第12話 心の奥から
「なっ……、どうなってやがるんだ? これ本当にあの沙織か?」
俺の現在の惨状を見て、咲さんが頬に冷や汗を垂らし、戦慄の表情を浮かべながらそう言った。
まぁ、その感想が出るのは無理も無いね。
今、俺は突然やって来た黄檗さんの『お姉ちゃん尽くし』によって、息も絶え絶えとなり放心状態だった。
『お姉ちゃん来たよーーーー!!』の言葉と共に手に持っていた荷物を投げ捨てて俺に抱き付いて来たんだ。
その後は、まるで『我はお姉ちゃん。抵抗は無意味だ』と言わんばかりに、実際俺の抵抗は空しく成すがまま、黄檗さんのスリスリナデナデギューと言う豪華三本立てメニューの嵐に半ば諦めの境地に至っていた。
さすがにペロペロやチューに関しては、前回での失態による恥ずかしさによる物なのか、今回の『お姉ちゃん尽くし』のプログラムには組み込まれていないようだ。
……ちょっと残念。
しかし、この暴走状態って、やっぱりあの言葉が原因だよね。
電話で涼子さんがポロっと言った『会えなくて辛くて寂しい』ってのは、黄檗さんに取ったらかなり深い心の傷の筈だ。
聞いた所によると、黄檗さんは死に別れた弟さんが、臨終の際に黄檗さんに『会いたい』と言っていたのに、間に合う事が出来なかった事をずっと悔やんでいるらしい。
以前、俺の何気無い言葉に反応して抱き付いて来た事が有ったけど、あれも弟さんの命日が近かった所為で情緒が不安定だったからだろうと、涼子さんが言っていた。
そんな黄檗さんに『会えなくて辛くて寂しい』とか言っちゃったら、そりゃ必死にもなるよ。
それに最近、俺に弟さんを重ねている所が有るらしいし。
本当に涼子さんってデリカシーが無いと言うかなんと言うか、本能で喋る所が有るから困ったものだな。
それが良い方に行く事も有るけど、今回はちょっと拙い。
まぁ、何故だかだんだんと心の奥がポカポカして、とても幸せな気分になって来たし、暫くこのままで良いかな?
あ~なんか懐かしいな……。
ん? また、おかしな言葉が浮かんできた。
黄檗さんのナデナデギューなんて、先週火曜日が初めてじゃないか。
まだ六日しか経ってないのに、なに懐かしがっているんだ俺? まぁ良いか。
と、少し正気に戻ったんで周りを見渡すと、少々……いや、かなり引き気味で皆が異様な物を見る目で俺達の事を見ているのに気付き、ちょっと恥ずかしくなって来た。
涼子さんは既に病室で同じ様な行動を目撃していたが、咲さんに関しては、その痴態の目撃は初めてだった様で、その驚き様は凄まじく、顔を歪ませながら大きく口を開けている。
まぁ、俺やお姉さんなんかより付き合いが長いので、黄檗さんはクールで毒舌なデキるビジネスウーマン! と言うイメージが強かったんだろう。
確かに俺もそう思っていた。……たまにダメな大人な部分が露出する事は有ったけど。
「ちょっと、黄檗さん! 皆引いていますって、離れて下さいよ」
俺の声が聞こえていないのか一向に離れようとはしない。
これは病院の時と一緒だな。けど噛みつかれないだけマシだわ。
う~ん、どうしたものか? ここで下手に『お姉ちゃん』と言うと、また暴走しそうだし……。
「……こーちゃん……」
ふと、耳元で小さく黄檗さんが俺の名前……、いや弟さんの名前か。確か『康一』さんだっけ? その名前を呟いたのが聞こえた。
ナデナデやスリスリで良く分からなかったんだけど、よくよく耳を澄ますと、時折名前だけじゃなく何か言葉を呟いてる様だ。
何を言っているんだろうか?
その言葉に耳を傾けると……。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……」
!!
黄檗さん、泣いている?
顔は俺の位置から見えないし、皆にも背を向けているので誰も気付いていない様だけど、小さく聞こえる謝罪の言葉は、確かに泣いている様に弱々しく震えていた。
その言葉を聞いた途端、俺の身体の奥がカッーっと熱くなってくるのを感じ、それと共に何か、心の奥から……。
「おねえちゃん。ぼくはだいじょうぶだから、もうなかないで」
え? 何言ってるんだ俺? ぼくって? それに何が大丈夫なんだ?
俺の口から出たまるで幼児の様な言葉に辺りに静寂が訪れた。
目の前では三人が、先程まで以上に、まるで地平線の彼方に全力ダッシュで離れて行ったような感じのドン引き顔で俺を見ている。
黄檗さんも『お姉ちゃん尽くし』を止めて固まったまま何も喋らない。
そうだよね。今の言葉はダメだよね? でも涼子さん? 先日俺に似たような事言わせたよね? そこまで引かなくても……
いや、それにしても今のは拙いな。何を考えているんだ俺! でも今の言葉は口から勝手に……。
ガバッ!!
