第115話 胸を張りなさい

 

「「「「牧野くん!!」」」」「こーちゃん!」「いっちゃん!」「マーくん!」「光一!」


 放課後の時刻になり、皆が息を切らせながら各々の呼び方で俺の名前を呼びながら部屋に飛び込んで来た。

 いつもの生徒会メンバーにドキ先輩に萱島先パイ、それに学園長までいる。

 うっかり水流ちゃんと芸人コンビは居ないようだ。何か用事かな?

 しかし、この団体で病院の中を駆け抜けてきたのか……。

 後ろから相変わらず看護婦さんの怒鳴り声がしているし、俺この病院から追い出されたりしないだろうか?


「何ですかはしたない! あなた達は女の子なんですからもっとお淑やかにしなさい」


 美都勢さんも人の事言えない位の勢いでしたよね?

 とても高齢とは思えない程の音を立てて入って来ましたよ?

 それに一人男の子ウニ先輩が居るのをカウントして上げて下さい。


「あっ、曾御婆様! もう来てらっしゃったんですか? ズルい!」


「本当ですよ! 私達だって早く牧野くんに会いたかったのに」


「フフフ! そりゃ隠居した身ですからね。フットワークは軽いわよ? 美呼都や美都乃も一緒に来たがってましたが、仕事が有る身は辛いわね」


 不満そうに文句を言っているギャプ娘先輩と乙女先輩に、美都勢さんは勝ち誇った顔でそう返した。


「それですよ、それ! 御婆様酷いですよ! 本来あの仕事って御婆様の担当していた仕事でしたのに、牧野くんの意識が回復したって伝えた途端、やり掛け状態で急に私達に回すんですもの。私が先に連絡を受けたのに全くもう! 御母様も恨み言を言っていましたよ!」


「あら? それらの仕事は、いつかはあなた達が引き継がないといけない事ですよ。その予行練習として丁度いいでしょう?」


「むむむ、それを言われるとぉ」


 ギャプ娘先輩と乙女先輩に学園長、そして美都勢さんが、和気藹々わきあいあい仲良く喧嘩している。

 理事長はまだ仕事のようだ。

 しかし、美都勢さん自分の仕事を押し付けて来てくれたのか。

 それは良いのか悪いのか反応に困るなぁ。


 ギャプ娘先輩にしても、乙女先輩にしても、それに美都勢さんにしても、数日前までの聞き及んでいた家族関係では、こんなほのぼのとした口喧嘩なんて有り得ない光景だろう。学園長はこんな感じだったかもしれないけど……。


 でも誰も驚かない。これからこれが俺達の当たり前になっていくんだ。


「ほらほら、先輩達! コーくんが待ってますよ」


「そやそや、そんな事しとらんと、さっさとアレ渡しましょ」


「「そ、そんな事って……」」


「あっはははは。鉄面皮と恐れられた生徒会長と冷酷魔人と恐れられた庶務の二人が、新入生に諭されるなんて、情けないじゃないか~」


「「そっ、そのあだ名で呼ぶのは止めて!!」」


 御陵家のやり取りにツッコミを入れた宮之阪と八幡の二人に、返す言葉も無く言葉を失ったギャプ娘先輩と乙女先輩を見て、桃やん先輩が笑い出す。

 いつも笑顔を絶やさない桃やん先輩だが、この笑顔はいつもと違う。

 場を和ます為の手段としてではなく、心からおかしいと言った風に屈託の無い笑顔だった。


 って、乙女先輩、そんなあだ名で呼ばれていたんですか? 冷酷魔人って何ですか?


