いた事無いぞ! 隠し子だとでも言うのか!」


「違いますって! 取り敢えず手を放してェェ! 大和田さんは俺の両親が不在の間、面倒を見てくれる事になってるんですよ!」


「なぁ~んだ。そう言う事か。すまんすまん」


 ほっ、やっと手を放してくれたか。

 千切れるかと思ったよ。……女性に初めて触られたのがって、新たなるトラウマになりそう……。


「で、なんでそんな事になってるんだ? ハッ! 牧野と言う名前……? も、もしかしてお前幸子様に想われていながら振ったって言う伝説の生徒会長とか言われて調子乗ってる奴の息子なんだな!」


 ぎゅぅぅぅ!


「ぎゃぁぁ! だから一々を掴まないでーー!」


「あの身の程知らずの罰当たり野郎め! 振った後まで息子なんぞ預けて迷惑掛けやがるとは許せん!」


 この人一体何なの?

 なんか親父にまで敵意を向けてるけど!

 この人が言ってる事を総合すると考えたくないけどアレだよね?

 まぁ愛の形は色々有ると言うけど、いい迷惑だよ!

 取り敢えず放してもらわないとマジで千切れちゃうから何とかしないとっ!

 何気に過去最大のピンチだよ!

 憎いからと言って、に当たらないでぇぇーー!!


「先生! 俺は大和田さんに溺愛されてるんですよ! その俺にそんな危害を加えると殺されちゃいますよ!」


 俺の怪我をさせた紅葉さんを一歩間違ったら殺す事さえ辞さなかったんだ。

 アソコなんか千切れた日にゃ100%殺しに行くよね。

 今度は俺も止めないし。


「ハッ! なるほど! そうすれば、また私と会ってくれるのか! 幸子様の手で殺されるなら本望だ!」


 げぇぇぇーー! この人酷く歪んでるーーー!

 お姉さんがあそこまで嫌がってた理由が分かったよ!

 このままじゃマジでモガれちゃう!


「先生! 取引しましょう!」


「ん? 何をだ? 私は簡単に買収されるような女じゃないぞ?」


 何言ってんだコイツ? 馬鹿なのか?

 いてててっ! いや今は一刻を争う。

 文句は置いておこう。


「先生は、大和田……、お姉さんの事が大好きなんでしょう?」


「なななな、何言ってるんだ! 私は女だし、そ、そんな〜、いや恥ずかしい〜」


 分かりやすいって言うか、この人馬鹿だよね。

 って言うか、その手を放せ。


「それなのにお姉さんと会えない事情が有るんですね?」


「うっ……。うん、昔『二度と私の前に姿を見せるな!』って、言われて……、それからずっと会えなくて……」


 なんか急にしおらしくなったぞ?

 なんだよその捨てられた子犬みたいな顔に『うん』って。

 あと、早くその手を放せって。


「俺が仲を取り持ってあげましょうか?」


「本当?」


 なんだよ、そのお日様の様な無垢な笑顔は。

 さっきまでのサバサバした体育教師は何処に行ったんだよ。


「えぇ、だから手を放して下さい。俺が何とかしますから」


「分かった!」


 そう言って蛍池先生は手を放してくれた。

 助かった……、何とか一命を取りとめたよ

 しかし、何が『簡単に買収されない』だ、無茶苦茶チョロいじゃないか。


「お、お願いだぞ?」


 蛍池先生は、俺にモジモジしながら、顔を真っ赤にして俺にお願いしてきた。


「分かってますって、任せて下さい」


「有難う〜」


 俺がそう言うと、また嬉しそうに微笑んだ。

 この人、お姉さんの事が好きなのに、いや好きだからこそ、『二度と姿を見せるな』と言う言い付けを、今までずっと守って来たのか。

 う〜ん、色々と……、本当に色々と言いたい事は山の様に有るけども、ある意味この人はお姉さんに一途なんだな。


「牧野……、その……さっきはすまんな」


「何をです?」


 蛍池先生は最初の口調に戻り、なんか謝って来た。

 今更『何を』も無いけど、あとその口調も。


「いや、お前の、その……を握ってしまって」


「あぁ……。大変デリケートな所ですから気を付けて下さいね」


「ははは、すまんすまん。まぁ、私はもう触る機会も有るまい。勿論幸子様に生えてると言う事なら、話は別だがな」


 いやいや、お姉さんには生えてませんよ?

 って言っても、お姉さんと一緒にお風呂に入ってたのって凄く昔だから、最近は知らないけど。


 う〜ん、この人は、アレだな。

 所謂一つの百合と言うやつだよな?

 いや、そんな生易しいものじゃないか。

 百合……、鬼……。

 そうだ、これから俺の中では『鬼百合先生』と呼ぼう。



「あぁ、そうだ牧野」


「何ですか? 先生?」


「いや、アレに初めて触ったが、思ったより……その、ちょっと小さくて柔らかい物なんだな」


「失敬なっ! 時が来れば大きくもなるし、むっちゃ固くもなるわ!!」


 あまりの理不尽な鬼百合先生の言葉に、俺の魂の反論の声は、春の心地良い青空の下、校庭中に響き渡るのであった。


 しかし、この学校の教師って、変な奴しか居ないのだろうか……?

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