俺の言葉と共に固まっていた黄檗さんが、急に俺から離れ真剣な顔で俺の顔をまじまじと見詰めてきた。
やはり泣いていたのだろう、その目は少し赤く目元にはうっすらと涙が浮かんでいる。
その様子に一瞬怒ったのかと思ってビビったけど、どうもそんな感じじゃないようだ。
「あっ、あの……どうしました?」
あまりに黙ったまま見詰められるので、訳も分からず理由を聞くと、真剣だった表情がだんだんと優しい笑みを帯びる様になっていく。
その変化に驚いていると、そのままゆっくりと俺にまた近付いて来て、先程までの『お姉ちゃん尽くし』の力任せのハグでは無く、その笑顔と同様に優しく包み込む様に抱き締めて来た。
「え? な、な? 黄檗さん」
急な優しいハグの意味が分からない俺は、ただ言葉にならない声と共に黄檗さんの名前を呼ぶ事しか出来ない。
俺の動揺とは別に、心の奥にはとても安らかで幸せな気持ちが溢れて来たのを感じた。
「……ありがとう。こーちゃん……」
俺は相反する自分の脳と心の違いに困惑していると、黄檗さんは抱き締めたまま俺の耳元でそう呟く。
その声は先程の様に泣き声では無く、暖かくそして慈愛に満ちている様に思えた。
俺はその言葉を脳と心で受け止め、相反していた二つが一つに重なってくのを感じて……そして、俺の口から……。
「おねえちゃ」ぐぅぅぅぅぅぅぅ~。
俺の口からまた『おねえちゃん』と言う言葉が出そうになった途端、突然俺のお腹が空腹に耐えかねて大音量を部屋中に響かせた。
うおっ! なんかとってもいい雰囲気だったのに一気に現実に戻って来た!!
そう言えば、俺結局今晩まだジュースと銀紙に包まれた四角い奴しか食べてなかったよ。
思い出したら一気にお腹空いて来た。
「プッ! ププクッ。プハッ! アハハハハ!」
俺の大きな腹の音がツボに入ったのか、抱き付いたままの黄檗さんが笑い出した。
それに釣られて皆も笑い出す。
俺も恥ずかしさを吹き飛ばす為に一緒に笑った。
一頻り笑った後、黄檗さんが手を緩めて身体を離し、先程と同様に俺を見詰めて来る。
けど、今度は真剣な顔じゃない、俺を抱き締めた時と同じく、とても優しい笑顔だ。
「ふふふ、牧野さん。そんなにお腹が空いているのですか?」
「え? あっ、あははは。そうなんですよ」
黄檗さんから出た言葉は、いつも通りの口調に戻っていたけど、いつも以上に優しく感じた。
「仕方有りませんね。以前牧野さんとした約束を果たす時が来たようです」
そう言って黄檗さんは立ち上がり、俺に飛びつく前に投げ捨てたビニール袋の方へ歩いて行く。
「え? 何ですか? 約束って?」
約束? え~と、何かしたっけ? あっ、ああアレか!
「ふふっ、思い出しましたか? お腹が空いてる牧野くんの為に、私が今から得意料理をご馳走しますね。ここへ来る前にもしかしてこんな事も有るんじゃないかなと思って買っておいたんです」
やっぱり! あの時は来週にって言ってくれていたのに、その時俺は入院しちゃっていたしね。
覚えていてくれたんだ。
「ありがとうございます。お腹ペコペコだったんですよ! この人達って俺の分まで晩飯を全部食べちゃって……。 あっ、そう言えば俺がご馳走するって言っていた味噌煮込み。黄檗さんの分だけ残しているんです。冷凍で済みませんけど、後でご馳走しますよ」
「あらまぁ、先生達ダメじゃないですか。それと味噌煮込み、とても楽しみです。後で一緒に頂きましょう。 あの、それで、すみませんが牧野さんの部屋のキッチンを使わせて頂いてよろしいでしょうか?」
「ええ良いですよ。じゃあ今から移動しましょうか?」
「いえ、30分ほど掛かりますので、出来たら呼びますから、それまでここで寛いでいて下さい」
と言って、黄檗さんは俺から鍵を預かると部屋を出て行った。
う~ん、部屋に何か恥ずかしい物を出しっぱなしにしていなかったかな?
多分大丈夫の筈だけど……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さっきの沙織にはたまげたな。あんなの初めて見たぜ。いつもは言葉が武器にでもなっているのか? と思う程バッサバッサと切り捨て御免な奴なのによ」
「あたしはこの前も見ましたけど、何度見てもびっくりですよ~。まぁ、でもそれ以上にびっくりしたのは、牧野くんの言葉ですね~。ちょっと引いちゃいましたね~」
「確かになぁ~、確実にトラウマを抉るようなあの言葉はさすがだよな」
二人して俺のさっきの『もうなかないで』の言葉を
た、確かに、『さすが』と言う咲さんの言葉は釈然としないものが有るけど、下手したら殴られてもおかしくなかった言葉だ。
その後、正気に戻ったけど、あれは俺に愛想を尽かしたって事じゃないよね?
普通に優しかった……よね?
「え? い、いやまぁ、それはそうですけど、勝手に口から出たと言うか、なんと言うか……。って先日涼子さんも似たような事を言わせたじゃないですか!」
「えへへ~、そうだっけ~?」
そうだよ! さっきの電話も酷いよね。まぁ、アレはほぼ同じ事を言ったけどさ?
……と、言い訳したけども、やっぱり黄檗さんを傷付けたと思うんで後で謝ろう。
「それにしても黄檗さんの手料理って、本当久し振りだわ~。凄く上手なのよ~。それにとっても美味しいの。それなのに凄くヘルシーなのよ~。でもなかなか作ってくれないのよね~」
「何言ってるんですか!! 涼子さんは既に食べたじゃないですか!! 黄檗さんの料理は俺の物ですよ!」
「そんなぁ~。少しだけだからね? ね?」
っとにこの人は……。
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