 いや、とてもしっくりきますし、実際に乙女先輩を見ただけで悲鳴上げている人も何人もいましたしね。


「おやおや、言われてしまいました。今年の一年生は度胸が有って将来有望ですね。あなた達、これからもこの学園の事をお願いね」


「「はっ、はい!!」」


 二人の御陵家面々に対して物怖じしないその態度に、美都勢さんが感心して二人を褒める。

 思ってもみない相手からの言葉に、さすがに驚いた二人だが、託された想いをすぐさま汲み取り、元気良く返事をした。

 美都勢さんは二人を満足そうに見て頷いている。

 この様子だと、俺が倒れている間に御陵家での出来事は有る程度伝わっているようだ。

 居残り組の面々も誰一人、美都勢さんに対して敵意を向けている人は居なかった。


 あっ、一人居た。


 萱島先パイだけはこの和やかな雰囲気の中、一人少し後ろに控えてずっと美都勢さんと紅葉さんの方をジト目で見ている。

 そうか、データが戻って来ている事をまだ知らないから、日曜日からずっと恨んでいるままなのか。

 一瞬今すぐ教えてあげようかと思ったけど、他のメンバーには見られてはいけない写真とか有るし、後でこっそり返すためにこの場では黙っておこう。


 そんな事を考えていると、皆が俺の側に集まって来た。

 ギャプ娘先輩を中心に皆が手を沿えた形で、俺に豪華な装丁された本を差し出しながら、皆は満面の笑みを俺に向けている。


 これが俺達の集大成。


 いや、実際思い描いていた物とはかなり違うのだけど、それはそれ。

 千歳さんが最高の形にしてくれたと解釈しておこう。


 緑の布地に金字印刷がされたその本は、日曜日の時よりかなり分厚いが表紙に綴られた『138代 生徒会会報 第一号』の通り、この一週間俺達が完成を目指した生徒会会報だ。

 本当に間に合ったんだ。これが生徒達に配られたのか。


 俺はこの一週間の苦労が報われた事を実感した。


「牧野くん、本当にありがとう。あなたのお陰で無事に会報が完成したわ。それだけじゃない、我が家の事も全部纏めて救ってくれた事。本当に感謝しています」


 ギャプ娘先輩が涙を浮かべて俺に感謝の言葉を述べて頭を下げてきた。

 他の皆も同じく頭を下げる。


「いえ、そんな。俺のお陰じゃないですよ。皆で頑張ったお陰です」


 俺は感謝の言葉を笑顔で受けて……、けれど心の奥ではその言葉と想いに押しつぶされそうになっていた。


『この言葉は受け止められない。その資格が無い』


 先程俺の中に染み出てきた黒い闇が、俺の頭の中でそう囁く。

 その言葉は、次第に強さを増して行き、頭の中に響き渡たって行った。

 ギャプ娘先輩の『感謝しています』と言う言葉にズキンと胸が痛む。


 傍から見ればそうなんだろう。俺がキーマンとなって動いた。

 それは間違い無い。

 会報自体にしても日数遅れを無視すれば、紅葉さんがデータを保管してくれていたので、ドキ先輩の機転や千歳さんのコネが無くとも、説得さえ出来た時点でどのような形であれ最終的には完成したと思う。


 ギャプ娘先輩の心の壁や、乙女先輩の罪悪感、学園長の25年に渡る葛藤、それに美都勢さんの囚われた心、それだけじゃない御陵家全体の確執も解消されて、今後御陵家だけじゃなく学園全体も良い方向に向かうんだろう。


 先程学園長が言っていた、美都勢さんがこの歳まで自身でやり続けていた仕事を、俺が目覚めた事にかこつけて急に学園長や理事長に譲ったのも、これからの先の学園の運営を考えての事だと思う。


 それを成し遂げる事となった数々の俺の行動。

 本当に傍から見ると素晴らしい功績だと思う。

 今受けている称賛は大袈裟でも何でも無いだろう。


 けど……。


 いつから幸一さんの思惑が働いていたのかと言う、答えの無い自問自答を繰り返し、俺は固まってしまった。

 皆の俺に対して感謝の気持ちを浮かべている目が怖い。


 ここから逃げ出したい。

 そんな思いが俺の心を支配した。


 皆の笑顔の強い光に照らされて、俺の心に影の様に落とされた黒い疑念は、その色を濃くしていくばかりだった。

 先程誓った『二度と忘れない』その言葉が別の側面から俺の心を大きく抉る。

 お姉さんの言葉で、一度は前を向く事を決意した俺だけど、実際に皆からの純真な感謝の想いに直接晒されると、溢れ出る罪悪感にそんな誓いは簡単に崩壊し、そのまま俺の居場所まで無くなってしまうかの錯覚に囚われる。


 俺はこの場所に居て本当にいいのだろうか?


 ここに来て、俺の態度がおかしい事に気付いた皆が、心配そうな顔で俺を見て来た。


 怖い! そんな目で見ないで! 俺は、俺は……。



 ポカッ!


「イテッ!」


 俺が黒い疑念に囚われ、激しい罪悪感の海に溺れ、この場から逃げ出したい衝動に苛まれる中、誰かに頭をチョップされた。

 突然の事に皆も驚いている。

 チョップは結構な痛みを伴いながらも、その奥に温かく大きな愛情が込められているのが分かった。

 その瞬間、心の中の闇に光が差し込み、やがて隅々まで満たされていく。

 俺は、チョップした愛情をくれた人に向けて文句を言う。


 そう、その人は……。


「お姉さん、痛いよ!」


 急にチョップして来たお姉さんに、皆は戸惑っているだろう。

 それは当たり前だよね。

 今の流れで俺にチョップする意味なんて分からないもん。

 けど、俺には分かっている。


 本当にお姉さんは何でもお見通しだな。


「さっきも言ったでしょ! コーくんは考え過ぎなの。誰の思惑なんて関係無い。実際に動いてそれを成し遂げたのは、他の誰でも無いコーくんの力よ。それは確かなの。ちゃんと胸を張りなさい」


 お姉さんは優しくそう言ってくれた。その言葉が俺の心に染み渡る。


 『誰の思惑なんて関係無い』か……。

 それに『実際に動いた』のは俺。

 そう思っても本当に良いの?


 俺が目で訴えたのを分かったお姉さんは、コクリと頷いてくれた。


 なでなで。


「え? 誰?」


 お姉さんの方に顔を向けていると、背後から誰かが優しく頭を撫でてきた。

 それは俺にも想定外だったので、慌ててそちらの方に振り向くと、美都勢さんがお姉さんと同じく優しい顔で俺を見ている。


「そうですよ。光一君、あなたはあなた自身の言葉・・・・・・・・で私の心を動かしたのです。ただの借り物の言葉だったら、心が動くどころか乗り込んで来た者全員警察に突き出して、この場に居る全員を学園から追放してやっていたところです。切っ掛けなんて取るに足らないものですよ。たとえ他人からの情報が有ったとしても、あなたの中で考え、そして導き出したあなたの想いと言葉・・・・・・・・・だったからこそ、頑固な私の心にも届き、そして、変わる事が出来たんです」


 美都勢さんには夢の事は話していないけど、何が有ったのか分かっていたのかもしれない。

 優しい顔だけど、その目は真正面に俺を捉えて『もっと自信を持ちなさい』と俺を諭しているように思えた。

 俺の悩みを分かってくれている人が居る事に、胸が熱くなってくる。

 目頭も熱くなってきたけど、これはさすがに必死になって堪えたよ。

 お姉さんならまだしも、女の人の前で泣くのは恥ずかしいからね。


「しかし、可愛い光一君をこんなに苦しめさせた幸一さんの詰めの甘さには本当に困ったものです。私があの世に行ったらしっかりとお説教しないダメですね」


 俺が泣くのを堪えていると、そんな言葉を俺だけに聞こえる様にボソッと零した。

 その言葉に笑いが込み上げて来て、涙も吹き飛んだ。

 どこか遠くで悲鳴が聞こえたのは気のせいだろうか?


「アハハハハ。でも、お手柔らかにしてあげて下さいね?」


「あらあら、光一君は優しいわね。考えておくわ。ふふふふ」


 お説教とか言っているけど、もし本当にあの世が有って、いつかそこで二人が再会する事が出来たなら、美都勢さんはそんな事なんて忘れて、太陽の様な笑顔で幸一さんに抱き付いちゃうんだろうな。

 だって60年もの間、ずっと遺言に心が囚われる程、大好きだったんだものね。

 笑い出した俺と美都勢さんに、事情を知らないお姉さん以外の皆がキョトンとした顔でこちらを見ている。


「う~ん、何の事だかよく分からないけど、今回コーちゃんが頑張った事は間違って無いと思う。本当コーちゃんって昔から知らない相手でも困っている人を見たら、真っ先に手を差し伸べに走り出すところ全然変わってないのね。安心したわ」


 宮之阪が訳が分からないなりにも、俺の事を褒めてくれる。

 それに俺が忘れた小さい頃の事を話してくれた。


 そうだったのか? 俺はそんな奴だったのか? 知らない人にでも困っていたら手を差し伸べる?

 う~ん、そうだったような? そうじゃなかったような? 少なくとも俺自身そうしようと思って行動した記憶が無いな。


 いや、俺の事を知ってくれている宮之阪……、みゃーちゃんがそう言ってくれたのだからそうなのだろう。

 誰にでもか……。それは御陵家以外の人にでもだろうか?

 だとすると、もしかしたら結果はどうであれ、幸一さんの思惑なんてものが無かったとしても、俺はこの学園に入学したら同じ事をしたのかもしれないな。


 それこそ、俺だけの意思で。


 だと嬉しいな。

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